第1132話。おバカなハリエット。
【ホテル・ドラゴニーア】のディバイン・スイート。
「で、昨日は個人戦があって、今日の午前中は集団戦があったんですけど……」
ハリエットは言いました。
「ん?え〜と……【ファミリアーレ】に友好的ではない【スカアハ訓練所】の教官と訓練生には、実力を見せて認められたのでは?」
「はい。だから今日のは友好的な戦いです」
「友好的な戦い?何だか言語定義的に矛盾していますね?」
「つまり、今日は【スカアハ訓練所】側の教官も訓練生達も【ファミリアーレ】の力を認めた上で、【スカアハ訓練所】側から正式にお願いされて、私達は【経験値迷宮】の中で純然たる訓練としての集団戦を行ったのです」
リスベットがハリエットの要領を得ない説明を補足します。
なるほど。
ハリエットとリスベットは仲良しで、みんなで食事をする際には大体いつもに近くに座っていました。
【ファミリアーレ】の中では、幼馴染みで家族を不幸な事件で同時に失ってしまったハリエットとアイリスが最も密接な関係です。
ハリエットとアイリス以外では、1年間新人冒険者として苦楽を共にしたグロリア、ハリエット、アイリス、ジェシカの獣人娘達が強い絆で結び付いていました。
その他では、ロルフとサイラスとティベリオの男子チーム、ハリエットとモルガーナとイフォンネッタの脳筋トリオ、ロルフとリスベットの知性派コンビ、動物好きのジェシカとサブリナ、グロリアとサイラスのカップル、そしてハリエットとリスベットの組み合わせが特に仲良しみたいです。
もちろん【ファミリアーレ】に仲が悪いメンバーはいませんけれどね。
仲良しなのは、同性や、同好の士や、恋愛関係などのわかり易い理由があるのですが、ハリエットとリスベットは性格も趣味も正反対なのに何故か気が合うようで、プライベートでもアイリスを加えた3人で良く一緒に行動しているのだとか。
【ファミリアーレ】で最も頭がアレなハリエットと、最も知性派のリスベットの気が合うというのは……。
まあ、人間関係というのは相性というモノがあり、必ずしも似た者同士が上手く行くとは限りませんからね。
「それで……こう、親指で喉を切る仕草の意味は何ですか?」
ハリエットが訊ねました。
「喉を切るハンド・サインは……お前を殺す……という、そのままの意味です。【スカアハ訓練所】の訓練生が【ファミリアーレ】に向かって、その剣呑なジェスチャーをしたのですか?」
「そうじゃないんです。集団戦の前に【スカアハ訓練所】の訓練生達が相談していて、仲間に向かってその仕草をしていました」
「状況が良くわかりませんね……。リスベット?」
「え〜と、確か集団戦のレギュレーションを決めている時の事でした。フェリシアさんとレイニール君が余りにも強過ぎるので、【ファミリアーレ】とフェリシアさんとレイニール君の合同チームでは、【スカアハ訓練所】側が劣勢過ぎて、お互いに訓練にならない。なので【ファミリアーレ】チーム、フェリシアさんとレイニール君姉弟チーム、【スカアハ訓練所】チームに分かれ、同時三巴の変則レギュレーションで集団戦訓練をしよう……という事になりました。その際に【スカアハ訓練所】の訓練生の1人が、ハリエットが言ったハンド・サインを仲間に見せていました」
リスベットが説明します。
「あ〜、それは、喉を切るですね。カット・スロートのハンド・サインは通則では……殺害する、解雇……などを意味しますが、カット・スロートという言葉には……激しい、厳しい、過酷な、熾烈な……という意味もあります。転じてカード・ゲームなどで、3人以上あるいは3チーム以上が参加するゲームで、胴元や親を置かずに3組が互いに競い合う競技形態をカット・スロートと呼びます。今回の場合は【スカアハ訓練所】の側が……カット・スロートの方式で集団戦をしよう……という提案をする過程で、そのハンド・サインをしたのだと思います」
「なるほど。じゃあ、悪い意味はないんですね?」
ハリエットは訊ねました。
「ないと思います」
「え〜と、次はアイソレーションの意味を教えて下さい」
「アイソレーションは……孤立や分離……の意味です。軍隊においては本隊から孤立・分離したユニットを置き、遊撃や散兵や偵察などを行わせる事です。冒険者パーティの戦術では【前衛】が【後衛】を守る陣形が基本ですが、何らかの戦術的意図で1人ないしは少数の【攻撃職】や【斥候】や別働者が陣形から独立して行動する場合を意味します」
