第806話。ゲームマスターのID。
【パンゲア】南方領域の中央都市【ヌガ】。
北の空から飛来した艦隊は上空に留まり、先頭を飛ぶ【駆逐艦】だけが高度を下げ、やがて地上付近に停止しました。
この【駆逐艦】がシピオーネ・アポカリプト艦隊の旗艦です。
何故それがわかるかと言うと、艦橋に将旗が掲揚されていますので。
将旗は艦隊指揮権を有する人物が、その艦に座乗している事を示すモノでした。
シピオーネ・アポカリプトの艦隊指揮官は、即ちシピオーネ・アポカリプトである筈です。
そもそも旗艦という名称の用例それ自体が、艦隊の最高指揮権(実質的な指揮能力の有無は別にして)を有する提督や元帥や王や国家元首などが座乗している事を示す為に、将旗や王家の紋章旗などが掲揚されている事に由来します。
つまり、艦隊司令官が他の艦に移動すれば、旗艦は変わる訳ですからね。
【駆逐艦】は地面に直接着陸出来ない仕様なのか、10m程の高度を保って制止すると、タラップを降ろしました。
私達は立ち上がって迎えます。
やがて、9人と1個体がタラップを降りて、此方に歩いて来ました。
多少こちらを警戒している様子です。
そして……いました。
髭のない【エルダー・ドワーフ】の男性です。
【ドワーフ】族の男性は成人あるいは一人前になった証として髭を伸ばす習慣がありました。
にも関わらず髭なし。
こんな珍しい容貌をした【ドワーフ】は、NPCには皆無でしょう。
つまり彼がシピオーネ・アポカリプト。
シピオーネ・アポカリプトは先頭で一行の真ん中を歩いて来ます。
「はじめまして。ゲームマスターのノヒト・ナカです。あなたがシピオーネ・アポカリプトですね?」
私は、当然知っている事を訊ねました。
私が自分でキャラクター・デザインしたアバターですから間違う筈はありません。
「そうだ。ノヒト・ナカ殿、あなたが運営なのか?」
シピオーネ・アポカリプトは手を差し出して訊ねます。
シピオーネ・アポカリプトは私とどう接したら良いか測りかねている様子ですね。
「はい。この世界を創ったチーフ・プロデューサーのケイン・フジサカからチーフ・ゲーム・マスターという役割を任されています。どうぞ宜しく」
私は差し出されたシピオーネ・アポカリプトの手を握り返しながら挨拶しました。
握手。
この世界では、あまり握手という挨拶の方法は一般的ではありません。
900年前にユーザー達が残した習慣として……握手が挨拶の一種である……という認識はあるものの、NPC達は大概は他の方法で挨拶をします。
もしかしたらシピオーネ・アポカリプトは、私が握手をする所作を通して、私が地球人であるかどうかを確認しようとしたのでしょうか?
私なら、そういう不自然ではないやり方で情報収集を試みるかもしれませんからね。
「くっ……」
シピオーネ・アポカリプトは、どうやら渾身の力で私の手を握り潰そうとしたようです。
もちろん……当たり判定なし・ダメージ不透過……の私には、痛くも痒くもありません。
むしろ絶対にダメージが入らない私の手を全力で握ったシピオーネ・アポカリプトの方が逆に手にダメージを負ったようです。
どうやら中手骨を2本骨折したようですね。
「どうしました?」
私はワザと惚けて訊ねました。
「いや済まん。エリスの奴が、あなたを……神だ……などと言うモノだから少し試させてもらった」
シピオーネ・アポカリプトは苦笑いします。
「【完全治癒】。あなたも【パンゲア】では神の名を持つのでは?確か、【武神】とか……」
私はシピオーネ・アポカリプトの右手を治療しながら言いました。
「治療をありがとう。私から神だなんて名乗った事は一度もない。【パンゲア】の連中が勝手に、そう呼び始めただけだ」
シピオーネ・アポカリプトは右手を摩りながら言います。
「なるほど。で、私は、あなたの試験に合格しましたか?」
