五話【理不尽は未だ】
空は虚空。白いパレットには何色も映っていない。
天は真っ白であり、雲が広がっている。今にも雨が降りそうな天気だ。
俺が救った……? という事になっている彼女の家を出て、俺はロウガの街並みを見つめる。
「おお、ここが……ロウガの街並み、か」
「ええ。凄いですよねー。なにせ、魔王の汚染すらも防ぎ、この荒れ果てた大地であるシャーレンズロードに自然を作り上げたのだから!」
辺りを見渡す。
そこは多少荒れ果てているといっても、普通の森と遜色がないぐらい高層の木々が生えてきており……この街は、まるでジャングルに纏う村の様な景色だった。
シャーレンズロード全域は過去、魔王が爆誕し、生誕し、全ての生命を一度殺した為にほぼ荒野が占めている。
その中で、魔王の”生命を殺す”汚染を防ぐ事を叶えたのがこのロウガを管理する、このケイロット領の領主【レン・ケイロット】だ。
……彼の住む屋敷も、この街にあるらしく。
それはこの街の丘の上に立っていた事から、一目見て分かる事が出来る。
「ここって、十年前にあの魔王が生まれた所なんだよな?」
「そうらしい……ですね?」
「ん? どうしたんだよ、急にさ」
ふと、レイナを一瞥する。
同時に気が付く。彼女の表情が曇っている、そのことに。
「いや、実のところは…………私がこの大地に来たのは、最近な事で、ね。あまり詳しくは知らないです……」
「そうなのか。ま、知らないのはお互い様だし。……あれ、じゃあなんでレイナはそんな身体能力が高いんだ? 最近この大地に来たって事は、元々は違う住民だったんだろ?」
「はい……まぁ、私は魔術師なので」
その時だったか、己の口が止まった。
……魔術師。というワードに反応してしまったのか。静かに、固唾を飲む。
脳裏に浮かんだのは、俺が今まで出会ってきた魔術師達の姿だった。恐ろしく、己を侮辱する言葉しか口にしない人間達の姿が。
それが、彼女と風貌が重なったのだろう。
「、どうしました、ノヤ?」
「─────いや、なんでもない」
「?????」
だが、違うと心の中で言い聞かせて俺はその靄を切り崩した。
あんな悪魔は想起するだけ無駄だろうに。
俺は、ヒイラギノヤは、馬鹿なのだろうか?
「取り敢えず、この街でオススメの場所に連れてってあげますよ!」
そんな掛け声で、自身を現実へと引き戻す。
ーー脳はノイズが罹っている様だ。
とにかく、煩い頭痛に耐えながらも俺は空返事で返す。
「ああ、そりゃ助かる」
◇◇◇
ロウガの街並みを嗜みながら、段々と街の端へと歩いていき─────最終的に辿り着いた場所はーーレイナが俺を連れて行ったのは、美しい。という感情を抱くであろう光景、場所だった。
「……」
「ここって、麦畑……だよな?」
「はい。何かノヤ、貴方が病んでいる様子だったので……気分転換に、こういう景色を見るのもいいんじゃないかなぁ、なんて」
彼女は屈託のない笑顔でそんな事を呟く。
正解、かもしれない。
……ここは確かに、美しい。
自然が生き生きと生きている。お世辞にも広いとは言えない中規模な麦畑だが、真上に昇る陽光に照らされたソレは酷く美しい。
この世の、この大地の罪、業、その全てを浄化するという程に。
まるで人の心の対義的な心象風景。
肯定。ここは落ち着く。
「ま、確かに……こういう景色を見るのも、少しは良いかもしれない」
「ですよね! やっぱり、こんな荒野……世界でも、美しいモノはあるんですよ。微笑ましい現実ってのも、この世界にはあるんです」
「成程、ね」
その場に腰を下ろし、俺は凛としてその場を見据えた。
この眼光に反射するのは、きっと……俺が見たこともない程、美しい異世界なのだろう。そう思うと、多々と希望が湧いてくる。
「……微笑ましい現実、か」
それは多分……さぞ素晴らしいモノなのだろう。
そう思う。だけど、届かないであろう世界。
