第952話。教育ママ、トリニティ。
【フェンサリル】の市街地。
トリニティをテレビ番組にレギュラー出演させる事を、ミネルヴァが企画しました。
これは人種から恐れられる【魔人】であるトリニティのイメージ・アップの広報戦略。
身も蓋もなく言えば、大衆の印象を操作する目的のプロパガンダですね。
この世界では(【神格者】以外の)NPC知的生命体は生まれ付きのデフォルトの状態で、基本的にゲームマスターやミネルヴァや守護竜やユグドラなどの【神格者】を崇敬・畏怖するように設定されていました。
つまり何も情報がないニュートラルな状態で【神格者】の存在を知った(【神格者】以外の)NPC知的生命体は、自然に【神格者】を……自分より上位に君臨する高次元存在……つまり神として認識するようになるのです。
これは本能に刷り込まれた根源的思考原理としてプログラムされているので、(【神格者】以外の)NPC知的生命体の側が自然体で無意識で精神的に無防備な状態ならば、私や守護竜など【神格者】の意向は、(【神格者】以外の)NPC知的生命体にとって正しく神の啓示として働きました。
しかし、この世界の(【神格者】以外の)NPC知的生命体が【神格者】に対して本能として抱く原初的で素朴な信仰心や畏怖心は、ミームによって打ち消される場合があります。
ミームとは……生物や生命体の脳内や記憶機能、あるいは彼らのコミュニティが用いる文字などの外部メモリーに記録・蓄積され、他の脳や記憶機能や外部メモリーに複製する事が可能な情報の事。
つまり任意の(【神格者】以外の)NPC知的生命体が、例えば物心付いたばかりの子供や幼生体に対して意図的且つ繰り返し、【神格者】を忌み嫌い憎み害意を向けさせるように教育・誘導・洗脳すれば……【神格者】は崇敬・畏怖すべき存在だ……という本能を……【神格者】は敵だ……というミームによって書き換えて、私や守護竜など【神格者】に対して積極的に害意を向けたり敵対する個体や集団を作る事も可能なのです。
という事は、これを逆に利用して、本来なら人種NPCの種族的な【敵性個体】として位置付けられている【魔人】のトリニティに対して……トリニティは【魔人】ではあるが、【敵性個体】ではない特異な個体なのだ……というミームによって上書きする事も出来る筈。
また、そもそもトリニティがゲームマスター代理である事を知らない大衆が多いので、テレビ番組への出演によってトリニティの顔と名前とゲームマスター代理という職位にある事を広く世間に知らしめる意味もあるのでしょう。
トリニティがゲームマスター代理だという事を人種コミュニティに周知出来れば、トリニティの存在が人種社会に存在感を示し【世界の理】違反へ抑止力ともなるのです。
この存在感というモノは存外馬鹿に出来ません。
交通事故が多発する交差点に警察官が立っているだけで事故が激減するそうです。
警察官の取締りで罰金や違反切符を切られたくないので交通違反が減るというのは理解が簡単ですが、交通違反に依拠しない事故も減るのだとか。
つまり警察官の存在が違反だけでなく、不可抗力による事故も抑止しているのです。
ミネルヴァによるトリニティのテレビ番組へのレギュラー出演企画……トリニティ・プロデュース……も同じような意図を含むのでしょうね。
閑話休題。
私とトリニティとカルネディアは【フェンサリル】の市街地を歩いています。
カルネディアは興味が尽きない様子で、ずっとキョロキョロしていました。
それは当然でしょう。
カルネディアは、人里離れた深い森の中で数人ないしは孤独で生きて来たので、沢山の人々が行き交う街というモノが珍しいのです。
私とトリニティは、カルネディアと話しながら……あれは何?何で?どうして?……というカルネディアからの素朴な質問に答えました。
カルネディアは森の中で生まれ育った自然児で、大人に育てられた経験はないのですが、存外に教養の程度は低くありません。
基本的な読み書き計算は出来ますし、見た事がない筈の事物についても定義や概要を説明すれば、ほぼ誤解なく理解出来てしまいます。
これは【魔人】のカルネディアが、そもそも知性が高い事、カルネディアが姉と呼ぶ【誕生の家】で一緒に育った今は亡き2人の年長者達から教えられた事、カルネディアはトリニティとパスが形成されたのでパスを通じて知識を得られる事に加えて、カルネディア自身が誰からも教えてもらわずに生まれ付き備えていた知識に依りました。
カルネディアに生まれ付きの知識をプログラムしたのは【創造主】です。
おそらく【誕生の家】の仕様が、元々そのようになっているのでしょう。
【シエーロ】の【知の回廊】中枢には、【知の回廊の人工知能】が造ったクローン製造工場がありました。
クローン製造工場は、大きく2つの設備からなります。
生殖細胞を培養したクローン胚を自然界の生物の成長速度より早く成長させるのが……神の子宮……と呼ばれる【培養器】。
ある程度育ったクローン【天使】達に広範な知識や教養を与えるのが……神の揺りかご……と呼ばれる【保育器】。
この2つの設備によって、クローン【天使】達は5年という短期間で大人に育ち【培養器】を経て【保育器】から出た直後から、既に優秀な兵士として活動可能でした。
最短なら僅か1年で成体のクローン【天使】を作れるそうです
ただし【保育器】での教育・学習が不十分な場合、クローンの知性や情緒や精神に異常が起きる可能性が高いらしいのですが……。
現在、私は生命倫理的な問題とクローンの人権上の懸念を鑑みて【シエーロ】ではクローン製造工場の稼働を原則禁止していますが、例外的に【サントゥアリーオ】では【シエーロ】から移設された大量の【保育器】設備によって、旧【ウトピーア法皇国】が奴隷にしていた人達の育て直し事業が行われています。
【ウトピーア法皇国】は唯一神信仰という偽教・邪教の教義に基づき、【人】以外の異種属や政治犯や異端と決め付けた罪なき人達を奴隷として【魔力子反応炉】に繋ぎ魔力を吸い取る動力源にしていました。
【ウトピーア法皇国】によって【魔力子反応炉】に繋がれた人達の大半は、奴隷にされた人達を意識がない状態で繁殖・出産させ数を増やした……言わば、試験管ベビー達だったのです。
つまりは【魔力子反応炉】で魔力を吸い取る目的の為だけに産み育てられ、死なないように栄養を与えられ意識がない状態で、ずっと眠らされている人達。
この人達は全く教育されていないので、人種がコミュニティの中で生きて行く為に必要な最低限の知性や情緒や教養や社会性すら全く持ち合わせていませんでした。
なので、そういう人種コミュニティの中で生きる為に必要な教育を、【保育器】の機能によってやり直しているのです。
【誕生の家】も、この【保育器】と同じような機能を有しているのだと思います。
もちろん【知の回廊の人工知能】が造った【保育器】より、【創造主】が創った【誕生の家】の方が圧倒的に高性能ですけれどね。
【知の回廊の人工知能】が造った【培養器】と【保育器】は、私やミネルヴァならリソースさえ揃えれば同じ機能で更に高性能なモノが造れますが、【創造主】が創った【誕生の家】は、もはや私やミネルヴァでさえ解析不可能な謎技術が使われていますので。
なので【誕生の家】で生まれたカルネディアは、既に幼い子供のレベルとしてならば社会に適応出来る最低限の素養と情緒を持っていました。
端的に言って、カルネディアには全く手がかかりません。
私とトリニティはカルネディアの保護者になりましたが子育てチートを使っているようなモノで、世の中の子育て家庭からクレームが来そうです。
先程からカルネディアは見るモノ、聞く事、全てが物珍しくて仕方がないという素振りで目をキラキラさせて周囲を眺めていました。
「マイ・マスター。カルネディアの教育について考えてみたのですが……」
トリニティが言います。
「ああ、それは私にも少し考えがあります。とりあえず落ち着いたら、カルネディアを【竜都】の国立学校初等部に入学させる予定です」
当初ミネルヴァとトリニティは……カルネディアは【ファミリアーレ】に入れて冒険者にしてしまえば良い……と考えていました。
しかしカルネディアは、まだ10歳。
私としては義務教育年齢の子供を危険が伴う冒険者にするのには少し忌避感があります。
