第10話。ドラゴニーア中央卸売市場。
風系魔法。
低位…ワールウィンド(旋風)
中位…エアロカッター(風刃)
高位…トルネード(竜巻)
超位…テンペスト(大嵐)
神位…ディバイン・ウインド(神風)
……などなど。
異世界転移3日目。
未明……むしろ、まだ深夜と呼ぶのが相応しいような時間帯。
私とソフィアは起床していました。
ソフィアは、ほとんど寝ながら朝食を食べています。
隣からアルフォンシーナさんがフォークを差し出しました。
「ソフィア様。フォークをお使い下さい」
「面倒なのじゃ……もぐもぐ……むにゃむにゃ……」
ソフィアは不承不承という様子でフォークを握ります。
「背筋を伸ばして下さいませ」
「分かっておるのじゃ……もしゃもしゃ……」
ソフィアは億劫そうに姿勢を正しました。
昨日ソフィアがアルフォンシーナさんに約束した通り、早速今日からの行儀習いが始まっている訳です。
今日、私はソフィアと一緒に市場へ向かう予定でした。
従って【竜城】でゆっくりしている訳にもいかず、止むを得ず食事をしながらソフィアの行儀習いも同時に行われているようです。
「ノヒト様。どうか正午前にはお戻り下さいませ」
エズメラルダさんが言いました。
「午後は閲兵式でしたね?」
「はい。昨晩遅く、艦隊が遠征より戻りました。三軍揃って【ドラゴニーア】の外縁部城壁外の大演習場において閲兵をして頂いた後、【竜城】の練兵場にて竜騎士団の閲兵をして頂きます。そのまま練兵場にて、三軍、及び、竜騎士団の代表者を前にノヒト様からの訓示を賜ります」
エズメラルダさんが式次第を説明しました。
随分と大袈裟な事になっていますね。
「我も閲兵に行くぞ」
ソフィアが、アルフォンシーナさんから姿勢を矯正されながら言いました。
「人化してですか?」
「そうじゃ。軍の連中には我が化身した姿だと知らせなければ良い。神官服を着て……新人の【女神官】見習いだ……とでも説明しておくのじゃ」
「あ、そう」
まあ、良いですけれど。
ソフィアにとって【ドラゴニーア】の三軍は自分の軍隊です。
その視察をするのは悪い事ではありません。
・・・
食事が済み、私とソフィアは出掛ける準備をしました。
今日は、私もソフィアも【商人の服】で身を固めています。
アルフォンシーナさんとエズメラルダさんは、ソフィアに行儀作法の大切さを言い含めていました。
馬の耳……いいえ、【竜】の耳に念仏ではないでしょうか?
ソフィアの行動を制御したいのなら、鞭を使うよりも、ひたすら飴で釣るべきだと思います。
私なら、1つ礼儀作法を身に付けたら、こんなご馳走……2つ身に付けたら、遊び相手に【ミスリル・ゴーレム】をプレゼント……と手を替え品を替え鼻面の前に人参をぶら下げて教化をするでしょう。
他所の家の教育方針に口を挟む気はないので黙っていますが……。
私とソフィアは【女神官】達と竜騎士団に見送られて、まだ真っ暗な【竜都】の街に飛び降りました。
・・・
【ドラゴニーア中央卸売市場】。
通称、市場。
900年前から変わらず世界最大の公設食品卸売市場です。
アルフォンシーナさんから聞いた情報では、900年前に起きた……【英雄】大消失……という事件により、その後の世界は文明が衰退してしまったらしく、比較的ユーザー消失の影響が少なかった【ドラゴニーア】を含め、現在900年前の文明水準を上回る進歩を遂げた国家は存在しないのだとか。
つまり900年前に世界一だった物は今でも世界一である事が普通でした。
それは、そうでしょうね。
戦闘力だけでなく、魔法学、経済学、科学技術、文化……あらゆる点でユーザーはNPCを凌駕していたのです。
その優れた人達が、ある日突然、数百万人単位で世界から跡形もなく消えてしまったら……。
文明の維持すら困難だったという事は想像に難くありません。
私達は市場の場内に入ります。
通路を歩きながら、ソフィアは目を輝かせていました。
時々欠伸をしているのは、ご愛嬌です。
自分が行きたいと言ったのですから、眠いなどとは言いません。
偉い子です。
「ん?建物の中は寒いのか?」
ソフィアは言いました。
【神格者】であるソフィアには【完全環境適応】という【常時発動能力】が働いているので暑さ寒さには完全な耐性がありますが、周りにいる人達の服装を見て、そう判断したようです。
市場で忙しく働く人達は、皆厚手の防寒着を着込んでいました。
上着を着ていないのは私達くらいです。
