第1230話。アンガー・マネジメント。
【フエンテ・サルガード】。
亡くなっていた子供を救えなかったのは本当に残念でなりませんが、生きている子供達は保護しました。
そして、亡くなった子供を、殺害した犯人が居る筈です。
その犯人を捕まえて重謀殺罪で処罰しなければいけません。
私は、子供の遺体を【収納】に回収しました。
もしも、この子の家族を見付けたら、遺体を返してあげなければいけません。
亡くなった子供の心臓はなくなっています。
その心臓の行方を辿れば、この亡くなった子供を殺害した誰か、あるいは、その死に責任を負う立場の誰かを捕まえられる筈ですが……。
この可哀想な子供は亡くなって数時間というところですので、近距離に子供の心臓があれば、私の能力なら遺伝子情報を辿ってサーチ出来る筈なのですが、見当たりません。
さてと、【麻痺】で無力化されている【フエンテ・サルガード】の者達の中に、罪なき子供達を奴隷として購入し、檻に閉じ込め、生きたまま心臓を抉り出して殺害した犯人や、その【世界の理】違反に対して責任を負う立場の者が居れば問題ありませんが、既に逃亡などをしていて居ないとするなら、少し困った事になりますね。
困るという意味は、私の怒りの持って行き場所がなくなり、暴発して良くない方向にゲームマスターの能力を使ってしまうかもしれないからです。
以前から私は……ゲームマスターが本気で追跡を行なえば絶対に逃げられない……というような言葉を、警告や脅し文句として何度も使いました。
この原説自体は、100%事実です。
ただし、実際には……ゲームマスターが本気で追跡を行う事……が状況によっては限りなく不可能なレベルで困難な場合もありました。
何故なら……ゲームマスターが本気で追跡を行えば絶対に逃げられない……という事実が示す究極的な意味は、全宇宙に【超神位】の【精神支配】を行使して、追跡対象に……私の所に自首しろ……と、命令する事だからです。
この方法なら、ゲームマスターの追跡対象は宇宙の何処にも逃げ隠れ出来ません。
しかし、そのような【超神位……精神支配】の運用は、原則として……ゲームマスターの遵守条項……で禁じられています。
宇宙全域は極端な例だとしても、例えば大陸全域、国全域、都市全域であっても、【世界の理】に違反していない無辜の民も含めて無差別、且つ無制限に【精神支配】を行う事は……ゲームマスターの遵守条項……に違反していました。
例外として、無差別・無制限ではなく対象と範囲が限定され、【超神位……精神支配】の行使が緊急避難による超法規的措置として妥当であれば認められる場合もあります。
例えば、私が今日の午後……【イスプリカ】の【ブリリア王国】方面侵攻軍キャンプで奴隷が使役されていた事による【世界の理】違反を取り締まった場合……などが、そのケースに該当しました。
あの【イスプリカ】軍50万人の内47万人は【世界の理】違反者です。
なので、47万人の【世界の理】違反者に対して【精神支配】を使って取り締まる事は、ゲームマスターの遵守条項に照らしても全く問題ありません。
それ以外の3万人の内、大半は【イスプリカ】軍によって奴隷にされていた無辜の人達と、少数は奴隷にされておらず【世界の理】を遵守して暮らして来た無辜の人達です。
奴隷にされていた人達を救出し保護する目的で、一時的に【精神支配】を行った事は、ゲームマスターの職務執行上止むを得ない緊急避難の超法規的措置として認められました。
しかし……何処に逃げたか全くわからない誰かを捕まえる為に、無関係な無辜の人達も含めて丸ごと無差別に【精神支配】を行う……というのは、もちろんゲームマスターの遵守条項違反ですし、さすがに緊急避難の超法規的措置としても認められません。
なので、私は【マッサリア】の無差別同時多数爆破テロ事件への重要容疑者である【上位悪魔】のブルヘリア・マルディシオンを追跡する為に、無差別・無制限の【精神支配】を(能力的には行えるけれども)行わないのです。
また、同じ理由で、ジョヴァンニ・カンパネルラの行方を捜索する為に、無差別・無制限の【精神支配】は使えません。
もちろん、ジョヴァンニ・カンパネルラは【世界の理】違反者でも犯罪者でもないので、捜索している理由が、そもそも……一度会って話したい……という個人的な用件ですので、個人的な事にゲームマスター権限や【超神位魔法】を使う事自体が相応しくない訳です。
なので、ゲームマスターの私が本気で追跡すれば、誰であろうと絶対に逃さないのは紛れもない事実ですが、実際の運用においてはゲームマスターの遵守条項に抵触するので、その……本気……にはリミッターが掛かっていました。
そもそも私は、何故こんな取り留めがない事を考えているのかと言うと、今の私は罪なき無辜の子供が惨殺されているのを見てブチ切れているので、怒りに任せて……ゲームマスターの遵守条項なんか糞食らえ……と考えて、感情が赴くまま暴走をしてしまいかねないからです。
