スクランブルは突然に
微かに軋むドアを、ヴィルさんがゆっくりと開けた。
ぶ厚い飴色のドアの向こうに、廊下と同等以上に品の良い調度品で囲まれた内装が見える。
そして、その部屋の一番奥……そこに、恐らくこの部屋の主であろう人物が座っているんだろうけど……それがどんな人なのか、じっくり見ることはできなかった。
ヴィルさん以外が、静かに頭を垂れたからだ。
雰囲気にのまれたのか「借りてきた猫」という言葉どおりに大人しくなったごまみそを抱き、私も倣って腰を折る。
……こ、これは……かつて軽いぎっくりをやらかした身には、なかなかにクる恰好なんですが……!
かといって、みんなが礼を取る中、一人頭を上げっぱなし……っていうまねはできなかったよね。そのくらいの空気は読めますから!!
「あー……そう固くならないで、頭を上げてほしいなぁ。うちの弟と一緒にいてくれて、君たちには感謝しているんだ」
頭を下げてほんのすぐだったようにも思えるし、少し経ってからだったような気もするし……たぶん、緊張のあまり時間の感覚が狂ってたんだと思う。
さっきドア越しに聞こえてきた声と同じ声が、微かな笑いを含んで降ってきた。
張り詰めていた空気が緩み、微かな衣擦れの音と空気の流れから、みんなが頭を上げたんだろうことが伝わってくる。
それに遅れないよう、私もゆっくりと頭を上げた。一人だけ遅れて目立ってしまう……ということは避けられただろうか?
改めて目に入ってきた室内は、それはもう絢爛豪華……ということはなく、落ち着いた雰囲気の中、アクセントカラーなのかロイヤルブルーが随所に差し色で使われているような感じだった。
たぶん、そこかしこにある調度品とか小物とか、質のいい上等なものなんだろうけど……それがどのくらいの価値があるのかっていうのはよくわかんないなぁ……。
いい仕事してますねぇ……っていうのは、まぁ、わかるんだけども。
そして何より、応接用のテーブルとソファーのその向こう。
部屋の奥にでんと据えられた重厚そうな執務机の向こうに座る部屋の主から漂う圧がね、もうね……素人目から見てもただならぬ気配がビシバシ漂ってますとも!!
いや。ヴィルさんの異母兄弟ってことなんだけど、お顔が厳ついとか、ガタイがいいとか、そんな感じじゃないんだ。
射干玉の長い黒髪を後ろでゆるりと結わえたその人は、どっちかって言うとセノンさん系統の顔立ちなんだよね。
正統派イケメェェンって感じのお顔に、スラリと均整のとれた体つきのお兄様なんだよ、うん。
しかも、穏やかに、柔らかに微笑んでもいらっしゃるんだけど……その笑顔にどことなく迫力がある、というか……。
「まず……お帰り、ヴィル。色々と言いたいことはあるけれど、それは後にしようか」
「……あ、あぁ……。た、ただいま……」
「まったく。一応こちらとしても動向を掴んではいたけれど、なかなか面白いことになっているようだねぇ」
「な……いったい、いつから……っ!?」
「親父殿にはまだまだ遠く及ばないけどね、私の手だってそれなりに長いんだよ、ヴィル」
執務机に肘をついて顎の下に組んだ手を当てて……口元が見える某司令官のようなポーズのお兄さんがにこやかに笑う。
それと対峙するヴィルさんの声は、若干……いや、かなり震え気味だ。緊張なのか、はたまた「お兄ちゃん」に対する畏怖か。
まぁ、自分が知らない間にBig BrotherにWatching Youされてたんじゃあ、そうなるか、うん。
…………あー、なんだろう……ヴィルさんの背中に、私と喧嘩する時の弟の姿がかぶるわぁ。
「ねーちゃんコワい」と「オヤツよこせ」とのジレンマに悩みながら立ち向かってくるんだよなぁ……。
なんとも気の毒な「弟」の背中を憐憫の気持ちと共に眺めていると、ふと執務机の向こうの赤い瞳と目が合った。
ヴィルさんと比べると、ほんの少し色味が薄いような気がする、かな?
今までも柔らかく微笑んでいたその瞳が殊更ゆるりと細められ、そのままみんなの顔を眺めるように視線が動いた。
「突然家を飛び出したヤンチャな弟に付き合ってくれて、本当にありがとう。君たちがいなかったら、どれだけ無茶をしていたかと考えると空恐ろしいばかりだよ」
「おい、やめろ! アンタにそう言われたところで、ハイともイイエとも答えにくいだろう!?」
「お前はそう言うけどねぇ、ヴィル。私としては、お前の無鉄砲さが人様に迷惑をかけるんじゃないかと心配で心配で……」
「ああ、もう!! これだから帰ってきたくなかったんだ……っっっ!!!」
司令官ポーズを崩さないお兄さんが、こちらを眺めてニコリと微笑んだ。
何と返せば正解なのかわからない答えに、百戦錬磨ともいえるパーティメンバーにも動揺が走っている。
もちろん、私もどう反応すべきか考えて……お兄さんの笑顔を目の当たりにしたせいで、循環器に多大なるダメージを受けましたよ!
美人さんと言っても差し支えないほどに整ったイケメンさんの笑顔、執務机越しでもかなり破壊力がありますわぁ……。
たっぷりと余裕を見せるお兄さんに、頭を抱えたヴィルさんが悲痛な叫びをあげている。
あぁぁー……こうもお兄さんの掌の上でコロコロ転がされちゃあなぁ……行き渋ってた理由の一端はこれかぁ。
何というか……遊びに来た友達の前でイジられる息子とイジるおかん的な??
お兄さんのイジりには、突然家出したヴィルさんへのオシオキ的な意味合いも含まれているんだろうけど、イジられる本人にとってはなかなか辛いものがあるんじゃなかろうかと思うわけで……。
どうにもこうにも割って入れない兄弟の会話を眺めていると、久しぶりの弟とのやり取りを存分に楽しんだようなお兄さんの顔から、ふいにすっと笑みが消えた。
「まぁ、そんな冗談はともかく、ね。私の方にもいろいろと情報は入ってきているよ」
「……情報が集約されてくるだろうとは思ったが、やはりそうか」
「こちらに集まってきた情報が欲しいかい、ヴィル?」
「は? いや……え、はぁ? 欲しくないわけがないだろう! 何のために王都まで来たと思ってるんだ!?」
ドサリという音と共に、机の上に置かれたのは大量の紙束だった。
いったいどこから出しているのかといぶかしがる間もなく、何本かの巻物や、紐で閉じられた書類のようなものまで机の上に積み重なっていく。
先ほどまでの笑みが微塵も浮かんではいないお兄さんの言葉を借りるなら、これがお兄さんの下に集まってきたいろいろな情報、ということなんだろう。
予想外の言葉に、しばし言い淀み……万感の思いを込めて吼えたヴィルさんの前に、一枚の紙が突き付けられる。
……私には読めないけど、何かが書きつけてあるみたいだ。
「情報を渡すのは、構わないよ。でもその前に、少々片付けて欲しい仕事があってねぇ?」
赤い唇をにぃっと笑みの形に釣り上げて、お兄さんが小首を傾げてヴィルさんを見つめている。
ぐぅと喉の奥で唸ったパーティリーダーが、諦めたようにその紙を取った。





