第972話。【サハギン】。
【フェサリル】の緑色の海岸。
ビーチの一角に網元幸福丸の幟旗が立つ場所がありました。
そこには日本では運動会やイベントの本部などとしてお馴染みのスチール・パイプの支柱にタープの屋根を載せて設営されたパイプ・テントがあり、沢山の親子連れが集まっています。
如何にもビーチという感じでした。
この砂浜も真夏にはリゾートとして賑わうそうです。
ただし緯度が高いノース大陸で今は晩秋なので、浜風は肌寒いですけれどね……。
私達は、テントの中に入りました。
「すみません。午前中にヘルマンさんに、こちらに来れば地引き網に参加させてもらえると……」
「ああ、旦那さん、いらっしゃい」
テントの中にヘルマンさんがいました。
「よ〜し、沢山魚を獲ってやるのじゃ。マグロとシャチとクラーケンと……」
「うん。チョ〜美味しいヤツね。シャチって美味しいのかな?」
ソフィアとウルスラが燥ぎます。
地引き網でマグロなんか獲れませんよ。
ましてやシャチやクラーケン?
そんなモノが網に入って現れたらビーチが阿鼻叫喚の地獄絵図になってしまいます。
それに、そういうのはフラグになりそうなので止めて下さい。
まあ、シャチだろうがクラーケンだろうが【海竜】だろうが、私達なら【マップ】に表示された瞬間に魔法1発で海の藻屑に変えてしまえますけれどね。
「このメンバーと、後で大人1人と子供1人が合流します」
私はソフィアとウルスラのおバカ・コンビをスルーしてヘルマンさんに言いました。
「はい。奥様とお嬢様ですね?」
「あ〜……はい」
「このライフ・ジャケットがチケット代わりなんですよ。料金を頂いて、このジャケットをレンタルして着て頂くっていうシステムで……」
ヘルマンさんが説明してくれます。
なるほど。
地引き網を引っ張る引手となったお客さん達には後で網に入った魚が配られますが、この幸福丸という屋号がプリントされたレンタルのライフ・ジャケットを返却する際に交換で魚を渡す訳ですね。
そうすれば料金を払っていない人が紛れ込んで無料で魚だけを持って帰ろうとするような不正行為は出来ません。
また、ド派手な蛍光色のライフ・ジャケットを着ていれば、万が一波に攫われても目立ちますし、浮き輪のように浮力があるライフ・ジャケットを着ていれば溺れる事もなく安心です。
合理的なシステムですね。
え〜と、料金は、と。
大人5銅貨。
15歳未満3銅貨。
12歳未満無料。
大人は、私、トリニティ、オラクル、ヴィクトーリアで4名。
カルネディアは子供で無料。
ここまでは良いとして……。
外見が幼稚園児のソフィアは?
【妖精】のウルスラは?
猫っぽい【精霊】のトライアンフは?
「あのう、この娘は【聖格】持ちなので、こう見えて歳が行っているのです。それから、こっちのは【妖精】と猫の【精霊】なのですが?私としては全員大人料金でも構いませんよ」
私はソフィアを【聖格者】と誤魔化して訊ねました。
さすがに【神格者】とは言えません。
観光地引き網に嬉々として参加する神様なんて、意味がわかりませんからね。
「こりゃ〜、驚いた。【聖格者】様と【妖精】と【精霊】ですか?いや〜、そんな方々がお客様になる事を想定してなかったから……どうするかな〜……」
ヘルマンさんは困惑します。
「我は、もちろん大人じゃ。むしろ生まれた時から立派な大人じゃった」
「アタシも立派な大人だよ〜」
「ニャ〜ゴ」
立派かどうかは議論の余地がありますが、結局私は無料のカルネディア以外の大人8名分4小銀貨(40銅貨)を支払いました。
私達はライフ・ジャケットを装着します。
ソフィアとウルスラとトライアンフは、オラクルとヴィクトーリアに手伝ってもらってライフ・ジャケットを着込みました。
ウルスラとトライアンフも、一旦私の内部【収納】にライフ・ジャケットを仕舞って取り出せば、サイズは使用者の身体のサイズにピタリと合うようになります。
それを見てヘルマンさんは驚きました。
アングリ……という表情をしています。
「あっ……私は高位の生産職なので装備品のサイズ調整の【能力】を持っているのです。この2着のライフ・ジャケットは今後半永久的にサイズが着用者の身体に自動で合うギミックが付加されますので、このままサイズが戻らなくなるという心配はありませんよ」
私はヘルマンさんに説明します。
「す、凄い【能力】をお持ちなんですね?防具屋とか洋服屋とかになったら便利そうだ」
ヘルマンさんは唖然としました。
「ええ、まあ……」
とは言え、このド派手な蛍光色のライフ・ジャケットがファッション的にダサいですね……。
いやいや、こういう決まり事は律儀に守るのが日本人です。
それに、そもそも私はファッション・センスなど始めから全く持ち合わせていません。
現実世界の私は40過ぎて基本的にボタン・シャツ、ジーンズ、バスケットボール・シューズという格好。
暑ければヘンリー・ネック・シャツで、寒ければジャケットやパーカーやスタジャンを着るという中高生みたいな服装で通年を過ごします。
一流のプログラマーは仕事中にスーツを着たり、ネクタイを締めたり、革靴を履いたりなんかしません。
静電気とかの問題?
