第1063話。インセクト・プロダクツ。
【ドゥーム】北方都市【デマイズ】。
地下シェルター。
私達は【デマイズ】の地下シェルターにある女王の間にやって来ました。
ソフィア達の朝食は、この広間で饗されるようです。
女王の間では大勢の【働き蟻魔人】達によって長テーブルに食器やカトラリーがセッティングされていました。
私達が入って来た扉の内外と、部屋の壁際には複数の【兵隊蟻魔人】が槍を持って直立しています。
【カラミータ】でも【ロヴィーナ】でも食堂の調理などの雑事は【自動人形】・シグニチャー・エディションなど【ドロイド】が行っていましたが、【デマイズ】の地下シェルターでは【自動人形】も【ドロイド】も、あまり姿を見掛けません。
地上部には沢山の【自動人形】・シグニチャー・エディションなどの【ドロイド】達が作業をしていたのですが……。
どうやら【デマイズ】の地下シェルターは、丸っと【女王蟻魔人】のアントワネットと彼女の家族が住む居城となっていて、【蟻魔人】達の雑事は【蟻魔人】達が自分達でやっているようです。
「【デマイズ】のシェルターでは、あまり【ドロイド】が使われていないのですね?」
「【蟻魔人】達の希望なのです。私としては効率化の為に単純作業は【ドロイド】に任せたかったのですが、【蟻魔人】達にとっては母親であり女王でもあるアントワネットの身の回りの世話を中心とした種族特有の役割分担と身分制度の維持の方が種族の在り方として重要らしく、タスク処理が滞らないという前提ならばローカル・ルールとして特別に認めています」
カプタ(ミネルヴァ)は答えました。
基本的に【ドゥーム】でカプタ(ミネルヴァ)が率いる陣営の【魔人】と魔物には身分制度はありません。
カプタ(ミネルヴァ)は【神格者】であり、一部【真祖格】にクラス・アップした【魔人】は位階が高いので崇敬と畏怖を受けますし、魔物は強さで大まかな序列が決まるのですが、それは生命体の性質やスペックの違いであって、身分制度とは本質的に異なります。
また階級は指揮命令系統の確立と、業務に対して責任の所在を明らかにする為に設定されていますが、これも身分制度とは互換しません。
つまり女王だとか王配だとか兵隊だとか労働者だとかという身分による階層構造を持つ【蟻魔人】特有の社会は、本来【ドゥーム】のカプタ(ミネルヴァ)陣営の事業には相応しくない筈でした。
しかし、【人】には【人】の、【エルフ】には【エルフ】の、【ドワーフ】には【ドワーフ】の伝統文化や固有の習俗があるように、【蟻魔人】にとって身分制が大切な文化・習俗であり、又それが誰からも強制された訳ではない個人の自由意思に基づく訴求であるなら、【世界の理】や法規や公序良俗や倫理に反しない限り最大限【蟻魔人】の希望は認められるべきです。
「【蟻魔人】にとって身分制度が種族の文化や習俗として重要視される事ならば致し方ありません。その辺りは柔軟に運用しても差し支えないでしょう」
「はい。実は【ドゥーム】開発初期には、私が計算によってシステム構築した最大効率の組織編成を陣営の者達全てに強制していたのですが、一部でそれを不満に思う者達がいて、結果的にはそれが反乱の一因になったという分析結果が出ました。なので、多少効率が下がっても、他種族との軋轢や対立を生んだり、規律や素行を乱したり、【世界の理】に違反しないならば、種族ごとの固有の文化や習俗や伝統的価値観は、なるべく尊重しようという方針に変更した経緯があるのです」
カプタ(ミネルヴァ)は言いました。
最大効率を追求した結果、反乱が起きて生産性が下がるならば、結果としてそれは非効率だという事。
効率はプロセスではなく結果から判断されるべきです。
宇宙最高の演算能力を持つカプタ(ミネルヴァ)を以ってしても、反乱を未然に防ぎきれなかったという事実が、知的生命体の感情の機微や集団心理の複雑さを表しているのかもしれません。
まあ、何事も未経験の事柄では試行錯誤の手探りになるのは当然の事。
トライアル・アンド・エラーの要諦は、失敗の原因を分析してフィードバックを行い同じ誤ちを繰り返さない事です。
「わかりました。【ドゥーム】の運営はカプタ(ミネルヴァ)に一任していますので、私から注文はありません」
「ありがとうございます」
やがて、給仕係の【働き蟻魔人】によって各自にメニューが配られました。
「うむうむ。やはりメニューから食べたいモノを選べるのは良い事じゃ。さてさて、何を食べようか」
ソフィアはメニューを見て言います。
「現在【デマイズ】では、カプタ(ミネルヴァ)様が設定した計画以上の食糧が生産されています。その生産余剰分は、生産活動に携わっている私達【蟻魔人】達が成果報酬として受領し自由に使う事が認められています。なので、【デマイズ】には食糧に余剰があり、このように食堂のメニューを複数から選べるようになっております。このように私達に裁量を任せて下さるカプタ(ミネルヴァ)様には感謝を申し上げます」