もちろん、世の中には自分の将来を選ぶ余裕がなくて生きる為に他に選択肢なく冒険者や他の職業に就く人達も沢山いました。
それから本質的に職業には貴賎などないので、どんな仕事でも社会には必要ですし、優劣や善し悪しなどもありません。
ただし口幅ったいようですが、私は、こちらの世界では社会的地位も財産も持っています。
つまり私が保護者をするカルネディアは……【神格者】の養子……という他に比較出来る子供がいない程に恵まれた幸運な境遇でした。
端的に言えば、カルネディアは将来の人生設計について選択肢が沢山あります。
なので、私はカルネディアを敢えて危険な職業に就かせるつもりはありません。
極端な話、カルネディアは一生働かなくても何不自由なく暮らしていけるでしょう。
ただし私は収入と労働は別問題と考えていますので、仮に働かなくても生活に支障がないとしても、健康な人は何かしら労働をして社会の中で役割を果たすべきだと思います。
それは営利には繋がり難い学術研究や芸術や文化などの分野を自ら行ったり、パトロンとして研究者や芸術家や文化人を庇護しても構いません。
また資本家として投資によって経済を回しても良いでしょう。
ボランティアなどの慈善事業だって立派な社会的経済活動です。
もちろんカルネディアが……どうしても冒険者になりたい……と望むなら、それを後押ししてあげますけれどね。
とにかく私は、とりあえずカルネディアには学校に通わせるつもりです。
グレモリー・グリモワールも養子であるフェリシアとレイニールを年明けから【竜都】の国立学校に転入させる予定でした。
レイニールはカルネディアと同い年なので、もしかしたら2人は同じ学校に通ってクラスメイトになるかもしれません。
【ドラゴニーア】の国立学校には入試があり、毎年かなりの倍率になる難関です。
ただしカルネディアは幼いながら魔法を得意とする【ゴルゴーン】で、森でのサバイバル生活の結果、既に高度な詠唱魔法を操れる【魔法使い】ですのでペーパー・テストは白紙答案に名前を書くだけでも合格出来る筈。
「私は、その先の将来の事を考えているのです」
トリニティは言いました。
「その先?つまりカルネディアが学校を卒業して社会に出た後……という意味ですか?」
「仰せの通りです」
「なるほど」
「マイ・マスターのご許可が頂けるなら、私はカルネディアを将来ゲームマスター代理代行にしたいと考えております。その為に必要な英才教育を今から行いたいのです」
ん?
どうして、そうなる?
「色々と訊ねたい事はありますが、とりあえずトリニティの考えを聞きましょう。続けて下さい」
私はトリニティの言葉に引っかかりを感じながら、話の先を促します。
「はい。カルネディアは偶然によってマイ・マスターの養子となり、他者との比較であり得ない程の恵まれた境遇を手に入れました。既にマイ・マスターは、カルネディアが成人した時にはご自身の個人資産の応分をカルネディアに贈与する法的な手続きをしております。更にミネルヴァ様から教えて頂いた情報によると、有史以来【神格者】の養子になった非【神格者】などは1人もおりません。ましてやマイ・マスターは【神竜】様と並ぶ現世最高【神格】たる【調停者の首座】で在らせられます。単なる幸運によって、このような過分に高貴なる身分と、成功が約束された将来を得られたカルネディアには、当然その巨大な既得権に対する相応の責任と義務が生じます。つまりカルネディアは……高貴なる者が負うべき義務……を果たさなくてはいけません」
トリニティは決然として言いました。
「その考えは飛躍のし過ぎではありませんか?私がカルネディアを正式な養子としたのは私の気紛れであって、カルネディアが望んだ事ではありません。まだ未成年のカルネディアに、今からそのような重い十字架を背負わせる必要も時期でもないのでは?また、ゲームマスター代理代行職は誰でも成れるという役割ではありません。能力もさる事ながら、時と場合によっては、ゲームマスター本部の取締りの延長線上には、人種や【魔人】や【知性体】や魔物など、知的生命体の滅殺という職務的な執行も存在します。【世界の理】の重大な違反を犯せば、滅殺対象は自分の家族や恋人や親友になる可能性だってあるのです。それは言わば……修羅の道。簡単に行えるような事ではありません。将来大人になったカルネディアが自発的に……ゲームマスター本部で働きたい……と言うのであれば、ゲームマスター代理やゲームマスター代理代行、あるいは単にゲームマスター本部のオフィス・スタッフとして働いてもらう可能性は排除しませんが、まだ子供のカルネディアに対して、そのような過酷な職責を強いるのは、どうかと思います」
