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第192話。光をもたらす者…2…天帝。

天使(アンゲロス)】総称。


天軍九位階

熾天使(セラフィム)】3対6枚翼

智天使(ケルビム)】2対4枚翼

座天使(スローンズ)

主天使(ドミニオンズ)

力天使(ヴァーチャース)

能天使(パワーズ)

権天使(プリンシパリティーズ)

大天使(アークエンジェル)

天使(エンジェル)

 柔らかな光に包まれた巨大な空間。

 壁を這う色々な用途の管や配線。

 それらが繋がる先に、いくつもの透明な容器が並んで置かれている。

 これは【神の子宮】あるいは、単に【培養器】と呼ばれる装置である。

 容器には液体が満たされ、中に、それぞれ一つずつ未熟な生物が収められていた。

 胚や、胚芽や、大まかな器官は区別できるが、未だ種族を判別できる段階に入っていない胎児と呼ぶべき物。


 装置は、酸素と栄養を供給し、二酸化炭素と老廃物を排出する。

 自然界では充分に成長した胎児は、やがて母胎から切り離されるが、この施設では幼生と呼ばれる段階に入って、次の容器に移された。

【神のゆりかご】、あるいは、単に【保育器】と呼ばれる装置である。

 保育器の役割は、安全に成長させるため、だけではない。

 この中で幼生は、彼らの運命を生きる上で必要となる、知識と情緒、そして魔力を育くむのだ。


 保育器の前で佇む二つのシルエット。

 一つは、人間の姿をした実体を持たない【思念体】、あるいは【幻影(ホログラム)】である。

 もう一つは、背中に光をまとった翼を生やした幼い男の子。

 男の子は、先程から保育器に顔をくっつけて、容器に入った幼い女の子を興味深そうに観察していた。

 女の子は、保育の最終段階に入っており、あと数日もすれば外界に産まれ出ることになる。


「ルシフェル。これはミカエル、お前の妹だよ」

幻影(ホログラム)】は、男の子の頭の中に直接語りかけた。


 母とも父とも思える声である。


「【天帝】さま、これ、ちょうだい」

 男の子は、屈託なく言った。


「もちろん、構わないとも。これから生まれる妹たち、弟たちは、全て、お前のものなのだよ」

【天帝】と呼ばれた【幻影(ホログラム)】は言う。


 男の子は、満足そうに笑った。


「ミカエル……」

 男の子は、保育器の中の妹に向かって話しかけた。


 男の子の声に反応したのか、あるいは偶然か、女の子は閉じた瞼の下で瞳をぐるりと動かしてみせる。


「どうやら聴こえているようだね」

幻影(ホログラム)】は、男の子に優しく語りかけた。


 こうして、【天帝】と呼ばれる何物かは、ルシフェルの後から、ミカエル、ガブリエル、ベリアル、アザゼル、ウリエル、ラファエルと順に七人を創り、彼らを()()()熾天使(セラフィム)】とした。


 古の旧時代には、【熾天使(セラフィム)】と呼ばれた脆弱な生き物もいたが、もはやいない。

 ならば、新しく創造された、この生き物を【熾天使(セラフィム)】と呼ぶ事に、何の不都合があるだろうか?