【女王蟻魔人】のアントワネット女王が説明しました。
「うむ。頑張れば頑張っただけ見返りがあれば、労働へのモチベーションとなり成果が上がるモノじゃ。それは資本主義の基本中の基本じゃの」
ソフィアは頷きます。
「私達【蟻魔人】の社会は、どちらかと言えば集産主義ですのに、資本主義的効用が得られるとは何だか不思議な気がします」
アントワネット女王は笑いました。
集産主義とは生産力と資源と社会資本の集団による共同所有を標榜する経済体制で、広義において社会主義や共産主義と同じようなモノと考えて差し支えありません。
「私としても計画・管理・統制による発展には限界があると改めて学ばせてくれた、あなた達【蟻魔人】の社会には感謝しています。だからこそ、私は【ドゥーム】の生産力を更に向上させる為に、【ドゥーム】において私有財産を認め、徐々に自由市場経済に移行させているのです」
カプタ(ミネルヴァ)が言いました。
開発独裁という言葉もあるように、インフラが未整備の頃は、集産主義によりリソースを一括で管理・運用した方が、社会の発展や成長のスピードが上がる場合があります。
しかし概ねインフラが行き渡り、社会が成熟して来ると、集産主義では更なる生産性の向上は起き難いと地球の歴史が証明していました。
成熟した社会では、集産主義では個人のモチベーションが停滞するので、むしろ資本主義によって個人の欲望に任せた方が発展や成長や新しいイノベーションが促され易くなります。
「勿体ない、お言葉です」
アントワネット女王が言いました。
「良し。我は決めたぞ。オーダーを頼むのじゃ」
ソフィアがメニューをパタンと閉じて言います。
私達は、それぞれメニューから好きな料理を選びオーダーしました。
・・・
「頂きますなのじゃ」
ソフィアが言います。
各自が注文した料理が揃い、朝食が始まりました。
私は【ジャイアント・トリュフ】と呼ばれるキノコを使ったトリュフのパスタを1品だけ注文したのです。
トリニティも私と同じモノを注文していました。
私達は公営酒場で色々と食べていましたので、あまり空腹ではありません。
なのでソフィアのようにコースの料理をオーダーせず、アラカルトの1皿だけを頼みました。
当初は朝食抜きで飲み物だけにするつもりだったのですが、メニューに【ジャイアント・トリュフ】の文字を見付けて、思わず注文してしまいました。
以前から【ジャイアント・トリュフ】を食べてみたかったのですよね。
【ジャイアント・トリュフ】は殆ど市場には出回らない極めて希少なキノコで、素晴らしく味が良く、都市伝説的に極上の香には媚薬効果があるとかないとか云われています。
そして最大で直径1mにも及ぶ巨大な【ジャイアント・トリュフ】を見付ければ、それだけで家が建つと云われる程の超高級食材でもありました。
【ジャイアント・トリュフ】は極稀に深い森に探索に向かった冒険者などが偶然見付けて持ち帰って来る以外に入手例がなく、自然界においてどのような条件で生育するのか一般的には判明していません。
また奇跡的に発見された【ジャイアント・トリュフ】そのものから胞子を取り出して菌床培養しようと試みても未だ成功していないので、現在でも人種には栽培が不可能なのです。
なので【ジャイアント・トリュフ】は幻のキノコと呼ばれていました。
もちろん運営の私は【ジャイアント・トリュフ】が、どういう環境で育つのか知っています。
【ジャイアント・トリュフ】は【蟻魔人】が森の木の葉を集めて、それを培地にして菌を植え付け、温度・湿度などを最適に保ち丁寧に世話をして栽培していました。
そして設定上、【ジャイアント・トリュフ】は【蟻魔人】にしか栽培出来ない仕様になっています。
地球でもハキリアリという種類の蟻が葉っぱを切り取って巣に運び、それを菌床培地として蟻茸というキノコを栽培して食糧にする事が知られていました。
ハキリアリは驚くべき事に農業を行うのです。
人間が農業を始めたのは、高々数万年前の事。
ハキリアリは少なくとも5000万年以前から、農業を行なっていました。
このハキリアリが栽培する蟻茸も、【蟻魔人】が栽培する【ジャイアント・トリュフ】と同様に、人間による菌床栽培法が確立していないキノコです。
まあ、蟻茸は人間が食べて特別美味しいという訳でも、バイオ化学的に人間にとって利用価値が高い訳でもないらしいので単に栽培法の研究が進んでいないだけの可能性もありますけれどね。
こういう昆虫が作り出す特殊な物質を……昆虫由来生成物……などと呼ぶ場合があります。
こうしたインセクト・プロダクツの中には新薬の原料になったりする特殊で貴重な成分が含まれている場合もあるので、アマゾンの奥地などに生息する新種の昆虫を探す現代版トレジャー・ハンターという職業があるのだとか。
閑話休題。
その希少で超高級食材の【ジャイアント・トリュフ】のスライスが、私のパスタに贅沢に山盛りになっています。
これだけで一体金貨何枚分になるのでしょうか?
