第1208話。亜空間適応手術。
【ログレス渓谷】の【イスプリカ】側国境上空。
私は、眼下に見える【イスプリカ】軍を、平和勢力である開拓農民に変えてしまうつもりでした。
原則として、ゲームマスターはNPC国家間の紛争には介入しませんが、【イスプリカ】は奴隷制採用国家であり、地上のキャンプ地に展開している【イスプリカ】軍も奴隷を使役しているので、これは奴隷禁止を定めた【世界の理】違反を取り締まるという名目で執行が可能です。
「【超神位魔法……範囲指定……半径10km……精神支配】」
私は、【イスプリカ】軍のキャンプ全域に【精神支配】を発動しました。
「拡……いや……」
私は【拡声】の魔法を行使しようとして止めます。
耳が聴こえなかったり、熟睡していたり、麻酔が効いていたり、意識不明になっているなどの場合には【拡声】では目的を果たせません。
【イスプリカ】軍には、私の指示を絶対に聞き逃さないようにしてもらう必要があります。
取り敢えず、全員起きてもらい話を傾聴してもらいましょうか。
「【超神位魔法……範囲指定……半径10km……覚醒】。それから一応【完全治癒】、【完全回復】」
これで全員起きたでしょう。
意識不明の者などは……居ませんね。
【治癒】と【回復】は、ついでみたいなモノです。
このキャンプの人達には、これから少し歩いてもらう必要があるので、傷病者や障害を持っているなど歩行困難者が居れば治してしまおうという意図でした。
【イスプリカ】軍の諸君……私はゲームマスターのノヒト・ナカです……あなた達が【世界の理】に反し軍内で奴隷を使役している事実を現認しました……従って、これよりゲームマスターとしての裁定を執行します……過去に【世界の理】に違反した事がない者は、キャンプの北側にある監視塔の側に集合して下さい……それ以外の者は南側に移動して下さい。
私は半径10km圏に思念波を飛ばします。
すると、テントなどから大勢の人達が出て来て、私の指示通りに行動を始めました。
大多数は南に向かい、一部が北に向かって歩いています。
北に向かっているのは、【イスプリカ】軍によって奴隷にされている人達の一部でした。
北に向かう人達が、やけに少ないですね?
私は、【イスプリカ】軍内で奴隷にされている人達の大半が北に集まると思ったのですが……。
あ〜、もしかしたら、奴隷にされている人達は、使役者の命令によって拒否出来ず、致し方なく【世界の理】に反する行為を強要されていた可能性もありますね。
そういう場合は、【世界の理】違反の罰則は猶予するべきでしょう。
他者を意思に反して強制的に従わせる類の魔法や【精神支配】などもありますからね。
使役者の命令によって止むを得ず、自分の意思に反して【世界の理】違反を強要されていた人達も、北側の監視塔に集合して下さい。
私は思念波で指示しました。
すると、【イスプリカ】軍によって奴隷にされていた人達の大半がゾロゾロと集合します。
初めから奴隷にされている人達全員を集合させなかった理由は、奴隷にされている人達全員が罪なき無辜の民とは限らないからです。
奴隷にされてしまう以前に【世界の理】違反を犯していたり、奴隷にされた後に強要された訳ではなく自分の意思で【世界の理】違反を犯したかもしません。
【イスプリカ】には犯罪奴隷というような制度もあるそうですので。
逆に、奴隷にされている人達以外に【世界の理】を守っていた者も居るかもしれません。
基本的に、このキャンプに居る人達で奴隷の身分ではない人達は、全員奴隷制を採用している【イスプリカ】の国民として奴隷制を支持しているのでしょうから、自動的に【世界の理】に違反しています。
それ以外の無辜の民は……【ブリリア王国】の捕虜とか。
いや、まだ開戦前ですから、このキャンプに【ブリリア王国】の捕虜は居ません。
という事は大丈夫ですね。
いや……待てよ。
【イスプリカ】は君主制国家で、国民主権ではありません。
という事は、仮に個人として奴隷制に反対する立場であっても、君主や領主が奴隷制を採用していれば、否が応もなく国全体が奴隷制社会になってしまいます。
そう考えると、奴隷制には反対なのに強制的に従わされているだけという可能性はありますね。
ダメだ。
やり直し。