 いや、ない。

 彼らこそ、新時代の【熾天使(セラフィム)】。

【天帝】は、そう結論を導き出したのだ。


熾天使(セラフィム)】たちの生まれた順番は、そのまま彼らの序列となる。

 そして遺伝子上は繫りのない彼らに兄弟姉妹の関係性を強く意識させるようにもなった。


 ・・・


天使(アンゲロス)】は、その役目と能力によって九つの位階に分かれている。

 姿形は千差万別だが、共通する外見の特徴は、白い翼を持つこと。

 翼は、羽ばたいて飛行に使うこともできるが、この空気力学を用いる原始的な方法で翔ぶ【天使(アンゲロス)】は、あまりいない。

天使(アンゲロス)】は、魔法で飛ぶのである。

 この方がエネルギー効率が良いということもあるが、【天使】たちの美的感覚によると、バタバタと羽ばたいて翔ぶ姿が品性に欠け、()()()()()()からだという。

 翼は、【天使(アンゲロス)】にとって単なる器官ということ以上に、力と栄光、そして権威の象徴なのだ。

 九つの位で最高位にある【熾天使(セラフィム)】は3対6枚の翼を持つ。

熾天使(セラフィム)】に次ぐ位階にある【智天使(ケルビム)】は2対4枚の翼を有し、さらに下位の有象無象は1対2枚の翼しか持ちあわせない。


 ・・・


【天帝】の居処にして、【天界(シエーロ)】の中枢は、【知の回廊】と呼ばれ、【天界門】もここにある。

【知の回廊】は、山脈に比するほどに巨大で、最頂部は雲に達することから、この地は別名【オリンポス山】などとも呼ばれていた。

 その内部は地上はもちろん、地下深くまで層が連なる構造をしており、その天井、床、壁、柱は、全て無垢の大理石から切り出された一級の素材で造られている。

 不思議な事に、どんな攻撃にも傷一つつかないのだ、とか。

 もちろん神聖な場所とされる【知の回廊】を傷付けようとする者などいようはずもないのだが。


 静寂に支配された通路は、いつも磨き上げられ塵一つない。


【知の回廊】の長い長い通路を、一人の少年と二人の小さな生き物が歩いていた。

 三人は、背中に光をまとった翼を持っている。

 彼らは【天使(アンゲロス)】。

 フードのついたローブを着用していることから、三人とも【魔導士(ウィザード)】である事がわかる。

 魔法が未熟な【地上界(テッラ)】において【魔導士(ウィザード)】とは、崇敬と畏怖を集める存在らしいが、魔法が発達した【天界(シエーロ)】では【天使(アンゲロス)】の魔法職の総称に過ぎない。


 少年の名前はルシフェル。

 少し丈の長い真っ白なローブを引きずるようにして歩いている。

 背中には6対12枚もの翼。

 この翼の多さはルシフェルだけに許されたものである。

 ルシフェルの生物学的種族は【ハイ・ヒューマン】だが、他の【天使(アンゲロス)】と同様に【()()神格】を帯びて永遠の生命を与えられていた。

 年齢は十代半ばから後半というほどだろうか。

 この年齢に到達した時、ルシフェルの肉体的成長は止まった。


 健康そうだが、体つきは驚くほどに華奢で、肌と毛髪は【知の回廊】の大理石や天蚕糸で織られた彼のローブより白く、透き通るような純白。


 彼は生まれつき色素を持たない。


 この少年が、総数3億超の【天使(アンゲロス)】たちを率いる天使長などということは、一見すると、にわかには信じがたい。

 しかし、ルシフェルがその気になれば、たった一人で【天使(アンゲロス)】たち全てを相手にして戦うことだって出来る。

 ルシフェルの周囲には、絶えず彼を保護する強力な魔法が展開され、物理的な影響から身を守る筋肉も、紫外線など有害な光線から皮膚組織を守る色素も、彼には必要がない。

 そもそも、【擬似神格】を持った者は老いることはないし、多くの【天使(アンゲロス)】が魔法で姿を変えることができるので、外見上の容姿も年齢もあまり意味をなさないのだ。


