或る剣士の生涯
設定を撒き散らすための閑話です
研鑽を積んできた。
ずっと、研鑽を積んできたのだ。
私の人生は武と共に在った。
5歳の頃に剣術を習い始め、神童と呼ばれ、12歳の頃には師を超えた。20歳になる頃には冒険者となって名を馳せていた。
だが名声など付属品。強き者と戦えればそれで良い。数々の強力な魔獣のみならず、それらを討ち倒しうる実力を保つ冒険者も次々と倒した。
そんな私にただ一度、敗北があった。
それは「竜種」と名乗る巨大な蜥蜴の怪物。人が多く訪れる山麓の、しかし誰も来ないであろう秘奥の地。よもやそうした伝説とも言える存在に出会すとは思っていなかった。
挑んだ。
結果は燦々たるものだった。
攻撃が一切通用しない。鉄のような硬さの皮膚の魔獣と切り結んだことはあるが、私の剣は斬鉄たるもの。気合いを籠めた一撃に断てぬ物なしが信条であった。
その全力の斬撃に、しかし振り下ろしきったときの感触はなく、表皮を僅かすら傷つけられなかった。
そもそも、その竜種は私を相手にしなかった。
常人が自分を傷つけることは不可能。特に抵抗はしない。気の済むまで打ち込み、飽きたら去れ、と。
私は冒険者を引退した。
ショックだった。
竜種を傷つけることは終ぞ出来なかった。
今までの鍛錬や戦いの全てを否定された気分だった。
しかし、だからといって武を志す気持ちを頓挫させたわけではない。
傷つけられなかった竜種を倒すため、山中にて修行をする日々を過ごす。過酷な訓練で体を虐め抜き、ひたすら素振りをし、仮想敵相手の組み手を繰り返す。
そして30歳ほどで水を自在に斬り、里に降りたときの対人において無益に傷をつけなくとも降すことができるようになり、そこから長いが50歳ごろに剣を持たなくなった。剣を極めれば剣が不要になる。なるほど。
そういう域に達していた。
「!?」
私はこの日、完全に規格外の人間と遭った。
久々に降りた人里の、何でもない往来の中で、当たり前のようにいる有象無象の善良な民のひとり。
身体能力が平均と言われる、私と同じ人間種。その中でも平均以下と言って良いだろう。
私のように鍛えに鍛え上げた屈強な身体ではない。見る限り非力で、単純な腕力勝負で私が負ける筈がない。着ているものも特に武装と言えるものではなく、普段着に近い。だが、明らかに「彼」は特殊だった。
まず空気が違った。
平時でさえも臨戦体制であるかのような張り詰めた緊張感を身に纏う。戦いが日常であり、少しでも殺気を見せれば察知されてしまうような鋭さだった。
そして立ち振る舞い。何気ない動作のひとつひとつ、そこに隙という隙が一切見当たらない。仮に不意打ちで一太刀入れようとしても、それが通用するイメージが沸かない。
体は貧弱だが、纏う雰囲気は超一流。
ともすれば、恐らく魔法使いの類だろう。とはいえ強き者に剣士であるかどうかなど関係ない。
逸る気持ちを抑えきれず、私はその少年に声をかける。立ち会うために。
少年は立ち合いを快諾した。
その瞬間、私は手を腰に当てた。刀を持たずに、しかして不可視の刃を放つため。無刀の極み。
返事を受けた直後の不意打ち。かつ不可視の攻撃。
それでも少年には通じない予感があった。事実、少年は顔色ひとつ変えずに私の動きを見ていた。
と、
私の意識が何故かそこでプツリと途切れた。
・
・・
・・・
「んっと、構えて攻撃に移るまでの所作が遅いです。隙しかないです。普段なら魔法で石礫を飛ばしますが、近接系とお見受けしたので流儀に沿って接近、ショートフックで顎を揺らして脳震盪を起こさせました。どんなに力が強くても、当てられるような訓練をしていなければ意味がないです。以上です」
少年はこともなげにそう語る。
倒れた初老の男に、その言葉は届いていないだろう。少年も届いていないことを前提とした独り言だと認識している。
街の往来で行われた小競り合い。
それ自体は珍しいことではないが、暴力沙汰ではあるので騒ぎを聞きつけた自警団が駆け付けるのが一般的で、今回もそうなるだろう。
とはいえ、小競り合いがあまりにも一瞬のものだったので、起こってから自警団がかけつけるまでのタイムラグは大きい。
少年は特に逃げるでもなく悠然と立っていた。
「負けた、か」
初老の男は意識を取り戻す。
「そうですね。立ち合いを了承してから即攻撃に移る思い切りの良さは良かったですが、攻撃判定が発生するまでの間が長かったので、こちらからさっさと攻撃させてもらいました」
少年は目が良い。
初老の男は剣士として成熟した実力を持ち、少年が言うほど動作が遅いわけでは決してない。むしろ神速の域にある。
そのような熟練の所作を「隙」と見做せるほど少年の目は良すぎた。
が、いくら目が良くてもそれを活かせる身体能力を持つかは話が別。
事実、少年の身体能力は決して高い者ではない。目で見えても、体が動かせなければ意味がない。
しかし、少年は初級魔法であれば無詠唱・ノータイムで放てる特殊能力を持つ。
