第805話。神なき世界。
【パンゲア】南方領域の中央都市【ヌガ】。
午前。
私とソフィアと、チーム・ソフィア(ウルスラ、オラクル、ヴィクトーリア、トライアンフ)は、【ヌガ】の郊外でシピオーネ・アポカリプトを待ちながらお茶を飲んでいました。
ソフィアが【収納】から専属給仕係である【自動人形】・シグニチャー・エディションのディエチを取り出し、オラクルがテーブル・セットを取り出してのモーニング・ティー・タイムです。
【排除・プログラム】の【特異点】が発生させている、あらゆる生命体を死滅させる【死の領域】の【事象の地平面】。
その漆黒の球体を傍目に見ながら悠長にお茶をしている状況というのは些かシュールかもしれません。
【ヌガ】は【パンゲア】の中央を南北に縦断する街道上にありました。
【パンゲア】は虚無海に浮かぶ平面の大地ですので惑星球面を南北に円周する子午線という概念はありませんが、どうやら【パンゲア】の標準時は、【ストーリア】の竜都国際標準時と誤差がなく設定されているようです。
「飽きたのじゃ……」
ソフィアハイ・チェアーに座り、足をブラブラさせながら呟きました。
「もう間もなくシピオーネ・アポカリプトが到着する筈です」
「エリスが……こちらに向かう……と連絡を寄越してから、もう2時間経つのじゃ。この我を2時間も無為に待たせよるとは無礼じゃ」
「【パンゲア】には設定上【転移能力者】が存在しません。その代わりに【転移】に類するギミックである【ワープ・ホール】というモノがありますが、【ワープ・ホール】を起動させられる【賢者の石】は希少物質ですから、仮にシピオーネ・アポカリプトが遠方にいて【賢者の石】のストックもないとするなら、此方には高速艇などで向かって来ているのでしょう。であるなら、待つ他はありません。それに【パンゲア】の生命体は、現世最高神の【神竜】だとか、【創造主】の御使たる【調停者】だとか、そういう【ストーリア】側の常識の枠外にいる者達です。【ストーリア】の儀礼格式は通用しませんよ」
「我は至高の叡智と深淵なる思慮を持つのじゃからして、そんな事はノヒトから言われるまでもなくわかっておるのじゃ!」
ソフィアは怒り出しました。
短気ですね〜。
道理を話しただけなのに逆ギレをする始末ですよ。
まあ、いつも通りのソフィアが感情の赴くままにワガママ勝手に振る舞っているという事は、【パンゲア】の危機的状況が緩和したからではあるのですけれどね。
「そもそも、【パンゲア】のように神のいない世界というモノが機能している状況が我には良くわからぬ。【パンゲア】の民は、どうやって国家を運営しておるのじゃ。ありのままの自然界の在りようは、本来多元的で多様じゃ。しかし生命体が共存し連携協力して統一政体たる国家を運営する為には、法や公序良俗や社会通念や倫理などで、ある程度は共通理解や価値観の共有を行わねばならぬ。バラバラな意思で勝手気ままに動く個別の民らの意思を糾合して国家や社会の一員として貢献させ意思統一するには、神という確固として揺るがぬ社会科学上の基準になり得る存在が必要不可欠じゃと我は思うのじゃがの〜」
ソフィアは疑義を呈しました。
「地球には神はいませんが、人々は社会を形成し国家を運営し世界は回っていますよ。地球の宗教で信仰されている神は、全て思考実験的フィールドにおける想像上の概念に過ぎず、物理学的には何処にも存在しませんからね。私や【創造主】も【ストーリア】のある世界では便宜上【神格者】の役割を演じさせられていますけれど、地球に戻れば、この世界を作り出した会社の社員と経営者という立場です」
「なぬっ!……だとするなら地球では、神の後ろ盾なく、神ならぬ民の力だけで、どうやって強制力を伴ったシステムとして政治執行の正当性を担保しておるのじゃ?」
「地球の政府の正当性を担保する理論は……社会契約説……という考え方が一般的でしょうね」
「社会契約?地球には魔法がないと聞く。魔法がないならば【誓約】や【契約】もない。その社会契約とは何じゃ?」
「社会契約説とは……政府は人々の同意、つまりは個人と個人が互いに対等な契約を結ぶ行為を繰り返した結果によって衆参的に設立されたモノであり、政府の役割は人々が普遍的に持つ権利を保護する事で、その見返りとして人々は自ら付託した政府や議会に忠誠を誓い、その決定に従う義務を負う……という政治哲学における理論です。対してソフィアなどの守護竜が管轄する大陸において実務代行者である国家元首や政府を承認するような政体を王権神授と呼びます」
