第1118話。マルコ・ピンプ
【エデン牧場】乳業施設。
私達はチーズ作り体験を終えて、乳業施設に併設されたミルク・スタンドで、牛乳やヨーグルトやチーズなどの乳製品を買って休憩を取る事にしました。
私達が作った……というか、スタッフのイグレータさんに言われるがまま作業したチーズの原型は、熟成が終わり完成したら各自の自宅に送り届けてくれるそうです。
私とトリニティとカルネディアの自宅は【ワールド・コア・ルーム】のゲームマスター本部内にありました。
ゲームマスター本部職員は【ワールド・コア・ルーム】内のホテルが自宅代わりで、【ファミリアーレ】も昨日下宿先の【宿屋パデッラ】から【ワールド・コア・ルーム】内のホテルに引越しています。
フェリシアとレイニールの正式な本籍地は【シエーロ】にあるグレモリー・グリモワールの本邸【マジック・カースル】になっていましたが、自宅は【サンタ・グレモリア】が現住所でした。
【ワールド・コア・ルーム】はもちろん【サンタ・グレモリア】にも【転送装置】が設置してありますし、以前私が大量に製造した【転送装置】がミネルヴァの指示で【シエーロ】の各主要都市の中央神殿に設置済みなので輸送の問題はありません。
「さっきイグレータさんの話に出た、ミルク・メイドって、マルコさんのお店の名前と同じだよね?」
ハリエットが訊ねました。
「あ……うん。そうだね……」
グロリアが微妙な表情で頷きます。
「何の話?」
ジェシカが訊ねました。
「だからさ、マルコさんのお店の名前も【ミルク・メイド】って言うんだよ……」
「ハリエット。今そういう話は……」
アイリスが微妙な表情で言います。
「ノヒト先生。質問なんですが……」
ハリエットが私に訊ねました。
「あ、バカ……」
アイリスがハリエットを制止しようとします……が、間に合いません。
「何ですか?ハリエット」
「あの〜、さっきイグレータさんから、ミルク・メイドって本来の意味は牛の乳搾りをする女の人っていう意味だと教えてもらいましたけど、もしかしたら夜のお店で働く女の人っていう意味のスラングだったりしますか?」
ハリエットが訊ねます。
夜のお店?
あ〜、そういう意味ですか……。
「どうでしょうね?私の知識では、そのようなスラングは知りませんが……。何故そのような事に興味があるのですか?」
「孤児院の卒院生にマルコさんという先輩がいて、事業で成功して孤児院に沢山寄付をしてくれたり、クリスマスには孤児院のみんなにプレゼントをくれたりする親切で面倒見が良いオジサンなんです。そのマルコさんが経営しているのが【ミルク・メイド】って言う夜のお店なんです。それで気になって」
ハリエットは屈託なく言いました。
「なるほど。ミネルヴァに聞いてみます……」
チーフ……当該のスラング表現は知りませんが、ミルク・メイドが、ある種の暗喩を含む呼称として、別の意味を持つ可能性は否定出来ません。
ミネルヴァは【念話】で説明します。
わかりました。
私は【念話】で了解しました。
「ハリエット。ミネルヴァも良くわからないようですが、ミルク・メイドという言葉が原義を離れて別の意味を持つ可能性はあるようですよ」
「やっぱりね。【ミルク・メイド】は色んな都市に支店がある人気のお店で、孤児院の先輩達や同期の女の子達が何人も働いているんですよ」
ハリエットが言います。
【竜都】の【神竜神殿】付属孤児院の卒院生であるマルコなる男が、孤児院出身の女性達を【ミルク・メイド】という屋号の、そういう業態のお店で働かせている……えっ?
「何ですって?それは本当ですか?それを孤児院を運営する【神竜神殿】が許可しているのですか?」
「え?あ、はい」
ハリエットは、私が剣呑な様子で訊ねた事を、困惑顔で肯定しました。
グロリアとアイリスは頭を抱え、リスベットは苦笑いします。
話の流れ的に、【ミルク・メイド】なる店は、所謂性風俗業態だと想像されました。
孤児院出身のマルコなる男は、後輩である孤児院出身の女性達を、そんな如何わしい業態にスカウトしているという事でしょうか?
だとするなら、マルコなる男は、ポン引きではないですか?
どうして【神竜神殿】は、そのマルコなる人物を排除しないのでしょうか?
ミネルヴァ……速やかに【竜都】の孤児院出身者で【ミルク・メイド】なる店を経営しているという、マルコなる人物の情報を照会しなさい。
私は【念話】で指示しました。
了解です……照会完了しました……マルコ・ピンプ……ピンプは正式な家名ではなく、個体識別上の通り名として登録されています……マルコは【竜都】東西の歓楽街や、セントラル大陸各地の大都市で【ミルク・メイド】なる店舗を手広く経営しています……従業員の大半は各地の孤児院出身の女性です。
ミネルヴァが【念話】で報告します。
バキッ!