「カルネディアには既に……あなたは将来ゲームマスター代理代行になるのだから、一生懸命に必要な知識と技術を身に付けなければいけない……と言って聴かせております。【魔人】は知性が高いので、カルネディア自身、それがどんな意味を持つのか理解して覚悟を決めております。これに関してはミネルヴァ様も、私と同じ考えです。カルネディア、あなたも、それを了解しましたね?」
トリニティはカルネディアに訊ねました。
「うん。ノヒト様のお役に立てるように、ママとミネルヴァ様の御言付けを守って一生懸命に勉強します」
カルネディアは屈託なく頷きます。
「いや、しかしですね……。カルネディアも、今から、そんな将来設計に従う必要はありませんよ。私はカルネディアには伸び伸びと憂いなく成長して欲しいのです」
「マイ・マスター。これは必要な事でございます。もしもマイ・マスターの養子であるカルネディアが甘やかされて育ち、将来働きもせずワガママ勝手に安穏として生活していたら、それを見た大衆はどう思うでしょうか?きっとゲームマスター本部への信用と、マイ・マスターの御威名が毀損されてしまいます。もちろん将来カルネディアがゲームマスター代理代行に相応しくないとマイ・マスターがご判断になれば、その時はカルネディアの処遇はマイ・マスターのご裁可に一任致す事は当然でございます。しかし、ミネルヴァ様と私で、その為の準備をするご許可は下さいませんか?少なくとも……カルネディアは来るべき将来に向けて責任を果たす為に必死に精進している……という姿勢を示さなければ、幸運によって過分な恩恵を受けるカルネディアに対して、大衆の不信感や嫉妬は払拭出来ないでしょう」
「それは、そういう事もあるかもしれませんが……」
そもそも私は子供の将来を、大人が強制する事が嫌いなのですよね……。
少なくとも私の両親は、そうしませんでした。
チーフ……この措置はカルネディア自身の為でもあります……カルネディアはチーフの養子となり幸運によって恩恵を受けたが、同時に相応の努力もしているという事実があれば、世の中からのカルネディアへの妬みや羨みは相対的に減らせます。
ミネルヴァが【念話】で伝えて来ます。
確かに、ミネルヴァの話には蓋然性がある事を認めざるを得ません。
「ノヒトお父様。私は頑張れます」
カルネディアが言いました。
おっふ……。
お父様と来ましたか……。
当初カルネディアは、私を……ノヒトおじさん……と呼んでいて、その後トリニティによって……ノヒト様……という呼び方に矯正されています。
しかし今回は、お父様。
攻撃力が高い……。
トリニティがカルネディアに……そう呼びなさい……と【念話】で伝えていましたが……。
「……わかりました。あくまでも最終的には私が決めて良いのであれば、1つの可能性として、カルネディアをゲームマスター代理代行などにする将来もあり得るという前提で必要な教育を受けさせる事は許可します」
「仰せのままに致します。カルネディア、将来ノヒトお父様のお役に立てるように頑張りましょうね」
トリニティは言いました。
「うん……あ、はい、わかりました、ママ」
カルネディアは無邪気に頷きます。
お読み頂き、ありがとうございます。
もしも宜しければ、いいね、ご感想、ご評価、レビュー、ブックマークをお願い致します。
活動報告、登場人物紹介&設定集もご確認下さると幸いでございます。
・・・
【お願い】
誤字報告をして下さる皆様、いつもありがとうございます。
心より感謝申し上げます。
誤字報告には、訂正箇所以外のご説明ご意見などは書き込まないようお願い致します。
ご意見ご質問などは、ご感想の方にお寄せ下さいませ。
何卒よろしくお願い申し上げます。