第976話。マテリアル・テレポート。
【乙姫寿司】。
私とソフィアは、【乙姫寿司】の付け場からホールの方に戻りました。
私達が持ち込んだ魚を下ろして寿司ネタに仕込む為に、ベアトリーチェさんやマサさんや【乙姫寿司】の皆さんに余計な手間が増えたので、私が【自動人形】・シグニチャー・エディション5体と、ソフィアが専属の【自動人形】・シグニチャー・エディションのディエチを【乙姫寿司】のお手伝い要員に貸し出しています。
結局、私達が提供した魚は、全てベアトリーチェさんの目利きに適う最高のネタでした。
これは私達が持ち込んだ魚が観光地引き網で取れたモノだという事を考慮すると、本来ならあり得ない事なのだそうです。
何故なら、普段ベアトリーチェさんが扱うネタは、【ドラゴニーア】の中央卸売市場の【メルカート】に世界中から集まる魚介類の中でも、特に選りすぐりの最高のモノだけだからでした。
ベアトリーチェさんが自ら【メルカート】に足を運んで目利きを行い複数の仲卸業者から目ぼしいネタを相対取引で買う場合もあるそうですが、ベアトリーチェさんが広大な市場と沢山の仲卸業者を回って【乙姫寿司】で必要なネタを全て買い揃えるのは量的にも時間的にも困難なので、マグロなど特にベアトリーチェさんが拘るモノ以外の大部分のネタは、仕入れを専属契約する仲卸業者に依頼して店まで届けてもらい、支払いは売掛取引で纏めて決済するのだそうです。
【乙姫寿司】のような高級寿司店や、料理屋、料亭、仕入れに拘る魚屋、高級レストラン、高級ホテル、高級百貨店などを顧客とする業務用仲卸は専門業種で、彼らが扱う最高品質のネタは俗に……特種物……と呼ばれるのだとか。
特種物は、鮮度や品質はもちろん、季節ごとの産地や、一本釣など漁法や大きさなどに徹底的に拘り、スーパーなどの量販店や一般消費者向けの巻き網や定置網で大量漁獲され品質やサイズなどが雑多な商材とは区別され当然仕入れ価格が高くなります。
旬の大間の天然黒鮪が特種物で、夏場にトロール漁船の網に偶然入ってしまったマグロなどは基本的に特種物専門仲卸では扱いません。
つまり本来観光地引き網で取れたような魚がベアトリーチェさんの目利きに適うというのは珍しい事。
私達が提供した魚の内の1本や2本ならともかく、全てが【乙姫寿司】のネタとしてレベルに達しているという事は通常ならば考え難いのです。
やはり、私とソフィアの【天運】の影響があると見て間違いなさそうですね。
私達は地引き網の魚を【宝物庫】ごと、とりあえず全て【乙姫寿司】の付け場に預けていますが、今夜全ては食べきれないでしょうから、一応【乙姫寿司】の付け場をお借りしてディエチ達【自動人形】・シグニチャー・エディションに全ての魚を下ろさせてもらった上で、今夜の寿司ネタに使用しない余剰分は持ち帰る事にしました。
「皆様。お席はどうなさいますか?一階のカウンターは、ご覧のように席数が限られております。大人数様ですと、二階の座敷に上がって頂くのですが?」
ベアトリーチェさんが訊ねます。
「我はカウンターが良いのじゃ。ベアトリーチェが目の前で寿司を握るのを見たいのじゃ」
「アタシも〜」
ソフィアとウルスラが言いました。
と、なると必然的にソフィアとウルスラの面倒を看るオラクルとヴィクトーリアもカウンターに座る事になります。
「では、カウンターは今いるメンバーと、トリニティ、ウィロー、カリュプソ、それからグレモリー・グリモワール一行にしてしまいましょう。あとの【レジョーネ】と【ファミリアーレ】は座敷という事で……」
「うむ。良い席は早い物勝ちじゃな?」
「そういう事になりますね」
普通飲食店ではカウンター席より、テーブル席や座敷の方が格式が高い良い席だと見做されるのでしょうが、寿司屋や天ぷら屋や割烹料理屋など職人の仕事が見える場合は、親方や板長に対面する板場のカウンター席の方が良いという場合もありますからね。
【レジョーネ】や【ファミリアーレ】は座敷に座ってもらって、彼らと歓談したければ一通り寿司を食べた後で座敷に移動すれば良いでしょう。
私達はカウンターに座りました。
「寿司は皆様がお揃いになってからとなりますが、お飲み物と軽いおつまみでもお出し致しますね」
ベアトリーチェさんが言います。
「そうですね。ありがとうございます」
ウチのカルネディアや、ロザリア・ロンバルディアのところのルカシーちゃんは子供なので手持ち無沙汰で待たせるのは可哀想ですからね。
