第1135話。【ファミリアーレ】による質問攻め。
【ホテル・ドラゴニーア】のディバイン・スイート。
「ノヒト先生。【ファミリアーレ】は、いつ頃から【スポーン・オブジェクト】に挑めますか?」
ハリエットが訊ねました。
「ん?ああ、まあ、そうですね……。敢えて期限を切るなら来年の9月まで、つまり弟子として私の庇護下にある期間は、原則として【スポーン・オブジェクト】にも【秘跡】にも挑ませる予定はありません。【ノーアトゥーン】で行なった【北の海の羅針盤】の【秘跡】のように、特殊な方法を用いればリスクが殆ど無視出来る場合などは例外ですが」
強化や育成という事を考慮して、以前の私は【ファミリアーレ】に【始まりの秘跡】や比較的難易度が低い【スポーン・オブジェクト】に挑戦させる腹積りもあったのですが、現時点では状況が変わり、その計画は破棄されています。
状況の変化とは、私やソフィア達によるサウス大陸での【遺跡】攻略の経緯で大量の【コンティニュー・ストーン】を入手出来た事により、今後の【ファミリアーレ】の強化・育成に関して【遺跡】における死亡リスクが限りなく0になったからでした。
私が【ファミリアーレ】を強化・育成している理由は、一言で言えば……死なせない為。
つまり、一歩都市城壁から外に出れば、魔物が【スポーン】する危険がいっぱいの世界で、【ファミリアーレ】が生き延びられる確率を上げる為です。
従って、【ファミリアーレ】が生き延びる確率を上げる為に、死ぬリスクを侵すのは本末転倒も良いところ。
現状、比較の問題で【ファミリアーレ】が強化・育成の為に潜る【遺跡】の危険性が、【スポーン・オブジェクト】や【秘跡】より相対的に下がったなら、もはや育成効率的にもリスク的にも【ファミリアーレ】をワザワザ【スポーン・オブジェクト】や【秘跡】に挑ませる理由がありません。
「アタシ達は多少は強くなったと思うんですが?【スカアハ訓練所】の訓練生達は、もう【中位級】の【スポーン・オブジェクト】に派遣されてドンドン経験を積んでいます。【スカアハ訓練所】の教官達にも……【ファミリアーレ】なら【中位級】、装備や支援体制を整えれば【高位級】でも十分にクリア出来る……って言われました」
ハリエットは意外そうな表情で言いました。
「難易度などは関係ありません。私としては【ファミリアーレ】が弟子として私の庇護下にある内は、【スポーン・オブジェクト】にも【秘跡】にも挑ませるつもりはありません。もっと言うなら、【スポーン・オブジェクト】と【秘跡】は私の弟子から卒業した後も挑んで欲しくはないというのが本音です。しかし、それは成人を迎えた冒険者の自由意思の問題として、私が強要出来る話ではないので、一応来年の9月までという期限を不本意ながら設定しました」
「そっか〜、来年の9月まで待たないといけないのか……」
ハリエットは、あからさまにガッカリした様子で言います。
「ノヒト先生。【ファミリアーレ】が1年余り【スポーン・オブジェクト】や【秘跡】に挑んではならない理由を教えて下さいますか?」
リスベットが訊ねました。
【ファミリアーレ】の一同も頷きます。
つまり彼らも、ハリエット同様【スポーン・オブジェクト】や【秘跡】に挑みたいと考えているのでしょうね。
だが、断る。
「理由は単純明快です。【スポーン・オブジェクト】や【秘跡】を攻略して得られる見返りがリスクに全く見合わないからです。ハリエットは……【スカアハ訓練所】の訓練生達が【スポーン・オブジェクト】に挑んで経験を積んでいる……と言いましたが、【スカアハ訓練所】の教官や訓練生達の【スポーン・オブジェクト】での死亡率や損耗率がどのくらいか、みんなは知っていますか?」
私は【ファミリアーレ】の子達を見回して訊ねました。
【ファミリアーレ】の面々は首を振ります。
「【スカアハ訓練所】の教官や訓練生達の死亡率は年平均で10%。治療困難な傷病によって冒険者を引退したり、【スカアハ訓練所】を退所せざるを得なくなる教官や訓練生は年平均で25%にも及びます。これは過去の統計に基づく戦時の軍隊の損害と比べても数が多過ぎます。この割合を様々な条件を全て無視して単純に【ファミリアーレ】に当てはめるとするなら……1年後には今ここにいる誰かが1人死亡して、2人ないし3人は腕や足がなくなったり目が見えなくなるかもしれない……という事です。みんなは、それを望んでいるのですか?」
