元事務職員、異世界で友人ができる
俺の名前は松本五郎。
日々平和に事務職を務めている40歳の会社員、だった。
何故過去形なのか。それは今日も今日とて仕事をこなして帰宅しようと電車に乗っていて、ふと貧血のような体から力という力が抜けて「あ、これ意識を失うな」と思ってその通り意識を失い、
目覚めたら「あなたは死にました」と女神様のような女性にそう宣告されたからだ。
それからなんやかんや問答をして、あれやこれやと転移した先は、
「・・・どこだここ?」
見渡す限り、木、木、木。
林というか森というか。
ゲームが始まったらOPムービーが流れたり何らかの世界観の説明のイベントがあったりするものだけど、
そういうのがなく、ただポツンとフィールドに放置されたかのような。
そもそも何をやったら良いのかすら皆目見当がつかない状況下に置かれていた。
異世界への転生なり転移なりがファンタジーなのに、こういうところだけ現実的なのはどうかと思いますけどね女神様。チュートリアルは欲しかったなぁ。ないものねだりか。
まぁ世界観そのものは転移前に根掘り葉掘り聞いたから、それをチュートリアルとするか。
さて、自分の体を確認してみると、まず着ているものはスーツではなく長ズボンとシャツ。素材やモノの良し悪しはわからないが、見る限り簡素な感じだった。動きやすそうではある。
それから軽く体を動かしてみたが、以前あって苦しんでいた腰痛はさっぱりなくなっていた。女神様が若返りをセットにしてくれると言っていたので、その効果だろうか。
前は30歳を超えたあたりから腰痛にはひどく悩まされていたし、しかもヘルニアでもなくて原因が特定できないから治せないと医者に言われて人生に絶望していたので、それだけでも大変有難かった。いやホント有難い。
若い子たちは腰痛には本当に気をつけたほうがいい。なんなら加齢で視力も下がるし、やっぱり体力も低下する。
動けるのであれば、まずは移動してみよう。空を見るとまだ陽が昇っている。この森にどんな生物がいるのかわからないのに野宿しなければならないという事態は避けたい。女神様曰く、この世界には獣とはまた別の魔獣という人類の天敵もいるとのことだし。
しばらく歩いていると、森の中の泉に辿り着いた。喉は乾いているが、かといって生水を飲んで腹を壊して、獣なり魔獣なりに襲われるというのは勘弁願いたい。あくまで、そこに辿り着いたという事実だけを飲み込む。チェックポイントみたいなもの。
幸運だったのは、そこに先客がいたということ。屈強な見た目をしているが人と変わりない容姿で、コミュニケーションがとれるかもしれない。
切り株のようなものに腰掛けて休憩しているその彼に、声をかけてみる。
「あの」
「えっ、うわあっ!!」
座っていた切り株から飛び退いて明らかに過剰な驚き方をする青年。
何とか落ち着かせて話をしてみたが、彼は魔法で索敵をして自分を害するものが検知されないことを確認して休憩していたので、不意に声をかけられたことが予想外で驚いたのだとのこと。
この世界に魔法があるということは女神様から聞いていたので特に驚きはないが、話していくうちに彼がオークだと聞いて驚いた。屈強だけど、見た目は完全に人間だもの。
「驚いたよね。この見た目なのに強くないからあまりオークらしくないって言われるし、もっと言っちゃうと冒険者としては僧侶職だから戦闘は護身くらいしかできないし」
いやいや、異世界人としてはオークというファンタジーの存在に会えたことに驚いていたんだよなぁ。女神様からは色々な種族がいる世界だと聞いていたから、これは今後が楽しみではある。
「ところで君は森に住むエルフの亜種だったりするの?この山森はそんな軽装で入れるものじゃないし、そもそもどうしてこんなところにいるんだい?」
あー。
ちょっとリスクはあるが、俺は彼に自分が転移者であることを伝えることにした。
転移者という存在がこの世界で一般的なものではないし、そうした神話や物語が無いことは女神様から聞いているが、彼視点では俺のような存在が理由もなくここにいることのほうが不自然だし、かといって理由をでっちあげるのも難しいし心苦しい。
ここは彼が善良であることに賭けて、自分が別世界からの転移者であること、転移した先がこの森だったのでどうしてよいかわからず、まずはどうにか脱して人里に行きたいということを伝えた。
「あー、うん、ちょっと理解が追いついていないけど、困っているってことはわかったよ。この山森には強力な魔獣はいないみたいだけど、とにかく道がわかりづらいから、まず街までは送り届けるよ。僕も用件は済んだし」
ほっ。
理解できなくても状況を飲み込んでくれたばかりか人里へ送り届けてくれると申し出てくれたあたり、彼は善良なんだろう。
彼は冒険者ギルドなるものの依頼で特殊な薬草を採取しにきたらしく、採取を終え帰る準備をしていたとのこと。僧侶が使える浄化魔法というもので湖の水を飲めるよう濾過している最中だったようで、それを俺に提供してくれた。
「そうだ、僕はアンドリューっていうんだけど、君の名前は?」
「松本五郎という。五郎が名前で、松本が苗字だ」
「ゴローか、うん、わかった。ここではファーストネームが先に来るから、他の人へ名乗るときには注意したほうがいいかもね」
「ゴロー・マツモトとか?」
「そうそう」
これが、転移先の世界で最も親しい友人となるアンドリューとの出会いだった。
そして、その直後に本来この山森では現れるはずのない強力な魔獣と出会し、俺は重傷を負って生死の境を彷徨うことになった。