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第12話 大きな進歩

 空も茜色に染まり始めた頃、僕は駅からの帰路についていた。


 勿論一人というわけではなく、隣というには少し前すぎるが、近くに麗香さんも歩いている。

 二人しかいないのは、少し前まで一緒にいた一輝と望月さんが、駅から家までの道が僕たちとは反対のため、駅で別れたからだ。


 一輝は、日が沈んでからは暗くなるのも早くなるからと、望月さんを家まで送っていくと言っていた。家はそこまで遠くはないらしいが、それでも暗くなる事は確かなのだし、安全に帰るに越した事はない。


 僕にも麗香さんを送るように言ってきたため、望月さんだけでなく、皆のことにも気にかけているのだろう。


 「家に住ませてもらっているからそこは心配いらないよ」なんてことを今はまだ言えるはずもなく、一輝の言葉には頷くことになった。もともとその予定だったのだから、何の抵抗もない。


 隠し事するのも大変だなあ、なんて呑気に思う。その内口を滑らしてしまいそうだ。


 そして、僕が頷いたのを確認すると、一輝は「また月曜日な」と手を振りながら望月さんと去っていった。


 そんな事が少し前にあり、今の麗香さんのペースで黙々と人通りの少ない住宅街を進んでいるという状況があるわけだ。


 麗香さんは僕の数歩前を歩いていて、表情は伺えない。綺麗な黒髪が揺れているだけで、不満はないかと心配になった。


「──そういえば」

「ん……?」


 しかし、そんな心配をよそに、麗香さんの小さいがよく聞こえる透き通った声が聞こえてきた。


「……お店では聞けなかったんだけど、いつも今日みたいに櫻田くんと遊んだりしてたの?」


 こちらの様子を窺うように、顔だけを向けて聞いてくる。

 文房具店で何か言いたそうにしていたのはこの事か、と納得する。だが、いつも一輝と遊んでいるとはどういう事だろうか。


「ほら、いつも帰ってくるの遅いから……。だからそうなのかなと思って」

「……ああ、そういうことか」


 ここで漸く麗香さんの言っていることが理解できた。


 簡単に言うと、僕の帰りが遅いのは妹のことを放っておいて、遊びに行っているからではないかと思ったのだろう。

 確かに、今日のように楽しく遊んでいる様子を目にするとそう思う可能性は十分にある。


 佳奈や誠二郎さんたちにもこの事は、特段麗香さんに話すようには伝えていなかった。

 それに加え、恐らく前に詳しく説明する程のことでもないと、帰りが遅くなることを曖昧に話したのも仇となったのだろう。

 その事がこんな勘違いを生むとは思っていなかった。


「いや、一輝と遊んだのは久々だよ」

「あ、そうなんだ。よかった。……でも、だとしたら何してるの?」


 その声音からは、本当に安心した様子が伝わってくる。

 もし遊んでいたと言ったのなら、叱ってくれたりしたんだろうか。


「誠二郎さんに聞いたりはしなかった?」

「あ、うん。お父さんも言わなかったし、聞くのもなんだか気恥ずかしくってね」

「まあ確かに、わざわざ聞くほどのことでもないか」


 これで納得である。麗香さんも年頃の女の子だし、僕のことをわざわざ口に出してまで聞くことをないだろう。それに聞かれることもなかったら誠二郎さんも詩織さんも言う必要がない。

 かと言って自分から伝えておかなかったのは、話しづらいのもあったが、後ろめたさも原因だ。


「そんなに声を大にして言えるようなことじゃないんだけど、バイトだよ、バイト」

「えっ……バイト? でも、結構な時間だよ?」

「うん、まあね」


 これには少し困った笑みを浮かべるほかない。

 僕の通う学校では原則としてバイトは禁止されている。勿論、原則というだけで例外は存在し、何か事情があれば許可をもらえることもあるが。

 その例外というのが僕で、事情を説明したところ学校側から許可が下りた。だからこそ、僕はいつも教師がバイト先に来ることにも怯えずに過ごし、毎日のようにバイトをしている。


 かと言って、原則禁止ということもあり、同じ学校にいる麗香さんに言うのは別で、少々後ろめたさがあったのだ。


「まあ、確かに長いけど、学校から許可は得てるしギリギリ労働時間も守ってる。だから安心してくれていいよ」


 追加で説明したが、麗香さんの表情は晴れない。


「いや、そう言うことじゃなくてね、榊原くんはその生活で大丈夫なの? かなり無理してない?」


 次々と出てくる質問。どうやら心配してくれているようだった。

 麗香さんが歩く速度を落として横に並ぶ。その事に少し驚いたが、今は気にせずに答える。


「僕なら大丈夫。ずっとこの生活だからね。っていうか、心配してくれてるみたいで嬉しいよ」

「い、いや……そりゃ、誰だって心配するよ」


 約2年半はこの生活なのだ。嫌でもその内慣れてくる。

 気恥ずかしいのか、そっぽを向いた麗香さんに微笑ましく思いながら、話を続ける。


「麗香さんも知ってると思うんだけど、僕の両親は三年前に亡くなっててね。それで、誰も働く人がいなくなったから、僕が親の代わりに働こうかと思っただけなんだ」


 麗香さんは驚いているが、僕としては特におかしなところはない。

 当時小学四年生で妹は働けなかったから、兄である僕が親に成り代わって働こうと思っただけ。幼いながらにしてその考えに至った自分を褒めたいところだ。


「遺産とかもあるとは思うけど、それに頼り切るのはダメになる気がしてね。せめて、佳奈が大学に行くって言う選択肢を出せるくらいには余裕を持って行けるくらいにはしたいって思ってるよ」