怒って感情が爆発しそうになった時に冷静になる目的で、取り留めのない事を色々と考えるのが、私なりのアンガー・マネジメントの方法でした。
私は、最強無敵のゲームマスターです。
私が怒りに任せて力を振るえば、一瞬で宇宙を消滅させられました。
なので、理屈を色々と捏ねくり回して、暴れ出そうとする感情を無理矢理包摂して捻じ伏せようと試みているのです。
私は、既に【イスプリカ】の奴隷制を潰す為に、【イスプリカ】と戦争をしている【クレオール王国】と【スクリメージ・スクアッド】に対して【ドゥーム】の兵器を貸与する決断をして……ゲームマスターは1国1党1派に与しない……という、ゲームマスターの遵守条項を故意に逸脱しました。
ただし、【世界の理】は上位規範で、ゲームマスターの遵守条項は下位規範です。
従って、あの兵器の貸与は、奴隷制を採用している重大で悪質な【世界の理】違反国家である【イスプリカ】に対抗する【クレオール王国】と【スクリメージ・スクアッド】を支援する目的で、止むを得ない緊急避難の超法規的措置によるゲームマスターの遵守条項の逸脱という解釈が成立し、理屈の上では正当化が可能でした。
しかし、無差別・無制限に【精神支配】を行使して、ゲームマスターの遵守条項に抵触した場合、私は単なる破戒者でしかありません。
それは本質的に、怒りに任せて宇宙を消滅させてしまう愚挙と同義です。
まあ、これは……何処で線引きをするのか……という程度問題に帰結するのですけれどね。
程度問題という事は、白か黒かの二者択一ではなく、白と黒の間に無限のグラデーションがあるという事です。
つまり、程度問題の範疇では……【イスプリカ】の【世界の理】違反を是正する為に、緊急避難の超法規的措置として【クレオール王国】と【スクリメージ・スクアッド】に【ドゥーム】の兵器を貸与する事……と……【世界の理】違反者を捕まえる為に無差別・無制限に【精神支配】を行使する事……は、両方セーフとも言えるし、両方アウトとも言えるし、片方がセーフで片方がアウトとも言えました。
あるいは、今日の午後、私がセーフと確信して判断した……【イスプリカ】の【ブリリア王国】方面侵攻軍50万人に対する広域【精神支配】……だって、白か黒かの二者択一ではないので、もしかしたらゲーム会社から解雇など、私が想定する以上に重い処分を受ける可能性だって全くない訳ではないのです。
つまり、あれも程度問題。
程度問題であるなら……逃亡犯を自首させる目的で無関係な無辜の人達を大勢巻き込んで行使する無差別で無制限の【精神支配】……だって、私がセーフだと恣意的に線引きしてしまえば、限りなく黒に近い灰色でも白だと解釈出来てしまえます。
少なくとも、ゲーム会社から……アウト……という最終判断が下されるまではですが……。
人間は、一線を超えると歯止めが効かなくなる場合があります。
【世界の理】に違反する奴隷制採用国家の【イスプリカ】を潰す為に、【クレオール王国】と【スクリメージ・スクアッド】に【ドゥーム】の兵器を貸与するという、かなり黒に近いグレー・ゾーンの判断を下した現在の私が正にそういう状況でした。
私は、頭の中で理屈を反芻する事で、怒りで我を忘れて暴走しそうになる自分自身を必死に制御しているのです。
「ふう〜……」
私は深呼吸しました。
大丈夫です。
私は、【精神耐性】が正常に働いて怒りの衝動を抑え、ゲームマスターの職責を守れました。
今回のは、ルシフェルに対して殺意を覚えた時よりは大分マシです。
あの時は一瞬でしたが思考と感情が別々の判断をしていましたからね。
私の思考は……ゲームマスターの職責を果たせ……と判断しましたが、感情は……ルシフェルを殺せ……と判断していたのです。
もちろん、私はゲームマスターの職責を果たして、ルシフェルを生かしました。
しかし、あれは本当に危なかったのですよ。
ただし、ルシフェルの罪は処刑に値するモノです。
あのケースでは、私がルシフェルを処刑せず生かした判断こそ、緊急避難の超法規的措置でした。
結果的に、私がルシフェルに死ぬまでの過重労働を行わせる刑罰を科した事で、北米サーバー(【魔界】)では救われるNPCが増える筈です。
ミネルヴァの計算では、100年なら1億人、1千年なら10億人のNPCが恩恵を受けると試算されていました。
瞬きするより簡単に一瞬で宇宙を消滅させられる力を持っている私が怒りに任せて力を行使すれば取り返しが付かない事になりかねません。
一応、私が……宇宙を消滅させる……などという、この世界を取り返しが付かないレベルで破壊してしまいかねない使途で、ゲームマスター権限や【超神位魔法】を行使しようとした際には、【世界の理】のセーフティ・プログラムによって運営管理権限者(現在は私とミネルヴァの2柱だけ)がIDとパスワードを入力して、運営管理規約を実行しなければならない仕様になっていますが、逆に言えば、私とミネルヴァの2柱が揃って運営管理規約の実行を承認すれば、宇宙も消滅させられます。
