第13話 元に戻った生活
ストックの残りが怪しいので、今日から一日一話にします。
翌日、麗香さんに話した通り、夕食の手伝いをする為少し早めに帰途についていた。
今日は日曜日なので、喫茶店に手伝いをしに行ったのは午後からだ。そのため、既に以前と同じように、これからは夕食時に帰宅する事は伝えてある。
何か言われるのではないかと思っていたのだが、玄さんから返ってきた言葉は「おう、そうしろそうしろ」という随分とあっさりしたものだった。
夕食を喫茶店で済ませる事を選んだ日に、玄さんから言われた言葉も関係しているのだろう。
そっけない返事にも聞こえたが、その表情はどこかホッとしているように見えた。
その後に「ついでに1週間帰らなかった分、今日はもう一度来なくて良いぞ」ということも玄さんに言われ、今日はもう一度喫茶店に向かう事はない。
最近休む事が多いな、とは思ったものの、佳奈と最近あまり話せていないのも確かだったため、素直に玄さんの計らいを受け取ることにした。
そんな事を思い出しながら夕日に照らされている道を歩く。この時間に喫茶店から帰るのは初めてのことだ。
佳奈と二人暮らしの時は、当たり前のようにこの時間で帰っていたが、七瀬家で過ごすようになってからは色々と考える事もあり、この時間に帰る事がなくなっていた。
いつもの帰宅は午後十時を回り、外を照らすのは月明かりに街灯、家から漏れ出る光がある程度だ。
そのため、こうして日が出ている時間に帰ることには新鮮さがあった。
物静かな住宅街を一人で歩いていると、否が応でも考え事をしてしまい、佳奈は今何をしているのだろうかと、ふとそんな事が気になる。
今日は部活もなく、家でゆったりと過ごしているのだろうか。心地よく過ごせているのだろうかと。
最近では、そんな事がわからないほどに会えていなかった。
だからこそ、今日、1週間たって漸く帰る決心をした自分にも心のどこかで安心していた。
家に着き、リビングへと足を踏み入れると、視線の先では佳奈が麗香さんに勉強を教えてもらっていた。
ドアが開いたことに気がついてか、二人が視線をこちらに向ける。
「お兄ちゃん、おかえりー」
「ただいま」
佳奈は今日僕が早く帰ってくる事を知っていて、今では慣れた挨拶をしてくれる。
僕もこのただいまを言うことが、大分板についてきた。ここで暮らし始めた当初は、ただいまを言う事ですら躊躇われたものだ。
そう昔のことではないが、この暮らしにも慣れてきたということに感慨深さを覚える。
「あ、そうそう、これからは毎日この時間って本当?」
「ああ、本当だよ」
「お、やった!」
麗香さんから聞いたんだろうか、喜びの含まれた声で佳奈が詰め寄りつつ聞いてくる。
その後ろでは、麗香さんが微笑ましそうに佳奈を見ていた。
「やっぱり、お兄ちゃんとの生活はこうじゃなきゃねー」
佳奈の軽くいった言葉が深く心に刺さった。
「……うん、そうだね」
「良かった……夕食にお兄ちゃんがいないのは、なんだか物足りなかったからさ」
佳奈は力なく笑っている。これだけ、僕が寂しい思いをさせてしまったという事だ。
これまで、何に変えてでも一番に優先しようとしてきた佳奈に、ここまで我慢させてしまった自分が酷く情けなく思えた。
「……ごめんな。寂しい思いをさせて」
「いいよいいよ、みんな良くしてくれたからね」
誤魔化すようにぎこちない笑みを浮かべている。笑顔ではあるが、その表情は無理して作っているように見えた。
きっと、僕がいない間は麗香さんたちが寂しさを紛らわすように構ってくれていたんだろう。
そのお陰で、多少の寂しさは紛らわせていたのだと思う。だけど、それは完全になくなったわけではなかった。
二人だけが取り残されてから今まで続けてきた生活。佳奈にとって、その生活が突然変わってしまった寂寥感は相当なものだったのかもしれない。
「だけど、これからはお兄ちゃんも一緒に、みんなで食べようね」
「……ありがとな」
その言葉には、他でもなく僕が救われることになった。まだまだ幼いにも関わらず、寂しさを誤魔化し、何を言うでもなく我慢してくれていた。
本当に、佳奈には助けられてばかりだな……
昔していたように、ぽんぽんと佳奈の頭を撫でる。ここまで頑張ってくれたことに昔喜んでいたことを思い出してしたくなった。
ここで初めて、暗い表情をしていた佳奈の顔に自然な笑顔が浮かんだ。こうして慰めたり、励ましたり。佳奈が小学生の頃はよくやったものだ。
目を細めてはにかんでいる佳奈を見て、漸く以前と同じ兄妹の関係に戻れた気がした。
この会話を聞いていた麗香さんも、綺麗な微笑みを向けてくれている。
「……それじゃあ、一緒にご飯を食べるためにも夕食の準備を手伝ってくるよ」
「うん、楽しみ!」
お兄ちゃんの料理食べるの久しぶりだなー、と再び麗香さんのもとに戻っていく。