 ルシフェルに付き従う二人の小さな生き物の方は、ルキフゲ・ロフォカレとルキフゲ・フォカロルというルシフェルの従者だった。

 ルシフェルの足下で、せわしなく短い足を動かし、必死に歩調を合わせ行きつ戻りつしながら交互に主人の顔を見上げている。

 翼は2対4枚。

 二人の種族は不明だが、明らかに個体差が見受けられる。

 共通する特徴は、頭の大きさの割に手足は短く3頭身で、片眼鏡(モノクル)をかけていること。

 ルキフゲ・ロフォカレの方は、毛足の短い体毛が密生し、先端にフサのついた長い尻尾が生え、鼻は低く、大きな口には発達した犬歯がある。

 彼の姿を表現するなら、二足歩行する猫というものが一番近い。


 ルキフゲ・フォカロルの方は、猛禽類のような足に、尖った爪、眼は鋭く、鷲鼻である。

 こちらは鳥類を想起させる容貌。

 2人がかける片眼鏡(モノクル)の縁には、人種の眼球ほどの大きな【冥界石】が埋め込まれている。

 冥界石は、魔法の触媒として効果が高く、【魔界(ネーラ)】で産出される希少な鉱物だった。

 彼らの、愛らしい外見と相反する儀礼的な物腰が、二人の存在をどこか滑稽に見せている。


 ルシフェルは、ペタペタと素足を鳴らしながら、もう3日ほど【知の回廊】の内部を探検していた。

【知の回廊】は深淵であり、永遠の命を与えられたルシフェルでも、未だ足を踏み入れたことのない場所がいくつもある。

 ルシフェルは、広大な【知の回廊】にある全ての部屋を見てみようと思い立って、開いたことのない扉を手当たり次第に開けていた。

 旺盛な好奇心は、【天帝】がルシフェルに与えた恩寵の一つである。

 時折、忙しく働く【天使(アンゲロス)】たちに出くわすこともあったが、彼らはルシフェルに気がつくと姿勢を正して進路を空け、彼に柔らかく微笑みかけるだけ。

 ルシフェルは、彼らに微笑みを返し、部屋をぐるりと一べつしてから、通路に戻った。

 そしてルシフェルは、部屋に適当な名前をつける。

 彼の従者である小さな生き物の一人が扉に名を刻み、もう一人がその名を台帳に記した。


天使(アンゲロス)】たちの厳粛な職場である壮麗な【知の回廊】も、ルシフェルにとっては、ただの、()()()()()()()()()()に過ぎない。

 ルシフェルは、また新しい扉を開ける。

 どうやら、この部屋は医療関係の部署らしかった。


「ごきげんよう、ルシフェル様。何かご用ですか?」

 女性の【天使(アンゲロス)】がたずねた。


 彼女の位階は、最下位の【天使(エンジェル)】である。


「こんにちは」

 ルシフェルは言った。


「何と、ぶしつけな!そなたは、ルシフェル様の、お許しなく、声をかけられる身分ではない!」

 ルキフゲ・ロフォカレは、女性の【天使(エンジェル)】を叱責した。


「それに、ルシフェル様は、仮に用がなくても【知の回廊】の好きな場所を自由に歩き回り、全ての【天使(アンゲロス)】たちに仕事の手を止めさせることができる絶対者である!」

 ルキフゲ・フォカロルも同調する。


「申し訳ございません。どうか、お許しを……」

 女性の【天使(エンジェル)】は、取り乱して、取り繕う。


「謝る必要なんかないんだよ。暇を持て余してブラブラしているだけだから。()()()()()、仕事の邪魔になるといけない。さあ行こうか」

 ルシフェルは微笑んだ。


 ルシフェルは、ルキフゲ・ロフォカレとルキフゲ・フォカロルの二人をまとめて愛称の、ルキフグス、と呼ぶ。

 ルキフグスは、【智天使(ケルビム)】である。

 この愛称で気さくに2人を呼べるのは【熾天使(セラフィム)】だけだった。

 ルシフェルは踵を返した。


 ドカッ!ドカッ!


 ルシフェルは、ルキフグスの二人を順番に壁に向かって蹴り飛ばす。


「あっ!痛い!」

「えっ!痛い!」


「ごめんよ。視界に入らなかったんだ。足を踏み出した先に、()()()()、お前たちがいて……」

 ルシフェルは微笑んで言った。


 3人は、部屋を後にして、再び歩き出す。

 ルシフェルが開いた扉は、すでに4桁を数えた。

 やがて、彼は、この暇つぶしにも飽き始める。


「しかたがない」

 ルシフェルは、自分を納得させるように言った。


「だから、言ったではありませんか?」

 ルシフェルの膝丈あたりの高さから彼を見上げるのは、ルキフゲ・ロフォカレ。


「そうです。あなた様は、天界の守人たる【天使(アンゲロス)】の中でも、もっとも崇高なるお方。このような徒労でムダに時を過ごしてよい道理がございません」

 ルシフェルを挟んで反対側から見上げるのは、ルキフゲ・フォカロル。


「我輩は、ルシフェル様の代理として、決裁しなければならない仕事を残してまで、こうしてお供をしておるのです」

 ルキフゲ・ロフォカレは、右目からモノクルを外し、ローブの袖を使って磨いた。


「吾輩だって、ルシフェル様の代理として参加するべき朝議に、この3日間出席できておりません」

 ルキフゲ・フォカロルも、左目からモノクルを外し、ローブの袖を使って磨いた。


「ミカエル様から、叱られるのは我輩なのですぞ」

「ミカエル様から、叱られるのは吾輩なのですぞ」

 2人は、モノクルをかけ直して言う。


「僕は、やらなくちゃならない仕事は、きちんとこなしているつもりだよ。僕でなくてもできる雑用なら、お前たちで事足りる」

 ルシフェルは、小さな従者たちにむかって、子供を諭すように語りかけた。


「それは、仰る通りながら、やはり生産性という考え方もございますれば……」

「然り然り……」


「そもそも、無駄というのは、時間と資源に制約がある場合に用いるべき概念だろう?仕事さえ済ませれば、僕の時間は永遠だ。資源の消費も、せいぜいお腹が減るくらい」


「職務のない時に、あなた様が何をなさるのも、それは自由でございます。お好きになさいませ」

 ルキフゲ・ロフォカレは言う。


「しかし、それに付き合う従者のことも、多少は、お考えいただきたい、と申しているのです」

 ルキフゲ・フォカロルは言う。


「僕は、お前たちに……ついて来い……などと命じてはいない」


「【知の回廊】の中には、捕虜として収容された【巨人(ジャイアント)】や魔物どもがおります。こちらの魔物は、()()、の者たちと違い、飼い慣らされてはおりません。いざという時には、身を呈してお守りする必要がございます」