あ、いや、技術的問題ではなく、これは単なる私の独断と偏見です。
別にプログラマーが高級スーツを着たって構わないですし、クライアントに会う時などは私もボスのフジサカさんから無理矢理スーツやらタキシードやらを着させられる事もありますが……。
ああいうのは洗練された美意識がないとキマらないモノなのです。
なので私は基本的に冠婚葬祭以外ではフォーマルな服は着ません。
そうこうしていると、トリニティとカルネディアが【転移】して来ました。
「トリニティ。お疲れ様」
「お疲れ様でございます。ヨハンナ・ラ・フォンテーヌは、看護の目が離れた隙に【スカアハ訓練所】の医務室からいなくなったそうです」
トリニティが報告します。
「どういう事ですか?」
「良くわかりません。おそらく【パディーフィールド・サイド】の【スポーン・オブジェクト】で行方不明になり死亡したと断定されたジョヴァンニ・カンパネルラを探しに行ったのではないか?との事です。ヨハンナ・ラ・フォンテーヌは貸与された装備やアイテム類を全て宿舎に置いて出て行ったので、【スカアハ訓練所】としては慌てて捜索して連れ戻す必要もない、と。ジョヴァンニ・カンパネルラを探して気が済めば自分で戻って来るだろうという事です」
「あ、そう。ならば特に何も問題はないのですね?」
「はい」
「わかりました」
私はトリニティからの報告を聞いて、一応ヨハンナ・ラ・フォンテーヌの行方を追跡する為に張り付けておいた【スパイ・ドローン】の【キー・ホール】を撤収させました。
トリニティとカルネディアもライフ・ジャケットを着て準備万端。
いよいよ地引き網が始まります。
地引き網とは沖に網を張り、網の両端を浜辺に引き揚げて漁を獲る沿岸漁法。
網の片方の端を1艘の船で張って岸に引き揚げる片手廻しの地引き網と、2艘の船で両側に引き張って岸に揚げる両手廻しの大地引網があるのだとか。
海底がゴツゴツしている岩礁やサンゴ礁では網が破れたりサンゴを傷付けるので基本的には遠浅の砂浜で行われます。
おや?
沖に小舟が浮かんでいますが、あんな小さな舟では水の抵抗で重くなる網を引けるとは思えません。
「ヘルマンさん。網を流す船は?」
私はヘルマンさんに訊ねました。
「網の手繰りと、魚の追い込みは彼らに頼ります」
ヘルマンさんさ言います。
「彼ら?」
ああ、【マッピング】の表示で理解しました。
沖合には複数の光点反応が……。
【サハギン】です。
【サハギン】は代表的な【魚人】族で、半魚人的な外見をしていました。
【サハギン】は、【人魚】族の【マーメイド】や【セイレーン】のように強靭な脚ヒレがないので、泳力や水中機動の俊敏さはありません。
ただし天然の鱗鎧とも言うべき固い鱗を持つので【人魚】族に比べて防御力が高く、海の重装兵と呼ばれていました。
また膂力もあるので泳ぎながら網を引くくらいの事は簡単にやり熟すでしょう。
「【フェサリル】の沿岸漁業は、古くから【サハギン】と協力して行われているんですよ。彼らは漁を助けてくれるだけでなく、海生の魔物からも守ってくれる頼もしい仲間です」
ヘルマンさんが説明しました。
なるほど。
「ふむ。で、陸生人種の漁を手伝って【サハギン】は何を得るのじゃ?もしも安い賃金でコキ使われるような不当な扱いを受けているとしたら、断じて見逃せぬのじゃ」
ソフィアが訊ねます。
ソフィアは海洋の守護竜でもありますから、海生人種の扱われ方が気になるのでしょうね。
もしかしたら陸生人種に不当に搾取されるような不利な労働を強いられているかもしれません。
