第94話。閑話…大神官付き筆頭秘書官の日誌。
今話で第1章は完結です。
次話から第2章がスタートします。
私は、チェレステ。
でも、誰も私をチェレステとは呼ばない。
家族と離れて竜城暮らしだし、職場のみんなは私を役職名で呼ぶからだ。
私の役職は、アルフォンシーナ様直属の筆頭秘書官。
セントラル大陸に、秘書官は数多いれども、アルフォンシーナ様直属の筆頭秘書官たる私は、全ての秘書官の頂点に立つ存在。
そう、秘書官の中の秘書官。
セントラル大陸で、秘書官といえば、それ即ち、私の事だ。
それは、ちょっと誇らしい。
だから、名前のチェレステではなく、秘書官とか、秘書官さんとか、秘書官様とか、呼ばれる事は、嬉しく思う。
秘書官の仕事は、アルフォンシーナ様が携わる、ありとあらゆる公式文書の発行と管理……そして、アルフォンシーナ様の公務に常に随行しての、お手伝いと、書記役だ。
それと、もう一つ。
秘書官には、重要な任務がある。
竜城日誌を記録する事だ。
竜城日誌とは、公務に関わる全て、また、【ドラゴニーア】で起きた毎日の出来事の全てを記したメモ。
これが、歴史編纂局に回され、清書され【ドラゴニーア】の正式な歴史として永久保存される。
つまり、私の書いたメモが【ドラゴニーア】の正史となるのだ。
私の役職は、秘書官。
そして、もう一つの重大な役割がある。
私は、一応、アルフォンシーナ様の次代の大神官になる候補者となっているのだ。
もちろん、【聖格者】であられるアルフォンシーナ様は、長命。
だから、順当ならば、アルフォンシーナ様より先に私の寿命の方が早く尽きる。
私は、あくまでも、万が一の時の後継者候補。
万が一なんて事は、起きないに越した事は、ない。
アルフォンシーナ様の身に何か起きるなんて、考えるだけで、不謹慎。
でも、国家の中枢たる大神官の座を空白にしては、いけないから、念の為に私が用意されている。
つまり、私はスペアパーツみたいな存在。
格で言えば、私は単なる【高位女神官】。
私の上には、神官長のエズメラルダ様がいらっしゃる。
でも、私がアルフォンシーナ様の後継者の筆頭。
当代の【高位女神官】の中では、私が一番適性を持っているからだ。
責任重大。
身が引き締まる。
いや、弱音を吐けば、今にも重圧で押し潰されそう。
秘書官の仕事は、いわば帝王学の実地訓練という側面がある。
つまり、アルフォンシーナ様が担われている、ありとあらゆる公務に同席して、その仕事を覚えさせる、という意味。
9月1日、世界を揺るがすような大事件が起きた。
それが起きたのは、午前のお祈りの時間。
昨夜は、新月。
国内に4つある【竜の住処】から、生まれた【古代竜】との激闘で、昨夜、22人の兵士が亡くなってしまった。
重軽傷者は、851人。
私達は、寝ずに治療に当たっていた。
睡眠不足と疲労で、頭がボーッとしている。
だから初め、その現象は幻覚なのだろうと、思っていた。
でも、それは現実。
何の前触れもなく、礼拝堂に1人の男性が降臨あそばしたのだ。
その方は、純白のローブをたなびかせて、立っている。
見惚れてしまった。
白磁のような肌、漆黒の髪と瞳。
磨き上げられた大理石のように作り物のような静謐さと、生命が溢れるような躍動感を併せ持つような、不思議な方だった。
「あ、あわわわ……」
【女神官】の一人が正気を取り戻したように狼狽し始めた。
「降臨の魔法陣から、人が!」
別の【女神官】の一人が声を上げる。
「あれは、【創造主の紋章】まさか……」
アルフォンシーナ様が、【調停者】様の、お召し物を見て言った。
「ちょ、【調停者】様だ、【創造主】様の御使が降臨された!」
エズメラルダ様が大きな声を上げる。