「ああ、あなたが神かどうかはともかく……【古代竜】をも殺せる私の腕力で……どうにかしてやろう……としても全くビクともしないという事はわかった。無礼は詫びよう」
シピオーネ・アポカリプトは言いました。
「いいえ。何も無礼な事などはありません。ただし、このソフィアには同じ事をしない方が良いですよ。この娘は私と違って空気が読めませんから握力勝負と勘違いして、あなたの手を粉々に握り潰してしまうかもしれません。こう見えて、このソフィアは、あなたの12億倍の基本スペックがあります。下手な事をすれば怪我では済みませんよ」
私は忠告します。
「12億倍!?つまり、この子供も神か?」
「そうじゃ。我は至高の叡智を持つ天空の支配者にして、深淵なる思慮を持つ大海の支配者……現世最高神の【神竜】たるソフィアじゃ。我の握力を調べたくば希望を叶えてやろうか?」
ソフィアは【認識阻害の指輪】を外し、手をグー・パーしながら言いました。
「マジか!?なんちゅ〜、魔力量だよっ!いや、わかった。穏便に頼む……」
シピオーネ・アポカリプトは苦笑いしながら言います。
シピオーネ・アポカリプトが同行者を順番に紹介しました。
私達は挨拶を交わします。
【パンゲア】東方国家【マギーア】の女王にして、【自然同盟】盟主……フレイヤ・マギーア。
彼女は【ハイ・エルフ】でした。
【パンゲア】西方国家【スキエンティア】の王にして、【機械化連合】議長……ウッコ・スキエンティア。
彼は【エルダー・ドワーフ】です。
【パンゲア】中央国家【パノニア王国】の女王……グゥイネス・パノニア。
彼女は【ハイ・ヒューマン】。
【パンゲア】北方国家【ノトリア帝国】の皇太子……ウィールド・ノトリア。
彼は【ハイ・オーガ】でした。
本来ならば彼の父である皇帝が参じるべきところながら、皇帝は老齢で大病から回復したばかりなので、今回は大事を取って代理として皇太子が参列した……と。
【パンゲア】南方国家【ヌガ法国】の法王……ヴェリタス・ヌガ。
彼は【ホブ・ゴブリン】です。
彼が統治する【ヌガ】は、【特異点】の出現で、法都【ヌガ】は既に滅び、国家も滅亡の危機にありました。
まあ、何も手を打たなければ【ヌガ】だけでなく【パンゲア】全てが滅びますけれどね。
しかし見事に……【エルフ】、【ドワーフ】、【ヒューマン】、【オーガ】、【ゴブリン】……と【パンゲア】の代表的な人種が勢揃いです。
多少私が知る国名とは変わっていたりしますが、【テスト・マップ】の当時から【パンゲア】では、この5大種族が中央と東西南北に5大国家を形成していました。
どうやら、各国の元首達は偶然にも数日前から【特異点】の【事象の地平面】が観測出来る場所に集まって、今後の【特異点】への対応を協議している最中だったのだとか。
シピオーネ・アポカリプトは、その会談の主催者なのだそうです。
一行の中には【知性体】の【悪魔主】である【エクレシア】のエリス・ネクロノミコンがいました。
彼女は格式上、各国の王と、その全権代理が居並ぶ場には同席出来ない立場なのだとか。
ただし今回は【パンゲア】の危機を救える存在である私を【ストーリア】から連れ帰った功績と、私を知る立場なので一緒にいるようです。
私は身分制度などどうでも良いと思いますけれどね。
そしてエリス・ネクロノミコンの【主人】……いや、【女主人】がわかりました。
【パノニア王国】首席国家魔導師の……ヘックス・スカイ・クラッド。
彼女は、エリス・ネクロノミコンの【主人】枠での参加だそうです。
それから1人【魔人】がいました。
彼女の種族は猫系【魔人】の固有種である【バステト】。
個体名は……キャス・パリーグ。
キャス・パリーグ曰く……私はシピオーネ様の家来筆頭なのニャ……との事。
なるほど。
キャス・パリーグは、シピオーネ・アポカリプトの従者なのですね。
で、その語尾は?
【バステト】は知性が高く発声器官も人種と同等のモノを持ちますので、普通に人語を話せる筈ですが?
キャラ付け……?