私がテーブルに置いた手に無意識で力を込めたので、分厚いテーブルが折れてしまいました。
「ノヒト先生。どうしたのですか?」
ハリエットが驚いた様子で訊ねます。
「許せません……。孤児院出身者の弱みにつけ込み、如何わしい業態で働かせるだなんてっ!」
私の剣幕に驚いて【ファミリアーレ】の子達の視線が集まりました。
マルコ・ピンプなる男の、通り名である……ピンプ……とはポン引きや女衒などの売春斡旋業者を指す言葉でした。
つまりは、そういう者なのでしょうね。
現在ソフィアが設立し、私も出資する【ソフィア財団】の活動によって、【ドラゴニーア】を含むセントラル大陸では貧困者の保護と支援が始まっています。
【ソフィア財団】に相談をすれば、真面目に暮らしている貧困者や貧困世帯なら、ほぼ無条件で民間の生活保護が受けられ、税金や家賃の滞納あるいは債務などがあれば【ソフィア財団】が雇った税理士や弁護士や民生委員などが債権者の元に向かって、納税や債務返済の減額措置や、一部支払い猶予をお願いするなどの交渉をして貰えました。
また、【ソフィア財団】からは、貧困者が自活出来るように職業訓練が受けられたり、資格や免許などを取得する為の学費支援も受けられ、傷病や障害があったり老齢で就労が困難な場合には医療費や介護費などの支給も受けられます。
【ドラゴニーア】では国籍を持たず、定住許可や就労許可しか持たない場合、公的な生活保護は受けられません。
あるいは【ドラゴニーア】以外のセントラル大陸各国では、世界一の経済大国である【ドラゴニーア】程の手厚い生活保護制度がない場合もありました。
なので、【ドラゴニーア】政府による公共の福祉の手から溢れ落ちてしまった貧困者や、【ドラゴニーア】以外のセントラル大陸各国で十分な生活保護を受けられない貧困層を救済するのが、【ソフィア財団】の役割なのです。
従って、【ソフィア財団】が設立された現在、【ドラゴニーア】を含むセントラル大陸では、経済的困窮から致し方なく望まない職業で働かなくてはならない人は、ほぼ居なくなったと考えて差し支えありません。
つまり、セントラル大陸においては経済的困窮が理由で、マルコ・ピンプのようなポン引きや女衒に騙されて本人が望まない春を売る職業をしなければならない理由は、もはやないのです。
チーフ……認識に一部誤解があります……マルコ・ピンプが経営する【ミルク・メイド】の業態は、神界の日本から輸入された、メイド喫茶やキャバクラやガールズ・バーに近いモノで、売春などを行う性風俗業態とは一線を画します……通称のピンプは、売春斡旋業者という意味ではなく、女たらしという意味なのだそうです。
ミネルヴァが【念話】で報告しました。
へ?……あ、そう……わかりました。
私は【念話】で了解します。
私は冷静になって、破壊してしまったテーブルを【修復】した後、改めて【ファミリアーレ】の孤児院出身の子達の説明を聞きました。
彼女達の説明によると……。
マルコ・ピンプは、主に孤児院出身者の女性(一部男性もいる)を雇用し【ミルク・メイド】という屋号の女性がお客を接待するお店で働かせています。
【ミルク・メイド】のシステムは、ミネルヴァが報告した通り、メイド喫茶やキャバクラやガールズ・バーに似ているモノで、文字通りミルク・メイドの格好をして女性達が接客するのだとか。
もちろん、お触りNG。
見目美しかったり、会話が面白い女性はホールの接客担当、世間一般の勝手な評価からそうではないと判断された女性と一部の男性は厨房や事務・雑務などの担当。
マルコ・ピンプが【ミルク・メイド】を経営している理由は、経済的理由で私が誤解してしまったような望まない仕事をしなければならない孤児院出身の女性達の救済策でした。
マルコ・ピンプは、理由があって娼館や売春業などで嫌々働かなければならない境遇の孤児院の後輩達に……同じ給料をあげるから、【ミルク・メイド】で働きなさい……と雇用してあげている善意の慈善事業家だったのです。
マルコ……いや、マルコさん、誤解してしまい申し訳ありません。
マルコ・ピンプは不動産取引などが本業なので、【ミルク・メイド】の利益は全て従業員達の給与として還元していて、自らは利益はもちろんロイヤリティすら1銅貨も受け取っていないそうです。
なので【ミルク・メイド】の従業員達の給与水準は相応に高く、売春を行う場合とあまり変わりません。
もちろん高級店に所属し人気の娼婦となり、金持ちのパトロンが付いたりすれば、売春で得られる収入は天井知らずの高給となるケースもあるそうですが、それは一部の例外です。
