09.突然の訪問
ピリリリリリ。ピリリリリリ。
不明瞭な意識の中に、単調かつ耳障りな電子音が忍び込む。
ピリリリリリ。ピリリリリリ。
それが何の音であるのか、玲治は音が聴こえ始めてから十数秒ほど経ちようやく気付いた。
「うぅん……?」
それは枕元に置いてあったスマートフォンから流れ出ている音だ。だが朝の目覚ましアラームではない。目覚まし時計なら小学生の頃から愛用しているデジタル時計があるのだから、この音は着信音だ。
こんなに朝早くから着信なんて珍しい。一体誰からだろうと思いつつも、玲治は徐々に鮮明になりつつある意識のなか、枕元でごそごそと腕を動かす。
ようやく音の出どころを探り当てると、音量調節ボタンなどを指で撫でながら上下を確認したあと画面をタップした。
「はい? もしもし?」
『おォ玲治! 新居での生活はどうじゃあ?』
電話口の相手が誰か、口調と声ですぐにわかった。
玲治の育て親である嬉野玄正だ。朝早い時間だと言うのにまるで眠気の欠片も無い快活な声を上げている玄正に、玲治は思わず耳からスマートフォンを遠ざける。
「なんだよ親父……朝っぱらから電話なんてかけてきて」
『いやぁそれがのぉ。お前に伝えておったきょうだいのことなんじゃが、儂ァものスゴイ勘違いをしとったみたいなんじゃ』
「……そうだっ!」
一気に目が覚めた玲治はがばっと上体を起こす。
カーテンの隙間から漏れる朝の光が丁度、身体を起こした玲治の目元に差し込んだ。
「聞いてた話とまるで違ったぞ親父!」
『すまんすまん! きょうだいの性別を逆に伝えてしまったことは謝る!』
「はぁ……まあいいけどさ。最初は頭がどうにかなりそうだったぜ」
『じゃがその様子だと無事に再会できたようじゃのォ。どうじゃった?』
「どうって言われても……昨日はあんまり話も出来なかったよ」
玲治は話しながら昨日のことを思い出す。
食堂での衝撃的な出会いから、姉であるあきらとはそれっきり会いも話も出来なかった。
弟のなぎさとは放課後にある程度喋っていたが、途中は記憶にないし、帰りも一人だった。
「これからずっと同じ高校に通うんだから、焦る気は無いけどな」
『そうかそうか。儂も色々と支援してやるから、一人でも頑張るんじゃぞ』
「ありがとう親父。……で、用はそれだけ?」
『ああ。それと、引越ししたばかりじゃから部屋が汚いなんてことは無いと思うが……綺麗にしといた方がええぞ?』
「は? どういう事だ?」
『あとはお楽しみ、じゃよ。それじゃあの』
一方的に電話が切られる。
玲治は眉間に皺を寄せながらスマートフォンの待ち受けをしばらく睨みつけ、そして腑に落ちないままベッドから両脚を下ろした。
ピンポーン。
そのときタイミングを見計らったかのようにインターホンの音が鳴り、何故だか玲治は嫌な予感がした。
拭いきれない背筋の悪寒を抱えながらも、玲治はおもむろに部屋の扉へと向かって行く。
玄正にあてがわれた新居はワンルームマンションというやつだ。外から玄関を過ぎればキッチンがあって、扉を一つ隔てて居間がある。オール電化でバストイレは別、一人暮らしするには十分な部屋だ。
地味に嬉しい要素として、マンションの入り口はオートロック。そして部屋にはそれぞれワイヤレスインターホンが取り付けられている。部屋に居ながら玄関口の来客と話が出来る便利アイテムだ。
玲治は扉の隣に取り付けられた受話器を手に取り、一体誰が訪問してきたのか尋ねる。
「はい、どちら様です?」
『玲治。よかった、この部屋で間違ってなかったみたいだな』
声を聞いただけで玲治は驚いた。
