第1114話。【スレイプニル】。
【エデン牧場】騎獣繁用施設。
私とカリュプソと【ラ・スクアドラ・ディ・ソフィア】は騎獣繁用施設の中を歩いていました。
繁用施設とは単に騎獣を飼育しているだけではなく、騎獣を繁殖させ数を増やしたり、使役する者にとって有用な性質を持つ雌雄を掛け合わせて優秀な遺伝形質の次世代を残す事を目的としています。
繁用施設の中核は、各騎獣の雌雄……つまり、種牡と肌牝からなりますが、この【エデン牧場】は特に【ペガサス】や【ユニコーン】など馬型の騎獣を専門に繁用していました。
何故なら馬型の騎獣は、一部【ケルピー】や【肉食馬】などの例外は別として、殆どが草食性で、【竜】や【グリフォン】など肉食性の騎獣と一緒に飼育する事が出来ないからです。
きちんと調教された肉食性の騎獣は、草食性の騎獣を襲って食べてしまうような事はありませんが、肉食性騎獣と草食性騎獣を一緒に飼育すると、草食性の騎獣はストレスなどで餌を食べなくなったり子供を産まなくなったりミルクの出が悪くなるのだとか。
なので、基本的に騎獣は種族ごとか、相性が良い種族ごとに飼育・繁用する事が普通なのです。
私達は【山羊足人】のイギー・インカビリア牧場長に案内されて厩舎の1つに到着しました。
「こちらが【ペガサス】の厩舎です」
イギー牧場長は言います。
「【ペガサス】の厩舎だけ離れた場所にあるようじゃが?何か理由があるのか?例えば、【ペガサス】は臆病じゃとか、神経質じゃとか、そういう事か?」
ソフィアが訊ねました。
ソフィアが言うように、繁用施設の建物の中で【ペガサス】の厩舎だけ広い中庭のような区画に隣接していて、他の厩舎群から離れているような設計になっています。
ソフィアは【ペガサス】をペットとして飼うにあたり、気になったのかもしれません。
「いいえ。【ペガサス】の厩舎に隣して広いスペースを確保している理由は、滑走路が必要だからです」
「ああ、なるほど。この中庭は滑走路という訳か」
「【ペガサス】は優れた飛行能力を持ちますので、翼を全力で翔けば垂直離着陸も可能です。しかし、垂直離着陸を行うと沢山のエネルギーを使い消耗してしまうので、それを【ペガサス】は好みません。通常【ペガサス】は離陸時には地面を走り十分な加速をしてから翼を広げて揚力を得てスムーズに飛び上がり、着陸時には低空を滑空しながら地面に脚を付けて滑走し身体への衝撃を少なくします」
「すると、【ペガサス】は離着陸に、どの位の距離を必要とするのじゃ?」
「通常の滑走路であれば100mで十分ですね。ただし、【ペガサス】は母親が仔馬に飛行を教えます。仔馬の飛行訓練の為には走り易い数百mの滑走路や、足場が良い緩やかな傾斜地などがあると良いでしょう」
「うむ。わかったのじゃ」
「皆様。空をご覧下さい」
イギー牧場長が言いました。
「……ん、渡り鳥か?」
ソフィアが上空を見上げて言います。
空にはシンメトリーの逆V字編隊で飛行する何かが見えました。
「【ペガサス】でございますよ。午後の放牧です。【ペガサス】は運動量が必要な魔物で十分に運動をさせないとストレスで体調を崩します。なので、朝、午前、午後、夕方と日に4度の放牧をさせます。1回に1時間程飛ばせておけば問題はありませんが、運動が不足するとストレスで免疫力が弱まり病気になり易くなる他、夜中に大きな声で嘶いたり、馬房の中で暴れて翼や脚を怪我をしたりしますので、毎日の運動は必須です。日頃、軍馬や騎馬などとして任務や訓練などに使役されている個体は、その分運動量を調節してもらえば問題ありません」
イギー・インカビリア牧場長が説明します。
「放牧したら、逃げ出してしまわぬのか?」
