第1089話。ベビー・シッター。
【クリスタル・ウォール】中央神殿に面した広場の一角。
「あなた達は?」
【妖精】は混乱したように言いました。
この【妖精】は女性ですね。
「私はゲームマスターのノヒト・ナカです。あなたが死にかけていたので助けましたが……もしかしたら、余計なお世話でしたか?」
この【妖精】……とりあえず、個体識別の為に名無しの【妖精】とでも呼びましょう。
もしも、この名無しの【妖精】が自死しようとしていた理由が……生きるのが嫌になるくらいの解決不可能な苦悩を抱えている……とか……生きるのに飽きた……とかだったとしたら、私が働き掛けた結果で生命を取り留めた事は、無用のお節介でしかありません。
決して好ましい事とは思えませんが、個人の自由意思の問題として誰にでも自殺する権利はある訳です。
「え?ゲームマスターって、あのゲームマスターですか?」
「どのゲームマスターかはわかりませんが、ゲームマスターです。で、あなたは自死しようとしていましたよね?理由を訊いても良いですか?」
「自死……ああ、良くわかりませんが……そうしなければならない……という衝動が抑えきれなかったのです。今は、その衝動が消えました。助けて頂いてありがとうございます」
「ん?自死とな?」
ソフィアが興味を持ちました。
「ソフィア。状況がわかるまで事情聴取は私に任せてもらえますか?」
「我に黙れと言うのか?」
「いいえ。質問は私が代表して行いますので、ソフィアは聴き役に徹してもらえれば状況把握が捗るという意味です」
「うむ。良かろう」
「では、【妖精】。確認しますが、あなたが【スポーン】したのはいつですか?」
「つい、さっきです」
「なるほど。それで、わかりました。あなたが自死しようとした原因はバグの為です。【スポーン】した【知性体】にバグが存在し、そのバグが世界に影響を及ぼす可能性があり、自然に修復不可能な場合、【知性体】は自死を選択する事があります。【世界の理】が自壊命令を実行するのです。生まれたばかりの【物質的肉体】を持つ生物に同様のバグがある場合、そのバグは遺伝子の先天的問題として表出し、その生物は死産になるか、生後間もなく死亡して長くは生きられません。【知性体】には死産や先天的な不治の病という概念がないので、【世界の理】が自壊命令による自死という選択を取らせる訳です。つまり自然安楽死のような事だと解釈してもらって差し支えありません。こういうバグは極めて珍しいのですが、残念ながら世界の手続き型自動生成では一定の確率で発生してしまいます」
私は、ソフィアに……黙っていろ……というニュアンスの事を言ったので、ソフィアにも事情がわかるように詳しく説明します。
そして、この名無しの【妖精】が自死しようとしていた原因がバグであった事が確定した事で、私がミネルヴァから叱られたり会社から怒られる心配がなくなりました。
何故ならバグを見付けてデバッグ・チームにデバッグを指示するのは、ゲームマスター本来の仕事だからです。
バグ処理というゲームマスター本来の仕事をして会社から怒られる筈がありません。
うん、良かった。
「え〜と……。では、そのバグという先天的な不治の病のようなモノが、今の私は治ったという事でしょうか?」
「あなたのソース・コードを確認してもバグと疑われるような兆候は検出されません。おそらく私が咄嗟にあなたの救命措置の一環として行った【超神位……祝福】が上手く働いて、あなたの位階とステータスが上がり受肉した経緯の何処かの時点で、あなたのソース・コードが一部書き変わり、偶然バグ部分が消えたか上書き修正されたのだと思います。地球のアクセス端末からでないと、あなたの元のソース・コードが、どうなっていたのか遡って調べられないので推定でしかありませんが、そういう事は起こり得ますし、他の理由は考え難いので間違いないと思います」
「そうですか……。何だか取り留めもない実感が湧かない話なので、どう考えて受け止めて良いのかわかりませんが、とにかく生命を助けて下さったのですから感謝致します。ありがとうございました」
「ゲームマスターの職務ですから礼には及びません。さて、ソフィア、私の事情聴取は以上ですが、何か加えて質問はありますか?」
「ないのじゃ。我の訊きたい事は全て訊けた」
ソフィアは頷きます。
「ね〜、ソフィア様。この【妖精】のステータス表示が変なんだけど?」
ウルスラが言いました。
「何がじゃ?」
「あのね、種族が【古代妖精】ってなってるんだけど、そんな【妖精】いないよ」
「ん?ノヒト、どういう事じゃ?」
「おそらく、私が救命措置を行った際に使用した【超神位……祝福】によって種族限界を突き抜けて位階が【超位級】になったので、新種が誕生したのだと思います」
