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黒き邪心に薪をくべろ  作者: XI
26.彼らは気分良く生きた
143/160

26-4.

*****


 三日が経過した日の朝、ラプラスなどというえらく偉そうな名を冠せられたブサイクなぶち猫は、デモンが邪魔している客室にいた。朝起きたら、床でオミの奴と向き合っていたのである。オミはきょとんとしていて、猫――ラプラスは難しい顔をしているように見えた。オミがくりっと首をかしげると、ラプラスもそうした。カラスと猫が仲良くする話は聞いたことがないが、とりあえず、互いが互いを悪く感じているなどということはないようだ。


 ラプラスは今日も「なぉーん」と鳴いた。声までひどくブサイクだ。濁っていて、がらがらだ。どうやらとことんまでくそったれの神様に見放された猫らしい。


「デモン」

「なんだ、馬鹿ガラス。その猫がいくらブサイクでもおまえごときが憐れんでやる義理や権利はないぞ」

「ひどい言われようなんだ。でもそういうことじゃなくて――たぶんこの猫、しゃべれるんだ」

「は?」

「しゃべれるよって言ったんだ」


 今度はラプラス、不思議そうな顔をして、オミを見た。

 それから呟くようにして「どうしてわかったんだ?」と言い、また首をかしげた。


「ぼくは賢いし勘のいいカラスなんだ」などと威張りちらかすオミである。


 ラプラスが、ぱぁっと明るい顔をしたように見えた。だが、それも一瞬のこと、また自信のない、申し訳なさそうな表情を浮かべた。浮かべて、「なあ、オミ、それにデモン、俺の話、聞いてもらってもいいか……?」と弱々しく訊ねてきた。


 今にも泣きだしてしまいそうな顔色に声色だった。猫のくせに確かにそうだったのである。



*****


 開口一番、オミが「どうして暗い顔をするんだい?」と訊ねた。「きみは幸せな暮らしを獲得したのだと思うのだけれど」と小難しい口調で続けた。するとラプラスは「申し訳ないんだ、ほんとうに」と絞り出すように言った。


「ラプラスよ、何が申し訳ないんだ?」デモンは訊ねた。

「だって、周りは俺よりずっと若くて、ずっと器量のいい奴ばっかだったんだぜ? なのに、俺が選ばれるなんて……」

「里親会、だったな? おまえは長らくそれに出席していたが、飼い主を名乗り出てくれるニンゲンが現れるなんて思っていなかった」

「恥ずかしかった、かなり」猫のくせに苦笑いを浮かべてみせた。「俺、身体がデカいし、不格好だしよ」

「それでも、願いくらいはあった?」

「いや、とっくに諦めてたから。俺はそれで良かったんだ。なのに……」


 俯いてみせたラプラスである。


「一般的にはブサイクかもしれんが、そんなのでも、わたしは軽んじようとは思わんぞ」

「えっ、どうしてだ?」

「猫を軽んじたところで意味などないからだ」


 そんなふうに言ってやると、意味不明なことにラプラスは照れくさそうな笑みを浮かべた――ように見えた。

 しかし、「でも」とまた暗い顔をして。


 果てはぽろぽろと泣きだしてしまったではないか、猫のくせに。


「ほんとうに申し訳ないんだよ。タカトラにもそうだし、まだ里親を待っている後輩連中にも申し訳ないんだよ……」

「馬鹿だな、おまえは」一転、不思議と優しい気持ちになったデモンである。「そんなこと、気にしなくていいだろうが。それとも、おまえはタカトラが嫌いなのか?」

「ありがとうって思ってるよ」

「そういうのを、ヒトは相思相愛と言うんだ」デモンは真剣に言った。

「俺、ヒトに優しくされるとか、慣れてないしよ」

「だったらこれから慣れればいい」


 またぽろぽろ、ぽろぽろ。


「家出なんか考えるなよ? このクロダの家人どもは揃いも揃ってお人好しで、だからおまえのことを大切に思っているんだからな。特にタカトラについては、本人が忙しかったから――こそのささやかな夢なんだろう? その思考、期待に、おまえは何気なく応えてあればいいんだ。一人の男の晩年に付き合ってやれ」


「わかった。がんばってみる」


 がんばる必要まではないと考えた。

 その旨、そのうち、ラプラスが気づけばいいなと考えた。

 お人好しとは自分も含めてのことかもなとデモン・イーブルは考えた。



*****


 しばらくのあいだ、ことあるごとにデモンの客室を訪れていたラプラスである。朝、いつも目覚め、身体を起こすたび、右の前足を使って顔を洗っているラプラスに出くわした。ラプラスは「おはよう」と言って、猫のくせににこっと笑った。今日もいつもにたがわずである。


「ラプラスよ、オミの奴はどこに行った?」

「行水してくるって、出ていったよ」


 まったく、どこからどうやって外出したのか。

 とりあえず、部屋の窓が開けられているということはなかった。


「俺もこれから散歩してくる。朝の空気は悪くないからな」

「メシは? もう食ったのか?」

「帰ってきてから食べるよ」

「そうか。でだ、ラプラスよ」

「なんだよ?」


 おまえが話せることを、タカトラ達は知っているのか?