 ルキフゲ・ロフォカレは、しごく当然という態度をする。


「【知の回廊】の中には、外敵の進入に備えて、各種の迎撃機能が張り巡らせてあります。誤って、それら罠の餌食となられますれば、一大事でございます」

 ルキフゲ・フォカロルは、しごく真っ当という態度をする。


()()()()()()、ねえ……。確か、僕は最高の知性と魔力を持っているはず。つまり最強の【天使(アンゲロス)】なのだよね?」


「はい。【天帝】様は、そのようにルシフェル様をお創りあそばしました」


「【天使(アンゲロス)】、3億の頂点に君臨し、その戦闘力は、全ての【天使(アンゲロス)】を纏めて屠ることが出来る程に強大でございます」


「だとすると……その僕が、()()()の危機に陥るようなことになれば、お前たちがごとき雑兵を何人連れていても、たいして状況は好転しない、と思うんだけれど」


「そういう些末な事実関係を申しているわけでは、ございません」


「そうです、これは従者としての、()()()()()でございます」


 グーッ……。

 双子の腹の虫が同時に鳴いた。


「ふふふ……」

 ルシフェルは愉快そうに笑った。


「あ、いや失敬……」


「お恥ずかしい限り……」


「いいよ。帰って食事にしよう」

 ルシフェルは、ローブの裾を捲り上げると、勢いよく駆け出した。


「ルシフェル様、はしたない格好は、おやめ下さい」

 ルキフゲ・ロフォカレは慌てて走り出した。


「誰かに見られでもしたら、あなた様の品格を傷つけます」

 ルキフゲ・フォカロルも後を追う。


「礼も、作法も、過ぎたるは、なお及ばざるが如しだよ」

 ルシフェルは加速した。


「これは【天帝】様が、お決めになったこと。上に立つ者は、ふさわしい振る舞いをなさるべきです」

 ルキフゲ・ロフォカレは言う。


「そうです。あなた様がそうやって甘い顔をなさるから、先ほどの【天使(エンジェル)】のような不心得者が現れるのです」

 ルキフゲ・フォカロルは同意する。


「くだらないね」

 ルシフェルは吐き捨てた。


 ルキフグスは、必死に走るが追いつけない。

 2人は、二足歩行をあきらめて、()()を床に下ろした。


「お待ち下さい、ルシフェル様…うわっ!」

「お待ち下さい、ルシフェル様…ぎゃっ!」

 ルキフグスは、ルシフェルの足下に近づきすぎて、順番に、主人から蹴り飛ばされてしまう。


「あ、ごめんよ。今のは、()()()、うっかりだ」

 ルシフェルは、言った。


 ・・・


【白の庭園】と呼ばれる、ルシフェルが【天帝】から与えられた住まい。

 住まい、といっても、領土と言えるほどの広大な敷地には、いくつもの山や野や川や湖があり、内海には島まである。

 そこには、多様な動植物が生息していた。

 中には、元来は【天界(シエーロ)】の生物ではないものもいる。

 全て、【(ゲート)】を通じて世界中からルシフェルが自ら収集したもので、彼は、この3つの世界の生物たちが複雑に生態系を絡み合わせる環境を、一人で一から造り上げた。

 天候、地形、動植物の種類と数、それらを過不足なく均衡させ、全ての生物にとって楽園とも思える、()()を完璧に調和させたのである。


 庭園には、知性を持った生き物までいた。

 ルシフェルは、庭園の中に、いくつもの建築物を多種多様な様式で造り、そこに、あらゆる知的生命体を()()()()()()

 彼らは、ここで生活し、社会を形成し、世代を経て、文明を築き、歴史を紡ぎ、そして死んだ。

 ルシフェルは、その全てを詳らかに見守る。

 知的生命体たちにとって、ルシフェルは飼い主であり、相談役であり、管理者であり、主人であり、王であり、神であり、そして家族の一員であった。

 生態系というからには、知的生命体の食べ物も庭園内の食物連鎖だけで全てまかなえる。

 もちろん、この生態系には、ルシフェルたち自身も含まれていた。


「うん。新鮮な肉だ」

 ルシフェルは、いかにも重厚な斧を、軽々と振るう。


 ドスンッ!