個人として奴隷制に反対する立場であり、自らの意思で奴隷を使役した事がない者と、同じく個人として奴隷制に反対する立場であり、国や自治体や軍隊や官憲や職場や家族関係の上席者からの命令や指示で致し方なく意思に反して奴隷を使役せざるを得なかった者は、北側の監視塔に集合して下さい。
私は改めて思念波を飛ばしました。
また、ゾロゾロと移動が始まります。
まあ、国や自治体、軍隊や官憲、職場や家族関係の上席者からの命令や指示で致し方なく意思に反して奴隷を使役せざるを得なかった者も、結果として【世界の理】違反者である事は変わりないのですが、そういう人達は比較の問題で軽微な違反の範疇にありますからね。
また、私は【ウトピーア】において……過去に自らの意思で奴隷を使役していた者達も、今後【世界の理】を遵守するならば、過去の奴隷使役に関して罪に問わない……という執行猶予を発動しています。
これは、ミネルヴァと、ウエスト大陸の守護竜である【リントヴルム】と相談して決めた裁定でした。
【ウトピーア】では、自分の意思で奴隷を使役していた者達が執行猶予を認められているのに、【イスプリカ】では自分の意思ではなく止むを得ず奴隷を使役していた者達が罰せられる……というのは凄くバランスが悪い裁定ですからね。
今回は、致し方なく奴隷制に従っていた【イスプリカ】の人達にも執行猶予を適用する事にしました。
また……奴隷制には反対だけれども、奴隷にされていた人達を気の毒に思って購入し、自宅や自分の職場などで働かせて、過重労働などは科さず大切に扱っていた……というようケースも【世界の理】を厳密に解釈すればアウトですが、情状酌量の余地があります。
まあ、それが独り善がりの偽善で、奴隷として購入された人達からは恨まれていた可能性もあり得ますけれどね。
こういう線引きが難しいグレー・ゾーンの判断は、人工知能ではなく、人間のゲームマスターでなければ難しい事でしょう。
色々と条件設定を変えている内に、ある程度精度が高い仕分けが完了しました。
北側に集合した人達は約3万人。
大半は、奴隷にされていた人達です。
奴隷にされていた人達は現時点を以て解放します……私とゲームマスター本部は、あなた達の恒久的な帰属先が決まるまで、可能な限り自由で健康で文化的な生活を保障します……あなた達には、この後【シエーロ】に移動してもらい、今後の事を話し合います……何か要望があれば相談に乗ります……そして、奴隷以外の者達も一応【シエーロ】に移動してもらいますが、簡単な手続きをしたら直ぐ家に帰れるように手配します……もしも、家には帰りたくなくて他国への亡命などを希望するのであれば、それも相談に応じます。
私は、北側に集合した人達に思念で伝えました。
ミネルヴァ……取り敢えず、3万人です……受け入れ体制は整っていますか?
私は【念話】で訊ねます。
問題ありません……【ハブ・ゲート・ステーション】の方に輸送して下さい。
ミネルヴァは【念話】で言いました。
ありがとう……【ハブ・ゲート・ステーション】に向かいます。
私は【念話】で言います。
チーフ・ゲームマスター権限によって管理規定9999を実行……ID、531・SM・NK・TT・JP・CK……パスワード、GAME4LIEE12130091。
私は、最上位権限の運営管理規定を実行しました。
即座に、最上位権限の運営管理規定を実行する為に承認が必要な、私以外のもう1個体であるミネルヴァも承認をします。
運営管理規定が実行されました。
私は、運営管理規定と【超神位……鑑定】を併用して、3万人の【ソース・コード】を思考加速しながら読み取りました。
どれどれ、亜空間適応は……おっと、1人亜空間適応がない者がいますね。
私は【ソース・コード】を開きながら、同時に亜空間適応がなかった人物の脳と遺伝子情報をスキャンします。
生命体のステータス情報や、ゲノムや、個別の記憶などのデータが全て羅列された【ソース・コード】は超絶複雑ですが、【共有アクセス権】を通じて宇宙最高の演算装置であるミネルヴァの能力を使える私なら簡単に解読可能でした。
この世界には、亜空間に適応がない生命体の個体が極稀に居ます。
ユーザーには居ません(少なくとも現在まで発見例がありません)が、NPCには1千万分の1くらいの確率で亜空間適応を持たない者がいました。
これはプログラム・バグです。
