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第3話 七瀬麗香との遭遇

 七瀬麗香(ななせれいか)という少女を見たのは、入学式のことだった。


 優の通っている高校では新入生代表が入学試験の結果によって決まる。

 県内有数の進学校ともなると、そのレベルは高い。そんな中見事一位の成績を残し、代表挨拶をしたのが彼女だった。


 体育館に集まっていたのは、新入生が40人8クラスの320名。そこに保護者がおよそ300名加わり600名ほど。

 教員や生徒会の先輩も合わせれば総勢約700名となる。


 そんな中、名前を呼ばれたと同時に立ち上がり、腰の上辺りまで伸びた黒髪をさらさらと揺らしながら、洗練された動きで中央まで進んでいった。


 整った顔立ちに大きな瞳、凛とした表情を浮かべていた彼女に、館内の全員が見惚れていたように思える。


 代表挨拶を読み始めた後も緊張を感じさせないその声に、みな聞き入っていた。それ程までに、彼女の美しさは群を抜いていたのだ。


 そんな七瀬麗香に、優とは住む世界が違うのだと思わせるには十分だった。






 僕と七瀬麗香はクラスが違う。

 僕が8クラスのうちの1組で、彼女が2組である。教室の位置としては隣であるため、時折見かけることはあるが、何というか入学式の時とは雰囲気が違っているという印象だった。


 あの時は凛々しく、話しかけるのが躊躇われるような雰囲気だったが、普段は表情が柔らかく話しかけやすそうな雰囲気を纏っていた。


 入学式の彼女を「綺麗」だと表現するのならば、普段の彼女は「可愛い」だろうか。


 そんな彼女は噂によると、運動もできるらしい。

 部活には何らかの事情があるのか入っていないらしいが、誰かが「七瀬さん運動もできるってすごいよなー」と言っているのを聞いたことがある。


 誰もが見惚れる美貌を持ち、勉学も運動もできる。

 その上スタイルも良く、正に完璧と評するのが正しいのだろう。

 男子からは欲望の眼差しを、女子からは羨望の眼差しを常に受けていた。


 しかし、男子からの告白は未だ受けたことがないようで、これまた不思議なことだった。


 その完璧さ故に足踏みしているのか、遠目から眺めていることが多い。

 それ故に男子の中では七瀬麗香とすれ違うことができただけでも幸運だとかなんとか。


 もっとも、幸せな気分になっている男子にとっては強ち間違いではないが。


 ただ、色恋沙汰の噂が出てきていないのも不思議な話である。彼氏がいるのか、今は付き合う気がないのかはわからないが、どちらにせよ、今は男を避けているというのは確実であった。


