第1059話。記憶コピー。
【ロヴィーナ】の公営酒場。
仮眠を取りに向かったトリニティとフロンとノノを見送って、私とカプタ(ミネルヴァ)はテーブル席からカウンター席に移りました。
私とカプタ(ミネルヴァ)だけで広いテーブル席を占有しているのは申し訳ないので、私が移動を希望したのです。
テーブル席を片付ける手間に加えて、カウンター席も片付けなければならなくなるので、お店にとっては二度手間で逆に嬉しくないかもしれませんが……。
私達はカウンターで改めてアルコールとツマミを注文します。
カプタ(ミネルヴァ)も空アバターとして生体を持つので飲食が可能でした。
ただし彼女のボディは、私の身体を忠実にモデリングした空アバターなのでアルコールに酔うという事はないようです。
ん?
という事は私の身体の空アバターを持つカプタ(ミネルヴァ)とブリギット(ミネルヴァ)は無敵なのではないでしょうか?
「カプタ(ミネルヴァ)。あなたとブリギット(ミネルヴァ)のボディは、私の空アバターです。つまり当たり判定なしでダメージ不透過の無敵仕様なのではありませんか?」
「いいえ。この空アバターの耐久値は【神位級】ですが、当たり判定はありますし、ダメージも通ってしまいます。なのでヒット・ポイントが0になれば死亡判定が出て登録した神殿で復活します。【神格者】の性質として、位階で下回る毒物や【精神支配】などの攻撃は全て無効になりますが、魔法や近接など通常攻撃に対しては無敵という訳ではありません。おそらくゲームマスターの無敵仕様はアバターに付与された性質ではなく、ゲームマスター権限の方に付帯している特殊ギミックなのだと思います」
なるほど。
カプタ(ミネルヴァ)のボディは【神格】アバターの特性上、毒物無効の仕様によりアルコールに完全耐性がある訳ですね。
「神殿で復活するという事はユーザー・アバターに近い仕様なのでしょうか?」
「復活時に全くペナルティを受けないので、どちらかと言えば守護竜の仕様に近いと思います」
「なるほど」
「ところで、チーフ。私は、トリニティがメディア・ヘプタメロンやチェルノボーグのリクルートを考えた事に感心しました。彼女の現状認識は的確です。【ストーリア】においてゲームマスター本部業務を行う場合、【ストーリア】で最大個体数を誇る知的生命体は人種なので、当然ゲームマスター本部業務の主たる対象集団も人種であり、最もリソースを費やすのも対人種コミュニティという事になります。人種コミュニティを査察したり取り締まったり職務を執行する場合、ゲームマスター本部職員が人種とは直接的な利害関係がない【魔人】のメディアや、【上位悪魔】のチェルノボーグであれば、ゲームマスター本部の公正や中立性に疑問を差し挟まれる余地は比較的少ない筈です。そもそもチーフなど正規のゲームマスターは【神格者】なので、そういう懸念は無用でしたが、今後【神格者】以外をゲームマスター本部の職員に採用するケースが増える事を考慮すると、当然そういう視点も必要となるでしょう。そういう着眼点でトリニティは……メディアとチェルノボーグをリクルートしてはどうか?……と想起したのだと思います」
確かに、ゲームマスター本部職員が人種NPCである場合、その出身コミュニティや家族の査察や取り締まりを行うとなると、第三者が見れば……身内に手心を加えているのではないか?……などという要らぬ疑念を生むかもしれません。
ゲームマスター代理もゲームマスター代理代行も、私を基点とする【共有アクセス権】によって事実上支配されているので勝手な行動は取れませんが、それを知らない部外者からのイメージをゲームマスター本部がコントロールする事は不可能でした。
なので対外的な中立性を担保するならば、人種の査察や取り締まりなど職務執行をする際に、【神格者】の私やカプタ(ミネルヴァ)やブリギット(ミネルヴァ)が出動しないなら、人種以外のゲームマスター代理やゲームマスター代理代行を担当者として派遣する方が望ましいでしょう。
ただし、カプタ(ミネルヴァ)が、この話題を持ち出したのは、何か他の意図があるような気がしますね。
