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74.くすり

 ついに、北勢は玲治たちのことを認めた。

 これから一緒に暮らすことを認め、今までのように口を出さないと言ったのだ。


「本当っ!? お父さんっ!」

「私の口からではなく、玲治の口から聞け。その方がわかりやすいだろう」


 泣きそうなくらいに嬉しそうな笑顔を浮かべたなぎさ。玲治もどこか頬を緩ませながら、自分の目が聞いたことを反芻するように口を動かす。


「ああ……嘘じゃないよ。本当、みてぇだ」

「~~っ!! やったぁっ!!」


 全身で喜びを表現しながらなぎさは玲治に思い切り抱きつく。まるで猫のように頭を擦りつけてくるなぎさだったが、玲治は恥ずかしがることも鬱陶しがることもなく、優しく彼の頭を撫でてあげた。

 あきらもほっとしたように胸に手を当て、少しばかり憔悴した微笑みを浮かべていた。


 これでようやく、正しい家族の姿に戻れるのだ。

 今まで以上に、同じ時間を同じ立場で過ごすことができる。そう思えて、自然とあきらも涙腺が緩む気持ちだった。


「今までごめんねっ、なーくん、あーちゃん、玲くん」

「いいんです母上。これからの事だけ、私たちも考えますから」

「うん……えへへ、私が言うことじゃないけど、本当によかったね」

「はい」


 三人がそれぞれに安心して、喜んでいるなか。水を差すように北勢がまた口を開く。

 とは言っても、先ほどまでの威圧感は無く、どことなく優し気な口調のようにも感じられる声だった。


「喜ぶのは早いぞ。一つだけ条件がある」

「じょ、条件ん?」


 流石にもみくちゃになってきたので、なぎさをぐいと押しのけて玲治が反応する。

 そう、先ほど北勢が持ってきた小さな瓶。あれこそが、北勢の提示する条件だ。


「きょうだいの間で好意を抱くことを否定はせん。私自身、過去に同じような経験をしたことがあるからな……自分のことを棚に上げるのはどうも潔さに欠ける」

「じゃあ、条件って何だよ? 俺たちはもう、変な指図は受けないぞ」

「指図ではない。……いいか、私が認めるのは真実だけだ。偽物の感情と、それによって引き起こされるトラブルは、決して認めはせん」

「……あんた、玄正と違って結構回りくどいよな」

「あんなのと一緒にするんじゃない」


 あんなのって、あれでも一応俺の育ての親だぞ。と玲治は思ったが、やはり怒りは湧いてこない。それもそのはず、北勢の口調が先ほどまでと違うからだ。

 少し言葉に棘はあるかもしれないが、それでも父親の言葉。嫌悪感や憎悪というのは感じないし、湧いてこない。

 ただ少しだけ、回りくどさに引っかかるだけ。


「いいか玲治。お前たちも発症している血統異常とは、感情が狂わされる代物だ。私の仕事場でも研究を進めて、危険性が浮き彫りになってきた」

「研究? あんた、そういや何の仕事してたんだ?」

「玲くん、お父さんはね、色々なお仕事をしてるの。血統研究に携わってもいるのよ」

「ふぅん……で、その研究で何がわかったって?」

「簡単に説明すると、血統異常には段階フェーズ進行の可能性があるのだ。家族間で恋愛感情を引き起こすのがフェーズワン、フェーズツーからはその他の感情異常も引き起こし始める。果ては精神崩壊か、良くてお互いに狂気を抱く」

