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73.こころ

「私は、玲治が好きです」


 膝の上に両手を置き、背筋を伸ばしてそう言ったあきら。

 無表情ではあるが、それは無表情という名の凛とした覚悟の色。

 冷たくはなくただ静か。女性らしく男性らしく。


「弟として、というのも勿論です。なぎさを可愛く思うように玲治も可愛く思います……ですが、それだけではありません」


 そっとあきらは玲治の方を見た。

 そして少しの間だけ、いつも玲治に向けていたあの優し気な微笑みを浮かべて、また北勢の方へ視線を戻す。


「家族を愛する気持ちには、痛みなどありません」

「……」

「ですが玲治を想う気持ちに、私は痛みを感じます」


 あきらの言う痛みとは、心の痛みである。

 愛する家族を想う時、そこに痛みなど感じない。温かい気持ちだけが心を包む。

 しかし人を想う時、心が切なさと愛しさの狭間で痛みを感じる場合がある。

 家族を愛する気持ちとは違う、人を愛する気持ち。

 あきらが玲治に抱く、そしてなぎさが玲治に抱く、玲治が二人に抱く気持ちがそれなのだ。


「私が何を言いたいのか。私の父上なら、これ以上言わなくとも察してくれますよね」

「……ああ」


 そこで初めて北勢は視線を外し俯き気味に首をもたげた。


「なぎさ、玲治。お前たちも同じ気持ちか?」

「うんっ」

「おう」


 あきらが話しているあいだ、玲治はずっと横目で彼女の横顔を見つめていた。

 彼女の言葉に嘘偽りは一切なく、血統に頼らずともあの芯のある声からは本心しか感じられなかった。

 真っ直ぐな言葉と、真っ直ぐな瞳。

 さっきまで緊張でどうにかなりそうだった玲治は、あきらのおかげで平静を取り戻すことができた。

 きょうだい三人そろって、父親に向けて怖気のない視線を送っている。


「それで……お前たちはどうしたいと言うのだ」


 こちら側の意見を言える状況になり、待っていましたと言わんばかりに玲治が一番に口を開く。


「俺は何のわだかまりも無く生きていたい。姉さんとなぎさのきょうだいとして、あんたに何も文句を言われずに、過ごしたいだけだ」

「……ほう」

「前にも言ったけど、俺はあんたに捨てられたことを恨んじゃいない。親だからって勝手に何もかも決めつけられるのに、心底腹が立つんだ」

「親とはそういうものだ。何も出来ぬ何も決められぬ子供に道を示すのが役目――」

「俺たちはもう子供じゃない!」


 北勢の言葉尻を食らう玲治の一言。

 家具が微かに振動を起こすほど苛烈に放たれたその一言に、母親であるすずかは呆気にとられながらもこう思っていた。自分の意見をしっかり親に言えるくらい、成長してくれたのね、と。

 北勢の目付き(プレッシャー)に怯むことなく、玲治は真っ直ぐに目を突き合わせる。

 そうした睨み合いが無言のあいだに続き、やがて折れたように北勢が息を吐いた。


「なