第913話。北の海の羅針盤。
【ノーアトゥーン】。
国営海上船舶造船所。
私達は、所長に案内されて造船所の中を見学して回っています。
ここは国営の造船所なので、【ニダヴェリール】が自国で使用する艦艇……つまり海軍の艦艇の建造とメンテナンスを主に行っていました。
なのでドックに入っている船は【ニダヴェリール】お馴染みの【ロング・シップ】の新造艦や現役艦艇ばかりです。
しかし【ノーアトゥーン】にある民間造船所では他国から受注した船舶も多いので、【ドワーフ】達は【ロング・シップ】ばかりを造っている訳ではありません。
「当造船所では乾ドックによる造船をメインに行っておりますが、一部湿ドックによる水中造船という新しい造船方式の技術開発も試験的に行っております。今はまだ実用段階ではありませんが……」
所長は説明しました。
「湿ドックで造船を行うメリットは何でしょうか?作業の大変さを考えたら、あえて水に浮かべた状態で船を造る意味がない気がします」
ロルフが質問します。
「当造船所での造船という範疇に限れば、仰る通り現状湿ドック工法で船を造るメリットは、ほぼありません。これは【ニダヴェリール】と歴史的に友好関係にある【セイレーン】や【サハギン】など水生人種を技術者や工員として育成する事を企図しています。水生人種は生まれ付いての最高のダイバーですから、彼らが優秀な技術者に育つと船のメンテナンスや修理を、乾ドックのような大規模な施設がない小さな港や埠頭に船を繋留した状態、あるいは沖に船が停泊した状態でも行えます。これは大きなメリットとなります。更に水生人種を海軍技術者として育成し水上艦艇や潜水艦のクルーとすれば、水上艦艇や潜水艦の外装を海洋に停泊したり潜航させたままでの修理が可能ともなり、これは海軍艦艇のダメージ・コントロールとして極めてメリットがあるでしょう」
所長は説明しました。
「うむ。海洋の守護竜として水生人種の雇用に繋がったり有益な技術移転となる試作は歓迎すべき事じゃ。【ニダヴェリール】から技術移転を受けた水生人種が本国に知識や技術を持ち帰り、いずれ我が庇護する水性人種達が暮らす海底都市でも最新鋭潜水艦などが建造されるようになれば良いと思っておる。ニーズやヴァルトや【ニダヴェリール】政府には感謝をせねばならんの」
ソフィアは言います。
「水生人種の特性は【ニダヴェリール】の海洋船舶造船技術においても大いに役立つモノでござりますれば、【ニダヴェリール】にも利がある事業でござりまする」
ニーズが言いました。
「ソフィアお姉様が君臨するセントラル大陸の【ドラゴニーア】や【グリフォニーア】や【スヴェティア】、ニーズが君臨する【エルフヘイム】や【ニダヴェリール】や【スヴァルトアールヴヘイム】。率直に言って魔法技術や科学技術に長けた国家を庇護下に持つソフィアお姉様やニーズが羨ましいですわ」
リントは言います。
「リントお姉様だって庇護下のウエスト大陸には【サンタ・グレモリア】や【ウトピーア】があります。【サンタ・グレモリア】は世界最高レベルの先進技術を持つ自由都市としての潜在力がありますし、【ウトピーア】も工業先進国です。僕から見ればリントお姉様も羨ましいですよ」
ファヴが言いました。
「それは我とて同じ事じゃ。我から見ても【シエーロ】の技術水準は恐るべきモノじゃった。自然科学分野に限れば【シエーロ】は【神話の時代】の知識と技術の遺産を受け継いでおる。ノヒトが復活して【シエーロ】を支配下に収めておらなんだら、【ドラゴニーア】とて深刻な安全保障上の危機を覚悟せねばならなかったのじゃからの。我は【シエーロ】を訪れて……もしかしたら、あのように高度な技術を持つ【シエーロ】との戦争が起きていたかもしれない……と想像して背筋が凍ったのじゃ」
ソフィアは言います。
「なるほど。隣の芝生は青く見える……と言う事かしらね?」
リントは言いました。
ソフィアが見立てた……【シエーロ】が持つ技術が【神話の時代】から受け継がれた高い水準にある……という推定は正しいです。
そしてバグによって狂った【知の回路の人工知能】と、天軍の総帥ルシフェルは、北米サーバー(【魔界】)の完全支配を確立して国力を蓄えた後には、実際に守護竜達が守る日本サーバー(【地上界】)に侵攻する計画でした。
しかし……もしも【シエーロ】と【ドラゴニーア】が全面戦争になっていたら……という想定ならば、私は局地戦では【シエーロ】が勝つ戦局があるとしても、最終的には【ドラゴニーア】が勝利していたと思います。
【ドラゴニーア】には現世最高神の【神竜】という究極致命兵器が存在していました。
【シエーロ】側の最強戦力であるルシフェルも、精強な天軍も、ソフィアと正面きって会戦に及べば呆気なく瞬殺されてしまうでしょう。
もちろん実際に全面戦争となっていたら【ドラゴニーア】の国土や国民も甚大な被害を受けた事は間違いないのでソフィアが危機感を抱くのは当然ですけれどね。
・・・
私達は一通り国営造船所の視察を終えました。
ロルフ以外の【ファミリアーレ】の子達にとっては造船所の見学ツアーは、あまり興味がなかったかもしれませんが、私はとても面白かったです。
私が参考にすべき革新的技術というモノは別にありませんでした。
しかし端的に言って私は工場見学というモノ自体が好きなのですよ。
また、ソフィア達守護竜達も自分達が君臨する各大陸でも工業化や産業育成の観点から参考に出来る発見があり実り多い視察になったようです。
「ノヒト。【ファミリアーレ】に、ここの【秘跡】を受けさせてみてはどうだい?」
ユグドラが提案しました。
「ああ……【ノーアトゥーン】海洋港の【秘跡】……ですね?」
私はユグドラの言葉で【ノーアトゥーン】で受けられる【ミニ・秘跡】の存在を思い出します。
【秘跡】には様々な謎解き要素やストーリーのルート分岐が発生してクリアまでに相応の時間や期間が掛かるモノがありますが、一回の戦闘や短時間で片付く【ミニ・秘跡】も無数にありました。
【ノーアトゥーン】海洋港の【秘跡】は後者です。
ユグドラは【完全記憶媒体】の【世界樹】ですから、惑星【ストーリア】の【マップ】で起きた出来事の、ほぼ全てを記憶していました。
ほぼ全ての中にはゲーム時代のイベントや【秘跡】の情報や発動条件なども含まれています。
なので、現在地【ノーアトゥーン】で受けられる美味しい【ミニ・秘跡】の事を教えてくれたのでしょう。
私は、ここで受けられる【秘跡】についてユグドラから言われるまで忘れていました。
何しろ、このゲーム【ストーリア】の【秘跡】の数は難易度に拘らなければ無数にあるので、いちいち覚えていられないのです。
それに本来死亡すると復活が出来ないNPCでも【コンティニュー・ストーン】を所持していれば復活が可能な【遺跡】とは違い、【秘跡】には【コンティニュー・ストーン】による復活が適用されません。
また高難易度の【秘跡】では、ユーザーの死亡・復活可能な仕様を前提としたエゲツない初見殺しの設定も多いのです。
なので私は初めから【ファミリアーレ】の育成方法として危険な【秘跡】に挑ませるという選択を、あえて除外していました。
ユグドラもそれは理解していますので、今回の【秘跡】の場合、確実な攻略法があるので【ファミリアーレ】の挑戦を提案して来たのでしょう。
因みに私はグレモリー・グリモワールとして最上位の【超位超絶級】にカテゴライズされる【秘跡】と【遺跡】に関して言えば、全ユーザーの中でブッチギリの最大数をクリアしていました。
グレモリー・グリモワール(私)は、ゲーム史上最高の【秘跡攻略者】であり、【遺跡踏破者】なのです。
「あの【秘跡】はノヒトが保有する装備を使えば、お手軽にクリア出来て【ファミリアーレ】にとって有益だと思うのだが?」
ユグドラは言いました。
「【パンダの着ぐるみ】を着せればノー・リスクですから受けさせても良いですね」
「ノヒト。その……【ノーアトゥーン】海洋港の【秘跡】……とは何じゃ?」
ソフィアが訊ねます。
「【ノーアトゥーン】海洋港の【秘跡】……とは俗称で、正式な【秘跡】名は……北の海の羅針盤……です。この造船所のすぐ近くの埠頭にある初期構造オブジェクトの【航海の安全を祈念するモニュメント】で、ある事をすると強制【秘跡】が始まるのですよ。この【秘跡】は【超位級】なので、本来なら現在の【ファミリアーレ】に受けさせるにはエグ過ぎる難易度なのですが、【パンダの着ぐるみ】を着ると極めて簡単にクリア出来てしまえて、その上報酬がかなり良いので、この難易度帯の【秘跡】としては、とても美味しいのです。ユグドラは、それを教えてくれました」
「なぬっ?それは、どういうモノじゃ?」
「まあ、単純な話です。【ノーアトゥーン】海洋港の【秘跡】……は亜空間フィールドの一本道の突き当たりにいる妖精から【追加贈物】で【常時発動能力】が貰えます。参加人数は1人ずつ。ただし……【ノーアトゥーン】海洋港の【秘跡】……の亜空間フィールドの一本道には強力な【敵性個体】がミッチリ詰まっていて、真正面から挑むと狭い場所での苛烈な連戦を強いられ包囲されてタコ殴りのリンチ状態でハメ殺されるので正攻法クリアが困難なのです。ただしクリア条件が……一本道の突き当たりにいる妖精の所まで辿り着け……というモノで、別に途中でエンカウントする【敵性個体】を全滅させる事は求められていません。なので、あらゆるダメージやノック・バックが全て無効となる代わりに自分の攻撃力も0になる【パンダの着ぐるみ】を装備して【敵性個体】をガン無視して突き当たりまで踏破すれば簡単にクリア出来てしまうのですよ」
「ほほう。で、どんな【常時発動能力】が貰えるのじゃ?我も欲しいのじゃ」
「ソフィアは、もう持っていますよ。ここの妖精から貰える【常時発動能力】は【水圧耐性S】。惑星【ストーリア】の【マップ】にある海洋で一番深い海底の最大水圧にも完全に耐えられる【常時発動能力】です。ただしソフィア達守護竜は既に【水圧無効】という【神位】の完全水圧耐性を持っているので、ソフィアや他の守護竜達が【水圧耐性S】を貰ってもステータスには何も変化はありません」
「ふむ。ならば【ファミリアーレ】と、それからウルスラやオラクルやティアらにも、その【秘跡】を受けさせよう」
「【知性体】と非生物NPCは単独では【秘跡】を受けられません。なので【神格】の【知性体】であるユグドラ、【妖精】族のウルスラ、【スピリット】のトライアンフ、オラクル達【神の遺物】の【自動人形】は、この【秘跡】には参加出来ません。ティアは【秘跡】に挑めますが、ソフィアから【指名】を受けて【エルダー・マーメイド】に昇華したティアの種族特性である……水圧耐性……は即ち【常時発動能力】の【水圧耐性S】と同じモノになっているので、ティアも【秘跡】を受ける意味はありませんね」
「わかったのじゃ。早速【ファミリアーレ】に【秘跡】を受けさせようではないか」
ソフィアが私を急かしました。
はいはい。
私達は所長や造船所のスタッフにお礼を言って国立造船所から出て、すぐ近くの埠頭のモニュメントに向かいます。
・・・
【ノーアトゥーン】海洋港の【航海の安全を祈念するモニュメント】。
「因みに、この……海洋港の【秘跡】……は、各大陸に900年前から存在する古い港湾都市に建つ【航海の安全を祈念するモニュメント】からなら、何処でも同様の【秘跡】に挑めます。ただし、いずれも【超位級】の難易度で攻略は容易ではありません。この……【ノーアトゥーン】の海洋港の【秘跡】……だけが、例外的に【パンダの着ぐるみ】の着用で簡単にクリア出来てしまえます。なので【ファミリアーレ】の皆は、他の港で【航海の安全を祈念するモニュメント】を見付けても、私の許可なく勝手に【秘跡】にチャレンジしないようにして下さいね。まだ、あなた達には危険過ぎますので」
私は【ファミリアーレ】に釘を刺しました。
【ファミリアーレ】の子達は真剣な表情で頷きます。
とはいえ【秘跡】の発動条件はそれぞれ異なり、【秘跡】が発生する場所に行っても発動条件を満たさなければ【秘跡】には挑戦出来ません。
例えば、この……北の海の羅針盤……にしても、【秘跡】に挑戦する為に必要な【呪文】を解明するまでに、事前に色々とイベントを熟さなければわからないようにしてあります。
因みに【呪文】は【秘跡】ごと個別に異なり、また各【呪文】が一定期間の経過で自動変更されるので使い回しは出来ません。