「おお、【調停者】様。どうか、天空の支配者、【神竜】様を復活させて下さいませ」
【女神官】の一人が、【調停者】様に向かって祈りを捧げ始めた。
私達は、条件反射のように、跪いて、祈りを捧げる。
【創造主】様の御使である【調停者】様。
見かけ上の種族は、【人】に見える。
でも、この方は、【神格者】。
アルフォンシーナ様よりも、高貴な、お方なのだ。
【調停者】様は、先ほどから、ゆっくりと周囲を眺め、一言も、お言葉を発しない。
空気が凍ってしまったように、緊張感が漂う。
誰も、動けない。
当然だ。
私達は、今、正に、本物の神の一柱と対面しているのだから。
【調停者】様は、微動だにしない。
まるで、彫刻のように、泰然として、佇んでいた。
美しく涼やかな微笑みを薄く浮かべ、何やら思案している。
【調停者】様は、時折、クルッと視線を巡らして……。
あ、目が合った。
【調停者】様の視線に射すくめられ、私は、何だか気恥ずかしいような気持ちになる。
「あ、あのう、【調停者】様?」
アルフォンシーナ様が、意を決したように声をかけた。
「教えて欲しいのだけれど、ここは竜都【ドラゴニーア】だよね?」
【調停者】様は、質問する。
「はい。世界の中心。【ドラゴニーア】に相違ございません」
アルフォンシーナ様は答えた。
「あ、そう。【神竜】とは、この世界のヒエラルキーの頂点に君臨する中立キャラ、このロゴにも意匠が施された、【ディバイン・ドラゴン】のことだよね?」
【調停者】様は、質問する。
「はい。【調停者】様の、聖衣に刻印された紋章は、【神竜】様のお姿に相違ないかと」
アルフォンシーナ様は答えた。
「だとすれば、顕現させるには、条件があるんだけど。知らないの?」
【調停者】様は、言う。
「いえ、存じております。言い伝えによれば、礼拝堂の八つの角にある、竜の彫像を中央に向けることで、【神竜】様は、顕現なさいます」
アルフォンシーナ様が説明した。
「なら、動かせば良いじゃん」
【調停者】様は、さも当然のように言う。
「はい?」
アルフォンシーナ様は、キョトンとした表情で声を発した。
アルフォンシーナ様の気持ちはわかる。
どうやって、動かすの?
【神竜】様の像は、その巨大さもさることながら、床に完全に一体化していて、隙間すらない。
動かせるようには作られていないのだ。
「彫像を動かせば……あ、そうか」
【調停者】様は、何か考え込んだ。
何か思い出した、というような様子。
「そうか、なるほど。なら、私が、【ディバイン・ドラゴン】を復活させたげるよ」
【調停者】様は、事もなげに言う。
それが出来るなら、既にやっている。
酷く間の抜けたような事を、仰る方だ。
でも、神とは、このように浮世離れした方なのだ、と妙に納得してしまう。
【調停者】様は、おもむろに、八角形の礼拝堂の、それぞれの頂点に立つ竜の彫像を、中央に向けて動かし始めた。
え?
数百トンは、あろうかという、巨大な彫像が片手で軽々と動いている。
床と一体化しているはずなのに……。
途轍もない力だ。
さすがは神という事か?
すると。
ゴゴゴゴゴ……。
空間そのものを揺さぶるような振動と共に、礼拝堂の中央に描かれた魔法陣から光が放たれ始めた。
「じゃ、そういう事で……」
【調停者】様は、踵を返して歩き出す。
何だか、使命を果たした感満載の清々しい、お顔をされていた。
「え?【調停者】様、どちらへ?」
アルフォンシーナ様が、お声をかける。
「ちょっと、食事に……」
【調停者】様は、スタスタと歩いて言ってしまわれた。
「はい?」
アルフォンシーナ様は、小走りで追いかける。
「ご飯を食べて来ます」
【調停者】様は、きっぱりと宣言して、礼拝堂から立ち去ってしまわれた。
ええーーっ!