「うむ。ならば卵焼きと茶碗蒸しを5人前ずつ所望するのじゃ。ベアトリーチェのところの卵焼きは美味しいのじゃ」
ソフィアは言いました。
「畏まりました」
ベアトリーチェさんは頷きます。
5人前って……。
ベアトリーチェさんは軽いおつまみと言ったのですけれどね。
まあ、予想通りの行動なので今更驚きませんが……。
ソフィアはベアトリーチェさんの正面に陣取りました。
私がソフィアの右隣りに座り、私の右隣りにカルネディアが……ソフィアの左隣りに【ラ・スクアドラ・ディ・ソフィア】のメンバー。
するとロザリア・ロンバルディアの一家が何だか戸惑っている様子。
どうやら席次を考えて、何処に座るべきか迷っているようです。
カウンター席は正式な礼法では席次の上下はないそうですが、一般的には真ん中が上座で、後は入り口から遠い方から正面を挟んで順番に左右に座って行く事が多いようですね。
ただし、公式な晩餐会でもあるまいし、私もソフィアも、そのような些末事には拘りません。
「今夜の食事会は基本的に身分や格式は関係ありませんので、好きな場所に座って下さって大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。では、こちらに……」
ロザリア・ロンバルディア一家は私から見て右側に少し離れて座りました。
少し間を取ったのは、カルネディアの隣にはトリニティ達が座るという事を逆算して気を使っているのでしょう。
「鮭とイクラの紅葉和え、アンコウの共肝和えと、胡瓜と蓮根の甘酢漬けでございます。アンコウは、まだ走り(旬には早い)でございますが、河岸に良いモノが入っておりましたので仕入れました。お召し上がり下さい」
ベアトリーチェさんが言いました。
カウンターにお茶やジュースと小洒落た小鉢料理の先付けが三種並びます。
ソフィアとウルスラの前には卵焼きと茶碗蒸しもですが……。
大人組の飲み物がお茶なのは、一応……みんなが揃ってからにしよう……という事で、アルコール類などの注文を保留したからです。
子供をお預けするのは気の毒なので、カルネディアとルカシーちゃんには、ジュースを注文しました。
「……乾杯は後じゃから、とりあえず、お疲れ様じゃ」
ソフィアが言います。
私達は食事会の前の食前会を始めました。
鮭とイクラの紅葉和え。
鮭とイクラは親子なので相性が良い事は言わずもがな。
紅葉和えとは、概して紅葉おろしや明太子など、赤い色の食材を使って和えたモノを指しますが、これは紅葉おろしのタイプです。
大根おろしではなく、カブですね。
優しい味です。
美味い。
アンコウの共肝和え。
アンコウの身の湯引きを、裏濾ししたあん肝をアンコウの骨で取った出汁と合わせたソースで和えたモノです。
これも美味……。
胡瓜と蓮根の甘酢漬け。
胡瓜も蓮根も職人技の飾り包丁で見事な細工がしてあります。
胡瓜は蛇腹に、蓮根は花形に……。
甘酢の締めの塩梅も良く、金糸状に細切りにして散らしてある柚子の皮が爽やかなアクセントになっています。
酢の物1つにさえ細やかな仕事を施して手を掛ける【乙姫寿司】は相変わらず素晴らしいですね。
「カルネディア、ルカシー。見てみよ……ほれ、びよ〜ん、じゃ」
ソフィアが蛇腹切りの胡瓜を持ってアコーディオンみたいに左右に伸ばして見せました。
カルネディアが笑い、つられてルカシーちゃんも笑います。
「ソフィア。お行儀が悪いですよ」
私はソフィアを注意しました。
ただしゲンコツを落としたりせず、やんわりと説諭しただけです。
ソフィアがふざけて見せたのは、緊張気味だったルカシーちゃんの気持ちを解す為だという事がわかりましたので。
ただし食べ物でふざけたり遊ぶのは宜しくないので、一応大人の代表として注意はしておきます。
現世最高神の【神竜】の行動を叱れる者は、あまり多くありません。
「ロザリアさんは、お忙しいでしょうが、先端研ではご自身でも何か研究テーマを持っているのですか?」
私は緊張気味のロザリア・ロンバルディアに雑談のネタを振りました。
「そうでございますね……。公務や国家的な研究で色々と忙しいので最近は個人的な研究はあまり手が付かないのですが、幾つかは個人として手掛けております」
ロザリア・ロンバルディアは答えます。
「例えば?」
「最近では【物質転移】や、【リインカーネーション】や、【共通祖先人】や、【相転移装甲】などに関する論文を書きました」