首筋辺りがぞくりとして、昨日の出来事がフラッシュバックする。
この声に、濡れたような艶やかさのある低めのこの声に、耳元で囁かれたあの時のことが。
「あ、あきら姉さん!? なんで!?」
『玄正という方から電話で教えてもらったんだ、玲治を育ててくれた父親代わりの人と聞いたぞ?』
「……また勝手に変なことしやがって」
あとはお楽しみ、と言って電話を切った玄正が何を企んでいたのか。それは間違いなくこのサプライズだ。
そりゃあきょうだいなのだから、いずれは互いの家に行くこともあるだろう。だが心の準備も出来ていないときに来られては気が動転する。
別に部屋の中に見られてまずいものが置いてあるわけでもないのに、玲治は部屋をまじまじと見渡しながら焦っていた。
問題は特に見当たらない。ちゃんと片付いているし、引っ越しの際に持ってきた玲治のムフフな秘蔵コレクションもベッド下部の引き出しにしまってある。
『玲治……もしかして、急に尋ねるのは迷惑だったか? もしそうなら、私は引き返して……』
「あぁいや違うって! 全然大丈夫ちょっとびっくりしただけだから! いま鍵開けに行くよ!」
電話越しでもあきらがあからさまにしょんぼりしているのがわかった玲治は、急いで受話器を置いて玄関へ向かった。
鍵を開けて扉を開けると、そこには寂しげに微笑むあきらが立ち尽くしていた。
「あ……おはよう、玲治」
「お、おはよう。全然迷惑とかじゃないからさ、上がってくれよ」
「よかった。じゃあ、上がらせてもらうぞ」
玲治に煙たがられていないかと心配していたあきらだが、そうでないとわかると嬉しそうににっこり微笑んだ。
あきらは既に制服姿に学生鞄といった登校時の装い。かたや玲治は灰色のスウェットにぼさぼさと好き勝手な方向を向いた髪。なんだか玲治は恥ずかしいような気がして、あきらを居間に通すあいだに頭を掻いた。
「ふふ。ひどい寝癖だな玲治」
「今起きたばっかりだから。……あきら姉さん、さ。なんで急に来たんだ?」
「昨日は学校であまり話せなかっただろう? 玄正さんに住所も教えてもらったし、話すついでにどうせなら一緒に登校しようかと思ってな。……驚かせてすまない」
「いや、いいよ。俺も姉さんと話したかったし……とりあえず、顔洗ってくるから待ってて」
洗面所まで行って、玲治は冷たい水で顔を洗う。
だが顔を冷やすと余計に頭が熱っぽいことに気付かされてしまった。大きく息を吸って吐き、短い深呼吸をする。
どうしてここまで動悸がするのかと、玲治は悩んでいた。
きょうだいが、自分の姉が訪ねてきただけだ。血のつながった肉親だ。そうであるはずなのに、何故だか胸はどくどくとせわしなく鳴り続ける。
やっぱり、ずっと会ってなかったからきょうだいという意識が薄いのだろうか。
姉というより一人の女性として見てしまう、意識より無意識がそうやって捉えてしまうのか。
玲治は実の姉に対してドキドキするのはおかしいだろうと、自責の念に駆られてしまっていた。ある種の罪悪感にも似た感情だ。
「……平静になれ。平静、平静」
玲治は鏡に向かって何度も言い聞かせ、何とか胸の高鳴りを抑え込んだ。
タオルで顔を拭って戻ると、居間ではフローリングの床に姿勢正しく正座であきらが座っている。平常心を心掛けながら玲治は自然に話しかけた。
「ごめん、座布団とか何も無くて」
「気にしないでいい。それよりも玲治、さっき起きたばかりか?」
「そうだけど……?」
「じゃあ朝食もまだなんだな。なら、私が作ろう」
「……えッ!?」
姉の手料理を食べられる。
そう考えた玲治の胸はまた高鳴ってしまった。