 いずれにせよ、七瀬麗香が学校で一番の人気を持つようになるのは、時間の問題である。


 そんな完璧な彼女だからこそ、僕は関わることはないだろうと、そう思っていたのだが──






 時間が過ぎるというのは早いもので、土曜日となっていた。

 始業式は月曜日だったため、学校が始まってからは実に5日も経っている。


 今日は、七瀬さんに自宅の案内と家族の紹介をしてもらうことになっている。


 佳奈には部活を休んでもらい、玄さんは用事があるらしく店は休みのようだ。

 玄さんは恐らく僕たちが移住する際の準備等を済ませてくれているのだろう。


 今は佳奈と最寄りの駅で誠二郎さんを待っているところだ。

 駅からは近いらしく徒歩で行くとのこと。駅はそれほど大きいわけでもないので、ロータリー付近で待っていれば気がつくだろう。


 佳奈とたわいもない話をしている時、最近では見慣れた顔がやってきた。向こうもこちらに気づいたようだ。


「こんにちは。七瀬さん」

「こんにちは。優くん、それに佳奈ちゃん」


 まだそこまで親しい間柄ではないので、七瀬さんと呼ばせてもらっている。

 今日も変わらず穏やかな笑顔を浮かべてた。


 隣からは佳奈が「この人が七瀬さん?」と首を傾げながら小声で聞いてくる。

 頷くと「優しそうな人だね!」とこれまた小声で言ってきた。


 そんな佳奈を微笑ましく思いながら視線を前に戻す。


「今日はよろしくお願いします」

「あ、お願いします!」

「うん、こちらこそよろしく。──それじゃ、いこうか」


 その言葉を合図に、僕たちは動き出す。


「それにしても、よく引き受けてくれたね」

「はい、七瀬さんが優しそうな人だったので」

「ははは、嬉しことを言ってくれるね」


 世辞でもなく、本心である。

 深く関わることはなかったとはいえ、人柄は多少理解しているつもりだ。


「不安とかはなかったのかい?」

「……正直な話、ありましたし今もあります。それに、たくさん悩みました」

「うん、だと思うよ」


 それでも受けていいと思えたのは、七瀬さんの人柄、玄さんの真剣な表情、そして僕と佳奈の二人の思いだ。


「真剣に考えてくれたんだね」

「はい……」

「不幸にするつもりはないよ」


 驚いて顔を上げると、七瀬さんが微笑んでいた。


 偽りなく、ただ本心をそのままに聞こえた言葉。


 その言葉に、自分たちの決断は間違っていないんだなと思えた。

 胸のつっかえが取れたかのように、不安が和らぐ。


 この人の家庭ならば、きっと──と。




 それから七瀬さんは、佳奈に積極的に話しかけてくれていた。これから一緒に住むことになるため、仲を深めようとしてくれているのだろう。


 僕も初めて会った時はよく話しかけてくれた。

 初対面であるにもかかわらず、話題が次々と出てくる。そんなところが七瀬さんの魅力だった。


 七瀬さんの話は、聞いている僕も面白いと思うし、佳奈も楽しそうにしている。

 ただそれだけの事なのに、何故だか嬉しかった。


 暫くの間、住宅街の中を話しながら歩いていると、不意に七瀬さんが立ち止まる。


「ここが君たちがこれから暮らす家だよ」


 七瀬さんが、手を家の方向に広げてみせた。

 その先には住宅街の中でも一際立派な家が建っている。


「立派な家だねー」

「……立派な家だ」


 僕も佳奈も呆然としてしまっている。


「ははは、自慢なんだ」


 七瀬さんは自慢げにかつ、照れ臭そうに言った。


 こんなに凄い家だと思ってなかった……


 正面からしかわからないが、それでも2階建ての家に目の前には庭が見える。

 2階にはベランダつきで、七瀬さんの人柄を感じさせる暖かい雰囲気を放っていた。


 当の本人は気にしていないようだが、僕らは立ち尽くすしかなかった。


「さあ、早く入ろう」

「あ、はい! 今行きます!」


 そう答えた佳奈に続くように、僕も進む。

 その時見えた表札には達筆な文字で七瀬と彫られていた。


 ……ん? 七瀬……?


 その表札の字を目にして漸く気がついた。


 急に転がり込んできた提案や悩みで、今の今までバタバタとして考える暇がなかった。

 それと、そもそも彼女との接点がないせいで頭に浮かばなかったが、その苗字は偶然にも学校で有名なあの彼女のものだった。


 いや、そんなはずないか……


 この地域では七瀬さんはそう珍しいものではない。学校でも数名見かけるくらいなのだ。

 これ以上考えるのも良くないと思い、無理矢理その思考を断ち切ることにした。


「──あれ? お兄ちゃんどうしたの? 早く行くよー」

「……ん? ああ、悪い。今行くよ」

「これから紹介があるんだからしっかりしてよ」


 少し考えに耽り過ぎていたみたいだ。

 先に進んでいる七瀬さんと佳奈に追いつくように、駆け足で追いかける。






 家の中に入ると、綺麗な女性が出迎えてくれた。長く伸びた黒髪は、これまたあの彼女を彷彿とさせる。大人っぽさを少し足したような感じだ。


 まさか、な……


「えっと……、榊原優くんに榊原佳奈ちゃんね。旦那から話は聞いているわ。七瀬詩織(ななせしおり)と言います。七瀬じゃわかりにくいでしょうし、詩織って呼んでくれるといいわ。よろしくね」


 鈴を転がすような声で詩織さんは紹介をした。上品な笑みを湛え、僕たちを見ているその佇まいはとても落ち着いている。


「あっ、言い忘れてたけど、僕も七瀬ではなくて誠二郎と呼んでくれていいよ」


 今まで七瀬さんと呼んでいたが、七瀬家に到着したからか、誠二郎さんも呼び方を訂正してきた。

 流石に全員を七瀬さんと呼ぶのは、混乱を引き起こす可能性がある。


 未だ僕の頭の中は彼女のことが渦巻いているが、そんな事よりも今は挨拶をしないと。


「はい、これからよろしくお願いします」

「お願いします!詩織さんと誠二郎さん!」


 元気に挨拶する佳奈の横で、僕は気が気でなかった。

 相手側がこの件を承諾したと言うことは大丈夫なはずなのだが、七瀬麗香と面識はないが故に男を避けている節のある彼女への罪悪感と気まずさは拭いきれない。


「今娘を呼んでくるわね」


 そう言って、詩織さんは階段を上がっていった。階段を上がる音につれて、僕の緊張も高まっていく。


 そして少しすると、詩織さんと詩織さんによく似た少女が降りてくる。その少女こそが、学校で知らぬ者はいない、そう。


 ──七瀬麗香だったのだ。


 隣では佳奈が「わっ……」と息を呑んでいる。

 しかし僕はその容姿に見間違うはずもなく、なんとも言えぬ気まずさがあった。


 もとより同い年の女の子というから気を使うことは前提だったため少しはマシであるが、これが大きな問題になることには変わりない。


 関わり方をそれ以上に考える必要があるな、と新たな悩みを抱えるのは言うまでもなく、今回は誰にも言うことはできないという大変さも伴っていることに頭を抱えたくなる。


 不用意に近づかれては彼女も怖いだろうし、距離をおきたいだろう。そう心の中で、これからどのように関わることにするかを決めた。


「麗香、自己紹介して」


 詩織さんに促され、彼女は前に出る。その動作は相変わらず洗練されていて美しい。

 だが、入学式の時までとはいかず、話しやすそうな雰囲気は保っている。


「うん。……七瀬麗香です。二人とも、よろしくね」


 そう自己紹介した彼女は、()()()()()()()()()()七瀬麗香だった。

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