 ――と、デモンは訊いた。


「言ってねーよ。だって、ビックリするだろ?」

「だったらどうしてわたしとオミの前では素直なんだ」

「いいじゃんかよ、そんなこと」

「変に思われて、嫌われるのが恐ろしいんだろう?」

「そ、それは……」

「ま、おまえの考えそうなことだし、おまえの自由にするがいいさ」


 うん……。

 情けない調子で頷くと、ラプラスは「今日はどこに行くんだ?」と訊ねてきた。


「郊外に馬に乗れる場所があると聞いた。行ってみようと思う」

「馬? 馬が珍しいのか?」

「珍しくはないのかもしれないが、跨る機会はそう多くはないんだよ」

「じゃあ、俺もついていってやるよ。俺も馬、嫌いじゃねーし」


 とんだ御供だな。


 デモンは朝食をとって出掛けることにした。



*****


 そう広くはない馬場だが、駆け、障害物をやりすごす馬には華麗さを見るよりほかなかった。


「乗馬クラブってやつだろ?」デモンの足元で、ラプラスが言った。「うへぇ、どいつもこいつもカッコいいなぁ。サラブレッドってやつなんだろ?」

「どうあれ猫よりは見栄えがするだろうさ」

「それ、ひどい意見だぜ? で、どれに乗るんだ?」

「いや、もういい。なんだか気が済んでしまった」

「はぁ?」意外そうともとれるラプラスの声。「いいのかよ、ほんとうに」


 そんな話をしていると、柵の向こうの目の前にまで、鹿毛の馬がやってきた。ヒトが手綱を引き、わざわざ連れてきてくれたのである。デモンは「いや、いいんだ」と応えた。にもかかわらず、ラプラスの奴ときたらぴょんと跳ね、らちを足場にすると馬の背に飛び乗った。身軽なことだ。ブサイクで不格好とはいえ、一応、すばしっこいことには間違いがないらしい。


「乗ってこうぜ、デモン。きっと楽しい思いができるからよ」


 まったく、生意気なくそ野郎である。


 デモンは鹿毛の馬に乗り、それからいくつも障害を越えた。従順すぎるくらい従順な馬で、だから優しく扱った。楽しい時間を過ごすことができて、下馬の折、その首にキスをしてやった。だかが馬のくせにデモン・イーブル様の口づけを賜れるとは――などと、彼女は思ったとか思わなかったとか。



*****


 そういえばタカトラおまえ、言ってみれば、細君はどうしたんだ?

 ある日の夕食の場において、くだんの彼と向かい合っている席において、何とはなしにそう訊ねた。


 タカトラは笑ったのである。


「今さらだなぁ、ミス・イーブル」

「ああ。今までまったく気にもなっていなかった。――どうしたんだ?」

「早くに亡くした。マチだけを残して、逝ってしまった」


 ありがちだなと考え、だからデモンは詫びすら入れなかった。偏屈だなとは思われたかもしれない。――が、少なくとも、悪いニンゲンだとは断ぜられなかったことだろう。その態度からそう判別がついた。


 デモンは牛肉のヒレステーキを切り、フォークの先のそれをあむと口に含んだ。

 あむあむと口を動かしながら、「まあいいんじゃないか。それも悪い人生ではないだろうさ」と言ってやった。


「ときどき思うんだよ。妻は幸せだったのかなぁ、って」


 いい年こいた紳士の弱音など聞きたくないので「幸せだったんだよ」とだけ伝えてやった。なおもあむあむ口を動かす、あむあむ。「とことんまで幸せな細君もいたものだな」――あむあむ。


「もう思い残すことはないなぁ。ラプラスまで加わった。私はほんとうに幸せ者だ」


 いい年こいた――がゆえに、妙にセンチになり、妙に達観する輩は、この世に一定数、存在する。



*****


 あくる日の朝のことだった。

 タカトラが自室で血を吐き、倒れていた旨、知ったのは――。


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