そういう致命的な間違いを犯さないように、私は常に冷静で居なければならない立場でした。
1人の人間個人としての私は……全く罪がない幼い子供達が理不尽に殺害される……などという事に当然ながら激しい怒りを覚えます。
しかし、ゲームマスターとしての私は、それを事実として受け止め、場合によっては冷めた目で傍観しなければいけません。
やれやれ、ゲームマスターという仕事は、本当に因果な商売ですよ。
いいえ、現在の私は会社から1円も給料を貰っていないのですから、それ以下です。
そして、ゲームマスターの私は不老不死で不死身ですから、このまま地球に戻る方法が見付からないままなら、ゲームマスターを辞めたくても永久に辞められません。
というか、私とミネルヴァは、もはや地球に戻れる可能性を限りなく0だと諦観していますけれどね。
週休2日などと贅沢な事は言いません。
せめて、月に1日だけでも完全なプライベートがあれば……。
先日、休暇でノース大陸を観光旅行した際にも、私は何やかんやと仕事をしていましたし。
まあ、休みの日に、私にしか対処不可能な問題が発生すれば、否が応もなく私が出動せざるを得ないのですが……。
仕事のデス・マーチぶりを考えると、いつも直ぐに頭が冷静になるんですよね。
相変わらず亡くなった子供が痛ましいと思う気持ちはありますが、もう怒りはすっかり消えました。
ワーカホリック、ここに極まれり……という感じでしょうか。
「さてと、プロスペール。私は、【フエンテ・サルガード】の【世界の理】違反について責任を負うべき立場の者を探しに行きます。あなたも付いて来ますか?」
私は、完全な冷静さを取り戻して言いました。
「はっ!お供致します」
プロスペールは敬礼します。
「ところで、あなたはノートの【眷属】ですよね?」
「はい。私も含め、【スクリメージ・スクアッド】のオリジナル・メンバーで初期の5個分隊に1人ずつ隊長として、マイ・ミストレスの【眷属】がおります」
「あなたが率いる【トランサルピナ】大隊の配下達は、【魅了】や【精神支配】を受けている者ですね?」
「隊長以下のオリジナル・メンバー達はそうです」
「先程あなたから……【トランサルピナ】大隊は500人規模に拡大した……と聞きました。つまり後から【スクリメージ・スクアッド】に加入した者は、ノートの【眷属】でもなければ、【魅了】や【精神支配】で従属させられている訳でもないのですよね?」
「仰る通りです」
「だとするなら、【眷属化】や【魅了】や【精神支配】を受けていない【スクリメージ・スクアッド】のメンバー達は、純粋に奴隷解放と【世界の理】違反に対するカウンターとしての思想に共感して生命を懸けて戦っているのですよね?」
「そういう事になりますね」
「【スクリメージ・スクアッド】は略奪などはしないそうですが、【眷属化】や【魅了】や【精神支配】を受けていないメンバーも、それを守っているのですか?」
「奴隷制を敷く各地の領主や代官からは、むしろ積極的に略奪していますが、無辜の民からは絶対に略奪などはしませんし、させません。あ、いや、実は略奪というか兵隊個人のレベルでは無辜の民に対する盗みや乱暴狼藉などを働いた例もありましたが、そういう軍規違反者は全員処刑し、略奪品は返還もしくは弁済しました。そのおかげで、無辜の民から【スクリメージ・スクアッド】は信用され、最近では支援してくれる集落も多いのです。そういう集落に立ち寄ると、住民が炊き出しなどをしてくれ、風呂に入れてくれたりもします」
「その規律は大したモノですね?」
「マイ・ミストレスのノート様から……【スクリメージ・スクアッド】は、例え飢え死んでも他人様のモノには手を付けるな……と、厳命されております」
「ノートや【クレオール王国】が、【スクリメージ・スクアッド】に対して略奪禁止を厳命するのは当然です。【クレオール王国】に協力して、補給も受けている【スクリメージ・スクアッド】が、もしも【イスプリカ】で略奪などを働けば、ノート・エインヘリヤルや【クレオール王国】のイメージが悪くなって、国際世論が敵に回り、戦局が不利になるかもしれません。しかし、それを【眷属化】や【魅了】や【精神支配】を受けていない末端の兵隊にも徹底させているのは、プロスペールや他の隊長達の指揮能力です。規律を徹底する秘訣は、何ですか?」
「秘訣なんか何もありません。俺達オリジナル・メンバーが死ぬ気で戦っていたら、いつの間にか部下達が付いて来てくれるようになってました。口幅ったいですが、背中で語るって事なんじゃねぇかと……」
「なるほど。それは真理を突いているのかもしれません」
私は、プロスペールと一緒に地下牢を後にしました。
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