オルカの檻を折り居るか
『……娘よ、お肌は楽になりましたが、何だか苦しくなってきた気がします』
「あー……自重で肺が潰れ始めたんじゃないですかね? 助けるなら急いだ方が良いかもしれません」
「重そうだもんな」
『失礼な!! 誰が陸に上がったシャチですって!? シュッとしてるでしょう、シュっと!!』
「流線形、っていう意味ではシュッとしてますけどねー」
『娘よぉぉぉぉ!!』
燦々照る太陽の下で惨憺たる作業を続ける私たちに、この惨状を作り上げたシャチが話しかけてくる。
ここまで頑張って死なれるのも悔しい気がして、隣にいたヴィルさんにそう告げてみた。
……告げてみたところで、この巨体を動かす方法なんて思い浮かばないわけなんだけども……。
全女性にケンカを売るようなヴィルさんのセリフに、横たわったシャチがヒレをビタンビタンと地面に打ち付けて抗議してるけど…………うん。私から見ても『重そう』としか感想は出てこないよ、うん。
今、シャチが暴れている場所は波打ち際から10m程は離れているだろうか。目の前に水はあるんだけど、その『目と鼻の先』の距離がもどかしい!!
しかも、オルカ・アタックに失敗して座礁したシャチが、何とか海に戻ろうと大暴れしたらしく、シャチのいる周囲は陥没したように砂が掻きだされて段差ができている。
本当に、どうやって海に還してやろうか……。
ぱしゃんと軽い音がして、エドさんが作ってくれた水キューブがシャチの上で弾ける。キラキラと七色に光を反射しながら、細かな水の珠が周囲に舞い散っていく。
当然逃げ遅れた冒険者にもその水飛沫が浴びせられるが、「冷てぇ! 気持ちいい!!」と好評のようだ。
「……水キューブ……水の、塊…………」
「どうした、リン?」
「エドさん! 水キューブにあのシャチ閉じ込められませんか!?」
「えぇ!? あのサイズを!?」
「立方体に閉じ込めておけば、浮力で肺が潰れることもないかなー、って!」
「うーん……流石にあのサイズのキューブは作れないなぁ……」
ですよねぇ……。
あのシャチのサイズを長さ10m×幅3m×高さ2mと仮定して、約60立方メートル分の水が必要……ってなると、流石に難しいですよね……。
閉じ込めておければある程度は持ちこたえられると思うから、満潮を待ってキューブを壊せばいいかなぁ……って思ったんだけど、そううまい話はありませんよね。
えーと……他に何かないかなぁ……。
向こうでも座礁クジラとかイルカ打ち上げとかあったけど、海に戻す時に使ってたのは重機だったしねぇ。
いっそ、水路掘っちゃうとか?
シャチが通れる程度の幅で、お腹が隠れる程度の深さで、海から水が引き込めるよう傾斜をつけて……。
「……というわけで、皆で水路でも掘った方が早いんじゃなかろうかと思うんですが……」
「なるほどな。土魔法が使えるヤツを集めるか」
「溝ができたら、水魔法や風魔法で海から水を送り、沖に棲まうモノを人力で押し出せばよさそうですね」
ちなみに、この話を他の冒険者さんたちに伝えて回ったところ、流石に人力では無理だろうということに気付いていた面々が協力してくれることになった。
こうなってくると、もうお祭り騒ぎだ。
俺がここを、私はここを……と区画を決め、各々の持てる力で魔法を行使したり穴を掘ったりを始めている。
水路作りメンバー以外は、誰に言われるでもなく周囲を警戒したりと、作業をしているメンバーに危険が及ばないよう気を配っている。
ちなみに私は、エドさんの水キューブがわりにバケツでシャチに水をかける係である。
「愛されてるねぇ。みんな一生懸命じゃん!」
『ふふふ……私はこの地上に降り立った美の化身であり、「愛らしい」という言葉の権化ですからね。愛されてしかるべき存在なのですよ』
「……あー……本当に唐揚げにしてやりたい……!」
『もっと崇めて奉れよォ!』と修三節でビチビチしているシャチさんには残念なお知らせですが、竜田揚げにしたら美味しそうな腹回りだなー、としか思えませんが、何か?
