六話【仲裁者、又は元凶】
走る。走る。走る。走る。
ただひたすらに。無我夢中に。
ただ走り続ける。
肌を焼く陽光は、そんな俺たちを平等に燃やし尽くす。
されど、走る。走る。走る。
ただ走り続ける。
「は、は……っ、は、はっ」
「ノヤ。こっち!」
麦畑を通り過ぎて、街の路地に入る。
背後からはガラガラと鎧の駆動音が薄ら聞こえてきた。……きっと、観測は出来ていないが、兵士が追いかけてきているのだろう。
「待て、罪人が‼」
そして。数秒後に鼓膜を通るその声で、それを確信する。
ねちっこいそれは未だ諦めずに、追いかけて来ていたのだ。
ああ、ちくしょう。
なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。
……無謀にも愚痴がこぼれ落ちていく。
「は、はぁ……、ぁ、はっ‼」
だが、そうだとしても。ただ走り続ける。
先を走る彼女の影を追い続けて、足音大きく止まらず。
……されど、相手も静止を知らない。
─────十秒。
路地裏を抜けた。だが、まだ追ってきている。
─────五分。
街を滑走した。だが、まだ追ってきている。
─────十分。
丘の上へと走っていった。だが、まだ追ってきている。
……振り切れない。
◇◇◇
「ぁ、はぁ…………くそ、が」
「の、ノヤ? 大丈夫?」
「いいや、大丈夫じゃないかもな。……だって、もう終わりだろう?」
─────逃げ始めて数十分後。
俺たちは息が切れて、その場で立ち止まっていた。
これからどうすればいいのか。そんなの、分かる筈がない。考える暇もなかった。
……なにせ、もう。
また、兵士達に追いつかれて。囲まれてしまったのだから。
右腕が疼く。右腕に身につけたリングが熱い。
「やっと……追いついたぞ。この犯罪者が」
「……はっ、俺は別に殺したくて殺したワケじゃないんだがな。それに、俺が何もしなかったら。お前の主人? とやらのペットである龍が、人一人殺してたかもしれないんだぞ?」
「それが、どうしたというのだ。人一人など、主人様の龍の命よりは軽い」
……言葉が詰まる。
絶句とでも言おうか。
俺はただ、この目の前に立っていた非情な兵士を睨み付ける。
……人の命が軽いだと?
「そんな事ねぇよ。馬鹿か、テメェ。……ははっ、さぞお前は主人を盲信しているようだが。悪いな、俺は信者じゃないんだ。─────だから言わせてもらうが、命に貴賤を付けるとか。愚行にも程があるぜ?」
嘲笑するように、我が体験談を語る。
命に区別をするとか、上下を決めるとか。……実にくだらない。
何故、わざわざ区別するのだろうか? 何故、自分が優位に立とうとする?
命に貴賤はない。
皆が不平等であり平等だ。
この世の中は、それが良いはずだ。
その様な愚行には──反吐が出る。
「貴様、我が主の思想を侮辱するか。……それこそ、死罪に当たるぞ? 男、言動には気を付けろ」
「はっ。なんだ、お前の主は神か何かか?」
だが、相手の兵士は反論する。
その様はまるで滑稽だ。
ああ、成程。信者には常識が通らないとは、まさにこの事だろうか?
確かに、それは楽だろうな。
羨ましいとも、思う。
俺にはそれ程熱狂できる、すがれるモノがなかったのだから─────。
弱さという理不尽を神に与えられた理不尽。
その足枷は決定的な致命傷であり、何をするにも理不尽だらけであり、周りの人間どころか神すらも恨むこの人生。
「そうだ。我が主は神であり、正義だ! 魔王を倒すという大義があるのだから! はははは、はははははははっ!!!!!」
「─────盲信すんなよ、信者。お前が信じている正義は、いともたやすく崩れる幻想に過ぎない」
怒りは既に沸点を通り過ぎていた。
右腕に力を込めて、また再びあのコトバを紡ぐと宣言するように─────銀の腕輪をはめた右腕を前へと突き出そうとする。
予備動作。
されど、俺がもう一度。
その力を行使する瞬間は訪れなかった。
何故ならば─────。
「児戯はやめてくれ。俺はその程度の自慰に付き合う程、暇じゃなくてね。……なにせ、大英雄なもんだから」
気味の悪い笑みを浮かべた仲裁者が、その場に現れたのだから。
◇◇◇
「レン様⁉」
「こ、これは……お見苦しい所を‼」
「申し訳ございません。早急にこやつを処罰致しますので─────、ッ」
俺の周りを囲んでいた兵士達が一斉にその仲裁者に跪いて、敬礼を送る。まるでその姿は、王そのものだった。
だが姿は、俺が王都で見慣れた冒険者の風貌。
革鎧に、腰に携えた剣。緑髪に緑の瞳。
見慣れた姿との相違点と言えば、腰に携えているのが剣のみならず、先端に蒼色の水晶石が付いた杖があることだった。
「あんたが……」
「おぉ。これはこれは─────罪人様。お初にお目にかかる、僕の名前はレン・ケイロット。ただの剣士であり魔術師さ」