トリニティの素朴な疑問を、カプタ(ミネルヴァ)が敢えて蒸し返した理由は、私がゲームマスター本部の強化や組織再編に積極的でないと問題視しているからかもしれません。
だとするなら、カプタ(ミネルヴァ)の問題提起は的を射ています。
私の被害妄想かもしれませんが……。
「カプタ(ミネルヴァ)。それは間接的に……現状ゲームマスター本部の体制が不十分なのにも拘らず、未だその整備に消極的だ……という私への批判も含まれていますか?」
「とんでもない。私は、トリニティを褒めているだけです。それにゲームマスター本部の体制や方針を決定する権限を持つのは、この世界の最高意思決定者である【創造主】と、その全権代理のチーフだけですので、ゲームマスターを補佐する事を【存在意義】として創られた私は、自らの権限を超えてチーフのやり方を批判するつもりなど毛頭ありません」
カプタ(ミネルヴァ)はニッコリと笑って言いました。
カプタ(ミネルヴァ)の言葉に嘘はないのでしょうが、仮にミネルヴァが私と同等の権限を持っていたら、彼女は有能なNPCを必要なだけスカウトやリクルートして、ゲームマスター本部の組織再編を強力に推し進めていたでしょう。
ミネルヴァから見れば、私が行っているゲームマスター本部の運営は……モタモタしている……と見做されていても不思議はありません。
「ミネルヴァからの批判ならば真摯に受け止めます。ゲームマスター本部の体制強化が必要急務である事は、私も十分に理解しています。ユーザー消失以来弱体化したゲームマスター本部を再編する為に、本来なら私は形振り構わず組織再編をしなければいけません。ただし本音を言えば……正規ゲームマスターの私とミネルヴァ以外の誰かをゲームマスター本部職員としてリクルートする事には、やはり些かの躊躇いもあるのですよ。業を背負う覚悟がないだけかもしれませんが、正直に言えば迷いがあります」
「この世界のNPCをゲームマスター本部にリクルートしてゲームマスター代理やゲームマスター代理代行とすれば、場合によってはゲームマスター本部所属のNPC達が、職責によって同族や血の繋がる家族すら取り締まり、最悪の場合は滅殺しなければならなくなる可能性もあるからですね?」
「その通りです。【エキドナ】のトリニティや【アブラクサス】のカリュプソは固有種です。本来【遺跡の徘徊者】であった彼女達は【調伏】されて存在を【遺跡】から切り離された時点で、トリニティとカリュプソではない【敵性個体】としての【エキドナ】や【アブラクサス】が、もう1個体【遺跡】に【スポーン】しています。つまり、現在この世界には、トリニティとカリュプソと遺伝子的には全く同じの、もう1個体の【エキドナ】や【アブラクサス】がいる訳です。その【遺跡】の【敵性個体】である【エキドナ】や【アブラクサス】が、私達に敵意や害意を向けて攻撃して来たり、あるいは【世界の理】に反する行動を取れば、トリニティやカリュプソは自衛の為に、遺伝子的には自分と全く同じ個体の【エキドナ】や【アブラクサス】と戦って殺傷しなければならなくなるかもしれません。それはゲーム・メタ的には致し方ない事ですが、しかし自然の摂理としては正常な事なのでしょうか?また、ガブリエルは人種ですし、ウィローも元は人種です。ガブリエルとウィローは、ゲームマスターの職務上必要なら同族はもちろん、血の繋がりがある親族すら滅殺しなければいけません。ゲームマスター本部の職責によって同族や家族すら手に掛ける事を強いられる可能性があるのは【古代竜】の【神の軍団】やノノ・ガーランドや、【古代・グリフォン】のフロン・フィグも同様です。私は、部下達に同族や家族ですら……殺せ……と命じる可能性について慄然としています。正直なところ、怖くて仕方がありませんし覚悟が揺らぎます。それがゲームマスター本部に私とミネルヴァ以外の知的生命体を加えて組織再編する事を、私に躊躇させる理由の何割かを占めていると思います。まあ、躊躇や忌避感があってもリソースが足りなければ、結局はやらざるを得ないのですけれどね」