「でもそんなのは、弱すぎる俺には見れない景色だろうさ。……なにせ、俺にはその世界を見る権利なんてないんだから。生きる価値がない、って言われたんだよ。……その通りだ」
「…………そう、ですかね? 私はそんな事思いませんけどね。幸せだって、生きる価値だって、誰にでも保証されている権利な筈ですよ。きっと」
「─────でもそれは現実逃避……エゴ、だろう」
彼女はそう言うが。
されど、俺は例外なのだろう。
……どうせ弱すぎる俺は、人ですらない。とか、言われるんだろう? ─────人間とは、実にくだらない生き物だ。
弱肉強食の世界を信じ、ただ従うだけの能無し。
だがそれが、正しいのだろう。
「……でも、現実逃避だって、良いじゃないですか?」
だというのにも関わらず、彼女は俺の隣に座り込み。そんな理想を語り続けた。例えエゴだとしても、現実逃避だとしても、良いじゃないかと。
彼女は俺に手を差し伸べてくる。
「だから、私……と─────」
だからこそ。と、彼女は告げようとする。
こちらを見て、こちらもアチラを見て。
それぞれの視線が交錯した瞬間だった。
ふと、レイナの声を邪魔する者の声が竜巻ーー旋風の様に舞い込んできた。
「 止まれ、そこの男‼ ーー貴様が、罪人か‼ 」
「は?」
反響する群衆の叫び声。
焦燥。巻き起こる絶望。
気が付けば、銀の鎧を纏い、槍を持った兵士達に俺たちは囲まれていたのだ。誰だ、と思う。……それに、俺が罪人だと?
疑惑に疑惑を重ね、困惑。生み出される。
同時に彼女を一瞥した。
ーー最悪の状況を思い浮かべる。
『まさか、また─────裏切られた、のか?』
という、その予測を。
だが不幸中の幸いそれは外れたのか、彼女はその場に啞然と立ち尽くしていた。
「貴方達は…………まさか、ケイロット家の兵士?」
「ああ、そうだ。だがお前は誰だ。お前には用がない。……あるのは、この男のみだッ!!!」
「は、はぁ……?」
どうやら、レイナも困惑していたのか、その感情は声色へと顕著に現れている。形骸化した恐怖。
慣れ親しんだ感覚。
「……また、か」
「⁉ 貴様、今。何か呟いたか────ッ!!」
まるで児戯を観察するかの如く、極小に呆れる。
所謂、既視感を我が身を持って理解する。
理解る。ああ、これが”知っている”というコトかと。
またか。
また、己に罪を。
また、侮蔑。
また、業を。
また、断罪を。
─────途方に暮れる。
兵士はゴミの様に。
懐かしき一昨日の感覚が流動し、地獄を思い出す。
はぁ。と溜息すらも漏らす。
言葉通り、またか。
ゆらりと立ち上がり、兵士に言う。
「で、俺の罪はなんだってんだ?」
「……それは、我が主であるレン・ケイロット様が飼っていた龍を無断で殺害した事だ!」
その音に、場が震えた。
抗議すら起きない。
……起きるワケがなかった。
俺も、レイナも、思わずそのアホみたいな罪に驚愕していて。
龍。それは心当たりがあった。
多分、レイナを襲おうとしていたアレだろう。
過去を思い出し、そう理解する。
だけど。……ははははは、馬鹿だ。馬鹿だ。
「……」
思わず、俺の喉からはカラカラと。笑みが零れる。
もういい。どうでもいい。心底、どうでもいい。
膾炙など遠く。
■ね、■ね、■ね、■ね、■ね─────と。
全て崩壊してしまえばいい。消えてしまえいばいい。
そんな事を思った。
だが、それは彼女も同じような心境だったらしく。
「そんなふざけた罪で、私の命の恩人を渡すワケがないでしょうが。ほら、ほら……おらぁっ!!」
「ぐふっ⁉」
「ほら、逃げましょうノヤ!」
「え、おいっ、! ちょっと、待……て、ぇ⁉」
黒髪の魔術師は、武闘家の様な蹴りで一人の兵士を蹴り飛ばして。─────俺の右腕を引っ張って、その場から逃げ出した。
右腕に付けていた銀の腕輪がぴかりと閃いたのは、気のせいだろうか……?