第4話 榊原優の思い
学校での完璧さそのままの七瀬麗香に違和感を抱きつつも、一通りの挨拶も済んだことから僕ら兄妹は客間へと通された。
多分、この家で暮らす上での大まかなルールを決めるためだろう。
外から見ていた家の通り、部屋の中も家具や小道具が整理されていて綺麗な状態が保たれていた。
外観からは想像がつかなかったが、内装は家庭的で住み心地が良さそうだ。
客間にはテーブルを中心にコの字型にソファーが並んでいる。僕と佳奈の対面に詩織さんと麗香さん、そして右側に誠二郎さんだ。
麗香さんの呼び方に関しては、家の中では麗香さん、学校で呼ぶ事があれば七瀬さんと呼ぶ事に決まった。
僕も自分から問題を起こしたいわけではないため、その案を快く引き受ける。
「そういえば、もう荷造りはすんだかい?」
「はい、昨日終わりましたよ。後は運ぶだけの状態です」
「それならよかった。明日の朝から積み込みだったね? 僕も手伝いに行くよ。」
「……え? いやいや、それは悪いですよ」
「これから一緒に暮らすことになるんだ、これくらい遠慮しなくてもいいよ。それに、玄さんとも少し話したいしね」
玄さんと話したいと言われると強くは出れなかった。
明日の運ぶ作業は玄さんにも手伝ってもらうことになっている。自分たちだけで運びたい気持ちは山々だが、流石に子供の手だけでは足りなかった。
そこで、玄さんが持っているという軽トラックの荷台に、荷物を載せてもらうことになったのだ。
「それなら、私は二人の為に腕によりをかけて料理を作っておくわね」
「ああ、よろしく頼むよ。疲れた後に詩織の料理を食べれるなんて最高だね」
夫婦の仲がよく伝わってくる。
今も二人は顔を見合わせて微笑んでいるし、互いのことをよく信頼しているように見える。
誠二郎さんの幸せそうな顔を見るに、きっと詩織さんの料理は美味しいのだろう。
普段は自分で作ってばかりだから、他の人が作った料理を食べるのは久しぶりだ。
今から明日のことが少し楽しみになった。
僕の両親もこんな感じだったな……
そんな二人の様子に、両親が生きていた頃のような懐かしい気持ちになる。僕と佳奈のことをしっかりと見てくれているいい両親だった。
「それなら、明日は優くんと佳奈ちゃんの歓迎会だね」
「そうね。それなら、麗香も手伝ってくれる?」
「うん。手伝うよ」
優しい二人の子だからこそ、よく出来た子が育つのだろう。
今もなお愛をもらい、それを返せている麗香さんが少しだけ羨ましかった。
この家での生活のこともある程度決め終わり、終盤に差し掛かっていた。
佳奈は終始対面に座る麗香さんをチラチラと見て、「麗香さん綺麗だね」と小声で呟いていた。新しくできた姉のような存在に早くも興味津々のようである。
佳奈がこの調子であれば仲良くなるのもそう遠くないだろう。
そこでふと、麗香さんのほうを見た。
相変わらず、人形のように整った美貌に微笑を浮かべている。
学校でよく見かける顔だった。やはり、いつ見ても同じ顔をしている麗香さんには違和感を感じる。
人間、少なからず家と外では対応が変わる。それも、親の前となると尚更だ。
それでも学校と変わらないとなると、やはり彼女は何かを気にしているのだろう。
実際、彼女が初めて挨拶をした時に詩織さんが驚いたような顔をしていた。恐らく、麗香さんのあの様子を初めて見たからだろう。
多分、僕が原因である。
そう考えるのは当然のことだった。
麗香さんは誠二郎さんから僕という男が来ることは聞いていると思う。
それでも断らなかったのは彼女の優しさからなのか。
自分の暮らす家によく知りもしない男が暮らすようになる。
普通に考えて怖いはずだ。大人ならばまだ割り切れるのかもしれないが、麗香さんはまだ僕と同じ高校1年生だ。
自分がどれほど人気なのかも理解しているだろうし、危険を感じていても無理はない。
だけど、何よりも男を避けているような節があった事への申し訳なさが大きかった。
自分たちのことばかり考えて、相手のことを頭においていなかった……
それは僕がこの決断をすることにおいての反省点だ。
誠二郎さんは勿論、詩織さんも歓迎してくれていると思う。
だけど、麗香さんは歓迎できるような感じではないだろう。なぜ、相手方全員が歓迎してくれると思っていたのか。そんな自分の浅はかな考えを恥ずかしく思う。
