第1235話。【ハグ】。
【フエンテ・サルガード】の【竜神信仰教会】。
私は、【フエンテ・サルガード】の【竜神信仰教会】司祭イシドーラから、【イスプリカ】皇帝ロドリーゴ・エル・シッド・イスプリカについての情報を聴いていました。
イシドーラ司祭曰く、ロドリーゴ皇帝は、私やミネルヴァやリント、それから巷間で噂されているような無能で馬鹿なお飾りの皇帝ではないそうです。
ロドリーゴ皇帝は、実権を持たない選帝侯達の傀儡として名目上の【イスプリカ】皇帝の玉座に据えられているだけでした。
なので、もしもロドリーゴ皇帝が、選帝侯達の意に沿わない行動をすれば、彼は直ぐに弑され物理的に他の者に首を挿げ替えられるでしょう。
イシドーラ司祭によると、そもそもロドリーゴ・エル・シッドが選帝侯達によって皇帝に選ばれた経緯自体が、彼が選帝侯達から無能で馬鹿なので操り人形として御し易いと思われていたからなのだとか。
しかし、イシドーラ司祭が言うには、ロドリーゴ皇帝は無能で馬鹿な振りをしていました。
イシドーラ司祭の言葉を信じるなら、ロドリーゴ皇帝は実際には有能な賢帝であるようです。
イシドーラ司祭曰く……ロドリーゴ皇帝が実際は有能な賢帝である事が選帝侯達にバレれば帝位を廃されたり、弑逆される可能性があるので、自身が有能である事を悟らせないように無能な馬鹿を演じている……のだとか。
能ある鷹は爪を隠す……という事なのかもしれません。
それが事実であるなら、最強のサーベイランス能力を持つミネルヴァでさえ、ロドリーゴ皇帝を無能な馬鹿だと見做していた位なのですから、彼の情報統制と防諜の能力は卓抜しています。
ミネルヴァが調べたところ、ロドリーゴ皇帝は常に酔っ払っていて、複数の道化を侍らせ遊興に耽り、側から見ると無能で馬鹿の典型のような振る舞いをしていました。
しかし、イシドーラ司祭によれば、ロドリーゴ皇帝は秘密裏に皇帝領【イスポリス】の奴隷を解放し経済的に自立させる政策を立案しています。
そして、ロドリーゴ皇帝は、ミネルヴァが私の名前で……奴隷解放と奴隷制廃止……を【イスプリカ】に勧告したタイミングを利用して、実際に勅命を出して帝都【イスポリス】の奴隷を解放し、帝都周辺だけではありますが奴隷制を廃止していました。
私とミネルヴァは、そのロドリーゴ皇帝の行動を……ゲームマスター本部からの処断を恐れただけの何ら思想がない場当たり的な考えなしの行動……だと考えていましたが、イシドーラ司祭によれば、それは高度な政治的判断に基づく確信犯的な行動であったのだとか。
それが本当ならば、驚くべき豪胆さですね。
それに、ロドリーゴ皇帝は、自身が極秘に計画していた奴隷解放スキームを、直営の旗本や官僚達に水面下で実行させていました。
ロドリーゴ皇帝直営の旗本や官僚達は、現在まで誰もロドリーゴ皇帝を裏切って選帝侯達の側に情報をリークしたりしていないのです。
また、【イスプリカ】を庇護する……竜神……と呼ばれる4頭の【古代竜】と、イシドーラ司祭達【竜神信仰教会】も、ロドリーゴ皇帝を全面的に支持していました。
もちろん、【竜神信仰教会】から選帝侯側に寝返る者も誰一人居ません。
大した統率力と求心力です。
「ロドリーゴ皇帝は、私やゲームマスター本部からの外圧がなくても、自力で奴隷解放を行い奴隷制を廃止し【イスプリカ】に【世界の理】を守らせる改革を成し遂げようとしていたのですか?」
「ロドリーゴ皇帝陛下は、そのようにお考えでした」
「でも、選帝侯達の傀儡のお飾りの皇帝に過ぎないロドリーゴが、奴隷制を維持しようとする選帝侯達の意に反して、如何やって奴隷制を廃止しようとしたのかしら?力なき理念は単なる絵空事よ」
リントが厳しい見解を示しました。
リントの見解は、完全な正論です。
「選帝侯の中にロドリーゴ皇帝陛下の理念に共感して水面下で協力をする方達がいらっしゃいます。【アストリア】選帝侯閣下です。それから、前の【アラゴニア】選帝侯閣下もロドリーゴ皇帝陛下の理念に共感し忠誠を誓う皇帝派でした」
イシドーラ司祭は言いました。
「前【アラゴニア】選帝侯トリニダード・アラゴニアは、謀反を起こした実弟のウリーベ・アラゴニアに殺害され、選帝侯位を簒奪されてしまったのですよね?」
その結果、前【アラゴニア】選帝侯の正妃ヴィヴィ・アムダール・アラゴニアと子供は、【クレオール王国】に逃げてノート・エインヘリヤルの庇護下に入っています。