あ、そう。
何だか面倒臭そうなので、これ以上は突っ込まない事にしましょう。
「ノヒト・ナカ……ああ、なるほど。ゲーム・マスターの……中の人……という事か?」
シピオーネ・アポカリプトは……やっと意味がわかった……とばかりに言いました。
「はい。安直なネーミングですよね?」
私は答えます。
「で、あなたは人工知能には見えないが?人間なのだよな?」
「はい。生身の日本人です」
「なら、本名は?」
「あなたは日本人としての自分の本名を思い出せるのですか?」
私は、シピオーネ・アポカリプトの質問に答える代わりに逆質問をしました。
私はシピオーネ・アポカリプトと同様に……異世界転移に際してゲームの外の記憶が判然としない……という境遇にある事を暗にアピールをした訳です。
もちろん嘘ですけれどね。
私は自分の本名などを完全に覚えていました。
対してシピオーネ・アポカリプトは、グレモリー・グリモワールやノート・エインヘリヤルと同じように、私の同一自我としてのゲーム外での個人情報に関わる記憶が失われている筈です。
何故シピオーネ・アポカリプトにも本名を名乗らないのかと言うと、私には他者に個人情報を安易には教えられない理由があるからでした。
それは元同一自我の存在であってもです。
「私は日本人としての名前も仕事も思い出せないんだ。まるで記憶がすっぽり抜け落ちているみたいに……。という事は、あなたもなんだな?」
シピオーネ・アポカリプトは訊ねました。
私は答える代わりに黙って微笑みます。
シピオーネ・アポカリプトは、それで……同意した……と思い込んだのか頷きました。
私は事実誤認をさせる為に、あえてシピオーネ・アポカリプトの思考誘導を試みているのです。
ギリギリ嘘にならない範囲で……。
私が短絡的に……自分の本名を思い出せない……などという明らかな嘘を吐けば、仮に【アンサリング・ストーン】などの虚偽の言葉を看破するアイテムをシピオーネ・アポカリプトが使っている場合、不都合が生じますからね。
別に単なる自己紹介の範疇であれば本名を明かしても構いませんし、そもそもシピオーネ・アポカリプトは私の元同一自我なのですから、私の個人情報はシピオーネ・アポカリプトにも知る権利がある……とも言えます。
しかし私の本名、生年月日、現住所などの特定の個人情報を複数組み合わされたモノが、この世界内の私のIDとして設定してありました。
【ワールド・コア・ルーム】や、ユグドラの居所や、その他ゲームマスター権限が及ぶ対象の起動や解除などは、この私のIDがアクセス時に必要となります。
異世界に閉じ込められてしまっている現在、私は外部の端末から自分のIDを変更する事が出来なくなっていました。
私の個人情報は、複数を組み合わせればゲームマスターのIDの暗号化法則を解き明かすヒントとして利用可能です。
なので、元同一自我であるとはいえ、顧客という立場のシピオーネ・アポカリプトには、私の個人情報を安易には教えられません。
もちろん、私の本名や生年月日や現住所などを知っても、IDが簡単にはわからないように複雑な暗号化が施されています。
しかし暗号というモノは、どんなにパターンが膨大でも数学的な組み合わせの問題でしかなくなれば、高度な演算装置に掛ければ、いずれ判明してしまうでしょう。
特にグレモリー・グリモワールやノート・エインヘリヤルやシピオーネ・アポカリプトは、私の元同一自我で応用数学の専門知識がありますからね。
仮にIDがバレたところで、パスワード代わりとなるゲームマスターしか持ち得ない固有の魔力反応がなければ……世界の中で私に成り済ます……などという事は絶対に不可能ですが……だからといって、あえて自分からセキュリティに関わる重要情報を誰かに漏洩させる必要もないでしょう。
なので、私は信頼をしているグレモリー・グリモワール相手にも本名などの個人情報は伝えていません。
ただし私とグレモリー・グリモワールは、お互いに元同一自我であったという共通認識があります。
なので、私はグレモリー・グリモワールには……私の本名などの個人情報は、組み合わせ暗号でゲームマスターのID代わりになっているので、セキュリティ上教えられない……と正直に伝えて、彼女からの了解を受けていました。
そして私は、ノート・エインヘリヤルとシピオーネ・アポカリプトに関しては元同一自我であった事を伝えずに、一般ユーザーと同様に扱うつもりです。
「私の事はノヒトと呼んで下さい。あなたの事も、ハンドル・ネームでシピオーネと呼んでも構いませんか?」
私は訊ねました。
「ああ、好きに呼んでくれ」
シピオーネ・アポカリプトは了承します。
「初めにお断りしておきますが、私も現在あなたと同じ境遇にあり、この世界に飛ばされ閉じ込められています。また、異世界転移した理由は何もわかりません。従って日本に戻る方法も不明です。なので運営として誠に心苦しいのですが、あなたを日本に帰してあげる事が現時点では出来ません。申し訳ありません」
私は頭を下げました。
「なるほど……一番聴きたかった事は理解した。他にも、もう1つ聴かせてくれ。【パンゲア】にはゲーム・マスターという存在はいなかった筈だが?」
シピオーネ・アポカリプトは、私に多少胡乱気な視線を向けて言います。
「【パンゲア】はクローズド・ベータ版の【テスト・マップ】ですからね。私は正式版の【正規マップ】である【ストーリア】を含む、この世界全てのチーフ・ゲームマスターです」
「なるほど。もう【ストーリア】の【マップ】が開放されているのか?そしてゲーム・マスターは、この宇宙全部を管轄している、と?」
「そうです」
「あ、そう。ならば一旦はそれを丸っと飲み込んで、あなたの言葉を信じる前提で話を進めよう」
シピオーネ・アポカリプトは言いました。
話が早くて助かります。
お読み頂き、ありがとうございます。
ご感想、ご評価、レビュー、ブックマークを、お願い致します。
活動報告、登場人物紹介&設定集も、ご確認下さると幸いでございます。
・・・
【お願い】
誤字報告をして下さる皆様、いつもありがとうございます。
心より感謝申し上げます。
誤字報告には、訂正箇所以外の、ご説明ご意見などは書き込まないよう、お願い致します。
ご意見などは、ご感想の方に、お寄せ下さいませ。
何卒よろしくお願い申し上げます。