第1178話。ナポリタン問題。
【ワールド・コア・ルーム】の洋食屋。
皆の注文した料理が運ばれて来ました。
私はテーブルを移動させて、カルネディアの為にスペースを広く取ります。
何しろ、ソフィアの奴が開発した新メニュー……大人様ランチ……が馬鹿デカいのですから。
赤いオープン・カーを模したキッズ・プレートは、タイヤで床を走行して厨房から運ばれて来ました。
キッズ・プレートの上に盛り付けられているのは……巨大な目玉焼き乗せハンバーグ、巨大な海老フライに大量のタルタル・ソース、巨大なオムライス、大量のスパゲティ・ミートソース、大量のフライド・ポテト、大量のコールスロー、巨大なメロン(【パンゲア】の【ヌガ法国】産)、バケツ・プリン、オレンジ・ジュース(お代わり自由)。
美味しそう……って、言っている場合かっ!
巨大なオムライスには【神竜】を表徴する紋章が織り込まれた旗が立っていました。
これは、もはや旗楊枝などという代物ではありません。
マラソンなどのスポーツ・イベントとか、何かしらのパレードの際に沿道の観客や聴衆が振る小旗くらいのサイズ感でした。
「この特大のキッズ・プレートと旗は如何したのですか?」
私は【コンシェルジュ】に訊ねます。
私が知る限り、こんなモノは【ワールド・コア・ルーム】の備品にはありませんでした。
「ソフィア様のご要望で新しく作りました」
【コンシェルジュ】は答えます。
「あ、そう。製作費用は?」
「本部の予算に計上致しました」
「えっ?ゲームマスター本部持ちですか?これは、一体幾らなのですか?」
「キッズ・プレートが1つ25金貨。スペアも含めて4つ製作致しました。フラッグ・ピックは1本50金貨。取り敢えず2本製作致しました」
つまり、200万金貨(日本円で2千万円相当)……。
「ふぁ?クッソ高くないですか?」
「キッズ・プレートは完全抗菌加工と【加温】ギミックを施した強化軽量セラミック製です。フラッグ・ピックの旗の部分は【天蚕糸】で織り上げてあります。両方とも図面から書き起こして、造型、彩色、織布は【シエーロ】の【大陶芸師】と【大織物師】によるハンド・メイドです。フラッグ・ピックのポール部分はオリハルコン製で、デックス様がインゴットから鍛え上げましたが、こちらは原価実費と製作費は実質掛かっておりません」
デックスは、ゲームマスター本部の鍛冶長と工学技術責任者を務める【神の遺物】の【自動人形】でした。
【ニダヴェリール】には、デックスの自我と記憶をコピーしたオリジナルのウェルカーナ・ムルキベルという【神の遺物】の【自動人形】がいます。
デックスが鍛えたオリハルコンのポールの製作費が実質無料なのは、ゲームマスター本部が保有するオリハルコン・インゴットのストックは、私が【複製・転写】したので無料なのと、デックスの給与は成果報酬の歩合制ではなく定額制だからですね。
因みに、【神竜】を表徴する紋章は、【神竜】のソフィア自身の紋章である事はもちろん、同時に【神竜】が守護竜として君臨するセントラル大陸を担当するゲームマスターの紋章でもあります。
私は、チーフ・ゲームマスターとしてゲームマスター本部の責任者であると同時に、セントラル大陸を担当するゲームマスターの1人でしたので、私が着用している【ゲームマスターのローブ】などの衣類や装備には【神竜】を表徴する紋章が刻印されていました。
例えば、ウエスト大陸を担当するゲームマスターの衣類には【リントヴルム】の紋章が刻印されている訳です。
それはともかく、ソフィア……。
こんな悪ふざけの為にゲームマスター本部の大切な予算を使わせてやがって……。
「決済しません。費用はソフィアに請求しておいて下さい」
「畏まりました」
【コンシェルジュ】は頷いて厨房に引き返して行きます。
「わ〜、凄〜いっ!」
カルネディアは、オムライスに立てられていた旗を持って振り満面の笑顔で喜んでいました。
大人様ランチは、セグレタリアがカルネディアとフェリシテの為に取り分けています。
「カルネディア。良かったですね」
トリニティが微笑んで言いました。
「ちょっと……」
私は厨房に引き返そうとしていた【コンシェルジュ】を呼び止めます。
「はい」
【コンシェルジュ】は振り返りました。
「決済しましょう。その代わり、ゲームマスター本部ではなく、私個人に費用請求して下さい」
「畏まりました」
あんなにカルネディアが喜んでいるのですから、その手柄をソフィアに獲られてなるモノですか。
私は気を取り直して席に座ります。
私が注文したのはシーフード・ドリアとシーフード・ミックス・フライとシーザー・サラダとコーン・ポタージュ・スープでした。
先ずは、コーン・ポタージュ・スープから……。
ご存知コーン・ポタージュ・スープは、トウモロコシを茹でてから裏濾ししたスープの事です。
このスープの名前もドリアと同様の和製外来語だと言われると驚く人もいるのではないでしょうか?