「チーフ。私は、それで良いのだと思います。私は【存在意義】と冷徹な演算の結果に従う、言わばコンピューター生命体です。しかし、チーフの本質は人間。人間には計算では割り切れない複雑な感情があり自らの判断に迷うモノです。【創造主】が【世界の理】の執行者であるゲームマスターとして人工知能ではなく、チーフのような生身の人間を遣わした理由は……それが好ましい……と考えたからです。つまり、チーフの恐れも迷いも躊躇も、この世界の為には好ましいモノだと考えます。それにチーフがゲームマスターの職務として部下に命じなくても、そもそも全ての知的生命体は同族殺しも家族殺しもやります。チーフが気に病む事ではありません」
どうやらカプタ(ミネルヴァ)は、私を励ましてくれているようですね……。
「ともかく、私もゲームマスター本部の組織再編と体制強化をやるつもりはあります。なので相応しい者がいたら推薦して下さい。しかし候補者をゲームマスター本部職員に迎えるかどうかは、必ず私の目で見て決定します」
「わかりました」
私が部下を自分で選ぶ事に拘る理由は、仮にミネルヴァやトリニティにゲームマスター本部の人事権を与えた場合、彼女達が採用した部下がミスをしたり裏切ったりした場合、ミネルヴァとトリニティは自分を責めてしまうでしょう。
なので手続き的にも実質的にも、ゲームマスター本部の職員は、私が選ばなければいけません。
現場の仕事において必要な裁量権をミネルヴァとトリニティに与えるのは構いませんが、最終的に全ての責任を取るのは私の役目です。
「ところで、ヨハンナ・ラ・フォンテーヌの動向は?」
ヨハンナ・ラ・フォンテーヌは勇者養成機関【スカアハ訓練所】に所属している冒険者でした。
いや、彼女が【スカアハ訓練所】に戻って来るのか不明なので……所属していた……と言うべきかもしれません。
私はヨハンナのパーティ・メンバーで恋人のジョヴァンニ・カンパネルラの素性を調べています。
ジョヴァンニはグレモリー・グリモワールが……ユーザーかもしれない……と推定した人物でした。
私とミネルヴァは……そのよう事はあり得ない……と断定していますが、一応事実を確認する為にジョヴァンニの消息を探しています。
ただし、ジョヴァンニ・カンパネルラは所属する【スカアハ訓練所】で実地訓練中に【スポーン・オブジェクト】内で行方不明になって死亡扱いになっていました。
グレモリー・グリモワールが推定する通り、ジョヴァンニ・カンパネルラがユーザーならば、死亡しても【復活】するので、何処かで生存している筈です。
「彼女は魔法都市【エピカント】に到着し、ホテルにチェックインしました。現在までに他者と接触した形跡はありません」
「そうですか……」
「ジョヴァンニ・カンパネルラの事が気になりますか?」
「ええ。他ならぬグレモリーが……ユーザーかもしれない……と推定した人物ですからね」
「ジョヴァンニ・カンパネルラについて少し調べてみたのですが、【スカアハ訓練所】に提出されていた身分証明書類で示されているジョヴァンニ・カンパネルラのプロフィールが全て事実だとして、彼と同種族で同姓同名の年齢が近い者が検索に掛かりました。【リーシア大公国】の戸籍に1人該当者がいます」
「誰ですか?」
「【リーシア大公国】の伯爵家が養子に迎えた人物です」
「養子ですか?」
「はい。カンパネルラ家の直系に子供が生まれなかったので、神殿から孤児を引き取ったようです。一時はジョヴァンニがカンパネルラ伯爵家の後継者に予定されていたようですね。しかし、その後カンパネルラ家に実子の跡継ぎが生まれた為に、ジョヴァンニは伯爵家の後継候補から外れました」
「その人物が【スカアハ訓練所】に入所した訳ですか?」
「いいえ。【リーシア大公国】のカンパネルラ伯爵家に養子縁組された元孤児のジョヴァンニは、9年前に死亡しています」
「グレモリーが……ユーザーかもしれない……と言ったジョヴァンニ・カンパネルラの存在を、ユグドラが痕跡を遡って見つけたのも9年前でしたよね?まさか……」
子供に恵まれない貴族家は断絶してしまうので、家を存続させる為に親戚筋や他の貴族家から養子を迎えるケースは珍しくはありません。
神殿の孤児が貴族家の養子となる場合もありますが、ケースとしては稀でしょう。
カンパネルラ伯爵家の跡継ぎにする為に神殿から孤児が養子として引き取られた後に、実子が生まれたら?
