25-1.
*****
その昔、ここは「朽ちた村」と呼ばれたらしい。どんな言語に根差したものかはわからないが、それが正式な名称だったらしい。今は三十五万もいて「朽ちた村」から「朽ちた国」へと微妙に出世して、きちんとした首長もいるのだと、道中聞かされた。乗り合いの馬車で真っ白な髪をした老人により知らされたのだった。どうでもいい話だが、馬を転がすことが得意なだけの御者のくせに彼は貴族らしい。当然のごとくムシケラのように金銭でもせびってやればよかったろうか、いくらなんでもそれはやりすぎに感じられ、だからそんな真似はしなかった――。
*****
朽ちた国へと入ってしょっぱな、存分に仕事を斡旋してくれるギルドの建物に入り、案件がずらりと並ぶファイルを見せてもらった。べつに貧乏しているわけではないのだが、目下、暇なのだ。だったら労働に勤しむのも一興というものだろう。――が、興味深いイベントはまるでないものだから、早々にギルドをあとにして、街の散策に出掛けた。どうやら平和な国であるらしい。あくまでも「朽ちた国」なる呼び名はあれど、そのじつ、市民はある程度、豊かに健やかに過ごし暮らしているのではないか――街に漂う空気がその旨、確かに伝えてくる。
花屋を見つけた、色鮮やかな品々が居並んでいる花屋――。贈る宛などないのだが、足を止めた。深紅で真紅の花を見つめつつ、「いい薔薇だ」と素直な感想を述べた。
「お目が高いです」と褒めてくれた店員の若い女――綺麗なグリーンアイが顕著な女は笑顔を浮かべた。「こんなに色がいいものは久しぶりなんです。お包みしましょうか?」
「いや、いいんだ、必要ない。ところで」
「はい、なんですか?」
「美人さんのおまえに問いたい。名は? なんという?」
「美人さん、なんですか?」
「二言はない」
美人さんは微笑んでみせた。
「ミライといいます。ミライ・カーターです」それから――ミライは「あなたのお名前も教えていただけませんか?」と訴えてきて――。
「わたしはデモンだよ。デモン・イーブルだ」
「わぁ、素敵なお名前ですね」
「抜かせ」
「ほんとうですよ」
正直にしか思えない物を申すところに惹かれた。
「ミライ、おまえの話をもっと聞いてみたい。流浪の旅人であるわたしを、今夜、家に泊めてもらえないかね?」
「いいですよ」無防備にもミライは即答。「弟もきっと喜びます。美人には目がないので」
「襲われやせんかね」
「そこまでの根性はないんです」
「世話になろう」
「あと一時間ほどで勤務は終わりです。どこかでお待ちいただけると幸いです」
「そこの角を曲がったところにカフェを見つけた。お待ち申し上げることにするさ」
ミライは律義にも「恐れ入ります」と頭を下げたのだった。
*****
ミライの家。テーブルの向こうの正面に座っている。デモンのことをちらちらと見て、なんだか恥ずかしげに両の頬を桃色に染める若い男。美人に目がないというより、ただただ気の弱い控え目な性格なのだろう。
うまいパンだ。シチューに使われている野菜も質が高い。金持ちの家には見えない。いい食材を見つけるすべに長けているか、あるいは良い物を譲ってもらえる立場なのだろう。まあ、ミライもその弟もイイ奴には違いないのだから、そうあってもおかしくないと言える。
アンティークかもしれない、年季が入った筒状のランプシェードの中の火が唐突に消えた。びっくりしたのだろう、「わっ」と声を発したきょうだいだ。デモンは特になんの動きも見せず、ただ魔法で火を灯しなおした。明かりがついた途端、ミライも弟も「わぁ」と目を丸くした。そこにあるのはまるで尊敬のまなざしだ。二人とも、そんな目で見つめてきたのだった。
「ミライの弟よ、いい加減、呼称をそうするのにも飽いた。名を教えてもらえないかね」
「カイといいます。カイ・カーターです」
「どこにでもある名だな」
「そうなんです」
カイが浮かべたのは苦笑いだろう。
発言を百パー真に受けないでもらいたい、失礼を述べるつもりはないのだから。
