第15話 三人での勉強
僕は正直、テストが嫌いだった。いや、テストと言うよりはテスト勉強が嫌いだった。
テスト前になると、勉強しなければならないと危機感に駆られるし、しなかったらしなかったで、それもまた勉強しておけば良かったと後悔の念を抱くことになる。
それに、僕がいつも勉強している時間は喫茶店の手伝いが終わってからの10時半以降で、眠気も相まって苛々が募っていく。
それでも勉強をやめないのは、留年でもして佳奈に無駄な心配をかけたくないからで。
多少は頑張っているものの、やはり身が入らない。テスト勉強を積極的にしたいとは思えなかった。
だが、そんな憂鬱な日々が苦痛に感じることなく、むしろ楽しみにさえ感じてきたのは最近のことだ──
昨日決まった麗香さんと佳奈との勉強会は、テストまでの日も近いと言うことから翌日から始まった。
リビングのテーブルには3人分の教材とノートが広げられていて、各々が自分の学習したい教科を勉強している。
その中で、時間の少ない僕が積極的に麗香さんへ質問するという構図ができていた。
麗香さんは苦手科目は克服するようにしているらしく、どの教科でも聞いてくれていいよ、とのことだ。
中学校の頃から誰かと一緒に勉強する機会が殆どなかった僕にとって、何でも聞ける人物がいるというのはありがたい。
一輝とは偶に一緒に勉強していたが、その時は“教えてもらう”と言うよりは、“協力して問題を解く”に近かった。
だからこそ、短い時間であってもこの機会にわからないところは聞いておきたかったのだ。
僕が苦手としている数学のワークを開き、理解できず保留にしておいた問題が記されているページを開く。
左側に基礎問題、右側に応用問題が載っていて、応用問題の方にわからないところが所々マークされていた。
「この問題ってどう解くんですか?」
「ん、どれ?」
佳奈と僕の二人に教える為、わざわざ移動するのは面倒だと僕たちの中間──よりは少し佳奈寄りに座っていた麗香さんが、問題を見るために自然と近づく。
反射的に少し身を引いてしまったが、どの問題かはしっかりと伝わったようだ。
「あ、これね。結構難しいところやってるんだね」
「ああうん、まあね。基礎的なところはわかるんだけど、応用となると途端にわからなくなってね……」
「それ、わかるかも。ワークの応用編って急に難しくなるよね」
「だよね」
麗香さんと思わぬところで話が弾む。まさか勉強の、それもワークの問題のことで共感できるなんて思ってもみなかった。
でもまあ、これも学生らしくてなんだかいい気分だ。
麗香さんは、その間も説明のために書いてくれている手が動いていて、ノートには次々と文字が並べられていく。
「よし、できた」
そう小さく呟かれたために、そのノートを覗き込んでみると、質問した問題の解き方がわかりやすく綺麗な文字でまとめられていた。
そのノートを覗き込まなくても見れるように、麗香さんは自身ごと僕に寄せる。揺れた黒髪の先が僕をそっと撫でた。
近づいたのは教えるために仕方がないことだとわかっていても、それには少しどきりとする。
当の本人は気にした様子もなく説明を始めだした。
これは、それだけ僕を意識しなくなってくれたと言うことだろうか。
「それで、この問題はね──」
こうして隣で説明を聞いたり、会話をしたりする分には不自然なところはなく、むしろ普通に話せている。
距離感についても同様に、以前よりは僕との距離を必要以上にとることがなくなっていた。
「──こうしたら、ほら」
「おお、すごい。そうやって解くんですね」
一つずつ、順を追って解説してくれた。
思わず感嘆の声をあげてしまうほどわかりやすかった。
説明の前は応用問題は難しいと言っていたにも関わらず、簡単に説明をこなしてしまうのは、日頃から麗香さんが勉強している成果の表れだろうか。
麗香さんの説明は、ワークの解答のように途中の計算が省略されていないため、僕の頭でも理解が追いついた。
「他の問題もこんな感じで、ここをこうして──」
質問した問題のみならず、マークしてあった問題の解説も始めてくれる。