「そんな事があるのか?」
「珍しいですが、あります。新種の名付けの通則に従って【超位級】の種族に付く【古代】が冠されたのでしょう」
「なるほど。珍しい個体なのじゃな?」
「たぶん世界に1個体の固有種でしょうね」
「欲しい……」
「さて、【古代妖精】。もう用は済みました。これから【世界の理】を守って幸せに暮らしなさい。お疲れ様」
「あ、はい。ゲームマスターのノヒト・ナカ様、重ね重ね、ありがとうございました。では、これにて失礼致します」
名無しの【妖精】、改め【古代妖精】は深々と頭を下げて飛び立とうとしました。
「いや、待て待て待てっ!」
ソフィアが【古代妖精】を制します。
「えっ?何か?」
【古代妖精】は空中でホバリングして訊ねました。
「少し待て。ノヒトよ、この【妖精】を行かせてしまって良いのか?」
ソフィアは訊ねます。
「バグがデバッグ……いいえ、自然にクリアランスされたのなら、問題は取り除かれました。私が彼女を引き止める理由はありません」
「この【古代妖精】は世界に1個体の固有種じゃ。超絶レアじゃ。【超位級】の【妖精】は【妖精女王】のウルスラを含めて世界に僅か4個体しか存在せぬ。そして、ノヒトの説明を聴けば、この【古代妖精】が【超位級】になった理由は、ノヒトの【超神位……祝福】じゃと言うではないか?ならば何故ノヒトは、この珍しい【古代妖精】と【盟約】を結んで自分の従者にしようとせぬのじゃ。【超絶レア】個体なのじゃぞ?勿体ないではないか?」
「う〜ん、まあ、どちらかと言えば、いりませんね」
グレモリー・グリモワールとしてプレイしているプライベートの時なら、固有種はコレクター癖を持つ者として捕獲したいところですが、運営のゲームマスターとしては、そこまで欲しいとは思いません。
【妖精】族は攻撃威力値が極端に【弱体化補正】されますので、時には暴力装置としての役割も果たさなければならないゲームマスターの従者には相応しくありませんし、もしかしたら戦闘の邪魔になる可能性すらありますからね。
「なら、この【妖精】は我が貰うぞ」
「そんな貰うだなんて、猫の子みたいに……。まあ、好きにして下さい」
「欲がないと言うか、何と言うか……。まあ、良い。後から欲しがっても、もう我のモノじゃからな?」
「はいはい。そろそろ晩餐会に戻りますので、【盟約】するなら早めにお願いします」
「わかったのじゃ。では名もなき【古代妖精】よ。我の従者となれ…… 【盟約】……。 【盟約】……。えいっ!はいっ!」
ソフィアは【盟約】を何度か試行しました。
「?」
【古代妖精】は……キョトン……としています。
「【盟約】、【盟約】、【盟約】……。くっ、このっ、【抵抗】するとは生意気なっ!【古代妖精】よ、何故我の従者にならぬのじゃ!?」
「失礼ながら、あなた様の従者になる必然性を見出せません。こちらのゲームマスターのノヒト・ナカ様から命ぜられたのならば、生命をお救い下さった大恩をお返しする為に終生御仕え申し上げる事も吝かではございませんが、あなた様は、ただの通りすがりの御方。私が忠誠を尽くす理由がありません」
【古代妖精】は言いました。
まあ、そういう可能性もありますよね。
確かに、位階が極まり膨大な魔力を持つ【神竜】からの【盟約】に【抵抗】するのは容易な事ではありませんが、【超位級】の個体なら並外れて強い意志があれば不可能ではありません。
また、【召喚の祭壇】などからの【召喚】されたり、何らかの恩を受けたり、魅力的な対価を提示されたりという前提がない平場での【盟約】では、今回のように拒否される可能性も高まります。
「なぬーーっ!我は、至高の叡知を持つ天空の支配者にして、深淵なる思慮を持つ大海の支配者……現世最高神たる【神竜】のソフィアじゃぞっ!その我から請われて、それを断ると言うのかっ!?」
ソフィアは怒鳴りました。
あ〜あ〜、ソフィア……声を荒らげるのは逆効果ですよ。
【妖精】族は概して暴力的な性質の異種族を嫌います。
「でぃ、【神竜】様っ!これは、大変御無礼を申しました……。しかし、恐れながら、どなた様からの招聘でも同じ事でございます。私は、ノヒト・ナカ様以外の方からの【盟約】はお受け致しません」
【古代妖精】はキッパリと拒絶しました。
「ノヒト〜。この【古代妖精】が強情じゃ〜。其方から何とか言ってくれ〜」
ソフィアが泣き付いて来ます。
「私は関係ありませんよ。ソフィアが自分で【盟約】を結びたいと言ったのですから、私に頼らないで下さい」
マイ・マスター……この【古代妖精】にマイ・マスターが命じて、カルネディアの従者にする事は出来ませんでしょうか?