「大丈夫です。【ペガサス】は群を成し、1頭の雌がリーダーとなり、他の個体はリーダーに追従して行動する習性がありますので、リーダー個体をきちんと調教して、声や笛などによる音や、ハンド・サインやジェスチャーなどで人種の指示に従うようにしておけば、ある程度群の動きを操作出来ます。また騎手がリーダー個体に騎乗して、ああして先頭を飛べば群は勝手に後に付いて来るので逃げたりしません。【ペガサス】の世話は他の騎獣に比べて手が掛かりませんね」
「つまり、あの先頭のリーダー個体に誰か乗っておるのじゃな?騎手は【天使】か?」
「いいえ。【エデン牧場】の厩務員の【山羊足人】です。【天使】族の皆様は、自前の翼や【飛行】の魔法で飛べるからか、訓練しても、あまり騎乗技術が上達しませんので……」
「ふむ。じゃが【山羊足人】には翼がない故、あのような高度から落馬したら大事故になるのではないか?」
「良く馴致された【ペガサス】は騎手を振り落とすような事はありません。また【ペガサス】は賢く、人種の顔を覚え強い信頼関係を築きます。信頼する人種を【ペガサス】は守ろうとするので滅多に事故は起きませんよ。もちろん万が一の事故防止の為に、騎手には【浮遊】の魔法が【効果付与】されたアイテムを持たせています」
「なるほど」
「ソフィア様に献上申し上げる【ペガサス】を連れて参りますので、お待ち下さい」
イギー牧場長は厩舎の方に並ぶ厩務員に合図を送りました。
すると、1頭の美しい【ペガサス】が厩務員に手綱を引かれて歩いて来ます。
先んじてソフィアに譲渡されている牝の【ペガサス】ファリーナもそうでしたが、入念に手入れされた牡の【ペガサス】は見事な毛並みをしていました。
「これが我の【ペガサス】か?立派じゃのう」
「はい。当牧場最高の良血馬でございます。均整の取れた馬体と大きな翼を持ち、大変に賢く人語も理解します。きっと沢山の素晴らしい産駒を残す、名種牡馬になりますでしょう」
「ほほう。話せるのか?」
「話せませんが、簡単な言葉は聴き取ります」
【ドゥーム】の【ディストゥルツィオーネ】の首長であるコルナーラは【ユニコーン】と【ペガサス】の混血の【ユニペグ】で流暢に人語を話しましたので、【ペガサス】が人語を理解出来ても不思議ではありません。
聞き取りだけが出来て、言葉を話せないのは、まだ年齢的に経験が少ないからでしょう。
「うむ。正に我のペットに相応しい【ペガサス】じゃ」
ソフィアは言いました。
「この【ペガサス】を当牧場ではキックと呼んでおります」
「キックとな?」
「はい。小さな頃はヤンチャで気が強くて、母親以外の【ペガサス】や厩務員が近付くと度々後脚で蹴飛ばしました。私も蹄鉄を交換する際に油断して肋骨をやられた事があります」
イギー牧場長は脇腹を押さえて苦笑いします。
確か日本の競走馬は蹴り癖がある馬は尻尾の付け根に、噛み癖がある馬は頭に赤いリボンが結ばれていると聞いた事がありますが……。
「なぬっ、蹴るのか?【竜城】で世話をする者達が蹴られると難儀じゃが……」
「今は気性が落ち着きましたし調教もしてありますので、危害を加えたり脅かしたりしなければ蹴るような心配はありませんのでご安心下さい。キックは幼名ですので、ソフィア様が正式な名前を付けてやって下さいませ」
「うむ。では、この【ペガサス】の名前はローリエットにしよう」
「ローリエット……由来は何ですか?」
私は訊ねました。
「我に献じられる栄誉ある【ペガサス】じゃからして、月桂冠を受けた者じゃ」
ローリエットという名を付けられた【ペガサス】はブルルッと鼻を鳴らしました。
「おや。新しい名前を気に入ったようですよ」