「ふ〜む。その民の同意や契約に基づいて成立した政府の正当性を担保する説得力の源泉は何じゃ?我ら守護竜のような強力な監督者や後ろ盾がないではないか?」
「社会契約説の説得力の源泉は、極論するなら多数決ですね。社会契約とは、あくまでも個人と個人がお互いを信じて、お互いに監視して、お互いを共通のルールの下に服させるという約束事です。人々が生来持つ力を超えた絶対的な存在による後ろ盾は持ちません」
「それで上手く行くのか?民は放任すれば、お互いに騙したり奪ったり殺し合ったりするのじゃ」
「ある面では、その通りですが……人々は、お互いを騙したり奪ったり殺し合ったりするより、お互いを信じたり与えたり助け合う方が利益が大きい……という社会原理の本質を理解すれば、大多数が自然に社会契約を守るようになります。知性がない者は、あくまでも騙したり奪ったり殺したりを続けますが、そういう無知蒙昧な少数の者達は、大多数の知性ある人々から付託を受けた政府によって捕まり牢屋に入れられるか程度が酷い場合は処刑されます」
「なるほど。多数決の原理によりルールを定め、最終的には何もかもを力尽くで従わせるのじゃな?」
「身も蓋もなく言えばそうです。長い年月を掛けた試行錯誤の結果、多数決は必ずしも正しいという保証はないものの、人々が多数決以外に提示出来る他の全ての方法論との比較では多数決が最もマシだ、と見做されています。つまり消去法的な妥協の結果なのです。ただし、最終的に力尽くなのはソフィア達守護竜も同じでしょう?力尽くの部分を、ソフィア達守護竜や私達ゲームマスターがやるのか、あるいは人々が自らの手でやるのか……の違いです。おそらく【パンゲア】の場合は、地球と同様に後者なのでしょう」
「ふむ、なるほど。神界由来の知識は興味深い故、神界の政治哲学を学んでおきたいモノじゃが……」
「私やミネルヴァが調べた限り自由同盟諸国の教育では、ほぼ地球と同じ理論が学べますけれどね」
「我のような立場にある存在は、ほぼではダメじゃ。一度体系的に神界の学術知識を学ぶ必要がある」
「向学心があるのは良い事ですね。社会契約説を学ぶなら、フーゴー・グロティウス、トマス・ホッブス、ジョン・ロック、ジャン・ジャック・ルソーなどの著作物をゲームマスター本部の図書室で読めば良いでしょう。理解の助けとなる副読本としては、イマヌエル・カントや、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリッヒ・ヘーゲルや、ジョン・ロールズや、ジョン・スチュアート・ミルなども参考になりますね。それらをザックリと解説した、わた……ゲフン、ゲフンッ、グレモリー・グリモワールの……【ゾンビ】でもわかる政治哲学シリーズ……なども入門書としては、お勧めしますよ」
「覚えておこう。しかし、またグレモリーか……。【月虹】のペネロペ・ドーノが、いつも……グレモリー・グリモワールは史上最高の知の巨人……じゃと激賞しておるが、グレモリーめの知識の守備範囲は魔法から政治まで、本当に呆れる程多岐に渡るのじゃ」
「グレモリーは地球で著作権が失効している書物や文献を片端から翻訳・複写して【ストーリア】で再販しただけなので、それらの知識は彼女が考え出したモノではありませんよ」
「しかし、グレモリーが神界の書物を輸入しなければ、世界は今よりずっと遅れておったじゃろう。グレモリーの出版者としての業績は率直に言って偉大じゃ」
グレモリー・グリモワール(私)は楽して儲ける為に、地球にあった既存の知識を【ミネルヴァの写本機】で丸っとコピーして、この世界で出版物にしてNPCコミュニティに販売しただけです。
資本も原材料もなしで莫大な売上を叩き出したので、濡れ手で粟……正直ボロい商売でした。
その後……その手があったか……と他のユーザーが気付いて様々な地球の知識が複写・販売されて、この世界に広まったのです。
「ところで、ペネロペ・ドーノとは?ペネロペさんは家名を持ちませんよね?」
「ん?あ〜、まだノヒトには報告しておらなんだか?此度ペネロペら【月虹】のメンバーには我と【ドラゴニーア】政府から褒賞と叙勲が行われる事になった。来年1月初頭から【月虹】はノヒトらゲームマスター本部初の……公認冒険者パーティ……となるであろう?ミネルヴァから頼まれて、我と【ドラゴニーア】からも【月虹】に褒賞と叙勲を行い、箔を付けてやる事にしたのじゃ。その一環で彼奴らに家名を与えたのじゃ」