「何というか……随分と多岐に渡る研究テーマですね?」
【物質転移】とか、【共通祖先人】とか、興味を唆られる単語が出て来ました。
「はい。他所の学派からは……節操がない……などと揶揄されます。ただし私共【研聖】一門は……万知を知る……事を究極的な目標にしておりますので、分野には囚われず、あらゆる研究を致します」
「ロザリアよ。その【物質転移】や、リイン……何とかや、小物と何とかや、フェーズ何とかとは何じゃ?説明を求むのじゃ」
ソフィアは言いました。
「【物質転移】とは、それ自体は自我を持たない純粋な物質に自ずから【転移】を行わせる事を指します。つまり、もしも【物質転移】が可能ならば【転移能力者】に頼らず大量の物資を一瞬で遠隔地に飛ばせるので……何かと便利だと考えられています」
ロザリア・ロンバルディアは一部言葉を濁して答えます。
「ふむ。大型爆弾などを敵軍に気付かれず、いきなり敵司令部に【転移】させてドカンッという事も可能な訳じゃな?」
ソフィアは、ロザリア・ロンバルディアがオブラートに包んだ部分をブッチャケて話しました。
「はい」
ロザリア・ロンバルディアは苦笑いして頷きます。
「そんな事が可能なのですか?」
私は疑義を呈しました。
【物質転移】は世界設定上不可能な筈です。
【転移】は運営、又はユーザー、NPCなど自我を持つプレイヤー・キャラにしか行使出来ません。
もしも物質自体の【転移】が可能ならば、正にソフィアが言ったような軍事転用が可能となり、ゲーム・バランスを壊してしまうからです。
例外として【取り寄せ】という遠隔地から物体を引き寄せられる魔法がありますが、アレは予め送り出し側に【魔法陣】を構築しておき【転移】の発動を保留して、受け取り側として自分の近くに転移座標を設置した上で、任意のタイミングで魔力を飛ばして【転移】を起動し物体を受け取るモノでした。
【転移】で飛ばす物体の質量や距離や保留時間などによっては魔力消費が積算的に増えるので、魔力コストが莫大で、あまり実用向きの魔法ではなく、ゲーム時代のユーザー【転移能力者】でも【取り寄せ】を頻繁に使用していた者はいません。
なので私の陣営でも【転送】という、【転移】とは系統が全く異なる魔法で物資の遠隔転送をしていました。
【転送】はゲームマスターである私にしか行使出来ない【超神位】なので、ユーザー同士の公平性という意味におけるゲーム・バランスは壊しません。
つまりロザリア・ロンバルディアが【物質転移】の論文を書くという事は魔法物理学的に不可能で、もしも論文を書いたなら内容が誤っている事になります。
「私の論文は……【物質転移】は不可能である……事を証明したモノです。これは……グレモリー・グリモワールの不可能予想……の本論、及び、その証明を行った私の義妹であるペネロペの論文を応用したモノでございます」
ロザリア・ロンバルディアは説明しました。
「なるほど。不可能である事を証明したのですね?」
「はい。他者が着想した研究の後追いの応用なので、誇れる業績ではありませんが……」
ロザリア・ロンバルディアは謙遜します。
「いいえ。自然科学において任意の事象の法則を解き明かす事と、それが不可能であると証明する事の価値は等価ですから、十分に意味がある業績ですよ」
「ありがとうございます。今夜はオリジナルの……不可能予想……の大命題を世界に投げ掛けた偉大なるグレモリー・グリモワール様にもお会い出来るとの事ですので、楽しみにしておりました」
ロザリア・ロンバルディアは相好を崩して言いました。
いや、まあ、グレモリー・グリモワールと私は元同一自我なので、ゲーム時代にグレモリー・グリモワールが書いた論文は、つまり私が書いたのですけれどね。
「ロザリアよ。まだ我の質問への説明の途中じゃ。他も説明せよ」
せっかちなソフィアが急かします。
「失礼致しました。え〜と……」
ロザリア・ロンバルディアは慌てたのか言葉に詰まりました。
「次は【リインカーネーション】について、でございます」
オラクルがロザリア・ロンバルディアに助け船を出します。
「ありがとうございます。【リインカーネーション】とは……」
ロザリア・ロンバルディアは説明を続けました。
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