「デモンさんは旅の御方ですか?」と訊いてきたカイ。
「しつこいぞ。他にすることがないから、世界を巡っているんだ」とデモンは答えた。
「わぁ、スゴいなぁ」と述べたのはミライだ。
「スゴいことなんてことはない。誰にでもできることをわたしはやっている。時折、その無意味さに泣きたくなるよ」というのはデモン・イーブルの紛れもない本音だ。「それよりミライ、カイでもいい。この国の特徴のようなものを、あらためて語ってはくれんかね」
ミライとカイは顔を見合わせた。
代表してしゃべってくれるのはミライのほうらしい。
彼女は「どこまでご存じなんですか?」などと訊ねてきた。
「だから『朽ちた国』だとか、そんな後ろ向きな名だとは知っている」
「その理由については、ご存じないんですね?」
「知らんな」
「知りたいですか?」
「まあ、そうだな」
ミライは顎を引くと、まさに言いにくそうに「話したくないんです、ほんとうは」と言った。
「そのわけは?」
「今、この国の市民は、どんどん削がれていってます」
突拍子もない話に聞こえたので、デモンは「は?」と首をかしげた次第である。
「削がれているとは、どういうことだ?」
するとミライはも一度カイと視線をかわし、それから「レッサーヴァンパイア」と固有名詞かもしれないことを述べ。
「レッサーヴァンパイア?」オウム返しにデモンは訊いた。「なんだ、そいつは。文字通りヴァンパイアなんだろうが、そんな奴がどうしたというんだ?」
「国が、あるいは民が、削がれていっていると言いました」
「ミライよ、それはわかったと言った。何がどうあるのかと訊いている」
話しだすと長いんです――と、ミライは苦笑交じりに言い。
「それでも話してみろ。場合によっては力になれるかもしれない」
「力になっていただく必要なんてないように思います」
「ほほぅ、言ってくれるじゃあないか」
「……お話しします」
「ああ、そうだ。強者には媚びたほうがいいぞ、ハハッ」
レッサーヴァンパイアとはまさに吸血鬼の彼の呼称で……彼は恋をしていたんです。
ミライの物言いが何を示すのかいっぺんにはわからないものだから、「どういうことだ?」と訊くしかないわけだ。
「私の近い先祖にあたる女性が、レッサーヴァンパイアと恋に落ちたんです」
「ほぅ」じつに興味深い話ではないかと、デモンは感じた。「異種間であろうと愛し合うのはアリだ。僭越ながら、わたしはそんなふうに思うぞ?」
「レッサーヴァンパイアは忌むべき要素、象徴です」
「そのへんはわかったが、だからといって、なんだというんだ?」
「レッサーヴァンパイア……彼と一緒になりたがった一人の女性を、村の――今は国の人々ですね、彼らは焼いたんです」
「焼いた?」デモンは首をかしげた。「焼いたとは、文字通りの現象か?」
ミライは泣き顔のような表情を浮かべ、笑った。
「その女性――私の先祖の女性とレッサーヴァンパイアは恋をした。それっていけないことでしょうか?」
「だから馬鹿言うな、愚か者が。恋の自由性は絶対的に、必然的に自由だ」
「だったら――」
「こんな寂れた国に興味を抱こうはずもなかったんだが、一応、その傾向は否定してやる」
私には、よくわからないんです。
ミライはそんなふうに言い。
「なんの話だ?」
「ヘンテコなこと――なのかもしれないんですけれど……」
「だから、なんだ?」
「私もまた、レッサーヴァンパイアに恋をしているのかもしれません」
デモンは笑った。
「いきなりなんだと物申したいところだが、恋なる概念が奔放である以上、それは悪いことではないだろうさ。わたしはおまえを応援するし尊重もするよ」
「ありがとうございます」
「ああ。とはいえだ、おまえに聞かされた話から算出するに、それを間違いだと定義する者のほうが多いんだろうな」
「それはそうです。ですけど――」
「わかったと言ったんだ。楽しい出来事だよ、ほんとうに」
そこに嘘はなかった。




