3「契約と呪縛」
前回までのあらすじ
理屈っぽくて自分の計画を曲げることが大嫌いな高校生、大原輝は、夏休みのある日、夢を食べる妖怪であるバクのヤクに出会い、夢の中で自分に呪われてほしいとせがまれる。事情を聴いた輝は半信半疑ではあったもののそれに同意し、夢から目覚めたのであった。
3「契約と呪縛」
「…なるほど…。ここまで来たらもうただの夢じゃねえわな…。」
俺はヤクの鼻先をしばらく見つめ、重い腰を持ち上げた。ヤクは夢の中のように話しかけてくることはなく、ただぱうぱうと鳴き声を上げるだけだった。なるほど、どうやらこいつは夢の中でないと会話ができないらしい。まあ、テレパシーみたいなものとは大方想像はついていたが、夢の中限定というのは想定外だった。
さて、俺はようやく机の引き出しに手をかけ…すっと手を引いた。
そこにはやはり、4日前にあの神社で拾った、黒っぽい表紙の古びた本があった。拾った時は気にならなかったが、よく見ると表紙には、どこの国の言語かもわからないような不可解な文字で何か書かれていた。
これ……俺、読めんのかな…。
そもそも、俺はヤクに会わなかったらこの本をどうしていたのだろうか。ずっと机の中に封印していたか、それとも捨てていたか…最も、ヤクが言うには、俺がこの本を拾った時点でこいつの封印は解かれていたのだから、そんな考えたところで時間の無駄なのだが。
「ぱぱう!!ぱうぱう!」
俺が本の表紙を見てあれやこれや考えていると、ヤクは耳元で喚きだした。正直、鼓膜が破けるかと思った…。鳴き声だけだが、言おうとしていることは反応から理解できる。「早く見てよ!いつまで待たせるつもり?」とでも言いたいのだろう。
「…‼せかすなって!わかった、読むから…」
俺はしぶしぶ、本の1ページ目を開いた。
______やはり、俺にはこの本に書かれている言語は文法も何もわからない、いわばただの記号にしか見えなかった。____そのはずなのに____
突然ヤクが鼻から青い煙を噴射し、その1ページ目に吹きかけた。すると、どういうわけか、意味を解せなかったその文字列が、俺の目には日本語に見え始めた。
___こいつ、こんなこともできるのか…____
早朝から非現実的な出来事に立て続けに遭遇し続けた俺は、一瞬これすらも夢なのではないのかと疑った。が、気を取り直して、その本に再び目をやった…。
浮き上がってきた文章は次のようなものだった…。
___獏に選ばれし、夢渡の器よ___
汝、獏の呪縛を受け入れ、他者の夢を渡り歩くべし____
汝、獏の呪縛を受け入れ、自らの夢を捨てよ____
汝、獏の力を私欲の満たすところとすべからず____
汝、他の呪縛者を捜索し、善し悪しを見極めよ____
汝、決して自決すべからず____
汝、決して獏を解き放つべからず____
汝、契約者とともに、百鬼夜行を滅せよ____
貴殿の武運を祈る… ____ 獣戒者 茂脊 ____
…。ゲームのチュートリアルかよ…。本気でそう思ってしまった。
だが、これは明らかに夢ではない。何度も試行錯誤を繰り返して今に至るのだから、現実と考えて間違いないはずだ。
それにしても気になる文面が、いくつかあった。
他の呪縛者?俺みたいに、ほかのバクと契約したやつがいるってことか。いるならば会っておいて損はないだろう。ヤクの事について、色々聞けるかもしれない。実に合理的な制約だと思う。
