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黒き邪心に薪をくべろ  作者: XI
26.彼らは気分良く生きた
141/160

26-2.

*****


 マチは「屋敷の主人に聞いてくれ」みたいなことを言ったが、メイドのババアはとっとと客室に通してくれた。立派なベッド、サイズはダブル。コートを脱いで、ジャケットも放り投げて、ベッドの上に、どっと仰向けに転がった。クッションの具合もいい。上等なものだ。どこからともなくオミの奴が「いい部屋だね」などと述べたのが聞こえた。そのとおりでしかないから「そのとおりだな、くそったれ」とだけ答えた。


「なあ、馬鹿のオミ」

「とても失礼なんだ、すごく無礼な物言いなんだっ」

「いいから、まあ聞け。この屋敷の主人と話したとの話だったが」

「そうだよ、それがどうかした?」

「イイ男だったんだろう? が、そも、どこでそいつと出会ったんだ?」


 オミはぴょこんとベッドに乗ると、ぴょこぴょこ跳ねてデモンの顔のそばにまで来た。


「とてもおいしそうなチョコレートケーキだったんだ」

「は?」


 チョコレートケーキ?


「それがどうしたというんだ?」

「この屋敷の主人は、カフェの表のテラス席でそれを食べようとしていたんだ」

「それで?」

「とてもおいしそうだったんだ」

「それはもう聞いた」

「テーブルの上に優雅に舞い下りて、ぼくは言ったんだ。ケーキを分けてほしいってね。ほら、ぼくは正直なカラスだからさ」


 正直さが美徳たりうるかはわからない。

 なにせカラスが言うのだから、よけいに信憑性に欠ける。


「ケーキは? もらえたのか?」

「たくさんもらったんだ」

「ゆえに、イイ男だと?」

「間違いないんだ」

「ふむ……」


 懐の深い大らかな男というのは、たしかに、それだけでもう尊いものだ。



*****


 ――眠っていたらしい。


 誰かの声で起こされ、いよいよ覚醒したところでそれは老婆のメイドの声だと気づき、ベッドの上で身体を起こした。窓から差し込むくすんだ橙色の光――すっかり夕方らしい。コンコンコンとノックが続くので、「起きたぞ」と伝えた。「主人が戻りました。お話をしたいとのことです」とはドアの向こうからの老婆の言葉。


 デモンははだけていたシャツの前を留め、それからぴょこんと身体を起こした。彼女の左の肩にオミが乗った。


「少々、楽しみだ」

「ぼくがナイスミドルだと言ったからかい?」

「否定はせんが、そうでなくとも初対面の折は興味深さを抱くものだ」

「きっと、馬が合うと思うんだ」


 だったらなによりだと思いつつ、デモンは客室の戸を開けた。

 老婆の案内に従い、二階から一階へと下りたのだった。



*****


 律義にも――と言うより礼儀正しいことに、客間にて主人らしき男が立っていた。ロマンスグレー、口ひげは真っ白、ブルーの瞳が美しい。削げた頬にスリムな身体つき、シュッとしているとはこのことだ。


「デモン、デモン・イーブルさんだと伺っていますよ」主人はオミのほうを見て、にこりと笑んだ。「ほんとうだね、オミ。きみの相棒はなんとまあ、ほんとうに美人さんだ」


 面と向かっておくびもなくヒトのことを「美人だ」と評価する男にろくなのはいないとの認識だったのだが、こいつに限ってはそんなことはないのかもしれないなと思わされた。紳士にしか見えないのだ、とにかく。速やかに席へと促された。デモンが座ってからゆっくりと、主人もソファについた。長身だからささいな動きでも見栄えがする。つくづく魅力的な人物でしかない。


 オミはなおもデモンの左肩にいる。「カァ」と鳴くと、「こんばんはなんだ、タカトラ・クロダ」と言った。どうやら主人はそういう名であるらしい。ひどく男前で、個性的な識別子であるように思えた。


「しばらく、置いてもらってもいいかね? 無論、宿代は支払おう」

「ウチの客室は客室の名を失ってから久しい。誰かに使ってもらったほうが本望というものだ」


 デモンの言い分に対して、じつに気さくな物言いである。

 単純に、優しいとも言う。


 主人のタカトラがメイドのババア――もとい、メイドの老婆にコーヒーを持ってくるように告げた。指示というより、お願いといった口調だった。やはり、よくできた人物らしい。下々の者にも気配りができる。


 コーヒーがやってきて、たがいに一口すすったところで、タカトラが「デモンさんは『掃除人』らしい」と言った。オミの馬鹿はそんなことまで話したのかと呆れ返りそうになったが、まあ、わざわざ咎めてやるような事象でもない。


「私は私で立場が立場だ。だから、ニケーには行ったことがない」

「立場が立場?」

「ああ、こう見えて、国の通商大臣をやらせてもらっているんだよ」

「ほぅ」


 それは大したものだと思わされた。オミが、「元は腕利きの投資家だったんだ。その有能さを買われて国に雇われたんだ」と教えてくれた。自らのことのように誇らしげに述べるのはいったどういうからくりなのか。


「ワインファンドが最も楽しい商売だった」と、いうことらしい。「複製が難しいからこそ、そこには唯一の美がある」

「今の仕事はつまらんのかね?」

「国に雇われるというのは誇らしいいっぽうで、どこかむなしい」タカトラが――きっと苦笑交じりにだ、言う。「私はヒトの上に立つような人物でもないのでね」

「謙虚さもゆきすぎると自虐になって気持ち悪くなる」

「若いのに、しっかりされている」感心したように、タカトラ。「しかし、私の奉仕の時間もまもなく終わる」

「というと?」


 明日で任期を終えるんだ。

 ――そういうことか。


「ご苦労だったとでも、申し上げておこうかね」

「恐れ入る」タカトラは笑った。「しかし、ようやく引退かと嬉しい反面、不安でもあるんだ」

「暇を持て余しそうで怖いんだな?」

「もっと言うと、どうやって時間を潰せばいいかとばかり考える日々が続いた」

「その旨、見当もつかないと?」


 じつはそうでもないんだな。

 そう言うと、今度は悪戯っぽくタカトラは笑い。


「ようやくその日がきたかぁ――という感じなんだよ」

「その日?」


 タカトラは心底嬉しそうに、にこにこした。


「子どもの頃からの夢を、明日、叶えようと思う」

「まどろっこしいな。だから、それはなんなんだ?」

「明日になれば、わかる。ミス・イーブルは、まったくいいときに我が家を訪れてくれた」


 まったく意味がわからない。

 が、ほんとうに、とにかくタカトラときたら嬉しそうで嬉しそうで――。


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