 佳奈が大学に行きたいと思っているのかはわからない。しかし、それくらいの余裕はあった方がいいだろう。出来るだけ将来の選択肢は多くあったほうがいい。


「……ごめん。そんなに頑張ってたのに遊んでるって疑って……」


 話を聞き終え、麗香さんにあるのは後悔、だろうか。


「まぁ、そう思うのも無理はないよ。僕と佳奈の場合は特殊だから。……それより、この話を切り出した理由が知りたいかな」


 そう、この話の本題はここではないのだ。これを聞くために切り出したわけではないだろう。


「うん、ありがと。……さっきの話を聞いた後だと言いにくいんだけど、佳奈ちゃんが寂しそうにしていたから」


 その言葉にハッと麗香さんの方を見る。それは、ここ最近で最も悩んでいる事だった。


「榊原くんにも色々あると思うんだけど、出来ればもう少し一緒にいてあげてほしいと思って。やっぱり、お兄ちゃんと過ごせる時間が多いほど佳奈ちゃんも嬉しいと思うからね」


 私には兄がいないから全部わかるわけじゃないけどね、と曖昧に笑っている。


 だけど、それは麗香さんの言う通りだった。

 それも、僕と佳奈のように互いが唯一の家族となると、その時間の重みも変わってくる。僕と佳奈は突然の別れがあると知っているからこそ、僕が働いていない間の家族の時間は大事にしていたはずだ。


 だけど、今はそれすらもできていない。僕がいる事で、家族間だけでなく他の人にも迷惑がかかってしまうとわかっていたから……。


「でも、そうすると──」


「──私に迷惑。とか考えてない?」

「……」

「……やっぱり」


 その言葉は、今まさに僕が言おうとしたことだった。麗香さんに先に言われてしまい、押し黙る。


「やっぱり、そう思ってたんだね。家にいるのに全然会わないし、距離を置かれてたからそうじゃないかと」

「いやー、ごめん……」


 麗香さんが言った事、僕が夕食に帰らなくなった理由の全てというわけではないが、それでも大半を占めているのは確かだった。


「確かに、極力鉢合わせないようにはしてたよ」


 会うことがあってもバイトを終えて帰宅してからか、もしくは朝学校に登校する前かだ。帰った時には既に麗香さんは自室にいる為、入れ違いになるかたちで、殆ど会うことがない。


「そうだよね……やっぱり、色々と考えてくれてたんだ」

「同じ学校に通ってるし、複雑な思いなのはわかるからね。それにまあ、相手側のことを考えなかった後悔もあったから」


 そっと苦笑いする。自分で思っている以上に気を使っていたのかもしれない。


「いや、榊原くんは悪くないよ。佳奈ちゃんのことを最優先で考えてたからこうなっただけ。いいことだと思うよ」

「……佳奈が絡む話はつい全部に頭が回らなくなるんだ」


 それを聞いて麗香さんは「ふふっ」と上品に笑う。


「……まともに話したのは今日だけなんだけど、君のことがほんの少しだけわかったかも」


 そう言う麗香さんは少し楽しそうで。今までとはまた質の違う笑みに、僕は麗香さんをじっと見つめてしまう。


「何よりも妹思いで、それしか考えてないように見えるけど、みんなのこともしっかりと見てる。

──だけど、少し気を使いすぎかな……?」


 僕を見る優しい目が惹き寄せて離さない。

 麗香さんの目には、僕がそんな風に映るのだろうか。僕には自分のことだからそう思う事が出来ない。だけど、麗香さんに今のところ悪い印象を持たれていないということに安堵した。


「今までは言う勇気がなかったんだけど、元はと言えば、私が一緒に暮らすことを断らなかった事が悪いの。だから、君は私のことなんて気にしなくてもいいんだよ」


 その勇気を出して言ってくれたのは、今日一日を通して僕に少しでも気を許してくれたからだろうか。それとも、佳奈の様子があまりにも寂しそうで心配だったからだろうか。

 どちらにせよ、こうして普通に話せるような関係になって、この事を話してもらえた事が嬉しかった。


「佳奈ちゃんのためにも、私の事はいいから帰って来てあげて。佳奈ちゃん、榊原くんの夕食も久しぶりに食べてみたいって言ってたよ」


 きっと、今もまだ信用しきれていない僕への不安もあるだろう。それなのに、自分のことではなく、妹の佳奈の事を考えてくれた。

 本当に、一緒に暮らす提案をくれたのが七瀬家で良かったと、そう思える。


「……それなら、前のように夕食の時には帰るようにするよ」


 迷惑なんじゃないかという思いは消えない。だけど、今はその気持ちにも無視をして、佳奈のためにも麗香さんの言葉に甘えることにした。


「うん。それがいいと思うよ」


 玄さんにも、前の生活に戻ることを伝えなければならないな、とは思ったが、それよりもまた賑やかな食事を取れる事が少し楽しみだ。


 今日は一輝が彼女を紹介するという名目で集まったが、こうして偶然にも麗香さんと話す機会もできて、その上話せるようになった。


 佳奈のことも、麗香さんのことも悩み事が解決する。

 この時間は、前とは比べ物にならない程大きな進歩になっただろう。

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