自決すべからずっていうのは、自殺をするなって意味か。そもそも死ぬのが怖い俺が自殺なんてするわけないが、万が一自殺してしまったらどうなるのだろうか…
百鬼夜行を滅ぼせ?武運を祈るだと?どうやらこいつに呪われた俺は何かと戦わされるらしい…
「…なるほど、お前は俺に嘘をつきやがったわけだ。夢さえ提供すればそれでいいだと?これによると、俺は「百鬼夜行」とかいう悪の組織的な奴らと戦わされるみたいだぜ?知らないとは言わせねえよ?お前、600年も毎度、別のやつとこんなやり取りしたんじゃねえか?」
俺はヤクに一瞥を向けると、ヤクは気まずそうに小さな耳を垂らし、小さくて黒いつぶらな瞳で、俺を見上げた。
「いや、犬かよ!象もどきのくせして!」
俺の盛大なツッコミが、俺の部屋中に響いた。一瞬、今朝の記憶がよぎり、焦ったが、母も妹も部屋に飛んでは来なかった。まだ寝ているか、あきれられているか…。後者だとかなりまずいが…。
そんなことはさておき、しょぼくれたヤクを見て、俺は下手なガッツポーズをかました。
「…まあ、悪くねえけど。いくら理屈っぽいとはいえ、一応高校男子だし!多少はそういうシチュエーションに憧れてたりするんだぜ?俺は実際に見たものしか信じねえが、逆に、見たものは全部信じられる!科学と一緒だ!それに、一度契約しちまったんだしな!今となっちゃ一生の付き合いになっちまったお前との間に、こんなことでわだかまりを作ってもらちが明かねえし。合理的じゃねえだろ?」
ヤクは驚いたような目で俺を見つめた。
「だから、ヤク、俺に証明させてくれ!お前の存在と俺が夢渡に選ばれた理由をな!」
ヤクは、一瞬固まったが、俺の顔を見て、嬉しそうに耳と鼻をパタパタさせ、上下にふわふわと揺れた。
「よおし、じゃあこれでお前とのお約束は一通り済んだってわけだ!時間は…よし、まだ8時56分か!4分後に旅行の支度…母さんたちが起きるタイミングで朝飯を…」
そう、ここからはいつもの生活が始まる。戦いがどんなふうになるかは知らないが、このほのぼのとした空間に戦いを挑んでくる奴なんていないだろ。そう思った。
…甘かった。俺はヤクに呪われた時点でいつもの生活に戻ることはできないとなぜ気が付かなかったのか…。
「次の契約者はめでたい野郎だなあ、バク公…。いつ死ぬかもわかんねえのに頭ン中はお花畑ときたもんだ…。」
夢の中の時のように、誰かの声が俺の頭でこだました。ヤクは、今までののんきな顔とは打って変わって、小さな耳をぴんと立て、じっと部屋の窓のほうを見つめていた。
「へ…!どんな野郎かと思えば…まだ幼子ではないか…うひひ、まあよいよい!幼子の魂はじ・つ・に・!美味であるからなあ!」
そう聞こえたかと思うと、鍵をかけていたはずの窓が「バン!」と派手な音を立てて勢いよく開いた。俗にいう、ポルターガイストというやつなんだろうが、ただ音を発して驚かせてくるだけのかわいいものとは違うのだろう。さっきのセリフを考えても、俺を殺しに来ているのがわかる。かといって、相手がどんな姿か、一切わからない!まさか、この得体も知れない野郎が本に書いてあった百鬼夜行なのだろうか。
と、俺の前を桃色の煙が横切った。恐らくヤクが出した眠り霧…。あいつが何を考えているか、今の俺にはわかる!