日本では、とろみが付いたスープをポタージュ、澄んだスープをコンソメと呼びますが、フランス料理の技法でポタージュはスープを意味するので、実はコーン・スープもコンソメ・スープも両方ともポタージュなのです。
日本で普及している外国由来をイメージさせる物品の名前が……コーン(英語)・ポタージュ(フランス語)・スープ(英語)……というように多言語混在している場合は、ほぼ日本人による造語と考えて差し支えありません。
そもそも、ポタージュはフランス語で所謂スープを意味しますので、コーン・ポタージュ・スープは、英語ではコーン・スープ・スープという訳がわからない名前になります。
お腹の腹痛が痛い……みたいな語用ですね。
フランス料理で、コーン・ポタージュ・スープは、ポタージュ・ド・マイス(トウモロコシのスープ)、あるいはピュレ・ド・マイス(トウモロコシのピューレ)、牛乳やクリームを加えてあれば、クレーム・ド・マイスという事になります。
因みに、コーン・ポタージュ・スープの消費量は日本が世界一だと言われていました。
つまり、日本人は、コーン・ポタージュ・スープが大好きなのです。
ただし、コーン・ポタージュ・スープの原料となる品種のトウモロコシは、ほぼ全量を輸入に頼っていました。
う〜む、食料自給と貿易不均衡の問題が悩ましい所です。
しかし、アメリカにある地平線の彼方まで続く余りにも広大なトウモロコシ畑を見ると、山がちな島国の日本では農業生産モンスターのアメリカとはコストでは対抗しようもありません。
せめて、コーン・ポタージュ・スープが高級料理なら国内の農家もトウモロコシ生産に参入出来るのですけれどね。
まあ、どんなに知恵を絞っても平らな地面は増えませんので致し方ありません。
味は間違いがない安定の美味しさです。
次は、シーザー・サラダ……。
シーザー・サラダは、彼のローマの英傑ガイウス・ユリウス・カエサル(英語訳ジュリアス・シーザー)が好んで食べていた……というのは全くのデタラメで、正しくはメキシコのバハ・カリフォルニア州ティファナにあるレストランのシーザーズ・プレイスのオーナー・シェフであったイタリア系移民シーザー・カルディーニが開発したサラダなので、エンサラーダ・シーザー(シーザー・サラダ)と呼ばれます。
【ワールド・コア・ルーム】のシーザー・サラダは、ロメイン・レタスを刻まずに1枚1枚剥がして皿に盛り、軽く茹でた半熟卵を乗せ、パルミジャーノ・レッジャーノ(パルメザン・チーズ)を擦り下ろし、シーザー・ドレッシングを掛け、クルトンではなくカリカリに乾燥させたバゲットを一切れ乗せてあります。
そして、【ワールド・コア・ルーム】の料理店を監修した有名シェフが工夫したレシピで、ロメイン・レタスは塩を入れた熱湯にサッと潜らせてあり、甘みが増していました。
ロメイン・レタスは一般的なレタスに比べて肉厚で加熱してもへたり難いので、白菜のように煮込み料理などにも良く使われます。
美味い。
ドレッシングを掛ければ誰にでも作れそうなサラダとは一線を画す、料理人の技術が問われる一品料理という感じです。
さて、今夜の夕食のメインと言っても良い、シーフード・ミックス・フライ……。
牡蠣、海老、そして海生魔物の【クラーケン】と【巨鱈】というラインナップでした。
【ワールド・コア・ルーム】の洋食屋のシーフード・ミックス・フライは日によって使われてるネタが異なるという嬉しい仕様です。
何度も注文して色々なネタを味わってみたくなりますね。
牡蠣フライと海老フライは、シーフード・フライの域を超えた、フライ界隈全体でもスターと呼ぶべきビッグ・ネーム。
不味い訳がありません。
ソフィアの好物【クラーケン】も素晴らしく美味しい事は証明済。
問題は初めて食べる【巨鱈】ですが……。
これも美味い。
淡白な鱈のイメージで食べましたが、鱈の3倍は脂が乗っていてジューシーで、白身の超高級魚クエにも似ています。
これは良い魚(魔物)を知りました。
そして、このタルタル・ソースが美味い。
刻みタマネギと、刻んだ胡瓜のピクルスがたっぷり入った贅沢なタルタル・ソースです。
カルネディアが食べている海老フライに掛かったタルタル・ソースとは違うようですね。
あちらは、卵好きのソフィアがプロデュースしたので、大量の茹で卵が刻んでタルタル・ソースに混ぜ込んであります。
少し取り分けて味見させてもらうと……。
なるほど……ソフィアのはタルタル・ソースというか、玉子サンドの具をタルタル・ソースにしたような味わい。
対して、シーフード・ミックス・フライのタルタル・ソースは、何やら後味が仄かにピリッとします。
マスタード?ホース・ラディッシュ?