どうしてそんな簡単なことに考えが及ばなかったのか。今から話を無くすわけにもいかず、どうすべきか考えを巡らせる。
これからの態度で示していこう……
僕は無害な人間だと。もう既に迷惑だとは思うが、僕の所為で家なのに安心できないなんてことにはしたくないから。
せめて安心して過ごせるようになるくらいには、接し方を考えようと思った。
話し合いも終わり、みんなが席を立とうとしているところだった。
だけど、僕は一つ用がある。あのような決意をした直後だが、謝罪も兼ねて、一つだけ麗香さんに言っておきたいことがあったのだ。
「あの、麗香さん。少し話があるんだけどいいですか?」
「……? いいよ」
麗香さんの訝しげな表情。
そしてこの場にいる多くが不思議そうな顔をしている。
そんな中、何かを察してくれたのか、誠二郎さんが詩織さんと佳奈を連れて部屋の外へ出てくれた。
別にやましいことではないのだが、何となく出たのを確認してから告げる。
「えっと……まずは、ごめんなさい」
「……え?」
麗香さんに浮かんでいるのは困惑。けれどそれを無視するようにして続ける。
「突然住ませてもらうことになったことを謝ろうと思って。……それに、僕みたいなのがいたら不安だろうとから」
「……」
麗香さんは僕の言葉に戸惑いをみせている。今までの行動におかしな所があったのかと思い返しているんだろう。
別に、彼女におかしな所は何もなかった。むしろいつも通りだったからこそ、そう思っただけだ。
「……どうしてそう思ったの?」
「学校で見かける時と同じだったから、そうじゃないかな、と」
「……そっか。そういう見方もあるんだね」
気がつかなかったなあ、と麗香さんは伏し目がちに言う。そして、その状態のまま、彼女は言葉を繋いでいく。
「……正直に言うと、不安はかなりあるよ。同い年の男の子が同じ家にいるんだもん、当然よね」
そこで一度区切り、再度口を開いた。
「でも、だからといってそこを榊原くんが気にやむことはないよ。私がお父さんに承諾したんだから、そこは気にしてないし私の責任」
よかった、と少し安堵した。
この選択自体が間違っているとは思いたくなかったから。
だけど麗香さんは申し訳なさそうに次の言葉を紡ぐ。
「でも、申し訳ないんだけど気を許したり信用したりできるかと言われると、ちょっと……」
まあ、そうだろうな。
僕だって急に自分の家にきたホトを信用はできない。
だけど、僕にとってはそれで良い。
「──いや、いいよ。信用なんてしてもらわなくても」
「えっ……?」
否定的な何かを告げようとした麗香さんよりも先、僕は言葉を発した。
麗香さんが僕の言葉に驚いて顔を上げるのがわかる。
だけどいいんだ。僕のことなんて。僕が言いたいのはそういうことじゃない。信用がとか信頼とか、そういうものを求めているわけではない。
「僕のことは信用してくれなくてもいい。だけど、妹とは仲良くしてやってもらえないかな」
これは、両親を亡くしてから今に至るまで、僕が思い続けてきた事だ。
そして、七瀬家に住ませてもらう上で、最も重要としてきたことだ。
「ずっと一人にしてしまったから。ずっと寂しい思いをさせてしまったから……。だからせめて、誰か側にいて欲しいって……」
可能な限り一緒にいるけれど、僕は側にいてあげれることが少ないから……
家に帰って寂しい思いをしないように、誰かついていて欲しかった。誰かに支えてあげて欲しかった。
自分勝手な思いだと思うけれど、それでも──
「──だから、お願いします」
精一杯のお願い。
これが唯一の願いだ。
「……うん」
彼女が一つ頷いた。それを聞いて顔を上げる。
珍しいことに、麗香さんは呆気に取られた表情をしていた。
そして、ようやく意識を取り戻したように口を開く。
「そんな思いを知って、断るなんてできないよ。わかった、佳奈ちゃんと出来るだけ仲良くなれるようにする」
その言葉だけで、今の僕には十分だった。少し卑怯だったのかもしれないけど、佳奈が寂しくならないようならば、それで良い。
「もちろん、初めから仲良くしたいとは思ってたから、その延長だけどね」
「……ありがとう」
彼女は少し驚いた後、今日1番の微笑みを携えた。
これで、僕の悩みは一つ解消した。
そして、この日こそが、七瀬麗香の魅力を身を以て知った日なのだと思う。