トリニティが【念話】で訊ねて来ました。
わざわざ【念話】を使ったという事は、この相談を私以外には聴かせたくないという事なのでしょう。
おそらく、ソフィアには……。
出来るか出来ないかという事なら、出来ます……ただし、理由を訊いても構いませんか?
私は【念話】で訊ねました。
幼いカルネディアは【七色星】の森で孤独に耐え、たった1人で生き抜いて来ました……その所為か、私に保護され養子となってからも時折1人になる事を酷く不安がるような素振りを見せます……ミネルヴァ様によると、独りで暮らしていた当時の寂しさや怖さがフラッシュ・バックするからなのだとか……なので、今も眠っているカルネディアの側には、ウィローが付いています……しかし、今後、私は【始まりの秘跡】に挑む為に単独でイースト大陸に向かう予定があり、ウィローなどもゲームマスター代理代行の職務を優先して、カルネディアの側にいられない可能性もあります……ミネルヴァ様によると、位階が高い【妖精】族には、周囲にいる者の心を癒し精神を安定させる【常時発動能力】があるのだとか……ならば、この【超位】の【古代妖精】をカルネディアの従者とすれば、カルネディアの孤独に対する不安や恐怖を和らげる事が可能なのではないかと考えました。
トリニティは【念話】で言います。
トリニティの考えは妥当でした。
そう言われては、【古代妖精】をカルネディアの従者にしてあげたくなりますね。
【古代妖精】をベビー・シッター代わりにする訳ですね……わかりました……ならば、この【古代妖精】は、私が【盟約】した後、マスター権限を移譲してカルネディアの従者にしましょう。
私は【念話】で伝えました。
ありがとうございます。
トリニティは【念話】で言います。
「ソフィア。私は思う所あって、【古代妖精】と【盟約】を結び、従者にする事にしました」
「何じゃっ!?ノヒトは、要らぬと言ったではないかっ!?」
ソフィアは私に食って掛かりました。
「気が変わりました」
「もう遅い。この【古代妖精】は我が従者とする」
「私はノヒト様の従者になら喜んでなりたいと存じます」
【古代妖精】が言います。
「ぐぎぎぎ……。我の従者にするのじゃっ!」
ソフィアは……ダムダムッ……と地団駄を踏みました。
「ソフィア。私は、この【古代妖精】を、カルネディアの従者にしようと思いました。あの娘は、幼いながら森の中で、たった1人サバイバルをして必死に生き抜いて来ました。現在、カルネディアは私とトリニティの養子になりましたが、今でも1人になると酷く不安がるようです。とはいえ、私やトリニティはゲームマスター本部の業務で必要があれば、いつ何時でも出動しなければなりません。その際に周囲の者を癒す能力がある【妖精】族で、位階の高い【古代妖精】がカルネディアの従者として側にいれば、カルネディアも寂しくないと考えました。なので、この【古代妖精】はカルネディアの為に私に【盟約】の権利を譲ってはもらえませんか?」
私は努めて柔らかい口調で話します。
私が話した内容は、トリニティが言った言葉そのままでしたが、ソフィアには……トリニティが言った……とは伝えません。
【古代妖精】をソフィアから横取りするような形になった原因がトリニティだと知れば、ソフィアはトリニティに嫌味の一言くらい言うかもしれません。
私とソフィアは同じ位階の【神格者】で対等ですが、トリニティは準【神格】のスペックがあるとはいえ厳密には【神格者】ではありませんので、ソフィアからの恨み節がトリニティに向けられるのは気の毒です。
まあ、ソフィアの性格なら、トリニティに理不尽な怨嗟を向けるとは思いませんけれどね。
もしかしたらの話です。
「カルネディアの為か……。むむむ……止むを得ぬ。此度はノヒトに譲るのじゃ」
ソフィアは言いました。
ソフィアなら、そう言うだろうと思いましたよ。
ソフィアは子供の味方ですからね。
普段フリーダム過ぎる破茶滅茶な事をしていても、何だかんだ言って、ソフィアは立派な神様なのです。
「ソフィア。ありがとう」
「うむ。カルネディアの為じゃ」
「【古代妖精】。そういう訳で、私には養女がいます。血は繋がっていませんが、私は彼女の事が大切です。このトリニティも私と共同で娘の法的な保護者になっています。あなたを、その娘の従者にしたいと考えていますが、私の大切な娘に仕えてくれますか?」
「ノヒト様の御息女様であれば、喜んで御仕えさせて頂きます。ノヒト様に生命をお救い頂いた大恩は、ノヒト様の御息女様に生涯を懸けて御恩返し致したいと存じます」
【古代妖精】は空中でホバリングしながら跪くようなポーズを取りました。
お読み頂き、ありがとうございます。
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