「鮮度管理の為に場内は冷やされているのですよ。つまり施設全体が冷蔵庫になっている訳です」
「ほ〜、なるほどのう」
ソフィアの希望で野菜市場はスルー。
時間的な都合で精肉市場と水産市場の、どちらか一方だけを見学しようという事になり、ソフィアは魚介類を選びました。
肉は、もう既に良く知っているとの事。
「ノヒトよ。品物がいっぱいじゃ。【ドラゴニーア】は豊かじゃのう」
ソフィアは、特殊アイテム【仲卸人の帽子】を被って、ご満悦。
こういうところは完全に子供です。
「そうですね」
「あれは!?」
「おそらく【シー・サーペント】ですね。30mはあるでしょうか?」
「【シー・サーペント】の肉は美味しいのじゃ」
「私は抵抗があります……」
だって蛇ですよ。
カラーン、カラーン、カラーン……。
鐘の音が場内に響きます。
「ソフィア。競りが始まりますよ」
「なのじゃ」
私達は急いで水産市場の一角に向かいました。
この一角は多くの仲卸人がいて一際賑わっています。
魚河岸の花……マグロの競りでした。
仲卸の男衆達が威勢の良い声を上げています。
カラーン、カラーン、カラーン……。
大物が競り落とされました。
「見えないのじゃ」
ソフィアが人垣の後ろでピョンピョン跳ねています。
「仕方ないですね」
私はソフィアを肩車しました。
周りの仲卸人達は、何故競り場に子供がいるのかと……ギョッ……としています。
魚だけにね……。
オホンッ……それはともかく、【仲卸人の帽子】を被るソフィアは競買の資格持ちという扱いになるので、この場にいても摘み出されたりはしません。
ソフィアの被る帽子には……競りに参加出来る免許……である鑑札が付属しています。
「ノヒト。我もやりたいのじゃ」
「え?」
「あれを、やりたいのじゃ」
「競りをですか?」
「うむ」
私もゲームマスターの業務で必要だった為、鑑札付きの【仲卸人の帽子】を所持していますが、競りに参加するのは900年ぶり、ましてや以前は入札金額を打ち込むと自動的に処理されていました。
こんな殺気立った雰囲気のプロの仲卸人に混ざって、遊び半分で競りなんかに参加して怒られないでしょうか?
「次はイースト大陸の果て【タカマガハラ皇国】の【オーマ】で水揚げされた1t級の本マグロだ。今日一の大物で、肉質・脂の乗りも最高だよ〜。キロ1銀貨からだ」
競り人が独特な抑揚の口調で、早口でまくし立てるように前口上を告げました。
【ドラゴニーア】では、あらゆる取引が【ギルド・カード】で決済出来ますが法定通貨もちゃんと存在します。
金貨、銀貨、銅貨ですね。
競り人が言った1銀貨とは通貨単位を示しています。
100銅貨で1銀貨……10銀貨で1金貨。
銅貨1枚で自動販売機の缶入りジュースが買えますので、1銅貨は日本円で100円ほどと考えることが出来ます。
つまり1tの本マグロ一尾の値段は、なんと卸売価格1千万円。
世界の東の果てから輸送して来た経費が加算されているとはいえ、超高級食材には間違いありません。
「あれを買うのじゃ」
ソフィアが競り札を上げます。
「はい!競り値付いた!他ないか、他ないか……」
最前列の方で競り札が上がりました。
「はい!他ないか……」
すかさずソフィアが競り板を上げて横に振りました。
ソフィアが知らずにやっている、この動作……競り値の単位を切り上げるサインなのです。
「はい!他ないか、他ないか……はい、他ないかぁ〜。はい!そちらのお嬢ちゃん!」
競り人の男性がソフィアを指差し、素早く帽子の鑑札に書かれている登録番号を紙に書き付けマグロの頭にペタリと貼り付けました。
ソフィアは本マグロを見事に競り落としたようです。
私の【鑑定】によると、相場値より2割ほど高値で競り落としましたが、まあ許容範囲内でしょう。
「やったのじゃ」
ソフィアは私の頭をペシペシと叩きながらはしゃいでいます。
私達は本マグロを他にも沢山競り落としました。
何だか熱くなってしまいましたね。
私の【収納】は容量が無限なので別に保管には困りません。
・・・
私とソフィアは、その後市場内を歩き回り色々な物を見て回りました。
ここぞとばかりに、私は色々な水産物を大量に買い込みます。
【収納】内は亜空間なので時の流れが止まり食品の品質が劣化する事はありません。
便利機能です。
ソフィアは好物だという【クラーケン】を探していましたが、【クラーケン】は【高位】の【魔物】で、最近は滅多に水揚げされる事がなく品薄なのだとか。