今回は私がゲームマスター権限で、現在設定されている【呪文】を解析しています。
私は【収納】から【神の遺物】の【パンダの着ぐるみ】を取り出しました。
「では、順番に【秘跡】に挑戦しましょう。まずは誰からチャレンジしますか?」
私は【ファミリアーレ】に訊ねます。
「はい、は〜い。アタシが一番」
ハリエットが手を挙げてピョンピョン飛び跳ねました。
まあ、そうなるでしょう。
【ファミリアーレ】のメンバーでならハリエットが一番にやりたがると思っていました。
ここにいる全員が対象なら、ソフィアが先頭をきりたがるでしょうが……。
私はハリエットに【パンダの着ぐるみ】を渡して、装備の上から着てもらいました。
いつ見ても、この着ぐるみの見た目はシュールです。
ゲーム【ストーリア】は、ほとんどの初期構造オブジェクトや【神の遺物】アイテムなどが古典的な様式なので、ファンシー・グッズのような【着ぐるみ】系の装備の異物感が半端ないのですよ。
これはゲーム会社の組織が大き過ぎて統一感が徹底出来ない弊害かもしれません。
まあ、多元的多様性という好意的な解釈をしておきましょう。
「ハリエット。この【パンダの着ぐるみ】はダメージとノック・バックを完全に無効化しますが、わかっているとは思いますが【秘跡】中に脱がないで下さいね。振りではなくて、絶対にですよ。この【秘跡】の【敵性個体】は強いですし数も多いので【パンダの着ぐるみ】を脱ぐと呆気なく死にますからね?」
私は粗忽な性格のハリエットに言い聴かせました。
「わかりました」
着ぐるみを着たハリエットは頷きます。
「自分で脱がなければ、転んだ拍子などに頭部の着ぐるみがスポッと脱げてしまったり、【敵性個体】に脱がされてしまうような事はありませんので安全です。【秘跡】は一本道なので迷う心配もありません。では、コレをモニュメントにお供えしてから、【呪文】を唱えて下さい。【呪文】は私が【念話】で教えますので頭の中で復唱して下さい。それで【秘跡】の亜空間フィールドにハリエットは強制【転移】します。【敵性個体】が群がって来ても落ち着いて通り抜けて突き当たりまで進めば問題ありませんからね」
私は丁度【収納】にストックされていた【サンタ・グレモリア】産の湖魚の干物をハリエットに手渡しました。
海洋港の【秘跡】の発動キーは【航海の安全を祈念するモニュメント】に何らかの魚介類をお供えして、正しい【呪文】を頭の中(ステータス画面)で唱える(キー入力する)事。
今回は干物をお供えしましたが、供物は生の魚でも、貝類でも、甲殻類でも、サバ缶でも、塩辛でも、お刺身の舟盛りでも、シーフード・ドリアでも……食用の魚介類なら何でも良いのです。
「頑張ります」
着ぐるみのパンダ姿のハリエットは言いました。
「気負わず落ち着いてゆっくり歩いて行けば良いのですよ。【パンダの着ぐるみ】に完璧に守られますから慌てたり頑張る必要はありません。良いですね?」
私は念押しします。
「はい」
ハリエットは頷きました。
私が教えた【呪文】を頭の中で復唱したハリエットの姿が掻き消えます。
ハリエットによる…… 北の海の羅針盤……の【秘跡】が始まりました。
「ノヒト。まだか?チュートリアルなら、すぐ戻って来る筈じゃ」
ソフィアが言います。
「この【秘跡】は時間が亜空間フィールドと外部世界で同期していますから、チュートリアルとは違って相応の時間は掛かります。戦闘ガン無視で進めば遅くとも15分くらいでゴールに辿り着くでしょう」
「なぬっ?では、【ファミリアーレ】全員が【秘跡】を終えるまでに何時間も掛かるではないか?」
せっかちなソフィアは言いました。
「大丈夫です。誰かが【秘跡】に挑戦中でも、同時に何人でも亜空間フィールドにプレイヤーを送り込めます。亜空間フィールドは同時に複数が並立存在する仕様なのですよ。なので次の挑戦者をドンドン【秘跡】に送り込みます。次は誰がチャレンジしますか?」
私は【収納】から2着目の【パンダの着ぐるみ】を取り出して言います。
2人目はグロリアが挑む事になりました。
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