後継者争いが起きるかもしれません。
ジョヴァンニ・カンパネルラは貴族家の後継者争いで亡き者にされた?
あり得る話です。
件のジョヴァンニ・カンパネルラが本当にユーザーで、貴族家の後継者争いで殺されて【復活】したのなら、9年前という時系列は、不自然な程に符合しますね……。
「いいえ。【リーシア大公国】のカンパネルラ伯爵家の養子となったジョヴァンニの死亡診断は科学的に間違いなく確認されています。死体も荼毘に付され埋葬されています。少なくとも、生物学的に【リーシア大公国】のカンパネルラ伯爵家の養子だったジョヴァンニと、グレモリーさんがユーザーかもしれないと推定した件のジョヴァンニ・カンパネルラが同一個体である可能性はあり得ません」
「すると、やはりプロフィールが偶然一致しただけでしたか……」
「ただし、【リーシア大公国】のカンパネルラ伯爵家が孤児院から引き取ったジョヴァンニの記憶をある程度引き継いでいるクローンならば存在する可能性はあり得ます」
「ああ、予めジョヴァンニ・カンパネルラの細胞を採取しておき、胚を培養してジョヴァンニのクローンを用意した上で、任意のデータを人種の脳に直接記憶として書き込める【保育器】と同じような原理の装置を使えば……ですね?」
この方法は既に【シエーロ】のクローン【天使】コミュニティが実用化しています。
現在、私とミネルヴァが修理・改良した【保育器】が、【ウトピーア法皇国】の人工繁殖によって生まれ【魔力子反応炉】に繋がれたまま人として生きる為に必要な教育をされていなかった解放者達の育て直しに利用されていました。
「【知の回廊の人工知能】が設計・開発した【保育器】の技術は、現代の人種文明が自力で開発するには高度過ぎるので、蓋然性のレベルでしかありませんが……理論的には人種にもクローニング技術と【保育器】の製造は不可能ではありません」
「なるほど……。つまり……ジョヴァンニ・カンパネルラは不死身のユーザーではなく、死亡する度に誰かによってジョヴァンニの記憶を引き継がされているクローンかもしれない……と、ミネルヴァは考えている訳ですね?」
「はい。ジョヴァンニ・カンパネルラがユーザーである……という仮説よりは蓋然性が高いでしょう」
カプタ(ミネルヴァ)の推定は……ジョヴァンニ・カンパネルラがユーザーだ……という説より、あり得る話です。
しかし、だとするなら……誰が何の為に……という新しい疑問が生まれますけれどね。
まあ、ジョヴァンニ・カンパネルラがユーザーではない事が確定すれば、彼の正体がクローンだろうと何だろうと、私達ゲームマスター本部がリソースを割いて追跡調査する必要はなくなります。
ただし、ジョヴァンニ・カンパネルラが本当にユーザーでないのかは、一応事実確認しなければいけません。
「ともかく、ヨハンナ・ラ・フォンテーヌの動向を引き続き追跡して下さい」
「了解です」
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