私の例示は多少のミスリードが含まれていました。
現在の【ファミリアーレ】は【スカアハ訓練所】の訓練生達の平均的な戦闘力と比較して相当に強くなっていますし、私やトリニティによる指導・引率が受けられ、私から【神の遺物】級のアイテム類を貸与されていて、【ファミリアーレ】の資産は莫大で、あらゆる傷病も生きてさえいれば私なら完全に治療が可能。
つまり、【スカアハ訓練所】の死亡率や損耗率を、そのまま【ファミリアーレ】に当てはめれるのは暴論でした。
しかし、【ファミリアーレ】の誰かが死亡する可能性があり得るという一点において、私が【ファミリアーレ】を【スポーン・オブジェクト】や【秘跡】に挑ませたくないという考えは伝わるでしょう。
実際に【ファミリアーレ】の子達は、胸躍る冒険の裏にある現実を再認識して、黙り込みました。
「【経験値迷宮】なら基本的に死亡リスクはありません。【遺跡】も【コンティニー・ストーン】があれば同様です。しかし、【経験値迷宮】以外の【スポーン・オブジェクト】、そして全ての【秘跡】では死亡したら取り返しが付きません。無限に残機があるユーザーとは違い、【ファミリアーレ】には生命が1つしかないのですから。【スポーン・オブジェクト】や【秘跡】には、難易度に拘らず初見殺しの【罠】などがあります。例えば、【低位級】や【中位級】の【スポーン・オブジェクト】にある原始的な、虎挟みや、落とし穴や、落下天井や、石落としや、無人弓などだったとしても、当り所・打ち所・刺さり所が悪ければ……という懸念は常にあります。【ファミリアーレ】は強くなっているとは言え、人体には眼球や背骨や頸動脈や喉など決して鍛えられない急所があります。首や体なら高性能の防具で保護する事も可能ですが、視覚が奪われるので基本的に眼を金属プレートなどで覆う事は出来ません。【防御】を常時張るにしても、魔力枯渇という可能性はありますし、奇襲、不意打ち、油断……そういう思いもかけない事で呆気なく……という例は枚挙に暇がありません。なので、私の弟子として庇護下にあるうちは、【ファミリアーレ】を【経験値迷宮】以外の【スポーン・オブジェクト】や【秘跡】に挑ませる育成計画は組んでいません」
「わかりました。来年の9月までは【スポーン・オブジェクト】に挑まない事もノヒト先生の方針に従います。でも、ノヒト先生の門下から卒業した後は、【スポーン・オブジェクト】に挑むのは自由意思なんですよね?」
ハリエットが訊ねます。
「はい。私の弟子から卒業すれば、あなた達の自由意思は自己責任との抱き合わせで認めます。来年の9月以降は私の指示を強制する事は出来ません」
「なら、それまでに一生懸命頑張って、ノヒト先生が安心出来るくらいに強くなります」
「そう願います。ところでハリエットや他のみんなは、何故【スポーン・オブジェクト】に挑みたいのですか?」
【ファミリアーレ】の子達の性格から言って、自己顕示欲や虚栄心の類ではないと思いますが……。
「【スポーン・オブジェクト】が出現すると、みんなが困ります。世の中には【ドラゴニーア】やセントラル大陸みたいに、【スポーン・オブジェクト】の制圧に軍隊や竜騎士団を派遣してくれる国ばかりではありません。アタシは、ノヒト先生や、モフ太郎様や、グレモリー先生や、ペネロペさん達や、勇者ピルエット・ルミナス様のように弱い人達を助けたいです」
ハリエットは一点の曇りもない澄んだ瞳で言いました。
【ファミリアーレ】の他のメンバーも頷きます。
あ、そう。
それが1つしかない生命を懸けるに値するのかはともかく、そういう考えは必ずしも嫌いではありません。
ならば、そのつもりで私も【ファミリアーレ】を鍛えなければならないでしょう。
「ノヒト先生。僕も教えて欲しい事があります。【スカアハ訓練所】で話題に出たのですが、壁抜けアイテムって何ですか?」
ロルフが訊ねました。
ああ、そんな事も【スカアハ訓練所】では教えているのですね。
「壁抜けアイテムとは、ある程度の厚みの遮蔽物を通り抜けてしまえるアイテムの事で、具体的には【ボロボロの・ベッド】と【粗末な椅子】の事を指します」
