第7話 櫻田一輝との会話
「それで優、あれはどうだった?」
教室に入って早々一輝が話しかけきた。
あれ、とは多分七瀬家に住む場所を移したことだろう。あの七瀬麗香が住む七瀬家だとは伝えていないが、土日には家が変わると一輝には伝えておいた。
こんなにも早く確認しにきたということは、一輝なりに僕のことを心配してくれていたのだろう。土日に連絡が来なかったのも、忙しいことがわかっていたからかもしれない。
「ありきたりな表現かもしれないけど、良い人たちだったよ」
どのように良い人たちだったかを明確に伝えられず、聞こえは良くないのかもしれないけど、本当に良い人たちだった。
妹と仲良くする事を約束してくれた麗香さん。僕たちを家族のようなものだと言ってくれた誠二郎さん。家に来たのが僕たちで良かったと言ってくれた詩織さん。
全員が、心が温まるほど優しかった。
「そっか、お前がそう言うならそうなんだろうな」
僕の表情から察したのか、一輝は安心したように笑みを浮かべている。
昔からそうだった。一輝は話しが得意で友達を作るのが上手い。休み時間にはよく話しかけられているし、放課後は遊びに行ったりもしている。
それなのに、始めに気にかけてくれるのはいつも僕だった。悩んでいる時は、相談にのり力になってくれる。変なフリを与えてみると、それにのってくれる。
そんな、真剣な話も悪ノリものってくれる一輝が友人であることが誇らしい。
「そう言えば優、同い年の娘さんがいるって言ってなかったか?」
「ああ、言ったね」
一輝は思い出したかのように言う。その表情は、先程の安心したような表情とはうって変わって、楽しそうだ。
「仲良くなれそうか?」
「……」
そう聞かれて、思い返してみる。
「いや、今のところは無理そうかな」
まあ、返答としてはこうだろう。僕が仲良くなろうと動いてみても、逆効果になる未来しか見えない。
「まあ、僕はわからないけど佳奈とは仲良くしてもらえると思う」
「佳奈ちゃんは人懐っこいからな。嫌う人の方が少ないだろうよ」
ははっ、と笑った。
一輝も佳奈の友好的な態度は、身を以て知っているからか、心配はしていないようだ。我が妹ながらそのコミュ力は末恐ろしい。
「ああ、佳奈が仲良くできそうで良かったよ。それが一番の心配だったから」
「俺としては優にも仲良くしてほしいと思ったんだけどな」
「……今のところはできたらいいよなって感じだよ」
あんな状態ではあるし、下手に動こうとも思えない。一つ屋根の下で暮らすのだから、仲良くなれたのなら弊害が少なくて気が楽だよな、という程度の認識である。
「そりゃ娘さんも心境は穏やかじゃないか。逆の立場でも困惑するよな」
「それはそうだと思うよ。……でもまあ、せっかくだから普通に話せるくらいにはなりたいと思うよ」
世間話をすることすら躊躇われるような今の空気は、居心地がいいものではない。佳奈はそんな空気物ともせずに話しかけそうだが、僕はそこまでの行動力を持ち合わせていないのだ。
その空気を作らせてしまったのが他でもない僕自身の所為ということも要因だ。そんな僕がこんなことを思うのは烏滸がましいのかもしれないが、それでも、普通に話せるくらいになれたら、と願望を抱くことは仕方ないだろう。
それに、僕がいるからという理由であの暖かい空間を嫌悪な雰囲気にはしたくなかったから。
「そんなに焦る必要はないよな。優ならなんだかんだで上手くやりそうだし」
「それは過大評価というやつだよ」
どうにも一輝は僕のことを評価しすぎている気がするな。よく話す友達が一輝しかいないことでわかるだろうに。
だがまあ、その娘さんの存在を深く聞いてこないならばそれでいいのだが。
少し騒がしくなってきたと思い周りを見渡してみると、自分が来たときにはあまり姿の見えなかった生徒が、今は席の半分が埋まるほどになっていた。
僕の席が黒板を正面に、左端の前から二番目だからか、一輝との話に集中していたからか気がつかなかった。
デリケートな話はこれで終わりかな、と。一旦区切りをつける。
不思議なことに多くの生徒が廊下に視線を向けているため、僕と一輝も気になり多数の視線を追うようにそちらを見た。
そしてその視線を一身に浴びている人物を見て、「ああ、なるほど」と納得した。最近僕の中でトレンドに上がっている麗香さんが学校に到着したようだった。
先程まで、道がわからなかったため案内してもらっていた。それなのに、僕が先に着いているのは、他の生徒が見えたあたりから礼を言って先を進んだからだ。
通り過ぎるときに横目で見た麗香さんが、これから戦いに挑むかのように真剣な目をしていたのが気にかかったが、これも前と同様見て見ぬふりをした。
聞くとしたらもう少し距離が近づいた時か、限界そうだと思った時だろう。
彼女が限界ならば、無理矢理にでも力になるべきだ。前の僕とは違って、今はもう無関係ではないのだから。