やはり、どの問題の説明も下手な教師よりも上手なのではないかと思わせるほどだった。
「──これで今日のところは終わりかな」
時計を見てみると、僕が喫茶店に向かう時間にはまだ余裕があるものの、そろそろ良い頃合いだった。勉強のキリもいいため片付けを始める。
「解らないところが多かったから助かったよ。ありがとう」
「そう言う割には、難しいところも結構解けてたけど?」
「習った時にすぐワークに取り組んだりするからかな。多分それだと思うよ」
麗香さんが言っているのは、多分授業中に解いた問題のことだろう。習った直後は公式も良く覚えている。
何せ勉強に当てる時間があまりないものだから、授業中に課題や復習をすることも少なくはない。
「なるほどね。それに、理解するのも早かったよね」
「そういえばお兄ちゃん、前に私が成績聞いた時48位だったって言ってたよ」
漸く自分が入れる話題がきたためか、今まで黙々と課題を進めていた佳奈が口を挟む。
48位と聞いて微妙に聞こえるかもしれないが、320人中であるため、そこそこ上の方である。
学年順位がそこそこ高くなっているのは、自分の性格の所為か、勉強が好きではないと言っても最終的には危機感に襲われて勉強してしまうためだ。
その性格に助けられている反面、テスト前には必ず焦ってしまうことに困っていた。
だからこそ、いつものように一人で孤独に勉強するわけではなく、今日のように複数人で教えてもらいながら勉強することには楽しさがあった。
この少しの時間でも、自習時間や放課後にみんなが集まって勉強する理由が少しわかった気がする。
「やっぱり、結構頭良かったんだね」
それに対しては苦笑いをこぼすしかない。自分でそうですね、なんて言うわけにもいかず曖昧に頷く。
麗香さんには遠く及びそうにないが、それでも人並みには努力しているつもりだった。
時間があまり取れないなりに、睡眠時間を削って勉強する。それに、今回は麗香さんに解らないところは教わっているのだ。
「この調子なら、麗香さんのお陰でこれまで以上に順位上げれそうだよ。本当、ありがとう」
解らない問題はとばして後から解くこともせず終わってしまった前と比べると、今回のテストは格段に良くなるのではないだろうか。
それに加え、テスト前に不安に駆られることもない。
今回のテストで勉強を教えてもらえることに、本当に感謝していた。
やっぱり、勉強を教えてもらえるっていうのはいいな……
普段、陰気な僕は友達が多いわけではない。それに、バイトばかりで友達付き合いが殆どが出来ないことも加わってくる。
今まで一輝と一緒に問題解くことしかなかった僕にとって、そう思うのは当然のことだった。
「いいよいいよ。私も勉強になったからね」
勉強をしていた位置そのままで、、麗香さんが大丈夫だと微笑みかけてくれる。
その笑顔は、初めの頃には見ることすら叶わない自然な笑顔で、僕も少し嬉しかった。
「お兄ちゃん、やっぱりお姉ちゃんに勉強頼んで良かったでしょ?」
「ああ、そうだね。良かったよ」
始めた時こそこんなに理解できて、テスト勉強が捗るとは思っていなかったが、今ならば麗香さんに頼んで良かったと思える。
どれもこれも、麗香さんがわかりやすい説明をしてくれたお陰だ。
これからのこの時間が、少し楽しみになった。
「あ、お兄ちゃん、もう時間だよ」
「お、本当だ」
言葉を交わしていると、予想以上に時間が経っていたみたいだ。慌てて必要な荷物を纏め、立ち上がる。
「それじゃあ、行ってくる」
ドアノブに手をかけて、振り返りつつ挨拶を済ませる。
帰ってきた頃には二人とも自室に居る頃だろう。だから恐らく、今日会うのはこれで最後だ。
「佳奈は早めに寝ろよ」
「わかってるよ! いってらっしゃーい」
「いってらっしゃい」
元気な佳奈の声に続いて聞こえた小さく、少し恥ずかしがるような麗香さんの声。
まさか麗香さんがかけてくれると思わず耳を疑ったが、その何気ないその言葉が、僕と麗香さんの距離が縮まったのだと再認識させてくれた。
だからこそ、僕も返す言葉は決まっている。
「いってきます」
そう笑顔で答えるのだ。