【ボロボロの・ベッド】と【粗末な椅子】は判定がバグっていて、壁などにピッタリ付けて設置した状態で、壁を挟んだ反対側から【ボロボロの・ベッド】で寝ようとしたり、【粗末な椅子】に腰掛けようとすると、何故か壁を通り抜けてベッドに寝転がれたり、椅子に座れてしまうのです。
まあ、バグ技の一種ですね。
このバグは軽微であり、またデバッグを行うと、おそらく手続き型・モデリングされた世界内全てのベッドと椅子にもデバッグの影響が及ぶと予測される為、意図的に放置されたモノでした。
ただし、バグとして放置したままというのは、運営として外聞が悪いので、【ボロボロの・ベッド】と【粗末な椅子】を無理矢理【神の遺物】の……壁抜けアイテム……という扱いにしてしまったのです。
ゲーム時代【ボロボロの・ベッド】と【粗末な椅子】はユーザーによって様々な使途が考案され、扉がない隠し部屋に出入りするギミックや、戦闘時に防護壁の背後に素早く撤退出来るギミックとして利用されていました。
「【ボロボロの・ベッド】と【粗末な椅子】は壁抜け出来ますが、通り抜けられるのは概ね10cm厚の壁までです。また、【ボロボロの・ベッド】と【粗末な椅子】の側面が壁などの透過対象にピッタリ付いていないと壁抜けは出来ません。縦向きではなく横向きに壁に付ける必要があります。それから壁に【結界】などが展開してあっても透過不可能になります。そして、使用に関する最大の注意点としては、壁抜けの際に僅かにダメージを受けます。残りヒット・ポイントが少ない状況で壁抜けすると、そのまま死亡してしまいます」
「つまり、壁の両側に【ボロボロの・ベッド】と【粗末な椅子】があれば密室を出入り可能なのですね?」
「【結界】などがなければですが可能です」
「オリハルコンやアダマンタイトの壁も通り抜けられますか?」
「はい」
「2枚重ねの合板では如何ですか?」
「素材は選びませんね。外材で挟まれ内部に空洞があったり、真空層があったり、何らかの液体があったり、酸やアルカリやガスなど毒物が壁の中に充填されていたり、レーザーやプラズマなどの防衛ギミックが働いているような構造の壁でも10cm厚程の遮蔽物なら一定のダメージ以外の悪影響を受けずに通り抜けられます」
「それは【転移】とは違うのですか?」
「違います。壁抜け……と言っていますが、現象としては人が壁を通り抜けているのではなく、瞬間的に壁の当たり判定が透過的に無効化されているだけです。つまり通り抜けるのは、人ではなく壁の方なのですよ」
「なるほど。色々と工学的に応用幅がありそうですね」
まあ、この世界を製作したゲーム会社に所属している身としては、バグ技は恥かしい製品の不良が原因なので、あまり深く掘り下げて色々と利用して欲しくはないのですけれどね。
「ノヒト先生。ウルフィを【ワールド・コア・ルーム】の私の部室で飼っても良いですか?」
ジェシカが訊ねました。
「ああ、そうですね。移ってもらっても問題ないでしょう。後で誰かに連れて来させますよ」
「ありがとうございます」
ジェシカは嬉しそうに言います。
ウルフィは【魔狼】の【ガルム】で、ジェシカの従魔でした。
ウルフィは、普段ジェシカ達【ファミリアーレ】が【ドラゴニーア】の竜騎士団や軍と訓練をする際に【闘技場】に連れて行く他は【竜城】で預かって世話をしてもらっているので、ジェシカとウルフィは中々一緒にいられません。
今まで【ファミリアーレ】が寮代わりに寝泊りしていた宿屋【パデッラ】は、盲導犬など行政から特別な許可を受けている個体を除いて動物を部屋に上げる事が認められていないのです。
それは【パデッラ】側の都合ではなく、ホテルや宿泊施設の衛生管理を定めた【ドラゴニーア】の宿泊業法による措置でした。
ウルフィを【パデッラ】に連れて行くと、キャリーに入れて中庭に置くか、近くにある馬小屋に居させなければならないので、ジェシカは……馬小屋よりは【竜城】で預かってもらう方が、ウルフィの為には良い……と考えたのです。
しかし、現在【ファミリアーレ】は【ワールド・コア・ルーム】に引越して来たので、【ドラゴニーア】の法律は関係ありません。
今後はジェシカとウルフィは基本的に一緒に過ごしてもらいましょう。
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