 魔法が施された斧は、ほとんど抵抗なく、ぶ厚い【(ドラゴン)】の尾を切断し、見事な切断面の輪切り肉とする。


「この子は幼生だから柔らかいと思うよ」

 ルシフェルは、再び斧を振り下ろす。


 ザクッ!


「おっと……」


「どうなさいました?」

 ルキフゲ・ロフォカレがたずねた。


 ルキフグスは、二人揃ってローブを脱ぎ、几帳面に畳んで、【収納(ストレージ)】にしまったところだ。


「やっちゃった」

 ルシフェルは、自分の左手を広げてみせた。


「おやおや……」

 ルキフグスは、嘆息する。


 ルシフェルの人指し指の第二関節から先は、なくなっていた。

 拍動に合わせて血液を溢れ出させる指先を、ルシフェルは凝視する。

 たちまち出血が止まり、肉が盛り上がり始め、みるみる内に指は再生された。


天使(アンゲロス)】や神、一部の魔物に寿命はない。

【擬似神格者】は、肉体が傷ついたり欠損しても、魔力の許す限り何度でも治癒、修復、再生する。

 しかし、死なないわけではない。

 仮に、脳や中枢神経が修復不可能な水準で破壊された場合、肉体は死体として再生され、動物に食べられでもしなければ、朽ちることもなく永久に留め置かれる。

 生命とは、すなわち自我と記憶を持った状態なのである。


「平時でも魔法防御の出力をお上げください。天軍の最高指揮官ともあろうお方が、調理ごときで指を落とされるなど、笑い事では済まされません」

 ルキフゲ・ロフォカレは言う。


「いつ、いかなる時も油断大敵でございます。あなた様が身体機能に支障をきたすことなど、万が一にも、あってはなりません」

 ルキフゲ・フォカロルも言う。


 ルシフェルは、ルキフグスたちの足下の床に置かれた大皿めがけて、それぞれ切り分けられた巨大なドラゴンの尾肉の塊を投げて与えた。


 ルキフグスは、しゃがみ、両腕を床につけて、背筋を伸ばした。

 ちょうど犬猫の類が見せる、()()()のポーズである。


 すると、二人の体は天井に届かんばかりに変異した。

 ルキフゲ・ロフォカレは、立派な【スフィンクス】となり、ルキフゲ・フォカロルは、見事な【グリフォン】となる。

 これが、ルキフグス本来の姿だった。

 近似種と考えられる地上界のライオンのゆうに五倍、大鷲の数十倍はあろうかという威容。

 盛り上がった筋肉、逞しい四肢、雄大な翼は、荘厳な雰囲気すら湛えている。

 神格生物とは、美しく、強力な生命体なのである。

 彼らは【スフィンクス】や【グリフォン】の姿になれば、生きた【(ドラゴン)】をも容易く食い殺せた。

 ルキフゲ・ロフォカレの金色に輝くたてがみ、ルキフゲ・フォカロルの白銀に瞬く羽毛が、二頭の膨大な魔力を帯びて、ユラユラとたなびいていた。

 ルキフグスのような人型に由来しない【天使(アンゲロス)】たちは、平時、諸般の都合で化身(けしん)して生活していた。

 本来あるべき姿に戻ることを、現身(げんしん)……仮の姿になることを、化身(けしん)という。


 古の昔……【天使(アンゲロス)】は単一種族だったという。

 もちろん、その旧時代の【天使(アンゲロス)】族の遺伝学的流れを汲む【天使(アンゲロス)】は人口比的には、現在でも多い。

 しかし、()()などという原始的な方法で種族を増やす必要がなくなった、新時代の【天使(アンゲロス)】には、もはや種族などという概念は古生物学の話なのである。


「よし!」

 ルシフェルは、ルキフグスに許可を与えた。


 ルキフグスたちは、肉の塊を実に美味しそうにむさぼり始める。

 2人……いや2体は、3日ぶりにありついた獲物を一心不乱に食べていて、言葉もない様子。

 ルシフェルは、その姿を見て目を細めると、自らも小さな肉塊を口に入れ、それを咀嚼する。

 先ほど切り落とした、彼自身の指だった。

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