イギー牧場長が笑顔で言います。
「うむ。そうじゃろう」
ソフィアは満足気に頷きました。
今回はソフィアの名付けにしては、まともでしたね。
まあ、良いでしょう。
「では、カリュプソ。ローリエットを【竜城】に運んで下さい」
「カリュプソ。頼むのじゃ」
「ははっ」
カリュプソは頷き、ローリエットと共に【転移】しました。
こうして、牡【ペガサス】ローリエットと、牝【ペガサス】ファリーナが、ソフィアに譲渡完了。
【古代・グリフォン】の譲渡と合わせてノルマは達成しました。
「さてと、用は済んだので、私達も観光組に合流しましょうか?」
「ノヒト。あっちの灰色の馬(?)は何という種類じゃ?」
ソフィアが怪訝な顔で指差します。
ソフィアの視線の先には、隣の厩舎の房で飼馬桶から餌を食べている芦毛の馬のような生き物がいました。
「あれは、馬ではなく馬型の魔物【スレイプニル】です。簡単には人種に馴れない【スレイプニル】を飼っているとは珍しいですね」
この【エデン牧場】は繁用牧場です。
【スレイプニル】は種族的に牡しかいないので、繁殖はしません。
繁殖しない騎獣が繁用牧場にいるのは不自然です。
「あれが【スレイプニル】か。じゃが、あの脚は、どうなっておるのじゃ?おかしな事になっておるのじゃ」
ソフィアは目を見張りました。
「近くで見てみれば一目瞭然ですよ」
【スレイプニル】は膝から上だけなら大型の芦毛馬にしか見えませんが、4本の脚の膝下から先がそれぞれ二又に別れていて、合計8本の足先と蹄を持つ魔物です。
「これは面妖な……。足が8本あるのじゃ」
ソフィアは【スレイプニル】の馬房を覗いて言いました。
「おそらく【スレイプニル】はスピードにおいては最速の騎獣です。空中を蹴って自在に空も走れますよ」
「ふん。最速は我じゃ。いや、ノヒトが最速で、我がその次じゃ。じゃから、【スレイプニル】が最速というのは嘘じゃ」
「私もソフィアも、騎獣ではないでしょう?【スレイプニル】は騎獣の中では最速です」
「騎竜たる【古代竜】や【古代・グリフォン】より速いのか?」
「速いですね。【スレイプニル】が全力で駆けると……1蹴りが音速……だと云われていますので」
「音速?遅いではないか?【古代竜】や【古代・グリフォン】なら軽く音速の数倍で飛べるぞ」
「1蹴りが音速なのですから、8本の足を持つ【スレイプニル】の1完歩(完歩とは四足動物の最大歩幅)は音速の8倍に相当します。更に【スレイプニル】は1秒あたり2完歩のピッチで駆けますので、つまり【スレイプニル】の最高速は音速の16倍……マッハ16です。【古代竜】や【古代・グリフォン】の4倍以上のスピードで走れます」
「マッハ16!?それは凄い。我よりは遅いがの。しかし、マッハ16などで走って操縦出来るのじゃろうか?重力加速度や衝撃波などで騎手自身や周囲が大変な事になりそうじゃが?」
「確かに【スレイプニル】は最高速マッハ16で走れますが、騎手の安全性は別問題ですね。【スレイプニル】に乗って高速で走る際に、騎手は魔力を収束して【闘気】を体内に流したり装備などで身体を厳重に保護しなければ内臓が破壊されて死んでしまいます。なので、通常は騎手が耐えられる安全な速度域内で走ります。しかし、【スレイプニル】自身は重力加速度の影響を打ち消すギミックを持つので空馬(騎手がいない状態)ならマッハ16で走っても問題ありません。また【スレイプニル】がマッハ16で走っても周辺環境に影響を起こさないギミックもありますので、超高速で走っている【スレイプニル】にぶつかったりしない限り基本的に周囲に危険はありません」