いや、違う。
これは……山葵。
ほお〜、隠し味に、おろし立ての本山葵を加えてあるのですか……。
良い仕事していますね〜。
いよいよ、シーフード・ドリア。
ベシャメル・ソースとチーズが掛かった、王道のドリアです。
美味い。
表面のチーズとバター・ライスの底が少しお焦げになっていて、何処となくノスタルジーを誘います。
これは、マカロニ・グラタンでも美味しいでしょうね。
あ〜、急に思い出しました。
私は子供の頃マカロニ・グラタンが大好きで、母が週3で作ってくれていました。
お袋の味の1つです。
「ねえ、ハリエット。その、ナポリタンてアマトリチャーナの偽物みたいな感じだけれど美味しいの?」
イフォンネッタが訊ねました。
「うん。美味しいよ」
ハリエットは口の周りをトマト・ケチャップ塗れにして言います。
「でも、トマト・ケチャップのパスタなんでしょう?」
「うん」
「トマト・ケチャップって、スナックとかフレンチ・フライとかにディップしたり、ホット・ドッグとかバーベキューに掛けるヤツよね?」
「うん」
「ないわ〜。何か気持ち悪くなりそう」
「そんな事ないよ。トマト・ケチャップ味のスパゲティは美味しいよ」
「私は無理ね……トマト・ケチャップだなんて……」
何だか、トマト・ケチャップで論争が始まりました。
日本に来たイタリア人の半数が眉を顰め、残り半数が激怒するという……ナポリタン問題……ですね。
日本の洋食屋や喫茶店で定番のスパゲティ・ナポリタンが、イタリアのナポリに存在しない事は、もはや日本人にも周知の事実。
イタリア料理で似たような名前の……スパゲティ・アッラ・ナポレターナ……はトマト・ソースを掛けた料理で、ナポリタンとは異なります。
このナポリタンの日本への渡来の時期と経路について、私は長年誤解していました。
日本でナポリタンが生まれた経緯は、アメリカに渡ったイタリア系移民がトマト味のパスタ(おそらくはスパゲティ・ナポリタンに最も似ているスパゲティ・アッラ・アマトリチャーナ)を広め、第二次世界大戦後にGHQのアメリカ人がスパゲティをトマト・ケチャップで和えて食べていたのを日本人の誰かが真似したのがナポリタンの始まりだろうと推測していたのです。
そして、スパゲティ・ナポリタンという名前は、どうせまた日本人が……それっぽい名前を付けた……和製外来語なのだろう、と。
トマト・ケチャップはアメリカで発明された商品である点が、そう考える根拠でした。
また、喫茶店などでスパゲティ・ナポリタンに必ず付いてくるパルメザン・チーズとタバスコ・ソースの最も有名なブランドもアメリカ企業です。
しかし事実は、スパゲティ・ナポリタンが日本に渡来した時期も経路も、私の推測とは全く異なっていました。
ナポリでは、17世紀頃には既に、新大陸から伝わったトマトを使ったソースでスパゲティを食べる習慣があったそうです。
このナポリのトマト・ソースを使用したスパゲティのレシピが隣国フランスに伝わり、フランス料理に取り入れられ……スパゲティ・ナポリテーヌ……と呼ばれるようになりました。
これが、スパゲティ・ナポリタンの名前の由来。
スパゲティ・ナポリタンの名称は、日本人が考えたインチキ外来語ではなく、フランス語からの引用なのです。
近代フランス料理の父ジョルジュ・オーギュスト・エスコフィエの著作ル・ギード・キュリネール(料理の手引き)には、スパゲティ・ナポリテーヌがガルニチュール・ア・ラ・ナポリテーヌという名称でレシピ掲載されました。
これが日本に伝わり、少なくとも1920年の時点で日本のフランス料理テキストにも同じ料理名でレシピが明記されています。
スパゲティ・ナポリタンが日本に伝わったのは第二次世界大戦後どころか、驚くべき事に戦前の大正時代でした。
しかし、この時点ではトマト・ケチャップではなく、トマト・ソースまたはトマト・ピュレを使用するレシピです。