「はい。前の【アラゴニア】選帝侯……いいえ、現在も正当なトリニダード選帝侯閣下は、ロドリーゴ皇帝陛下の奴隷制廃止案に人道主義の観点から賛同しておられましたが、志半ばで謀叛に倒れてしまわれました。ロドリーゴ皇帝陛下は、トリニダード選帝侯閣下の死を大変に悲しまれております。トリニダード選帝侯閣下が亡くなった事で、ロドリーゴ皇帝陛下が推し進めようとしていた様々な改革は後退してしまったと思われていました。しかし、此度【調停者】様と守護竜【リントヴルム】様が、こうして【イスプリカ】に御降臨遊ばしました事は、お亡くなりになったトリニダード選帝侯閣下のお導きかもしれません」
「もしかして、【アラゴニア】選帝侯トリニダード・アラゴニアは皇帝派だから、謀叛に遭い討たれてしまったのでしょうか?」
「一面では、そういう可能性はあると思います。トリニダード選帝侯閣下に謀叛を起こし、【アラゴニア】選帝侯位を簒奪したウリーベは選帝侯派ですので。ただし、ウリーベは、ロドリーゴ皇帝陛下とトリニダード選帝侯閣下が、奴隷制を廃止して【イスプリカ】を改革しようとしていた秘密計画は知らない筈です。計画は極秘で進められていましたし、ウリーベこそ権力にしか興味がない無能です。あのウリーベが、ロドリーゴ皇帝陛下やトリニダード選帝侯閣下が秘密裏に推進していた改革に気付ける筈がありません」
「イシドーラ。さっき……【アストリア】の資本家に【イスポリス】皇帝領を一部売却して、ロドリーゴの奴隷制廃止スキームに必要な当座の資金繰りを解決した……と言ったけれど、その資本家も皇帝派なのね?」
リントが質問しました。
「はい。アレハンドラ・フランチェスコリ女史は、【イスプリカ】最大の大富豪で、ロドリーゴ皇帝陛下の奴隷制廃止計画に参与する民間人としては最大の協力者でございます」
「アレハンドラがロドリーゴ皇帝のパトロンだったのですか?」
「【調停者】様は、アレハンドラ女史をご存知なのですか?」
「ええ。アレハンドラには、【マッサリア】で起きた同時多数爆破テロ事件の捜査に協力してもらいました」
「なるほど。アレハンドラ女史は【イスプリカ】では最も情報に聡い方ですからね」
情報に聡いというか、【マッサリア】で使われた【魔法擲弾】を密売した組織【オペッハ・ペルディーダ】のボスがアレハンドラ・フランチェスコリなのですけれどね。
「いずれにせよ、ロドリーゴ皇帝が【世界の理】を守ろうという考えなら、ゲームマスター本部として彼を支援しなければならないでしょう」
チーフ……帝都【イスポリス】に、ロドリーゴ皇帝の身辺を警護する目的で【輸送機】ユニットを送りました……それから【銀行ギルド】にロドリーゴ皇帝が発行する国債を引き受けてもらうよう働き掛け、たった今ビルテ頭取の内諾を取り付けました。
ミネルヴァは【念話】で報告します。
さすがは、ミネルヴァ。
仕事が早い。
「まだ頭取個人による内諾の段階ですが、今後は【銀行ギルド】もロドリーゴ皇帝に経済的な協力をしてくれるでしょう」
【銀行ギルド】がロドリーゴ皇帝が振り出す債権の引き受けを拒否した理由は、【イスプリカ】が【世界の理】に反する奴隷制採用国家だからでした。
各ギルドは民間資本の国際機関ですが、そもそもは【創造主】が設立したモノです。
そして各ギルドが使用している様々なインフラやアセットも、殆ど【創造主】が創った【初期構造オブジェクト】でした。
それら各ギルドが使用するインフラやアセットは、各ギルドが組織的に【世界の理】に違反すると、【創造主】が仕込んだバック・ドア・プログラムが起動して全て使えなくなります。
なので各ギルドは、【世界の理】に反する者や組織や国家には協力しません。
しかし、ロドリーゴ皇帝が【イスプリカ】を【世界の理】に従う方向で改革しようと考えているなら話は変わって来ます。
今後各ギルドは、【世界の理】に違反する選帝侯領を含む【イスプリカ】全土に対する協力はしませんが、ロドリーゴ皇帝個人には協力が可能になりました。
「本当ですか?それは素晴らしい」
イシドーラ司祭が言います。
「妾もロドリーゴの後盾になってあげなくちゃならないわね」
リントが言いました。
チーフ……ロドリーゴ皇帝と接触しました……【イスプリカ】標準時の10月30日午前9時に、ロドリーゴ皇帝との会見のアポイントを取りました。
ミネルヴァが【念話】で報告します。
わかりました……ありがとう。
私は【念話】で了解しました。
「リント。10月30日の午前中にロドリーゴ皇帝と会う約束をしました。あなたも一緒に来て下さい」
「わかったわ」
リントは頷きます。
ウエスト大陸の事は、ウエスト大陸の守護竜である【リントヴルム】にやらせるのが道理ですし、私のタスクと責任も軽減出来ますからね。
ただし、これは私がサボりたいからリントに自分の仕事を丸投げにしている訳ではありません。
私は……ゲーム会社の社員としてのゲームマスターではなく、【世界の理】の守護神としてのゲームマスターになる……と決めました。
つまり、私は、私がやるべき事にリソースを集中する為に、私がやるべき事以外は可能な限り責任を負うべき立場の他者に任せようと考えたのです。
今までの私は、実際にはゲームマスターの仕事ではない事まで面倒事を抱え込み過ぎていました。
それは、ある意味では勤勉で仕事熱心な日本のサラリーマンの美徳かもしれませんが、同時に悪癖なのです。
私は、【世界の理】の守護神としての職務を全うする為に、これからは守護竜がやるべき仕事は守護竜に任せると決めました。
本来他者が行わなければならない仕事を、私がやれば他者より簡単に上手く出来るからといって、良かれと思って手伝ってあげるのは、他者にとって必ずしも良い事ではないのです。
「取り敢えず、ロドリーゴ皇帝については良いでしょう。イシドーラ達に聴きたいのですが、昨年の夏、あなた達を【精神支配】した者について何か心当たりはありませんか?」
私は、少し強引に話題を変えました。
何故なら、もう余り時間がないからです。
数時後には次のスケジュールが迫っていました。
私は【堕天】病を制圧する為に、神聖な泉の浄化を行わなければいけません。
世界的な重大疾病の感染爆発制圧は、ゲームマスターの職責でした。
ただし、【堕天】病が世界的な感染爆発を引き起こす疾病なのかは懐疑的です。
【堕天】病は先進国で行われている水準の浄水措置によって防げますし、また空気感染や飛沫感染などは起こしません。
しかし、【堕天】病の病原である異常型タンパク質は、紛れもなく感染因子でした。
【堕天】病に罹った家畜の肉などを食べれば、二次感染が起こります。
【堕天】病の流行地域から家畜や、その加工食品が他の地域に輸出されたりすれば、世界中に【堕天】病が拡大する懸念は否定出来ません。
将来的な感染爆発の芽を潰しておくのは予防的観点で正しい防疫措置です。
【フエンテ・サルガード】の住民を【精神支配】した者についての心当たり……を私から質問されたイシドーラ司祭以下【竜神信仰教会】の一同は、【精神支配】を受けた当時の事について思い当たる可能性を話し合いました。
とはいえ、【フエンテ・サルガード】の住民について【精神支配】を行った犯人の情報を得られる可能性は余り期待出来ません。
一般論として【世界の理】に反する使途で【精神支配】を行う際には、犯人は事後に足が付かないよう細心の注意を払う筈ですからね。
「昨年の夏の事で直ぐに思い付くのは、【ハグ】が【フエンテ・サルガード】を襲撃して来ました」
イシドーラ司祭は言いました。
【ハグ】は、人種の【ハーピー】に近似した姿をしている【魔人】です。
【ハグ】は【精神支配】も使いました。
「【ハグ】の襲撃ですか?」
「はい。【フエンテ・サルガード】の北西には昔からケリドウェンという名持ちの【ハグ】が住み着いていて、時々襲撃を仕掛けて来ます。なので、この【フエンテ・サルガード】は堅牢な城壁で守られ、バリスタや高射砲など各種対空兵器を備えています」
なるほど。
私は、【スクリメージ・スクアッド】との戦闘の際に使用されていた【フエンテ・サルガード】の防衛兵器の類が、農地や生産設備が全くない戦略的価値が低い辺境の集落が保有する防備としては些か強力過ぎると思っていたのです。
私は、【フエンテ・サルガード】が水源の管理拠点や宗教施設として重要な位置付けにあるので戦略的価値以上に重武装で守られているのだろうと解釈していましたが、上空から攻撃して来る【ハグ】を撃退する為に必要な武装だとするなら現実的で合理的な設備として理解出来ました。
「ケリドウェンと言いましたか?」
ウィローが驚きます。
「ウィロー。ケリドウェンなる【ハグ】を知っているのですか?」
「はい。ケリドウェンは、私が人種として生きていた古代七王国時代に【山麓の国】を荒らし回っていた恐るべき【ハグ】の名前です。父から、ケリドウェンの話を聴きました。もちろん、イシドーラ司祭が言うケリドウェンが、私が知るケリドウェンと同一個体であればですが……」
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