第2話 榊原兄妹の決断
「どうした? 新学期早々何か悩んでんのか?」
翌日、余裕を持って高校に登校する僕は、同じく余裕を持って登校する幼馴染の櫻田一輝に話しかけられていた。
前の席から端整な顔立ちに爽やかな笑顔を浮かべて優を見ている。少し茶色がかったパーマが特徴的だった。
その質問に対し、僕は渋々頷く。
「……よくわかったね」
否定すべきかとも思ったがやめておいた。こいつに嘘をついたところでバレるだけだ。
きっと今も確信めいたものを持って聞いてきたのだろう、と。
「ああ、まぁな。……それで、それは俺が聞いていいことか?」
相談すれば楽になるかもしれないからさ、と窺うように聞いてくる。本当に、優しいやつだ。
小学生の頃からずっと一緒だったからこそ、踏み込むラインを慮ってくれる。
「うーん……」
「いや、無理ならいいんだ。気にすんな?」
言うべきか言わないべきか。どちらがより心配をかけるだろうか。
僕の過去に関して唯一の理解者であるというところに少し心配をかけているのだと思う。
今まで散々迷惑をかけてきたからこそ、一輝にはこれ以上心配させたくない。
一人で抱え込むことを良しとしない一輝には相談しておくことにした。
「いいよ。聞いてくれるか?」
「当たり前だろ」
さも当然かのように一輝は嬉しそうに頷いた。
一輝に言われたように、僕が新学期早々抱えている悩みの種とは昨日舞い込んできたあの提案のことである。
「うちで暮らしてみないか?」
七瀬さんの口から出た、そんな提案。
別に蹴ってくれても構わないよと笑顔で言っていたが、悪くない提案だと思っていた。
3つ下の妹──榊原佳奈は現在中学1年生で、まだまだ子供だ。
部活に行っているため、放課後は寂しくないかもしれないが、バイト漬けな僕は家に帰るのが遅くなることが多い。
そのため、夜は妹が一人になってしまうことが度々あったのだ。
そんな妹に寂しい思いをさせないことを考えると、この提案は受けるべきなのかもしれない。
それに、七瀬さんの家には僕と同い年の娘さんがいるようで、優しい娘だと自慢していたから妹とも仲良くしてくれるのでは、と思っていた。
打ち解けるまでは大変かもしれないが、打ち解けることができたなら、佳奈にとっても楽しい生活になるのではないか、と。
両親のいない生活に寂しさを抱えることがなくなるのでは、と。
僕はそんなことを考えていた。
それらの旨を一輝に伝える。
一輝は妹の佳奈には会ったことがあり、こちらの事情もある程度知っているため物分かりがいい。
こちらの事情を知ってくれているからこそ、この話を話す気になったわけでもある。
「難しそうなことになってるなあ……」
「だよね」
一輝は呆れたようにしている。
正直な話、この決断はただの高校生の身には荷が重い。今後の生活の全てがこの決断で変わってしまうようなものなのだ。
取り敢えず受けようでは済まされない。
だからこそ、僕もこれだけ悩んでいる。
「まさかこんな話が聞けるとは思わなかった」
「僕もこんな話が舞い込んでくるなんて思ってもみなかったよ」
二人して溜息を吐く。やはり、そう簡単に答えは出せない。
「ただまあ、第三者であって優の境遇を知っている俺から言わせてもらうと受けた方がいいんじゃねえかな」
まあ、個人的な意見だがなと付け足すように言った。
「それに、こういっちゃなんだがいい刺激にはなりそうだよな。今までの生活も一変するわけだし、いい出会いになるかもしれん」
「まあたしかに佳奈にとっては──」
「いや、佳奈ちゃんもだが俺が言ってるのは優のことだ」
「……ん、僕?」
てっきり佳奈のことで話を進めていると思っていた。
そんな僕の考えとは別に一輝は呆れたようにため息交じりに口を開く。
「やっぱりお前っていっつも自分のことは後回しだよな……」
「まあ、状況が状況だしね」
「わからなくはないんだけどな……」
一輝はもう一度ため息をついた。やれやれといった表情はムカつくが、そういう性格なのだから仕方がない。
「まあ、優にはそういうところがあるからいい影響があるかもなって思っただけだ。あとは佳奈ちゃんにでも聞いてみな」
「やっぱりそれがいいかな」
「ああ、家に帰ったら二人で話すといいさ」
そう、締め括る。
こうして相談に乗ってもらえたことは色々と気持ちの整理にもなってよかった。
それに言葉にすると調子になるだろうから言わないが、一輝の気持ちを聞けて少し、いやかなり嬉しかった。
あとは当事者でもある佳奈次第か。これだけ相談に乗ってもらった手前悪いが、佳奈が嫌だと言ったなら受けないことになる。
口に出せばまた一輝に小言を言われてしまうだろうが、そこに兄である僕の意思はなくても良いのかもしれない。
僕の気持ちとしては、佳奈が楽しく過ごせることこそが本望なのだから。
「ありがとな、一輝」
「おう、お安い御用さ」
やはり、話を聞いてもらえる人がいるのはいい。
今までどんな状態になっても離れることのなかった一輝にもう一度心の中で感謝するのだった。
新学期の初めにある確認テストも終わり、帰路につく。
中学校は今日部活がないようなので、佳奈はもう家にいるだろう。
いつもなら、この後喫茶店の手伝いに行くのだが、僕が悩むことを見越してか、玄は休むように言ってくれた。
佳奈にこの話をしたらどんな反応をするんだろうか。理解もできず困惑するか、そんなのは嫌だと拒絶するか、楽しそうだと歓喜するか。