このレシピだったなら、イタリア人も怒らないかもしれません。
スパゲティ・ナポリタンにトマト・ケチャップが使われるようになったのは、第二次世界大戦後の日本の荒廃により、トマト・ソースもトマト・ピュレも、それらの材料とするトマトそのモノも日本では手に入らなくなってしまったので、アメリカからの支援物資にあったトマト・ケチャップを致し方なく使ったという事みたいですね。
結論としては、スパゲティ・ナポリタンは、アメリカからではなくフランスから伝わった料理で、名称もほぼ正確に輸入元のフランス語に準拠しているのです。
閑話休題。
「……何でよ?良いじゃん、美味しければさ。イフォンネッタは、自分が良い所のご令嬢だからって偉ぶっちゃって、やな感じだよ」
ハリエットが言いました。
「でも、ハリエット。パスタの本場【ドラゴニーア】南方や、隣国の【パダーナ】では、パスタにはトマト・ケチャップなんか絶対に使わないのよ。気持ち悪いから。ケチャップのパスタなんか食べる人の気が知れないわ」
イフォンネッタが言います。
「はいはいはい……待った、待った」
私は、喧嘩になりそうなハリエットとイフォンネッタを制止しました。
「ノヒト先生。イフォンネッタさんがイチャモンを付けて来る」
ハリエットが言います。
「イチャモンだなんて、私はハリエットが気持ち悪いモノを食べているから……」
イフォンネッタが言いました。
「イフォンネッタ。あなたはスパゲティ・ナポリタンを食べた事があるのですか?」
「いいえ、ありません。見てるだけで気持ち悪くて」
「食べた事もない料理が気持ち悪いか如何か、何故わかるのですか?」
「いや、だって、見れば……」
「料理の批評は少なくとも食べてからするべきですね。それに、【ワールド・コア・ルーム】の飲食店には、基本的に不味い料理はありません。私もナポリタンは嫌いではありませんよ。そして、これ以後、【ファミリアーレ】のクラン・ルールとして他所様の食べ物の好みを、とやかくを言う事を禁止にします」
私だって、昼食の芋虫とか毛虫とかの料理について、激しく忌避感を覚えましたが、それを言葉や表情には出さず必死に我慢したのですからね。
「や〜い、や〜い。怒られてやんの。ププっ」
ハリエットがイフォンネッタを見て笑います。
「ハリエット。あなたもです。私は他所様の出自(良い所のご令嬢だからって偉ぶって云々……)を持ち出して、あれこれ言うのは是認しません」
「アタシらみたいな低い身分の事を馬鹿にするのが良くないのはわかりますが、イフォンネッタみたいに貴族の生まれについて言うのもダメなんですか?」
「はい。身分や立場などは全く関係ありません。本人にコントロール出来ない出自を論うのは、仮に相手の出自が自分より恵まれた環境であっても、それは差別です。私は差別や偏見を是認しませんし、そもそも全ての人種には生まれ付きの優劣や貴賎などはありません。イフォンネッタとハリエットは、お互いに謝罪して握手して仲直りしなさい」
「「ごめんなさい」」
ハリエットとイフォンネッタは和解の握手をしました。
そして、イフォンネッタはハリエットからナポリタンを分けてもらって、一口食べます。
「あら、美味しい」
イフォンネッタは目を見張りました。
「でしょ?粉チーズとタバスコを掛けると、更に美味しいよ。ソフィア様から教えてもらったんだ〜」
ハリエットが言います。
「本当ね。こんなに美味しいのに、今まで敬遠していたなんて損をしていたわね?」
そうです。
日本でスパゲティ・ナポリタンを知り、眉を顰めたり激怒したイタリア人の友人・知人に美味しいお店のスパゲティ・ナポリタンを食べさせてみると、皆美味しいと言いますからね。
先入観で食わず嫌いをすると人生を損します。
……ただし、虫系は例外。
あれはダメです。
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