「えぇっ!? そ、そうだったの……?」


 いつか自分たちの身にも降りかかるかもしれない話を聞いて怯えるなぎさ。

 あきらも神妙な面持ちで、じっと北勢の話に耳を傾け続けている。


「そ、そんなのどうしろっていうんだよ。そもそも、その進行ってどれくらいで」

「落ち着け。もう随分と前に判明している事実だ、もちろん非公表だがな。対策も完成している」


 勘がいいあきらはそこですぐに気が付いた。テーブルの上に三つ並べられた小瓶。三人分用意されたこの薬が、きっとその対策というやつなのだろう、と。


「なるほど……この薬を飲めば、何とかなるということですね」

「ああ。その薬は一本で相当な費用がかかっている。言えば全員、卒倒する程だぞ」

「えぇ……ボクたちの為に、そんな高いもの持ってきてくれたの?」

「いずれすぐに市場に出回るものだ。気にせんでいい」


 その一本いくらかともわからない小瓶を一つ抓みあげ、玲治は側面や底と回しながら眺めてみる。見れば見るほど、中に入った液体は食欲を失くすような色合いだ。

 いったいどういう成分が入っているのか想像もつかない。何を混ぜればこんな色になるのか不思議なくらいだ。この世のものとは思えないくらいに毒々しい。


「その薬は血統異常そのものを消し去る効果がある。飲んだ直後に現れる効果だ。そしてそれはつまり、お前たちの感情が嘘だった場合、それも消え去るということだ」

「……そういうことかよ」


 つまり、薬を飲めば感情の変化が訪れるかもしれないということ。

 嘘は消え去り、真実だけが残る。それを理解して、三人の心にほんの小さな臆病が忍び込む。


「お前たちの好意が嘘だったとしてそれが消えた場合、副作用とでも言うべきか。感情は大きく変化するだろう。万が一にも、お互いのことをひどく嫌悪する可能性もある」

「なんだよ。今になって脅すみたいなこと言いやがって」

「お前たちの答えを聞いたからこそ、この薬を渡したのだ。意志が揺らいだままなら、まず飲もうともしなかっただろうからな」


 確かに言われてみればそうだ。自分たちの気持ちが嘘かもしれない、どうすればいいのだろうかと、そうやって悩んでいるときには、決心がつかなかっただろう。玲治がそう思ったように、恐らく他の二人も同じように思ったに違いない。

 だが今は、三人とも自分の心に決着をつけてここに居る。

 玲治も、あきらも、なぎさも、自分の気持ちにある種のけじめをつけてきている。ただ三者三様に、少しずつ違うけじめだ。


 なぎさは自分の気持ちに正直でいようと努めた。自分の感情が無意識な嘘なのかそうでないのか、そこまで頭の良くない彼は考えても答えが出ないとわかっていた。それならば疑いなど持たず、今の気持ちに正直にいよう。

 波打ち際のようなどっちつかずで掴み難いその気持ちを、そのままなぎさに立ち尽くし、受け入れると決めたのだ。


 あきらは自分を信じた。ただ、信じようと決めた。自分の心の中にある玲治のことを愛する気持ちに、決して嘘は混じっていない。真っ直ぐな意志でそう決めつけ信じた。芯の強い彼女だからこそ、そうして自分自身を疑う気持ちを捨て去ることが出来た。

 心の中に燦々とかがやく愛おしい気持ちはあきらかであると、疑心に打ち克ったのだ。


 そして玲治は、自分だけでなく二人を信じた。玲治は自らの血統と今まで生きてきたために、自分の気持ちを確かめる術というものに欠けている。人の嘘はすぐに見抜くことが出来ても、自分の嘘はわからない。自分を疑うことはできても信じることは、そうたやすいものでは無かった。疑うことにも信じることにも、今まで直感的すぎたのだ。

 ただ一つ。目の前で例示れいじされた二人の信じる気持ちに心を打たれた。二人の嘘交じり無い本当の気持ちを信じれば、自然と自分の心も白く清く染まっていったのだ。


 心に決着をつけた三人は、ほんの少し忍び込んできた臆病さなど叩き伏せることができる。

 同じタイミングで、三人は小瓶を持ち上げて蓋を開ける。


「……いいのか、お前たち」

「だいじょぶだよっ! ちょっとこの色が気持ち悪いけど……」

「何も心配することはありません。私たちはきっと大丈夫です」

「これを飲んだあと、俺の気持ちはあんたが確かめてくれよな」


 ぐい、と。三人は首を反らして瓶の中身を飲み干しにかかる。

 色合いだけはどうしても見たくなかったので、目をぎゅっと瞑りながら。

 口から喉へ、ごくんと音を立てて嚥下する。味はほとんど無いようなもので、感覚としてはただの水道水を飲んだようなものだった。


「……んん」


 ゆっくりと瞼を開ける三人。

 心配そうにすずかが首をかしげながら、それぞれに尋ねる。


「ど、どうみんな……?」

「どう、って言われても……」

「何も、変わったことはないように思えますが……」

「本当? 今でも、玲くんのこと好き?」


 そう言われて、あきらとなぎさは隣の玲治の方を見た。

 見られた玲治の方は、気が気でない心持ちだ。果たして二人は、本当にどこも変わっていないのだろうか。もしかしたら、血統異常と共に好意も失ってしまって、今までのように仲良く出来ないのではないか。

 気がかりで気がかりで、いま飲み干したばかりの薬が喉の方まで上がってくる気分だ。


「……うん。お姉ちゃん」

「……ああ」


 なぎさは太陽のような笑顔を浮かべ、そしてあきらは月のような微笑みを湛える。


「ボク、お兄ちゃんのことだーいすきっ!」

「私も、玲治のことが好きだぞ」


 玲治の瞳に飛び込んできた二人の表情と、感情。

 嘘偽りは一切存在しない、屈託無いその二つの情。

 安心したとともに、なんだか気恥ずかしくなって、玲治はいつものように目つきを悪くして、口元が緩んだのを誤魔化すように頬を爪でなぞった。


「……」


 そして目を伏せた北勢は、この場にいる全員の心を覗きこむ。

 どれも温かく、幸福に満ちた感情ばかり。

 そして玲治の心にも一切の変化が無いことを確認して、北勢もほんの少しだけ、口角を上げて微笑むのだった。

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