ユーザーの絶対数がNPCより少ないので、単にユーザーには亜空間適応がないバグが確率論的に見付かっていないだけの可能性もありますが、もしも亜空間適応がないバグがNPCだけに発現するとしたら、おそらくは【ゲーム・システム】がNPCを物理演算に基づいて自動的に生み出す際の手続き型生成によって、バグが発現してしまうのでしょうね。
ユーザー・アバターは、手続き型生成ではありませんので。
亜空間適応がないバグは、ゲーム時代ならデバッグすれば一瞬で直る軽微なバグで、余り大きな問題にはならなかったのですが、私の異世界転移以来、会社の端末からプログラムを書き直す事が不可能になったので、このバグは生命体の生死に関わる重大な問題になっていました。
亜空間適応がない生命体が【転移】などで亜空間に入ると、存在が亜空間に霧散……つまり、死亡してしまいます。
なので、【転移】を初めて行う際には、必ず個別に亜空間適応を調べて安全性を確かめなければいけません。
本来、亜空間適応を調べる際には、対象の身体の一部(指先など)を【転移】範囲に少しだけ触れるようにして、その場で【転移】を実行する事で調べていました。
対象に亜空間適応がなければ、指先がなくなります。
しかし、この従来の方法では大問題が生じました。
それは【パンゲア】の【パノニア王国】民の移住事業の【転移】による大量輸送です。
現在私は、毎晩200万人もの【パノニア王国】民を【転移】輸送していました。
また、【サントゥアリーオ】国民を【時間加速装置】の【ドゥーム】に運んで【保育器】による育て直しを【オーバー・ワールド】基準で短縮するためにも大量【転移】輸送を行っています。
この時に、いちいち200万人の亜空間適応を調べていたら時間が掛かり過ぎて、とてもではありませんがやっていられません。
ただし、亜空間適応を調べずに【転移】をすると、その中に亜空間適応がない個体がいれば死亡してしまいます。
なので、私は大量の生命体の亜空間適応を一気に調べられる方法がないか考えました。
それが、最上位権限の運営管理規定。
試してみたら、これでわかったのですよ。
本当に助かりました。
200万人の亜空間適応を1人1人調べるなんて、気が狂ってしまいます。
まあ、定常不変のゲームマスターは気が狂いませんけれどね。
しかし、生命体の亜空間適応の有無が簡単にわかるようになっても、亜空間適応がない人物は結局のところ【転移】が不可能だとわかるだけの話です。
亜空間適応がない人物を、如何しても【転移】で移動させたい場合は?
その対応は割と簡単でした。
端的に言うなら、後天的に亜空間適応を付与してしまえば良いのです。
【ソース・コード】を参照しながら、ゲームマスター権限で生命体の脳や【コア】を外科的に、また生命体の遺伝子情報や【器】を物理的に施術してしまう方法で何とでもなりました。
外部端末が使えずプログラム・コードを書き換えてデバッグ出来ないなら、物理的に改造しちゃえれば良いんじゃね?……という発想です。
まあ、生命維持に直結する脳や遺伝子や【コア】や【器】を弄るので、後遺症や副作用なく改造するのは、ゲームマスター権限を持つ私にしか出来ませんけれどね。
今回の場合、対象は生物の人種なのでゲームマスター権限で魔法的に対象の脳や遺伝子などを手術してしまう訳です。
これで亜空間適応がない生命体に、無理矢理亜空間適応を持たせる事が可能になりました。
いや〜、私は天才かもしれません。
ただし、実際に施術を行うのは、極めて精密な処置が必要です。
ほんの僅かでもズレれば致命的ですからね。
外部端末からデバッグ用【コンソール・コマンド】を使えれば楽なのですけれど、ないモノは致し方ありません。
そもそも、【ゲーム・システム】的に、世界内から、こんな事をする想定にはなっていないのですから。
私は、【ソース・コード】を参照しながら、ゲームマスター権限で亜空間適応がなかった人物の遺伝子情報を物理的に書き換え、亜空間適応を付与しました。
後遺症も副作用もなし。
完璧です。
多少食べ物の好みなどが変わったりするかもしれませんが、おそらく本人も家族も気付かないレベルだと思いますよ。
あれ、以前は苦手だったのに、最近何だか急にピーマンが美味しく感じるな?……という程度の変化で、大きな問題を生じさせるような事はありません。
私は、一先ず仕分けが終わった3万人を連れて【転移】しました。
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