一般的な娼館や売春業では、オーナーや胴元の取り分が50%以上になる場合が多いので、存外に働いている女性達の平均的な取り分は多くはないのだとか。
また労働環境も劣悪になり、健康を害してしまうケースもあるそうです。
とはいえ免許や資格や学歴や職歴がない孤児院出身者達が、ある程度の収入を得るには娼館や売春業で致し方なく働かざるを得ないケースが過去には事実としてあったのだとか。
マルコ・ピンプは、そういう孤児院出身の後輩達を救済する為に、娼館や売春業の代替として【ミルク・メイド】を開店したそうです。
【神竜神殿】の孤児院は卒院生達に就職斡旋を行っていますが、斡旋される職種は、もちろん娼館や売春業などではあり得ません。
かつて、グロリア、ハリエット、アイリス、ジェシカの獣人娘達が就職の為の研修として孤児院から派遣されたお店が、裸で接客するソッチ系のレストランだった例もありますが、あれは当該のエロ系レストランが業務内容を偽って従業員募集をしていた悪徳な詐欺業者だったので、致し方ない事情がありました。
なので基本的に孤児院が就職斡旋する仕事は、性風俗業態ではありません。
孤児院を管轄する【神竜神殿】が絶対に許可しないのです。
しかし現実として、孤児院出身の女性達が娼館や売春業などで働く事例は後を絶たなかったのだとか。
つまり、孤児院を卒院した後に孤児院出身者が、孤児院が斡旋したお堅い就職先からの給与では足りずに致し方なく、性風俗業態に転職していたのです。
孤児院は孤児院出身者が卒院した後の自由意思による転職までは阻止出来ませんからね。
何故、孤児院出身者は望まない娼館や売春業で働かざるを得なかったのでしょうか?
端的に言うなら就職斡旋された会社や事業所から貰う給与が足りないからです。
もちろん孤児院が就職斡旋してくれる会社や事業所は、しっかりした真っ当な職場で、孤児院出身者が1人で慎ましく生活して行くだけなら十分な給与も貰えました。
しかし個別の様々な事情があるようですが、顕著な例として孤児院出身者に弟や妹がいる場合などでは、その給与では足りません。
孤児院出身者に弟や妹がいれば、その子達も当然ながら孤児でした。
もしも、孤児院出身者が卒院後に弟や妹を引き取って一緒に暮らしたいと望むなら、弟や妹を養える相応の収入が必要となります。
孤児院に居られる上限年齢いっぱいの15歳まで待てば、弟や妹も自力で働けるので兄弟姉妹がそれぞれ働いて収入を得て一緒に暮らす事に問題はありません。
しかし、孤児院では、子供がいない世帯などが養子縁組をして孤児達を引き取るケースがあります。
孤児院の予算も無限ではないので、身辺調査をして問題がない世帯には積極的に孤児を養子に出すシステムになっていました。
その養子に出される孤児が、既に卒院して社会に出た孤児院出身者の弟や妹である可能性もあり得ます。
弟や妹を孤児院に残して卒院した孤児院出身者が、孤児院に頼めば、例外措置として一時的に弟や妹を養子には出さず孤児院に留め置いてくれる場合もありますが、先述の通り孤児院の予算も無限ではないので、何年も孤児院出身者の弟や妹を養子に出さずに留め置いてくれる訳ではありません。
調査して問題がない里親になら、原則として孤児院は孤児を養子に出す方針でした。
孤児院予算は税金ですし、孤児院の運営は法律に基づくので、孤児院出身者の弟や妹だからといって長期間例外措置で留め置くのは不可能なのです。
また、孤児院にも孤児達を保護する責任があるので、孤児院出身者が……弟や妹を引き取りたい……と孤児院に頼んでも、十分な収入がないなどの理由で、孤児院出身者の弟や妹の生活環境が整わないと予想される場合、孤児院は孤児院出身者の弟や妹の引き取り希望を拒否する場合もありました。
そういう境遇にある孤児院出身者が、弟や妹を引き取って養う為に、切羽詰まって致し方なく少しでも収入を増やす為に娼婦や売春業に転職してしまうのです。
私は基本的に……合法な職業であれば、職種に貴賎などはない……と思いますので、嫌々とはいえ何らかの目的の為に覚悟の上で売春に従事するのは個人の自由意思だと考えていますが、それでも代替の職業があり憂いなく働ける方が良い事は言うまでもありません。
そういう気の毒な例を生まない為に、マルコ・ピンプ氏は、孤児院出身者が望まない春を売らなくても良いように【ミルク・メイド】を設立したのだとか。
世の中には立派な人物がいるモノです。
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