四話【発端≒覚醒】
空が紅い。地面が紅い。
この世の全てが紅い。
否。そうじゃない、どうやら彼の視界全体が赤く滲んでいるようだった。言いよどむ衝撃が走る。
一体彼の、ヒイラギノヤの身に何が起きたのかそれは分からない。
「え……あ、えっ⁉」
ただ背後に立っていた少女はその決定的瞬間を見た。
……口を開いて、呆然と座りつくす。先程自分が転んで出来た擦り傷なんて気にもせず、多少の出血なんて無いも同然と宣言するかの様子で。
彼女はただ一途にその男を見つめていた。
「─────」
一介の魔術師として、彼女はその光景を見逃すワケにはいかないと。
男の表情は先程とは別人の様に変化している。猟奇的とも言えるその雰囲気。
冷酷な眼差し。ただ殺意しか籠っておらず、目先の相手を殺戮しようと計画しているような狡猾な眼光。
怖い。その黒髪の少女は純粋にもそう思う。
だが、それとは裏腹に。圧倒的威圧感を放っていたその男には、敬礼。憧れすらも感じたのだ。その自身の混沌とした感情に驚きつつ。
……再び視線を男へと戻す。
「っくく、はははは!」
狂喜乱舞。まるでその言葉が似合う。
魔力が萎縮する。と表現するが正しいと肯定するほどに、魔力が一瞬にして彼の手に宿る。その濃度は今まで見たことがないレベルに高まっていた。
今にも人を殺しそうである躍動的なローブ姿の男は紅い瞳を、目の前に迫りくる龍種にぶつけた。だがそれも、ゴミを見つめる様な目で。
戦いは一瞬で、音もなく終わりを告げる事だろう。
「─────」
その戦いは、予想通りだった。
あまりにも一方的過ぎて、何が起こっていたのかも分からない刹那。確か、彼女の裸眼で観測出来たのは、一瞬にして目の前の男が何処からともなく黒い刀身の剣を広げて、目の前の龍を絶つ姿。それだけであり。
何の魔術を行使したのか? 疑問は残る。
具現化魔術か、圧縮魔術か、風属性魔術か、それとも果てしなく高度とされる……空間断絶魔術か?
彼女の予想は立つ。
されど、それは全て間違っている。
されど、それは彼女には知る由もない事だ。
……ただ、本当にただ呆然と黒髪の逃避者は座り込んでいて。
「あ、れ─────?」
「う、……」
「だ、大丈夫ですか⁉」
その瞬刻の攻防の、のちに。
命の恩人が目の前で、その場で倒れた事を理解したのは、数秒後の事だった。
◇◇◇
「え?」
目が覚めると、そこは見知らぬ天井だった。
夜空でもなく、ないしは曇り空でもない。ただ薄汚れた粘土で作られたであろう黄土色の天井。
息を吸い込んで酸素を循環させる。
停止していた脳を活性化させて、俺は起き上がった。
どうやら、俺はどこかの家で寝ていたらしい。先程まで自分が寝転がっていたであろう地面を見て、そう理解する。
「あの、先程は…………助けて頂いて、ありがとうございました」
「え? あ、あぁ。いやいや、ありゃなんというか……自暴自棄になってた所もあったもんで、ちょっと感謝とかは結構ですよ」
不意に横を見た。すると、そこには少し過去の記憶にある、荒野で俺へと走り向かっていた少女の姿があって言葉が詰まる。
何を言い出せばいいのか。と悩んでいると、彼女はそう話しかけてきた。
「そ、そうですか?」
「うん。大丈夫。俺は感謝される程、素晴らしい人間なワケではないです。……なにせ、俺は弱すぎてパーティーから追放された身でしてね。ははは」
「えっ⁉ ……おかしいです、ね。本当におかしいです。だって貴方、さっきあの超強いドラゴンを倒したんですよ⁉」
その事に関しては、俺の記憶は曖昧だった。
あの時の運転手に言われた通りに言葉を叫ぶと、奥底から溢れ出てきた邪心に心を制御されたみたいに意識がおぼついてしまったのだ。
感想さえもない。なにせ実感がないのだから。
「正直な所─────俺も、それは多分、俺自身の力ではないんで。あれは奇跡ですよ」
「き、奇跡ですか……でも、奇跡を顕現させれただけでも超スゴイと思います!」
「……」
彼女は苦笑しながらも、そんな励ましの言葉を俺へと送る。
良い気持ちがしないわけではなかった。されど、……俺は死のうとこの大地に立って、語るには長すぎる多々の事があって純粋に喜べない、複雑な心境だった。
「ああ。もしかして、ここが何処だか困惑してます? えーと。ここはですね……シャーレンズロードの端の私が住んでいる街【ロウガ】の一角にある、私の家です!」