ゴゴゴゴゴ……ビカーーッ!
【調停者】様が、仰った通り……【神竜】様が、現世に降臨、あそばされた。
「数多の試練を乗り越えし者よ。我が名は、【ディバイン・ドラゴン】。我を復活させし、その力を認め、大いなる恩寵を与えよう」
【神竜】様は、荘厳な、お姿で佇んでおられる。
「「「「「我らが神よ」」」」」
私達は、跪いて祈りを捧げた。
「【神竜】様……実は……」
アルフォンシーナ様が言い淀む。
それは、そうだ。
【神竜】様の呼びかけの相手が、現世神としては最上位に在らせられる【神竜】様を放置して、食事に出かけてしまわれた、などとは説明出来るはずがない。
しかし、【神竜】様は、アルフォンシーナ様の、お考えを読み取れる。
パスが繋がっているからだ。
「【調停者】がのう……あいわかった。ともかく、連れて参れ。でないと話が進まぬ。だが、丁重に遇するのだ。相手は【調停者】。一国を上回る戦闘力を有する。敵対すれば、我とて敵わぬやもしれぬ。やんわりと丁寧に接遇して、けして、害意を向けてはならぬぞ」
「か、畏まりました。レオナルド、聞いていましたね?【調停者】様を、丁重に扱い、お連れしなさい」
アルフォンシーナ様は、近衛竜騎士団の団長、レオナルド様に、お命じになる。
「はっ!」
レオナルド様は、竜騎士団の最精鋭を引き連れて退出して行った。
ゴゴゴゴゴ……。
ほどなくして、【調停者】様が戻られた。
先ほどとは違い濃紺のローブを身に纏っている。
「戻ったか、数多の試練を乗り越えし者よ。我が名は、【ディバイン・ドラゴン】。我を、復活させし、その力を認め、大いなる恩寵を与えよう」
【神竜】様は、先ほどと同じ御言葉を発された。
「いや、いらないんで」
【調停者】様は言う。
「そうか……。は?今、何と?」
「いや、クリアボーナスは、私の持っている能力より、劣るので必要ないよ。強いて言えば、活用の機会があるのは、莫大な通貨、くらいかな」
「よし、ならば、莫大な通貨、を授けよう」
「いや、いらないから。【ディバイン・ドラゴン】は、クリアボーナスを渡したら、また休眠しちゃうじゃん。お前は、【ドラゴニーア】の守護竜だろ?せっかく顕現したんだから、しばらく、【ドラゴニーア】の民の為に働けば?」
「そうは、言われても、我は、試練を乗り越えし者に、恩寵を授けるのが、使命なのだ」
【神竜】様が、少し困ったように言った。
「ねえ、神官のお姉さん?」
【調停者】様が、アルフォンシーナ様に声をかける。
アルフォンシーナ様を、お姉さん呼ばわり……。
通常なら、無礼極まりない言葉だが、相手は神の1柱。
神からすれば、【聖格者】でさえ、ただの、お姉さん、なのかもしれない。
「は、はい。何でしょうか、【調停者】様?」
アルフォンシーナ様は、お応えになった。
アルフォンシーナ様は、おそらく、この数百年、こんなに砕けた口調で、誰かに話しかけられた事はないだろう。
「あなた達は、【ディバイン・ドラゴン】に、現世に留まって、守護竜として、君臨していて欲しいんじゃない?」
【調停者】様は、言った。
もちろんだ。
私達、神竜神殿の【女神官】は、全員、【神竜】様の使徒。
使徒とは、お仕えする方に、人生も生命も魂も、全てを捧げる事を誓った者。
その全てを投げ出した対価として、【神竜】様の恩寵により、強大な魔力と魔法適性を与えらるのだ。
私達の望みは、【神竜】様に、身も心も捧げて、お仕え申し上げる事。
【神竜】様が、現世に在り、私達の上に君臨して下さる事に勝る喜びはない。
「それは、もちろんですが、この世界の理を、変えるのは、如何なものかと……」
アルフォンシーナ様は言った。
「私が許可しますよ」
【調停者】様は、呆気なく言う。
「【調停者】様が?」
「うん。この際、【ディバイン・ドラゴン】は、ユーザーにクリアボーナスを渡しても、休眠しない設定に変更しましょう。そもそも、私はユーザーではありません。礼拝堂の彫刻の動きだけを、イベント発動条件にしたら良いでしょう?」
【調停者】様の仰った事の半分はよくわからなかったが、とにかく、それは可能な事であるらしい。
「ノヒト・ナカよ。その願い聞き届けよう」
【神竜】様は、高らかに宣言した。
ノヒト・ナカ……様?