「あ〜、【スカアハ訓練所】の【攻撃職】が1人で背後に回り込もうとしてました……そういう意味か〜」
「なら、ハリエットが、その遊撃【攻撃職】に1人で対応したのも、アイソレーションですか?」
リスベットが訊ねます。
「まあ、そう言っても差し支えありませんね」
「それで、その時に私と1対1になった【スカアハ訓練所】の訓練生が何かおかしくって、えっと……何か急に強くなったり、速くなったり、固くなったりしました。確か【インポート】とか【エクスポート】とか詠唱していました。倒せたんですけれど、戸惑って……。あれは何ですか?」
ハリエットは訊ねました。
「【インポート】や【エクスポート】というのは【適用】という魔法や【能力】やアイテムの発動キーとなる詠唱です。【強化補正】の一種ですが、原則として【適用】では任意の【効果付与】を同時に1つだけしか使えません。その代わりに、行使する1つの【効果付与】は通常より強力になります。例外として【インポート】を行使または受けた者が持つ【常時発動能力】や、【神の遺物】の装備やアイテムに元から付与されている【永続強化補正】ギミックは別枠になります。あくまでも後天的に任意で【強化補正】する枠や、製造された装備の【付与効果】が、【適用】の1つの【強化補正】で上書きされ埋まるという事です。【適用】は自分だけでなく、仲間にも【強化補正】する事が可能です。ハリエットが対峙した【スカアハ訓練所】の訓練生は、【インポート】で通常より強化された【強化補正】を1つ使い、状況に応じて【エクスポート】で【強化補正】を自ら剥がし、別の【強化補正】に付け替えるという事を繰り返していたので、ハリエットは相手の力が急に強くなったり、急にスピードが速くなったり、急に防御が固くなったりという違和感を覚えた訳です」
「【適用】……そんなのがあるんですね?」
「はい。【適用】は【強化補正】を重ね掛け出来ない代わりに強力なので、使い熟せれば有用です」
「ノヒト先生。ハリエットが対峙した【スカアハ訓練所】の訓練生は、何故アイソレーションで単身攻撃して来たのでしょうか?【適用】のメリットを最大限活かすなら、【支援職】として陣形の中で味方に守ってもらって【適用】の運用に専念した方がパーティとしては良かったのではありませんか?」
リスベットが訊ねます。
「【適用】使いの【スカアハ訓練所】の訓練生の個体戦闘力がわからないので、一概には言えませんが、基本的にはリスベットが言う通り【支援職】として【後衛】に入るべきでしょうね。ただし味方が攻撃をしたい時に防御を【強化補正】してしまったり、防御をしたい時に攻撃を【強化補正】してしまうとチグハグになります。【適用】は重ね掛けが出来ないので、そういう齟齬が起きると逆に味方パーティを不利にしてしまいます。なのでアイソレーションで単独行動をしたのかもしれません」
「なるほど」
リスベットは頷きました。
【ファミリアーレ】チームと、フェリシアとレイニールの姉弟チームと、【スカアハ訓練所】の訓練生チームによるカット・スロート方式の三巴戦は、3度行われて全てフェリシアとレイニールの姉弟チームの全勝。
初戦は、最初に【ファミリアーレ】チームと【スカアハ訓練所】チームが戦って【ファミリアーレ】が勝ったものの、フェリシアとレイニールには敵わず……。
そこで、2戦目・3戦目は、【ファミリアーレ】と【スカアハ訓練所】が一時的に共闘して、まず3チームの中で最強のフェリシアとレイニールの姉弟チームを潰しに掛かったそうですが、それでも敵わなかったそうです。
3戦目は、味方全員でフェリシアとレイニールの隙を誘って、ハリエットがレイニールに渾身の斬撃を見舞い……あわや……という見せ場を作ったそうですが、ハリエットの【鬼切】はレイニールが展開した【多重結界】を2枚しか抜けず、カウンターで倒された、と。
現在フェリシアとレイニールは【高位魔法】までを行使出来るそうです。
年齢や、魔法の訓練を始めてから間もない事や、レベルなどを考慮すると凄まじいですね。
つまり、レイニールは【高位級】の【結界】を展開可能でした。
しかし【多重結界】は本来【超位級】の難易度です。
レイニールは【防御魔法】と【空間魔法】の【才能】を持つので両系統に関係する【結界】の扱いには長けていますが、レベル的には【多重結界】を張るのは困難な筈なのですけれどね。