いずれにせよ、佳奈は真剣に考えてくれるはず。
暫く歩き、曲がり角を曲がったあたりで僕たちの住む家が見えてくる。
今暮らしているのは両親がいた頃から住んでいる一軒家である。四人で住むように設計してあるため、二人で過ごすには少し広い。
そのことを思い出せばたまに寂しくはなるが、今となっては慣れたものだった。
少し前のことを思い浮かべながら、カバンの中から鍵を取り出して開ける。
中から「えっ、だれっ!?」と聞こえて佳奈の変な反応に苦笑いを溢した。
「兄ちゃんだぞ。安心しろー」
その声に安心したのか佳奈は違う意味で慌ててやってくる。
我が妹ながら忙しいやつだ。そんなところが僕の心を支えてくれているのかもしれないけれど。
「どうしたの!? お兄ちゃん!」
「バタバタと忙しないよ」
「だって仕方ないじゃん! 連絡もなしに急に帰ってくるんだから」
咎めると、拗ねられてしまった。
もっとも、僕も連絡を入れておけばよかったかなあと少し反省しているのだ。
「それは悪い、いつも時間が作れない兄ちゃんからのサプライズだよ」
「おー! やったあ!」
相変わらず元気でいいことだ。リアクションがいちいち大きいものだからついつい面白がってしまう。
帰宅してから少し経っているのか制服から着替え、ラフな格好をしていて、肩まである髪を後ろで結びポニーテールにしている。
それが佳奈の活発さを更を際立たせていた。
「といっても今日は佳奈に大事な話があってバイトを休ませてもらっただけなんだけどね」
「あ、そうなんだ」
切り替えが早いのかどうなのか、普通のテンションにはすぐに戻った。
「着替えてくるから、少し待っててくれ」
「はーい!」
部屋着に着替え、佳奈とは机を挟むように座っていた。
気づかぬうちに顔が固くなっていたのか、佳奈の顔も固くなっている。
どう話を切り出すか迷っているだけだが、佳奈は単純に緊張しているようだ。それほど重くなる必要はないのだが、大事な話と言ってしまったが故だろう。
話より先に、一声だけかけておく。
「佳奈、そんなに畏まらなくてもいいぞ?」
「え? う、うん」
体が完全に固まってしまっていたようだ。なんだかこの変な空気が面白くてつい吹き出してしまった。
「む、笑わないでよ。お兄ちゃんが大事な話って言ったからだよ!」
「悪い悪い、どう切り出すか迷ってたんだ」
真剣な空気は自分たち兄妹の間では似合わない。
まだいじけている様子の佳奈だが、ようやくどう話すか決心がついた。
「実は昨日、────」
ことの旨を説明した後、佳奈は戸惑ったような、それでいて心配そうな顔をしていた。
「それで、その人は大丈夫なの?」
その人、とは七瀬さんのことだろう。確かに、簡単に信用していい話ではないのかもしれない。
だけど、それでも信用してもいいと思ってしまうのは、今まで面倒を見てくれた玄さんが話した相手だから、という事が一番大きい。
両親を亡くしてからずっと、僕ら兄妹の世話をしてくれた玄さんだからこそ、信じられる。
「大丈夫だと思うよ。何たってあの玄さんの親戚で、唯一僕たちの話をした人だからね」
「あ、そうなんだ? それなら信用しても良さそうだね!」
佳奈にとっても玄さんはもう、特別な枠に収まっているのかもしれない。
それにまあ、僕の目から見ても悪い人ではないのは明らかである。
「でもそっか、誰かと暮らすとか考えたこともなかったねー」
「まあ、確かにね」
玄さんが引き取るような形になったとはいえ、一緒に暮らしているかというとちょっと違う気がした。
今回のように、一つ屋根の下で暮らすとなると尚更違ってくる。
「不安はあるけど、夢はあるよね」
佳奈が思いを馳せているのはきっと、僕と同じだ。
──温かみのある家庭。
今となっては昔のことだが、幸せだったあの空間。
七瀬家がもしも温かい家庭だったのならば、本当の家族とは少し違うけれど、またその時間を過ごせるかもしれない、と。
「きっと、いい家庭だと思うよ」
憶測でしかないけれど、なんだかそんな予感がした。
「佳奈もそんな気がする」
ようやく、この話もまとまりが見えてきた。
そして最後にこの話で最も重要なことを聞く。
「それでこの話、どうする?」
佳奈は少しの間逡巡し、口を開けた。
「私は受けていいと思う! だって単純に、たのしそうじゃない? 賑やかで寂しくなくて、それで温かくて……」
佳奈から次々と出てくる言葉は期待に満ちていて。この先の未来は明るくなることが決まっているようだった。
「ねぇねぇ、お兄ちゃんはどう思う?」
「僕、か……」
僕はどう思う、か……
あまり自分のことは考えてこなかったしこの件も佳奈の意見に任せようと思っていた。
けれど、そうか。
先の言葉を聞いて自分の顔に笑顔が浮かんでいることに気づいた。そして、佳奈のキラキラとした瞳を見て決心がついた。
「この話──」
妹との話にも決着がつき、翌朝優は玄と連絡をとっていた。その表情に陰りはなく、真っ直ぐと前を見つめている。
「連絡してきたってことは、話がまとまったってことか? そうなら誠二郎くんに伝えておくが」
「はい。ようやく話がまとまりました」
優の身には内容が重過ぎて、随分と長い間悩んでしまったけれど、漸く決断する事ができた。
佳奈と決めたこの判断が間違っていないと信じて。
「色々と悩みましたけど、────」
────この話、受けようと思います。
そう言った優の表情は、これからの生活への期待が広がっていた。