【ジャイアント・トリュフ】はゲーム時代から存在していましたが、当時は味覚がなかったので味わうのは初めてです。
味は……う、美味いっ!
初めて食べた味で他に似たモノが思い付かないので、美味しいという他に味の形容が難しいのですが、これはキノコの概念を軽く超えて来ました。
そして、この芳醇な香。
【ジャイアント・トリュフ】が高価なのは希少価値だけではないと断言出来ます。
「美味いのじゃっ!この白い乾燥したフォワグラみたいなモノは何という食べ物じゃ!?」
ソフィアもオムレツに入っていた【ジャイアント・トリュフ】の美味しさに驚いたらしく声を上げました。
乾燥したフォワグラ?
なるほど。
その表現は確かに言い得て妙ですね。
言われてみれば、そんな感じの味と食感がします。
「それは【デマイズ】の名産【ジャイアント・トリュフ】でございます。私達が丹精込めて育てたキノコです」
アントワネット女王が答えました。
「ほう。これはキノコなのか?アントワネットよ、我にこのキノコの栽培法を教えよ。もちろん正当な対価を支払う。其方の言い値を言ってみよ」
「残念ながら栽培法は、お教え出来ません。【ジャイアント・トリュフ】は私達【蟻魔人】と相利共生の関係にある特殊なキノコで【蟻魔人】と切り離されると生育しないのです」
「そんな馬鹿な事はあるまい。キノコならば適切な環境さえあれば栽培可能な筈じゃ」
「ソフィアさん。【ジャイアント・トリュフ】は基本的には子嚢菌類の子実体なのですが、アントワネットが言うように、あらゆる培地で実験しても、やはり【蟻魔人】が栽培しないと生育しません。【創造主】が、そのように創り出した特別なキノコなのです」
カプタ(ミネルヴァ)が説明します。
「【創造主】の作為が働いておるのならば致し方あるまい。じゃが、【オーバー・ワールド】でも【蟻魔人】を見付けて【調伏】すれば、【ジャイアント・トリュフ】を入手する事は可能という事か……。しかし、そもそもレア種の【蟻魔人】を見付けるのが大変じゃのう。何とか【ジャイアント・トリュフ】を手に入れたいモノじゃ」
ソフィアは言いました。
「【ドゥーム】からの輸出品として少量を販売する事は可能ですよ。【ジャイアント・トリュフ】は【蟻魔人】によってしか生育しない希少なキノコであり、また【蟻魔人】にとっては主食となる重要な食材なので、輸出量に制限はありますが、余剰生産分を輸出に回す計画なのです」
「そうか。ならば是非とも輸入したいのじゃ」
「現在、輸出用に【ジャイアント・トリュフ】を増産するべくアントワネット達と調整中ですので、貿易交渉は、また後日にしましょう」
「うむ。わかったのじゃ。ならば交渉は【ソフィア・フード・コンツェルン】のヴァレンティーナとして欲しいのじゃ」
「わかりました」
「ふむふむ。【蟻魔人】と相利共生する【ジャイアント・トリュフ】か……世界には未だ我も知らぬ面白きモノがあるものじゃ」
ソフィアは何度も頷きます。
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