それも2枚以上とは……。
以上というのは、ハリエットは斬撃でレイニールの【結界】を2枚抜いたので、少なくとも【結界】が2枚あった事は確実でした。
それでもハリエットの太刀がレイニールに届かなかったのですから、レイニールが身体の直近に張っていた【防御】で斬撃が防がれたのか、3枚目の【結界】があった筈です。
これは……少なくとも……という前提でしかないので、もしかしたらレイニールの【多重結界】は4枚とか5枚とか、それ以上あった可能性もありました。
まあ、グレモリー・グリモワールでも個人としては最大でも9枚までしか【多重結界】を展開出来ないので、当然レイニールはそれ以下だとは思いますが……。
とにかく、さすがというか、何というか……。
魔法に天賦の才を持つフェリシアとレイニールを、元5年連続世界ランク1位のグレモリー・グリモワールが付ききりで教育・指導しているのですから当然かもしれません。
まあ、上を見て羨んでも仕方ない事です。
【ファミリアーレ】だって、私の育成スケジュールから言えば、遥かに強くなっていました。
ハリエットも、レイニールの【高位結界】を2枚抜いてみせたのですから、彼女のレベルから考えれば大したモノです。
【ファミリアーレ】の子達は、足元を見て着実に1歩1歩前進していけば良いのですよ。
その後もハリエットからの質問攻めは、料理が運ばれて来るまで続きました。
これは、ハリエットが物を知らないとか、特別好奇心が旺盛だからという事ではなく、ハリエットがクラン【ファミリアーレ】での自分の役割としてワザとそうしているような気がしますね。
ハリエットが……おバカ……の役割を引き受けて【ファミリアーレ】を代表して誰かに質問をすれば、【ファミリアーレ】全体として解答を聴き知識を蓄積する事が可能だからです。
もちろん現実問題として、ハリエットがあまり知識が豊富でも勉強が得意でもないという事はあるでしょうが、単に質問するだけなら、毎日【ファミリアーレ】から【スマホ】のメールで送られて来る日記代わりのレポートで私に質問すれば事足りました。
ハリエット自身が知識を得る為なら、わざわざ【ファミリアーレ】のメンバーが揃っている衆目の前で質問をする必要はありません。
ハリエットは、おそらく……自分が知らない事は、他のメンバーも知らないかもしれない……と考え、あえて【ファミリアーレ】が揃っている場で、私に色々と質問しているのだと思います。
【ファミリアーレ】の子達は真面目で素直なので、彼らが知ったかぶりをしていたり、恥を掻きたくないから質問しないとは思いませんが、もしかしたら萎縮したり遠慮して、訊きたくても質問出来ずにいる子がいるかもしれません。
きっとハリエットは、そういう子達の分も自分が質問してあげているのではないでしょうか?
わざわざ私への質問事項をメモしてまで……。
以前は気付きませんでしたが、最近ハリエットを観察していて、そうなのではないかと考えるようになりました。
【ファミリアーレ】の子達は毎日私にメールでレポートを提出していました。
質問事項を【スマホ】にメモしたのなら、それを私にメールするのは簡単です。
そうせずに、ハリエットが【ファミリアーレ】が揃っている場で質問するのは、他の子達にも聴かせる為だとしか思えません。
私は【ファミリアーレ】の子達に……何かわからない事があれば、わからないままにせず、自分で調べたり、誰かわかる人達に訊くように……と繰り返し言っています。
また、以前ソフィアも……知らない事は、バカな振りをして何でも訊いてしまう方が、知らないままでいるより利口……というような意味合いの話をしていました。
しかし知らない言葉や、わからない事柄があっても、人は前後の文脈や、その場の状況や雰囲気から類推して解釈して、理解したように錯覚してしまう事が良くあるのです。
なのでハリエットは、おバカな振りをして質問をして、【ファミリアーレ】のメンバー達に必要な知識を蓄積する機会を与えているのではないのでしょうか?
だとするならハリエットは、おバカなどではありません。
彼女は極めて聡明で仲間への気配りが出来る優しい娘だという事になります。
私の考え過ぎかもしれませんが……。
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