あ、そう。
ソフィア曰く、冒険者パーティ【月虹】のメンバーには、それぞれ……。
ペネロペ・ドーノ
ルフィナ・シンチェーロ
セーラ・モデスト
ティアナ・カテナチオ
ユリシュル・フォルテッツァ
キトリー・ジェンティーレ
……という家名が与えられたのだそうです。
「ミネルヴァが依頼したのですね。それは、お礼を言っておかなくてはいけません。ありがとうございました」
「構わぬのじゃ。【ドラゴニーア】所属のエース冒険者パーティが、最初にゲームマスター本部からの公認を受けたのじゃから、【ドラゴニーア】の威光を諸外国に示し、国民の国威発揚にもなるのじゃ。ギブ・アンド・テイクじゃ」
「政治ですね……」
私としては、あまりゲームマスター本部の施策を政治に絡めたくはないのですけれどね。
「時には政治も必要じゃ。好き嫌いは別にして、政治的にナイーブでは、綺麗事だけでは済まされない人種の庇護と統治などは出来ぬ」
「まあ、それはそうでしょうね」
「話は変わるが、昨日ファミリアーレと一緒に【世界樹の森】で【グリフォン】に乗って遊覧飛行をした後、【トーテム】を起動して狩をしたのじゃ。その時にミネルヴァから貰った【オリハルコン・ゴーレム】を試運転してみたのじゃが、あれは良い物じゃな?凄まじい防御力で、【前衛壁職】を務めて全く危なげがない。アレなら【超位】の魔物にも坑せるのじゃ」
「【オリハルコン・ゴーレム】は【神の遺物】ですから当然です」
「なぬっ!【神の遺物】の【ゴーレム】があるとは初耳じゃ」
「極稀に【遺跡】の最下層で【敵性個体】やボスとしてスポーンしますよ。スポーンするフィールドは未来都市というフィールド名です」
「ふむ。アレを大量投入して師団規模で運用すれば【魔界】平定戦も捗りそうじゃ」
「それが、そうでもありません。ソフィアは【オリハルコン・ゴーレム】を自分で実際に操作してみましたか?」
「いいや、オラクルに任せたのじゃ」
「製造された【ゴーレム】はプログラムすれば【独立機動】させられます。しかし【神の遺物】の【ゴーレム】を含むスポーンする【ゴーレム】は基本的に【独立機動】しません。【操作】や【管制】で動かす【遠隔操縦】をしなければならないのです。そして【神の遺物】の【ゴーレム】は位階に応じて、【操作】や【管制】の魔法も高い位階が必要となります。最高位階の【超位級】である【オリハルコン・ゴーレム】を大量に投入しても、その軍団を【管制】可能なのは、私とミネルヴァとトリニティと守護竜、それからルシフェル以外では、【才能】に【完全管制】を持つグレモリー・グリモワールくらいでしょう。運用効率という意味で【神の遺物】の【ゴーレム】はパーティの【前衛壁職】という使い方が最適で、軍隊の兵科として大規模運用するには向きません」
「何じゃ……【創造主】も、どうせなら【独立機動】タイプにしてくれれば良いモノを……」
「そういう仕様ですから致し方ありませんね」
もしも【神の遺物】の【ゴーレム】が【独立機動】すると、ユーザーが大量に機数を揃えれば、【遺跡】の攻略や、レイド・イベントなどの大規模戦闘が格段にイージー・モードになってしまいます。
また【神の遺物】の【ゴーレム】は課金で買えますからね。
つまり、お金さえあればゲームが簡単になり不公平感が起きてしまいます。
【神の遺物】の【ゴーレム】が【独立機動】ではないのは……ゲーム・バランス……という大人の事情があるのですよ。
「ソフィア様、ノヒト様。何か見えたよ」
ウルスラが北の空を指差して言います。
私も先程から【マップ】に複数の白い光点反応を見付けていました。
「来たようじゃな……。ほ〜う、飛空艦隊か?」
ソフィアは言います。
「【駆逐艦級】を旗艦に、【フリゲート】と【コルベット】ですか……。どうやらシピオーネ・アポカリプトは少数ながら一丁前に艦隊を建造したようですね」
「あれはシピオーネ・アポカリプトが自ら造った艦隊か?」
ソフィアは訊ねました。
「そうでしょうね。地球に実在する艦船にそっくりです。私が【パンゲア】にいた時には、ああいうデザインの飛空船は存在しませんでした。現在【パンゲア】にいるユーザーはシピオーネ・アポカリプトだけでしょうから、地球のデザインを再現出来るのはシピオーネ・アポカリプトだけです」
「なるほど」
ソフィアは頷きます。
私達は、悠然と近付いて来る艦隊を眺めていました。
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