どうやら【調停者】様の、お名前であるらしい。
【神竜】様は、膨大な魔力を、何か衣でも纏うように、その御身体に巻き付けながら、縮んで行く。
シュルルル……ポンッ。
そこに在わしたのは、艶やかな黒髪に、透き通るような白い肌をした、幼い【人】の、ご容姿の姫君でした。
「真の姿に現身しておると、魔力が垂れ流しになって、周りの者達が困るであろう。現世に留まるとなれば、人の姿に化身した方が、何かと都合が良かろう?」
小さな、お姿となった【神竜】様は仰った。
確かに、あの雄大な、お身体で、お過ごしあそばされるには、竜城の建物は、些か小さい事は否めません。
「どうじゃ、ノヒトよ。至高の叡知を持つ我は、とても賢いのじゃ」
【神竜】様は、エッヘン、とばかりに平らな胸を張って仰った。
少しだけ、微笑ましい、などと考えてしまった。
いけない、いけない。
そんな不敬な考えは、してはダメだ。
どのような、お姿であれ、【神竜】様は、至高の叡智を持つ、我らの神で在らせられるのだから。
「【ディバイン・ドラゴン】、人化するなら、服を着なさい」
【調停者】様は、少し咎めるような口調で、ご注意あそばして、【神竜】様に、お召し物を、お渡しになった。
正に、天上の美を具現化したような、見事な聖衣。
後で聞いたら、【女王の礼服】というらしい。
天上の国【シエーロ】に生息するという天蚕の吐く糸で織ったという純白のローブモンタントに、オリハルコンの鉱糸で刺繍が施され、大粒の宝石が散りばめられた、贅を極めた至高の逸品。
ティアラ、靴、下着も……どれもこれも、神に相応しい至宝と呼べるほどの物ばかり。
「【神竜】様、お着せして差し上げます。こちらへ、お越し下さいませ」
エズメラルダ様が跪いて、【神竜】様に、手を差し伸べられた。
「うむ。頼むぞ」
【神竜】様は、エズメラルダ様の手を握って歩き出す。
「さてと、ご飯は、まだですか?私は、食事を用意してくれる、という約束で、ここに戻って来たのですよ」
【調停者】様は、仰った。
「はい。ただいま準備しておりますので、今しばらく、お待ち下さい」
アルフォンシーナ様が言います。
「あなたが、大神官?」
【調停者】様が仰った。
「はい。アルフォンシーナと申します」
「因みに、【ディバイン・ドラゴン】には、名前があるの?」
「いいえ。【神竜】様は、この世界に、ただ一柱の、お方ですので、ただ【神竜】様、とだけ、お呼び致しております」
「ふーん……」
「【調停者】様、お食事の支度が整ったようでございます。こちらへ、どうぞ」
この後、【調停者】様によって、【神竜】様には、ソフィア様という御名が名付けられた。
こうして、私達にとっては、活気と喧騒、そして何よりも幸福に満ちた毎日が始る。
これが、正史には……【神竜】様、復活……と、ただ一言で記述された、記念すべき日の内幕だった。
お読み頂き、ありがとうございます。
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