28-3.
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周囲の国々を、ほんとうに気持ちがいいくらい、皇国は喉の奥まで飲み込んでいる。積極的に攻撃し、抉り、あらゆるすべてを我が物と変えている。細部にまで意向が強く働くあたり、皇帝陛下はなかなかに優れた人物と言えるのだろう。皇国に攻め取られた土地が辿るのはもれなく植民地への道だ。資源も人材も吸い上げ、要らないものは要らないとし、場合によっては効率化の名のもとに粛清、殺処分とす。当然のことだが、たとえば、皇帝にとってはヒトだとかいう不安定かつ不確実な生き物より家畜のほうがずっと飼いならしやすいことだろう。皇国の長たる皇帝に憎悪が集められているのは事実だろうが、その意趣返しを実行するだけの力を有する者は現状、いない。じつのところとして、くだんの皇族一家が何を考えているのかは微妙にわからないのだが――。圧政を良しとするのだろうか。たぶんそのあたりに大差はないだろう。折れてやる理由がないわけだから。絶対的な力を誇っているのだから。皇帝の後が粛々と引き継がれても、きっとそいつはきちんと立派に暴君をやるはずだ。それ以外の選択肢なんてないだろう。くどいようだが、誰に対しても、皇国が折れてやる理由がないのだ。愚鈍な民どもは一部の特権者が導いてやるべきだ。貴族主義に否定的になる必要など微塵もない。阿呆な声を上げるだけのハンパ者になんの意味がなんの意味が、なんの意義が? どれほどの価値が――?
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皇族として皇族らしく、メルティーナも「謁見の場」と称して日に数名の民と会うことを良しとしている。真剣に取り組んでいるに違いないのだ。メルティーナ――彼女のすぐ左隣に同席し、間近で立ち会っているからこそそう言うことが、言い切ることができる。今日の七人目が去ったところで、デモンは一応余所行きの口調で、「めぼしいヒトは参りませんね、メルティーナ様」と言った。「メルでかまいませんよ、デモン」と今日もにこやかなメルティーナ――メル。遠慮なく「そも、メルはどんなニンゲンを望んでいるんだ?」と訊ねた次第である。
「えっと、言ってしまってもいいですか?」
「ああ、言え、言ってしまえ」
強い男性です。
てへへと少々照れくさそうに、メルは笑った。
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デモンは警察の取調室に近しい小さな――城内の部屋の中で、メルにお目通しを願う、言ってみれば謁見者予備軍と会うのを面倒なのかもしれないが楽しいかもしれないとも考えている。興味本位、あるいは気まぐれにといった輩は案外多くない。どいつもこいつもいまいち要領を得ない――ということがままある。ラベリングにナンバリング、それくらいのテクニックは用いて理路整然と、そうでありながらぜひとも気を引くようにしゃべってもらいたいのだが、とにかくあっちにこっちにと言いたいことばかりをあてずっぽうで話すのだ。あるいは何かが気に食わなくてメルティーナに一言伝えたい――という連中がいるのもわかるのだが、そいつらの物言いも釈然としない。なんらかのかたちで罰せられるかもしれないと恐れてのことなのだろうか。だったらそも、訪れなければいい。賞賛を叫びに来る者は少なくないように感じている。皇国は大らかであり、また豊かであるわけだ。第十一皇女が相手であろうと感謝の意を述べるについてはなにも不思議なことではない。
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今日も今日とてメルに会おうという人物がメルに会うにふさわしいかを見極めるために、無愛想な城内の小部屋にいる。テーブルを挟んで少年と向き合っている。少年――紺色の短髪に深い藍色の瞳。なんの思いやりもためらいもなく言えば、どこにでもいる、いっさいなんの変哲もない、十六、七くらいのガキんちょだ。ビンゴ。十七だと名乗った。かちっとした茶色いブレザーからして由緒正しい高校の学生なのだろう。名乗ってからは目線を下げ、なんだか物申したくしながらも口をつぐんでみせた。その理由はわからないが、しゃべってもらわないことには始まらないし終わらない。デモンは「名前は?」と訊いた。「え、えっと、ブライアンだよ、ブライアン・モントレー……」と弱々しく返してきた。あらためて思う。なんとまあ特徴のまるでない少年だろうか。なんの美学も美意識も感じられない。――とはいえまあいい。心が広いことで鳴らすデモン様だ。話相手くらいにはなってやろうじゃあないか。
「この場を訪れたということは、その理由は一つしかない。この国に何か申したい。ああ、その一つだけだ」
「そ、そうかな?」
意外そうに首をかたむけたブライアンである。
はて? と、デモンも首をかしげた。
「なんだ? 他に何かあるのかね?」
デモンがそう訊ねたところ、ブライアンは頬を染めた。
「えぇっと、メル――い、いえ、メルティーナ様は俺の同級生なんです」
「は?」
「クラスメイトなんですっ」
語尾跳ねか、うざったい。
しかしわかった、理解した。
デモンはそう前置きしてから――。
「にしたって、おいおいおい、まさかひょっとして――」
「ダメなのかよ!」ブライアンはいきなり声を張った。「同じ生徒会のメンバーなんだ! メルは皇女様かもしれないけど、だからって好きになっちゃダメだなんて理由は――!!」
デモンは両手を耳に当てて大きな声を遮りながら、「ええぃ、やかましい」と顔を歪めた。「おまえが誰を好こうがわたしは知らん。そんなのどうだっていい」と続けた。
一気呵成の勢いは失せ、ブライアンは暗い表情で俯いた。
「メルの奴さ、前は毎日みたいに学校に来てたんだけど、最近はまったく姿を見せないんだ。だったらさ、だったら、その、俺みたいな奴は心配したって、残念に思ったって……」
気持ちはわからなくもない。
年頃の男子らしい、そこにあるのは率直な思いでしかないわけだ。
とはいえ、ブライアン自身が言ったとおり、メルティーナは皇女なのだ。
そうであると同時に、確固たる信念を持った稀有な「個」なのだ。
「皇族批判になるんだろうし、だけど、それでも俺は言いたいよ。他の国への攻撃は、侵略行為以外のなにものでもないじゃないかよ……」
デモンは両腕をそれぞれ左右に広げ、やれやれと首を横に振った。
「自国の民を幸福にするために――きっと――この国の皇族は戦争を良しとしている。それくらいわからんかね。実際問題、おまえたちは目に見える幸せを謳歌しているはずだ」
「わかるよ、それは。でもさ、選民思想っていうのは――」
「危険だとでも? 仮にそうだとしても、富を享受しているおまえにそれを糾弾する資格などない」
ブライアンは押し黙った。
理路整然の果ての一言を述べてやるだけでやっつけるにはじゅうぶんだ。
「次は、『シビュラ』と戦争するんだろ?」
「するんじゃない。もう始まっている」
「そんなの、誰も――」
「嘘も方便とはよく言ったものだ」
今度は明らかな苦笑を浮かべた、ブライアン。
「情報が操作されてる時点で、異常だと思う」
「結果、もしくは成果がすべてを肯定する。シビュラを収奪したとのたまった日には、国のニンゲンはその快感に歓喜するに違いない」
「まさか、メルは関わらないよな? だって、戦争なんだぜ?」
「関わる理由もなければ余地もないさ――というはずなんだが」
「えっ、な、何かあるのかよ」
デモンは「まあこのガキは誠実そうだからいいだろう」と考え、「シビュラとの交渉に、メルが名乗り出た」と伝えた。
「交渉?」
「ああ。無血開城してくれれば市民の生活と安全は保障する――といった内容だ」
「そ、それって無茶な提案じゃないのか?」
「そうかもしれんが、メルが父親――皇帝陛下からなんとか勝ち取った最後通牒、あるいは譲歩を得るための時間だ」デモンはおふざけのように肩をすくめてみせた。「皇位継承権は十一位にすぎんわけだが、奴さんの行動力――バイタリティには舌を巻かざるを得ない。逸材だろうさ、間違いなく」
……勝算は?
伺うような声を、ブライアンは出して。
「勝算もなにも、シビュラは好戦的だというが、この皇国が敗北するわけがない」
「また血が流れるって?」
「それに見舞われたことがないガキがナマをほざくな」
「……メルに伝えてほしいんだ」
「それくらいの役割は担ってやろう。なんと言えばいい?」
ブライアンは「生徒会室で待ってるよ」と今にも泣きだしそうな顔で言った。