「ほう」
的外れ。とも言えようその一言を掬い上げ、仕方がないと今までの気持ちを切り捨てようと努力する。複雑な心境など今はおいておいて、今の環境を見る事が大切だろうと目を向けた。
彼女の話を聞く。
彼女は王都で何度か見たことがある程度のゴスロリというマイナーな服を着用しており、その姿からはお嬢様が想起出来るが、どうやらここが家ならば違うらしい。辺りを見渡しても、あるのは質素な粘土造りの家具ばかり。
「あ。それとですね、えーーと……お名前は」
「あぁ。ノヤ、だ」
「はい、ありがとうございます! 私の名前はレイナです。えーと、それでですね。ノヤさんが私を救ってくれた後、貴方が気絶してしまって……命の恩人をその場に放置するワケにはいかないと思い。私の家に連れてきました!」
そうか、と空返事を潰す。
レイナと名乗る少女は、どうやら気絶した俺をわざわざ今に連れていってくれたらしい。純粋無垢なその行動には感激を覚える。
どこぞのパーティーの連中とは大違いだ。
「そりゃ、ありがとう。……レイナ、さん?」
「ひっ。いやいや、ノヤさんは私にとって命の恩人なんで、敬語を使うなんてやめてくださいよ」
「ん。そ、そんなもんかな」
彼女の瞳を見据える。
そのルビーの様に美しい赤く輝いた瞳。
その一途さを認め、俺はその提案を了承すると共に、彼女へと一つだけ提案をする。
「でも、俺だけ自然体ってのも、少々嫌なんだ。……だから、レイナ。貴方も敬語なしで喋ってくれ」
「は、はいっ! 分かりました!」
─────敬語なのか、それとも最初からそのぎこちなさが自然体なのか。疑問が残りつつ、俺はその空気を受け入れた。
今日は酷く寒い。窓ガラスすらなく、ただぽっかりと長方形に壁に穴が空いている窓を覗くと、朝日がコチラをまた覗いている。
「朝……か。ああ、後気になっていたんだけど。俺が倒れた荒野から、この街までってどれぐらいの距離があるんだ?」
「えーと、ざっと二百キロぐらいですかね?」
「二百キロぉっ⁉」
驚愕を通り越して、心肺停止。
跳ね起きる様に目を見開いて、彼女に問う。
「一晩の間で?」
「はい。……すいません、ちょっと遅かったですかね?」
「いや、いやいや。遅くない、全然遅くない。徒歩だよね、少女が俺を抱えて徒歩だよね?」
「む。正確には、走りましたけど……なんか気に障った事でも?」
思わず、絶句する。
なんだそれは。なんだその人外っぷりはと。
一晩の中で俺を抱えて、こんな少女がゴスロリとかいう熱そうな姿で走り、走り、走り、二百キロ⁉
どこかの獣なのではないだろうか。
そう錯覚するほどの驚愕っぷり、ああ。
同時に今更思い出す。
ここは異界の大地などと呼ばれるシャーレンズロードにある街だ。そこに立った者は阿鼻叫喚と死んでゆく。魔王によって汚染されてゆくなんて、恐ろしい逸話がある。
そんな控えめに言ってヤベェ土地に住んでいる彼女らなのだから─────やばくない筈がなかったのだ。
「ああ。確かに、そうだったな。……当たり前か、驚く事じゃなかったな」
「はぁ⁉ な、なんか変な偏見抱いてませんノヤさん⁉」
「─────さん付けはしない約束だろ」
「あ、そうでしたね……」
気を取り直して、彼女は俺に言う。
生きる導は見つからないまま、曖昧にも。
……死ぬタイミングを失ったと静かに思う。こんな曖昧なまま生きてても良いのだろうか、とすら思いながらも。
「まぁ、取り敢えずノヤ。貴方に私達のこの街を案内してあげましょう! それと、ノヤがあまり分かっていないその能力? がなんなのか、解明してくれるかもしれない人がこの街には住んでいます! それも紹介してあげましょう!」
そして、そんな事情を知るはずもない彼女は、俺にそんな提案をしてきたのだった。
これは後に聞いた話だが、この街【ロウガ】は過去の英雄と称えられている魔術師の名家であるケイロット家の領地だろうだ。
ケイロット家のお屋敷もここにあるらしい。
ケイロット家の現当主であり、”緑箔の王”という異名を持つ『レン・ケイロット』は魔王の汚染すらも防ぎこの異界の大地に緑を築いたとかなんとか。……その為、この街には魔王の汚染が届かず生命が死なないで、なんとか木々などが生えているんだって。
ははは。
……きっと、相当な実力者なのだろう。
少々気になる。
そんな無意味なコトを想像しながら、俺たちは家の外に出た。