簡単な魔法を無詠唱で放つことは珍しいことではないが、彼は四大属性でそれを可能としていることがストロングポイントとなっている。
今回に関しては風魔法を足にかけ推進力とし、また同じく風魔法を腕にかけ彼本来より速い拳を振るうことで、初老の男の所作の間隙に攻撃を差し込むことができた。
もっというと、最初の踏み込みの前に土魔法で足場を作っていた。短距離走のクラウチングスタートで使うスターティングブロックのようなもので、踏み場を傾斜にすることで踏み込みの強さを増していた。
少年の強さは、目の良さと、初級魔法を無詠唱・ノータイムで放てること、そしてそれらを十全に活用して完全な先制攻撃を可能とする尋常でない判断力の早さにある。
少年は過去の出来事で、躊躇は死を招くと認識している。元々決断力はあるが、その過去の出来事が尋常でない決断力に拍車をかけていた。
そうした常軌を逸していると言ってよい判断力が、初老の男が感じた「纏う空気の異常さ」の源泉となっている。
少年は基本的に警戒心を解くことがない。常に車に乗っているような漫然とした周囲への警戒をしており、有事の際には最大限の警戒をする。常在戦闘の心構えとも言える。
初老の男も似たような心構えでいるが、修練の目的が強大な敵に必殺の一撃を叩き込む、つまり威力を高めることを主眼としており、戦場で生き残ることを想定したものではない。
そんな少年の思考を、初老の剣士は知る由もない。しかし、在り方が隔絶しているということは実感してしまった。
将来的には仙人と呼ばれてもおかしくない実力者の心は、ここで完全に折れてしまった。
そんな出来事も日常の一幕であるかのように、少年は「終わったこと」として、自警団が来るよりも前に、特に見向きもせず雑踏の中に消えたのだった。
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・・
・・・
初老の剣士は武を捨てた。
山中に建てた修行場を改築し、獣を狩り、木の実を採取し、湧水を加熱処理して飲み、清貧とは言えぬど慎まやかに生きていた。
体を動かすことを止めたわけではなく、今まで行っていた訓練の一部は続けていた。が、それは自らを高める目的ではなく、あくまで健康な肉体を保つための体操のようなものだった。
が、皮肉にもそうした隠遁生活が彼の強さを引き出していた。
厳密には、過密とも言える自らへの追い込みが彼の成長を妨げていた。それから解放されたことで、老いに差し掛かった肉体は更なる成長を遂げていたのだった。
彼はそれを知る由もない。
実感もない。
仮に知ったとしても、かつて敵わなかった竜種や少年に再戦を挑むことはない。
月に一度、彼は山麓の麓の村に必要品の調達に行く。冒険者時代の蓄えはまだ十分に残っている。
あれから少年を見かけたことはない。世俗に疎い彼は、その少年が当時は冒険者であり、かつ今は既に冒険者を引退してこの地に来る理由を持たないことを知らない。
竜種は棲家に行けばまた会えるだろうが、少年には会おうとしても会えない。彼が世俗の情報に疎くなければ、少なくとも今何をやっているかを知ることは出来るが・・・
「むっ」
買い出しを終え、山麓に戻ろうとすると、街道の外れに争いの気配を察した。
その気配のほうに向かってみると、複数の狼型の魔獣と、襲われている馬車があった。
既に被害に遭っており、馬と従者の数人は殺されていた。
馬車の中がどうなっているのかはわからないが、彼は咄嗟に魔獣に立ち向かい、手刀で斬り捨てた。体に染みついた研鑽と、衰えぬよう維持した肉体を持つ彼にとって、人を容易に殺し得る魔獣を倒すことは容易なことだ。
魔獣の始末を終えた彼は、まず倒れている従者を見る。やはり息が無い。
馬車の中には少女がいた。
5、6歳あたりだろうか。
利発な子で、殺されそうになっていた恐怖を押し殺して自分の素性を彼に教えた。貴族の娘で、実家に向かっている途中だったとのこと。
略式ではあるが死んだ馬や従者を弔い、貴族の少女を家に送り届けた。
深く感謝されるとともに貴族の少女の両親から士官の提案を受けた。特に人生の目標を持っていなかった彼は、これも何かの縁だと快諾し、山麓での生活に別れを告げることになった。
執事としての仕事を覚えつつ、彼は少女が大きくなるまで従者として仕えた。少女とは深い絆で繋がり、結婚して他家に嫁ぐときには二人とも大号泣した。
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・・・
「お嬢様、私は良い主に巡り会えました」
それからも彼は貴族の家に終生仕え、やがて老衰で亡くなる。
少女をはじめとした貴族家という大切な存在を手に入れ、そのことに満足して逝った。
竜種へのリベンジや、少年と再会することはなかったものの、彼の人生の中でそれは瑣末な思い出となっており、心残りにすらならなかった。