鋭い歯を鳴らしつつドヤっと笑うシャチの顔に水をかけてやる。本当に地味にムカつく言い回しを好むな、このシャチめ……!
でも、作業をしている冒険者さんたちの顔も、見張りをしている冒険者さんたちの顔も、いずれも楽しそうだ。
報酬がもらえるから……ということもあるのだろうが、もしかしたら、たぶん、このシャチ自体がみんなに愛されている存在なのだろう。
……地味にムカつくけど、なんか憎めない感じもあるもんな、コイツ……。
「よし! 水を入れるぞー」
「沖に棲まうモノ、まだ生きてるぅ?」
『生きてますよ! ピッチピチですよ!!』
「あー、まだ大丈夫そうです! 水、お願いします!」
ふと気が付くと、シャチの身体がストンと水路にハマっていた。深さはシャチのお腹が隠れる程度だけど、浮力が発生さえしてくれればいいので、このくらいでも何とかなるような気はする。
海辺の方から魔導士さんらしき人たちが声を張り上げていた。ブンブン手を振りながら、シャチの安否を気にかけているようだ。
それに応えるようにヒレをビタビタ叩きつけるシャチを見ながら、水を送ってくれるようお願いした。
干潮時と言えども、風に煽られて、水魔法で誘導されて……冷たい海の水が見る間に水路を満たし、僅かながらも水に浮いたシャチの腹が地面から離れる。
『あぁ……水が気持ちいいですねぇ……』
「よし、押します!!!」
「俺も手伝うぞ、リン!」
「ボクも手伝います!」
「アタシもやるよ!」
水路に入ってシャチを押し始めた私を見て、まずはヴィルさんが。続いてほかの冒険者さん達も手伝いに来てくれた。何だかんだで、シャチも身を捩って何とか海に向かおうとする。
少しずつ……少しずつだが、シャチの身体が海に向かって動いていく。
海辺の方では、エドさんを始めとする魔導士さんが随時水を足してくれ、ヘバりはじめたシャチにセノンさんや他の神官さんが回復魔法を飛ばしてくれる。
もちろんその間も、アリアさんや手の空いた冒険者の人たちが索敵・哨戒をしてくれているので、安心してシャチに構っていられる。
そして……ようやく……。
バシャンと一際大きな音がして、今日一番の水飛沫が上がった。
急に軽くなった腕の先を見れば、巨大なシャチが海へ解き放たれていくところだった。
『ありがとうございます、小さき子たちよ! 海の女神の祝福です!!』
いっそう明るい声が脳髄に響いたかと思った瞬間、水面から顔を出したシャチが尾を翻して海に潜り、盛大に水を巻き上げた。
バケツをひっくり返しでもしたかの如く降り注ぐ海水の飛沫と共に、魚が、貝が、エビが、カニが……争う必要の無いほど気前よく浜辺に落ちてくる。
なるほど……コレが『報酬』ってわけか。なんか、あのシャチらしいなぁ……。
そんなことを思いつつ、沖へと向かうシャチの背びれを眺めていると、コツンと何かが頭に落ちてきた。
摘まみ上げてみれば、きれいな桃色のサンゴの珠だった。
『あなたと話すのはなかなか楽しかったですよ、異世界より来たりし娘よ! また会いましょう!』
あのギチギチという不思議な笑い声と共に、楽しそうなシャチの声が頭の中で弾けて消える。
「……また会いたいような、もう会いたくないような…………嵐みたいなヤツだったなあ……」
せっかくもらった『報酬』をなくさないよう胸のポケットにしまい込み、私もまた海の幸拾いに加わるべく浜辺へと向かうのだった。