「──おい優、どうした?」
思考に集中していたためか、気がつくと一輝が目の前で手を振っていた。
「……ん?」
「見惚れてたのか?」
珍しいな、と。ニヤニヤとした笑みを浮かべて言ってくる。その表情は何故か嬉しそうだ。
「まさかね、少し考えてただけだ」
「そうか。そんなことだろうと思ったよ」
先ほどとは一転、通常時のただのイケメン顔に戻っている。けれども、少し真剣さを帯びた表情で問うてきた。
「七瀬さんってさ、優の目にはどう映ってるんだ?」
ほら、恋愛とかあんまり興味ないって感じしてるからさ、と。
どう映っているのか。難しい質問だなと頭を悩ませる。
正直に言うと、今まであまり身内以外の人物を真剣に見たことがなかった。だからこそ、この学校で一番有名な麗香さんであっても、他の生徒が言っていたことしか知っていない。
「どう映ってるっていっても、この学校の人たちと同じ風に見えてると思うけどな」
「まぁ、そうだよな」
「──だけど、気を張り過ぎているような気はするな」
「……ほーん」
僕から出た言葉に、一輝が少し驚いたのがわかる。
思い出されたのは、登校中の麗香さんのあの表情。学校へ行くことに対して、何かしら良くない感情が働いているようだった。
「それと、無理してるような気もする」
あくまで気がするだけだぞ、と補足しておくのは、勘違いの可能性が大いにあるからだ。
僕からはそう見えているだけで、本当はそうではない可能性だってあるのだ。そもそも、学校に嫌な感情なんてものを抱いていないのかもしれない。だけど、あの表情を見てしまった後では、そうではないかと思ってしまったのだ。
しかし咄嗟にしまった、とも思った。詳しく言いすぎたかもしれない。
「よく見てるな。俺にはよくわからんが」
「いや、なんとなくだよ」
焦って誤魔化したのだが、それとは裏腹に一輝はなんでもなさそうに呟く。
「人伝てに言われたんだが、あまり期待してやるなと聞いたのを思い出してな」
「期待、ね……」
過度な期待というのはプレッシャーにもなる。それも、七瀬麗香ともなるとその量も半端なものではないだろう。
そして皆が向ける期待に無意識に応えなければ、と迫られているのかもしれない。
今の話は普通に見ているだけでは考えもしないことだった。家での様子、登校中の様子を見ていなければわからないことばかりである。
みている場所によってこんなにも見方が変わるものなのだなと。
「まあ、その人の言う通りかもね」
「俺も、そんな気がするよ」
僕も知らぬうちに期待をしていたことがあったかもしれないと少し反省した。期待ばかり向けられるのも面倒だろう。
もっとも、最近は見えている部分が増えすぎて抜けている部分も見るためにそこまででもないかもしれないが。
「七瀬さんには誰か支えてあげれる人ができたら良いと思うよ」
なんとなく言葉に出したその言葉。
話を聞いてあげられる誰かでもいると楽になると思う。僕で言う、一輝のような存在が。
「……まあ、いなくもないらしいがな」
「……?」
なんとも歯切れの悪い一輝の言葉に耳を傾ける。
「その、今言った七瀬さんが頼れる人のことなんだが、朱莉って子がいてだな。相談とかも聞いてるらしい、とか……なんとか」
昔一輝にそれとなく聞かされた名前に違和感を覚えた。そしてそのパッとしない態度にも。
「へーぇ、彼女さんか?」
「……鋭いな。ああ、そうだよ。黙ってて悪かった。七瀬さんと仲が良いらしいだ」
いつの間に付き合うまで発展したんだろうか。以前から気になる人がいるとはそれとなく聞いていたが、そこまで進んでいるとは思わなかった。
「いつ頃からいたんだ?」
「付き合うことになったのはかなり前のことなんだ。だけど、優が頑張ってる中俺だけ楽しく過ごしてるなんて言いづらくてな。すまん」
「いや、気にしなくていい。というか僕も嬉しいよ」
非常にばつが悪そうにしているところ悪いが、僕としては寧ろ少し安心しているのだ。僕にかまけてばかりでそっちのことが疎かになっているのではと危惧していた。
「やっぱお前いいやつかよ」
「悪い奴ではないよ」
照れ臭そうにしている一輝に苦笑を浮かべるしかない。
「それなら、今度優の時間が空いてる時に紹介するよ」
「いいよ、二人の時間に使ってくれ」
「いや、いつも世話になってるし紹介したいんだ」
まあ、そこまでいうなら僕が折れるしかないだろう。
「わかった。時間が空く時に連絡するよ」
「ああ、ありがとな」
忙しいとはいえ、一日空くくらいの休みならそのうちあるはずだ。だからまあ、その時にでも連絡を入れよう。
「僕は大して紹介されることもない気がするけどね」
「いや、あるさ。大切な親友として紹介したい」
そんなことを恥ずかしげもなく言ってくれる一輝に、込み上げてきた含羞を頰を掻いて誤魔化した。
まったく、いい親友を持ったものだと心の中で思うのだ。
そんな約束をし、夏休みの終わった二週目は過ぎていった。