「─────そんなのは、分かっている」
右腰を強く。
荒いでいた呼吸を整えつつ、ゆっくりと背筋を伸ばして彼の双眸を見た。どことなく、狡猾なその眼差し。
奥深く計画的に考えた後に、更にトリックを挟む。
そんな執念深さというか、ねちねちした雰囲気が数メートル離れた距離から漂ってきた。
……そして、俺を追いかけ回してくれた兵士の主人。
それがコイツ。レン・ケイロットか。
苛立ちはある。だが、ここで激怒すれば─────俺はコイツらと、あの俺を追い出した冒険者共となんら変わりなくなってしまう。
そんなのは、御免だ。
緑髪の冒険者を見据える。
蛇の様なその剣士、ないしは魔術師はコチラへと歩み寄りながら……怒りでもなく、遊びの様を語る様にコトバを包んでゆく。
優雅さはひしひしと。
「全く、そんな怖い目で見ないでくれよ。僕のことをね。……僕は弱者だからさ、君みたいな犯罪者に近づくと体が恐怖で疼くんだよー」
「……イカレ野郎、が」
「おー、元気が良いね! でもそれじゃあ、きっと生きづらいだろ?」
その刹那だった。
レンがパチンと指を鳴らすと共に、俺の腹目掛けて一直線に槍が飛んできて……避けれるワケもなく、石槍が己の腹を穿った。
激痛もなく、ただ一瞬にして吐血する。
「あ……-えぁー?」
「どうだい、これが君の罰さ」
「ぐ、あぁぁぁあああああああ⁉」
遅れて到達した激痛に打ちひしがれて、膝から崩れ落ちた。
痛いどころの話ではない。これは地獄と表現するのすら生温い一瞬であり、超越する痛みには快楽すら感覚として輪郭を持つ。
「の、ノヤ⁉ ……大丈夫⁉」
「待て、そこの魔女。これは僕の獲物だ。横取りしないでくれたまえ」
「違う! そんなんじゃなくてーー」
「それとも何かい? 君も、彼と同じ様になりたいと? それは良い提案だ。僕からすれば柄じゃないが。女を串刺しにするのも、悪くないかもね」
「ひっ⁉」
何か言っているのか。
倒れて、朦朧とする意識の海底で、俺はそんな話を聞いていた。
ーー許せない。コイツは本当の、正真正銘の外道だったのだ。
死ね、殺す。ここで、お前は要らない。
だが流血は止まらず、確実に、着々と死に近付いていく感覚も俺にはあった─────そんなものは、本当に要らないと何度と繰り返しているのにも関わらず。
「が、あっ……‼」
更に、絶望的なそんな時だった。
繰り返される驚愕。驚く事さえも許されない激痛流れる体内に、いや脳内に……直接、音が響き渡った。
最強非ずして、何が我が力と名乗る。
身に宿し、器と為ったその肉体は、その魂は。
研鑽されたその程度だと云うのか。
無双失くして、何が我が身と名乗る。
何かが嗤って、言ってくる。
『力を行使せよ』
……と。力を使えと。
そんな危機的状況に助け舟を出すように、本能か、それまた別の力か。……何かがそう命令してきたのだ。
だからこそ、俺は腹に刺さった槍を抜いて立ち上がる。
一歩。命が遠のいてゆく。
声にならない声を出して、再びコトバを紡いだ後に。
立ち上がる。先程の傷口が一瞬にして魔力で補填され、治癒されていく。
……自分でも思う、この腕輪の力は酷く恐ろしいと。
自分が行使していい力なのかは、分からない。
……でも、使えるモノは使う。
それが、良いのだろう。
”それで、良い”。
「………………レン・ケイロットッ!」
「っ⁉ お前、っゴホん。貴方、まだ……死んでない、んですか⁉」
「─────」
喉から血を吐き、断末魔を上げた。
今までに類を見ない程の強情っぷりに、自分でも自分を忘れる。
されど、俺はただ目の前の罪人を睨み続けるのだ。
それが、俺の役目であろう?
「強情、ですね。……良いでしょう。貴方のそのタフさには感銘を受けました。決闘しましょう。今ここで!」
「……なん、だ、と」
「決闘規律は単純です。ただどちらかが戦闘不能になるまで戦いましょう。もし貴方が勝ったら、無罪にしてあげます。でももし貴方が負けたら─────どうなるか、分かってますよね?」
「……」
無音で頷く。
決闘。それは冒険者などの中で流行っていた、決め事をする時に多用する儀式である。それぞれが力を使い、強い方が勝ち、物事の決定権を持つ。
そこには差別しか残らず、弱肉強食である。
俺はこの儀式が嫌いだ。
─────だが、今はそれを拒否するほどの冷静さは俺には、持ち合わせていなかったのだろう。
「審判は私の兵士の一人に任せます。この決闘、受けますか?」
「─────ああ、望む……ぉ所だッ!」
その瞬間。
決闘の幕が切って落とされた。
思い浮かべるのは、自分が勝つ世界それだけだ。
さぁ、言われた通り力を行使しよう。
例えこの力が、なんとも恐ろしい力だとしても─────ここで負けるワケには、いかないのだから。