【クラーケン】は巨大なイカで、触腕で船に巻きついて沈める事もあります。
「【クラーケン】が食べたかったのじゃ」
「イカで我慢して下さい」
「【クラーケン】はイカなどとは全然違うのじゃ。モッチリとしてジューシーで絶品なのじゃ」
「ない物は仕方ありませんよ」
「そうじゃな……」
グゥ〜。
ソフィアのお腹の虫が鳴きました。
「お腹が減ったのじゃ」
今の時間は普段なら朝食時。
今朝は朝食が早かったですから私も小腹が空いて来ました。
そろそろ市場も片付けが始まっています。
「どこかで食事をして帰りますか?」
「うむ。市場は面白かったのじゃ。また来よう」
「そうですね」
私も市場の見学は楽しかったです。
是非また来ましょう。
さてと、私達が競り落とした本マグロなどの品物を受け取りに行かなければなりません。
私は市場事務所に向かい【ギルド・カード】で支払いを済ませました。
それから本マグロなどを一時保管してもらっていた冷蔵倉庫に向かい、競り落とした品物を私の【無限収納】にポイポイと回収します。
市場職員はギョッとしていました。
魚だけに……いや、もう、それは良いですね。
ユーザーやNPCが持つ【収納】の限界値は100kgまでという事はこちらの世界では常識。
また魔法が衰退した現代では、そもそも【収納】能力を持つ者自体が少なくなっているそうです。
失敗しましたね。
無限【収納】は、悪目立ちしています。
その場にいた市場職員は全員公務員なので、私は彼らにゲームマスターの素性を明かし他言無用を【契約】で約束させました。
・・・
私とソフィアは場外にある寿司屋に入りました。
ここは、なんと900年前から続く老舗。
高級店ではなく市場関係者が主に利用する大衆店ですがネタの鮮度と味は折り紙つき。
魚の目利きを生業とするプロの仲卸業者達を相手にする寿司屋なのですから当たり前です。
屋号は……【竜宮寿司】。
【竜宮寿司】のメニューは、握りとチラシの2種類だけ。
握りは今日入ったネタでお任せの握り二十貫。
チラシは、いわゆるチラシ寿司ではなく江戸前バラ・チラシ……つまりは海鮮丼でした。
値段は驚くほどリーズナブルです。
私は握りを一人前……ソフィアはチラシを3杯頼みました。
もはや私は食事量の事でソフィアが奇異の目で見られるのは止むを得ないと諦めています。
3杯でもソフィア的には、かなり空気を読んだ量なのだとか……。
「「頂きます」のじゃ」
私が握り一貫を口に入れた隣で、ソフィアは丼を1つ、2つ、3つと空にして行きます。
「げっふ……美味しかったのじゃ」
秒殺でした。
確かに美味い寿司です。
正統派の江戸前寿司。
ネタも良いのですが、ネタごとにきちんとした仕事がされています。
酢締めも爽やかな小肌や、煮切りのツメが効いた穴子や、生ではない煮イカや、マグロの漬けなどは江戸前寿司の仕事の醍醐味かもしれません。
「ごちそうさまでした」
堪能しました。
【竜宮寿司】は、【ジャガイモ亭】に続いて、私のご贔屓料理屋のリストに乗りましたね。
唯一の難点は、【竜宮寿司】は基本的に市場で働く業者相手の商売なので、午前中で営業が終わってしまうという事でしょうか……。
夜に冷酒などをキュッとやりながら、ゆっくり握りを摘みたいところです。
まあ、市場の周りには寿司の名店が沢山ひしめいていますから、お気に入りの店を探すのも、また一興かもしれません。
私とソフィアは【竜宮寿司】を出てブラブラと歩きました。
まだ午後の予定……閲兵式には早いですからね。
何をしますか……。
「ソフィアは何処か行きたい所はありますか?」
「う〜ん、考え中なのじゃ」
「私は魔道具屋に行きたいのですが……」
「ふむ、面白そうじゃ。魔道具屋に行こう」
ゲーム時代【竜都】の北方外縁部には魔道具関連の店舗が集まった魔道具屋街があった筈。
【魔法石】や【スクロール】などを少し買い足しておきたいところです。
私達は人目に付かない場所に身を隠し【銀行ギルド】に【転移】しました。
【銀行ギルド】の部屋で私は【白魔法使いのローブ】に着替え、ソフィアは【白魔法使い見習いのローブ】に着替えます。
ビルテさんに挨拶してから、窓から飛翔して北を目指しました。
十分な高度をとってから超音速飛行。
あっと言う間に魔道具屋街の上空に到着です。
お読み頂き、ありがとうございます。
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