「上等だぜ、やってやろうじゃんか、“夢渡”ってやつをよお!」
そう勇んだ後、俺はさっきのように意識を失った…
「ドゴォ――――――ン!」
突然、脳内で爆発音が鳴り響き、俺は目を覚ました。先ほどとは異なり、辺りは一面真っ黒だった。ただ、俺の前ではヤクがふわふわ浮いており、それに対峙する形で、向こうに人影が見えた。どうやら俺は夢渡をしているらしかった。ということは、ここは俺の夢ではなく、さっき部屋に襲ってきたやつの夢…。
相手は白い羽織を着ており、髪の毛は江戸時代を連想させるような独特な結い方がなされており、キツネの面を被っている。女性…だろうか。
「悪いけど、キミの夢の中に入らせてもらったよ。外じゃあ分が悪いし、何よりキミのような相手にはこちらも全力を尽くす必要がありそうだからね。百鬼夜行の一人だね…キミ…。」
ヤクはそう落ち着いた感じで言った。いや、言ったというよりも、発した、というべきか…
「うひひ…自らの夢にいざなうとは…こちらも油断したな。私の本体は今無防備な状態ってわけだ…」
「外の心配をしている暇があるなら、せいぜい“廃魂”にならないようにボクらと真面目に向き合ったほうがいいよ?何たって夢の中での戦いでボクの右に出るものはそういないからね!」
「こちらこそ、わざわざ新米のお人形さんをここに連れてきて…よほど私の養分になりたいようだ…!」
先に仕掛けてきたのは、相手のほうだった。人魂のようなものを空中に漂わせ、それを俺たちに向けて一斉に投げてきた。心なしか、魂の速さが異常な気がする…。
「ヒカルくん!身をかがめていて!」
俺はヤクの言われた通りに、身をかがめた。
「これまで食した数多の夢たちよ…今我がためにかつての輝きを取り戻せ!」
ヤクが呪文のようなものを詠唱したかと思うと、突然真っ暗な空間の中でヤクの周りが輝きだした。
「夢光衝!眼墜!」
ヤクが必殺技(?)の名前を叫んだかと思えば、黒い世界から急速に白い世界に切り替わった。目玉がつぶれそうなほどのまぶしい光。俺はヤクの言う通り身をかがめていたため助かったが、俺たちに人魂を命中させるため、こちらを凝視していた相手は、もろに技を食らったらしく、目を抑えて悶絶し始めた。おかげでこちらに飛んできていた、プロ野球選手の投球並みに速いスピードでこちらに向かっていた人魂軍団は、俺をきれいに避けて飛んで行った。
あいつは今の技のおかげでしばらくは動けない。RPGで言うところの混乱状態だ。
今なら…ヤクのような技は使えないが、一発ぐらい殴れそうだ!俺は頭の中で、ここから相手までのおよその距離、俺の出せる最高スピードを計算し、目の前の相手を倒すまでのプランを立てた。
俺は気づけば、光が弱まったタイミングで、一気に駆け出した。
俺の計算に狂いはない!猶予は8秒(経験から)!相手との距離、およそ30メートル!俺の50メートル走のタイムは7.6秒!つまり、相手に到達するのに要する時間はだいたい4.6秒!殴れる!
「ダメだ!ヒカルくん!キミでは彼を倒せない!触れることも!」
と、頭の中でヤクが叫んだ。後ろに目をやるとヤクが血相を変えて俺を追いかけてきているのがわかった。
「実験第一!学者の基本だ!…やってみなきゃ…わかんねえだろ!」
俺はキツネ面の前に踏み込み、殴る体制をとった。と、手で目を抑えていたキツネ面の口がちらついた…。
こいつ、笑ってやがる…。
気づいたときにはもう遅すぎた。そいつの周りに再び先ほどの人魂が生成され始めた。
それらはすでに、俺の周りを囲んでいた…。
「ヒカルくんっ!!」
「遅かったなあ!バク公!今度のお人形ちゃんは賢そうだったが、この戦いに理屈が通用しねえってのを教えてやろうじゃあないの!最も、ここでゲームオーバーだがな!」
「……!!」
俺は構わず、こぶしを振りかざし、キツネ面めがけて突き出した。
間に合え…!
「さよなら、お人形ちゃん!永遠に闇を彷徨え…
百魂!焼却乱舞!」
____俺の周りの人魂が一斉に俺めがけて飛んできた。
俺は覚悟を決め、固く目を瞑った…
次回もお楽しみに