「ならば、【闘気】などで騎手が肉体の保護を行えるのならば、【スレイプニル】は最強の騎獣なのじゃな?」
「【スレイプニル】は確かに最速の騎獣ですが、【古代竜】や【古代・グリフォン】などのような火力を持たないので、最強の騎獣ではありません。真正面から戦えば【スレイプニル】は【古代竜】や【古代・グリフォン】はもちろん、【竜】にも殺されてしまうでしょう。しかし、足が速いので全速力で逃走を図れば大概の敵からは逃げ切れます。【スレイプニル】は、その【遭遇】の少なさや、【調伏】の難易度と相まって超絶レアな騎獣です」
「ノヒト。我は【スレイプニル】が欲しいのじゃ」
あ〜、また、ソフィアの欲しがり癖が始まりましたね。
「イギー牧場長。あの【スレイプニル】は【シエーロ】の所有馬ですか?」
「あの【スレイプニル】は【魔界】東大陸の大魔王ベルゼブブ陛下の近衛である【蝿騎士団】団長のエウリュノメー騎士団長閣下の騎馬でございます。エウリュノメー騎士団長閣下は、現在ご出産の為【エデン】の御実家に里帰りなっておられます。その間、閣下の騎馬を【エデン牧場】で一時的にお預かりしてお世話をしているだけですので、恐れながら、あの【スレイプニル】はお譲り致しかねます」
イギー牧場長は困り顔で言います。
「だ、そうです。誰かの【スレイプニル】を取り上げて、ソフィアに譲渡する事は出来ませんね」
「ならば、繁殖して産まれた【スレイプニル】の仔馬を譲って欲しいのじゃ。対価は払う」
ソフィアは言いました。
「【スレイプニル】は種族的に牡馬しかおりませんので残念ながら繁殖して数を増やす事が出来ません」
イギー牧場長が説明します。
「むむむ。そのエウリュノメーなる者に頼んで何とか譲って貰えぬじゃろうか?」
「エウリュノメー騎士団長閣下は、ルシフェル様の御子息リュミエル様の奥方様で、この【スレイプニル】もリュミエル様の所有馬でございます。私の立場では、リュミエル様やエウリュノメー騎士団長閣下に、【スレイプニル】の譲渡を依頼するなど滅相もない事でございます。何卒御容赦下さいませ」
「ルシフェルの子息リュミエルとな?その者に頼めば良いのか?ノヒトから頼んでも何とかならぬか?」
「ミネルヴァの報告によると、リュミエル某とエウリュノメー某という者は、【知の回廊の人工知能】とルシフェルによる【シエーロ】と北米サーバー(【魔界】)での虐殺後に生まれたので、一連の【知の回廊の人工知能】とルシフェルによる【世界の理】違反には関与せず、また【シエーロ】側の統治機構にも所属せずに穏当に暮らして来たそうです。従って2人は私の支配下に入る懲罰の対象外です。なので、私がリュミエルの所有物を勝手に取り上げる根拠がありませんね。【神格者】の権威を振りかざせば無理矢理奪い取る事は可能ですが、ソフィアはそうしたいのですか?」
「理由なく無理矢理奪う謂れはないのう……。ならばノヒトよ、【スレイプニル】を我の為に捕まえて欲しいのじゃ」
「わざわざ探しには行きませんが、偶然【遭遇】した時は【調伏】してソフィアに譲るのは別に構いませんよ」
「探しには行ってくれぬのか?」
「面倒ですし、私は忙しいので」
「致し方あるまい」
「そろそろ、みんなと合流しましょう。イギー牧場長、今日はありがとうございました」
「うむ。イギーよ、世話になったのじゃ」
「この度はノヒト様、ソフィア様と謁する機会に浴しまして誠に光栄でございました。どうぞ、またお越し下さいませ」
イギー牧場長と【エデン牧場】の厩務員達に見送られて、私達は【エデン牧場】を後にしました。
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