駆けて行く時に見えた佳奈は満面の笑みで、やっとこの悩みも解決したんだと実感できた。
台所で下準備をしていた詩織さんと合流し、僕も調理に加わる。
これまで朝食作りの手伝いは毎日していたため、快く承諾してくれた。
この台所に立つのも一週間が経ち、調理器具も覚えてきた頃だ。初めこそ家との違いで手間取っていたものの、今では動きも滑らかになっていた。
普段の夕食までは1時間ほど。この家での料理に慣れてきた僕にとっては十分に余裕のある時間だった。詩織さんと会話をしながら夕飯の支度をする。
「佳奈は麗香さんと仲良くできてます?」
昨日話した時から薄々仲が良いのは伝わってきたが何気なく聞いてみる。
「そうね、見ての通りよ。すぐに仲良くなっちゃったわ」
詩織さんにつられて佳奈が居るリビングを見ると、今もまた勉強を再開したようで、麗香さんの説明を真剣に聞いていた。
佳奈がここまで集中できているのはテスト前だからだろうか。
様子を見る限り、麗香さんの説明はわかりやすそうで、しっかり理解できているようだった。
高校で学年一位の座を守り続けているだけのことはあるという事だろう。佳奈が躓いた問題も、理解できるまで丁寧に優しく教えている。
本来ならば僕が教えるべきなんだろうけど、僕は家にいる時間が少ない。勉強を教えてあげたくても、教える時間が長く取れないのだ。
だからこそ、麗香さんのような勉強を教えてもらえる存在ができたことに助かっていた。
佳奈にとってもきっと心強いだろう。
この家に来た頃、麗香さんに聞き入れてもらったお願いは既に達成されていて、一週間でこれ以上ないほどに佳奈と仲良くしてもらっていた。
「この調子なら大丈夫そうですね。佳奈も楽しそうですし」
「そうね、でも佳奈ちゃんだけじゃないわよ。麗香にとっても佳奈ちゃんみたいな子は良い刺激になってると思うわ。最近なんだか前よりも楽しそうだもの」
詩織さんは娘の成長を感じて喜んでいるようだった。
何でも自分でこなしてしまう麗香さんだからこそ、目に見えてわかる変化があって嬉しいのかもしれない。
詩織さんに向けた視線を戻し、再び二人に向ける。
二人がしているのは勉強だけでないようだ。時折雑談も交えているようで、笑い声がここまで聞こえてくる。
本当に仲が良いんだなぁ……
自然とそう思ってしまうほど、二人は会話を楽しんでいる。
こうして寄り添いながら勉強を教えたり、会話交わしたりしている姿を見ると、容姿は違えど本当の姉妹のようで、微笑ましさすら覚えた。
「なんだか本当の姉妹に見えてきますね」
「本当ね。私も麗香がこんなに心を開くとは思ってなかったわ。初めは心配だったのだけど、佳奈ちゃんのお陰かしら」
「かもしれませんね。佳奈は人懐っこいですから」
そのくせ今まで悪い人とは関わってこなかったのだから不思議でならない。人を見る目があるということだろうか。
そういえば、最初から麗香さんのことは興味津々だったな、なんてことも思い出す。その時から麗香さんは大丈夫だとわかっていたのだろうか。
「そうよね、佳奈ちゃんの人懐っこさには驚いたわ。私もすぐに話せるようになっちゃったもの。……佳奈ちゃんは大丈夫だと思うけど、優くんは麗香とどうなの?」
「僕ですか? そうですね……普通に話せるようになったくらいですね」
これでも、僕にとってはかなり進歩した方だと思う。初めの出会い方が普通ではなかっただけに、接し方も考えることが多くあった。
「それでもすごいことなのよね。あの子、他人には壁を作ってるから。特に男の子にはね……」
それは今まで麗香さんと話したことでよくわかっていた。初めて会話をした時には、直接そのようなことも言われた。
その理由こそまだ知らないが、いつか聞くことができるのだろうか。
「だから、こうして少しずつ変わっていく麗香の事が嬉しく思うの」
そう温かい視線を麗香さんに向けて見守っている。
こんなにもしっかりと見てくれる母親がいる麗香さんが、少し羨ましい。
何事もなければ今の僕にもいるであろう存在。
僕はもう見てもらえることはないのかもしれないが、せめて佳奈の事は僕が詩織さんくらい見守っていこうと思えた。
「昨日、一緒に帰って来たってことは友達と遊びに行ってたんでしょ? これからは更に関わる事が増えると思うから、できれば仲良くしてあげてね」
そう言う詩織さんは、娘の成長を楽しみにしている母親の目だった。
「麗香さんに拒絶されなかったら、ですけどね」
「ふふっ、それもそうね」
麗香さんには、少しだけでも気を許してもらえたのだ。その少しの信用を裏切りたくはない。
これからもこの調子で何事もなく過ごしていくことが、僕がすべきことなのだ。
「さぁ、そろそろ本格的に料理始めましょうか」
詩織さんのその言葉とともに、会話に割いていた意識を料理に向ける。
未だリビングから話し声が聞こえる中、僕は料理に集中することにした。