「お嬢ちゃん……じゃなかった、【聖格者】様。もちろん正当な賃金を支払っていますよ。【サハギン】は漁業だけでなく、護衛として海洋航路の安全を守ったり、海上建築物の海底の基礎部分の工事を担ったり、難破した船から乗客や乗組員を救助したり、もしも危険な海生の魔物が現れた時には援軍として戦ってくれたりした対価で報酬を得ます。そうやって稼いだ通貨で【サハギン】を始めとする海生人種は陸でしか買えないモノ……例えば家畜の肉や穀物や調味料や雑多な品物を買うんです。稀には上陸して【フェンサリル】などの街に住み着き、家を買う者もいますね。甥っ子の学校にも【サハギン】や混血の同級生がいます。優秀で頼りなるダイバーの【サハギン】は港街では引く手数多ですから高給取りですし、俺達漁業関係者や船乗りは親戚や身近な同業者に1人や2人は【サハギン】に海難救助してもらって命拾いしたり、海生の魔物から守ってもらった者がいますから、【サハギン】は好意的に思われています。内陸の方じゃ【魚人】や【人魚】に偏見を持ったり差別する連中もいるようですが、ここいら辺りでは【サハギン】達は身内だと思われています。実際に【サハギン】や【セイレーン】と結婚して本当の身内になる者も結構な数いますからね」
ヘルマンさんは説明しました。
「ふむふむ。【人魚】や【魚人】が同じ人種として公正に扱われておるのなら喜ばしい事じゃ」
ソフィアは満足気に頷きます。
しばらくすると網の先に繋がるロープを引っ張って数人の【サハギン】が海の中から揚って来ました。
30m程離れた場所からも、もう1組……。
「入りはどうかな?」
浜にいた漁師さんが【サハギン】の1人に声を掛けます。
「大入りだよ。シーズンの終わりにしちゃ〜、異例の大漁だ。イエロー・テイルも何本も入っている。きっと今日のお客さん達は強運なんだろうさ」
【サハギン】の男性が答えました。
「そいつは凄い」
漁師さんが驚きます。
イエロー・テイルというのは鰤やカンパチやヒラマサなんかの総称ですね。
そんな大物で、ましてや回遊魚が地引き網なんかに入るのですか?
漁師さんが驚いているので珍しい事なのでしょう。
強運と言えば、私とソフィアは【天運】持ち。
地引き網の漁果にも【運】値が関係するのでしょうか?
「それからブロードビル・ソードフィッシュが1本入っているから気を付けてくれ」
【サハギン】の男性が言いました。
「メカか?何でまた、そんなモンが?」
漁師さんは再び驚きます。
「獲物を追って岸近くまで迷い込んだんだと思うが……。アレだけは銛を撃ち込んで仕留めておくか?」
「ああ、さすがにメカなんかが暴れたら怪我人が出るどころの騒ぎじゃないからな。頼む」
「わかった」
【サハギン】の男性は仲間の【サハギン】数人を引き連れて海に入って行きました。
ブロードビル・ソードフィッシュとはメカジキの事ですよね?
地引き網にメカジキ?
意味がわかりません。
カジキは吻と呼ばれる上顎に相当する部位が長く伸びているので剣に擬えて、剣フィッシュと呼ばれます。
カジキの仲間は高速で泳ぎ性格は存外に獰猛で、猛スピードで突進して鋭い吻を鯨やサメに突き刺し殺してしまう事すらありました。
そんなのが網に入っていたら確かに危ないどころでは済みません。
ザッパーーンッ!
……と、300m程沖でデカい魚がジャンプしました。
メカジキです。
目算で20mくらいありました。
とんでもないです。
「ほ〜う。大物じゃな」
ソフィアが平然と言いました。
しかし、周りの親子連れは唖然としています。
「え〜、皆さん。ただ今ウチに所属する【サハギン】の戦士達が、あのメカジキを仕留めてご覧にいれますので、ご安心下さい」
漁師さんは言いました。
ザバーーンッ!
また、メカジキがジャンプします。
メカジキの背中には銛が撃ち込まれていました。
先程の【サハギン】達の手によるのでしょう。
程なくして、鰓蓋にロープを通して巨大なメカジキを担いだ【サハギン】達が砂浜に揚って来ました。
「わ〜っ!」
「凄い」
「おっき〜お魚だ」
「【サハギン】さん達、強いね〜」
「カジキだよ!」
「でっけ〜な、おいっ!」
「マジか!」
「おーーっ!」
パチパチパチパチ……。
地引き網の参加者だけでなく、メカジキのジャンプを見て砂浜に集まって来た群衆が【サハギン】の勇姿に拍手を送ります。
やがて、ある程度網が岸に手繰られてから、私達お客がロープを引く事になりました。
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