26-5.
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早々に駆けつけてはいろいろと迷惑をかけてしまうかもしれないなとフツウのニンゲンの思考を巡らせ、一般的に言うところの昼下がりに、デモンはタカトラの病室を訪れた。タカトラは「申し訳ない、ミス・イーブル」などと言うと看護師の若い女性の制止をやんわりとやり過ごし、身体を起こしたのだった。
「おや、オミくんはどうしたんだ?」
「病院にカラスは良くない」
「真理だな」
「だろう?」
おまえが倒れたことで、わたしが知る限り、一人と一匹が泣いている。
「マチだね。一匹というのは?」
「決まっている。ラプラスだ」
タカトラは俯くような素振りを見せると、それから苦笑いを浮かべたように窺えた。
「彼がオミ君と、楽しげにおしゃべりをしている夢を見た」
「夢じゃないさ」
「やはり……?」
「ああ。夢じゃない。生き物はみな、何か、鎖みたいなものを断ち切るために生きているんだよ」
最後にラプラスに会いたいなぁ……。
だから、おまえは、タカトラよ――。
「帰るぞ、タカトラ」
デモンがそんなふうに告げると、ぎょっとした顔を見せたのは看護師の女だ。いけませんだとか言われ、応援まで呼ばれたが、デモンは背を貸し、タカトラのことをおぶってやった。誰のことも相手にせず顧みず――。背中越しにもあばらのがりがりさ加減が知れて、だからデモンはつい舌打ちしてしまった。
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あとはおまえたちで始末をつけろ。――と言ってしまえば楽ちんだというものなのだが、なんだか「終わり」は気になった。タカトラは今すぐに死んでしまうということはないだろう。見るに長患いであるように映った。そういうものだ。それくらいわかる。来る日も来る日もマチが泣きっぱなしであることには驚かされた。相当な甘えただったらしい。愛しのパパが死んでしまうらしいと聞くや否や、公爵のおぼっちゃまとの結婚なんかどうでもいいとまでほざいた。タカトラのそばにずっといるんだと言い出した。それとこれとは話が別でしかないのだが、それくらい、明日も明後日も見えなくなってしまったということなのだろう。ラプラスも、デモンの前に顔を寄越すとブサイクな顔を歪めてぽろぽろ泣くばかりだ。悲しい色にばかり染まってしまった、クロダ家。暗澹たるそんな雰囲気に差し込む一筋の光になってやろう――なんて考えるわけがない――のだが、ちょっとくらい働いてやろうと考えた。一宿一飯の恩? 言ってみれば、そういうことなのだろう。
タカトラの私室。
ベッドの上で身体を起こしているタカトラ、すんすん鼻を鳴らしながら彼にすがりついているのはマチ。すっかり老人の父といたいけな生娘のイケナイ場面を想起してしまいそうなところだが、そういうのではない。まったく、両者ともピュアさがすぎて、見ているほうとしては嫌になるというか妬けるというか。
ラプラスの姿がある、デモンから見てすぐそこでおすわりをしている。
ラプラスの左隣にはオミがいて――奴さんはおもむろに「カァ」と鳴いた。
「なあ、タカトラ……」
ラプラスはたしかに、そう口を利いた。
驚き顔のタカトラが、そこにはあった。
タカトラは途端、これでもかというくらい、柔和な表情を浮かべたのだった。
「おまえなら――きみならしゃべってもおかしくないと思っていたんだよ、ラプラス」
「ごめんな、タカトラ。俺、おまえが苦しんでても、何もしてやれないよ……」
タカトラは突然、感情の底が抜けたように、聞いたことのない大きな声で、笑った。
「おまえと家族になったのは正解だった。私は慧眼の持ち主であるようだ」
「だから、だからよぅ、タカトラ……」
なんとなく眺めているだけだが、わかる。
それだけでも、わかる。
タカトラもマチも、そしてラプラスも泣いている。
笑いながら、泣いている。
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それからまもなくして、タカトラは亡くなった。
湿っぽいのも面倒なのもしつこいのも嫌いなものだから、デモンは葬儀に出席しなかった。
マチも、そしてラプラスも、タカトラの死体――遺体か? に伝えたことだろう。
敬意と信愛をもって、伝えたことだろう。
ありがとう、ってな。




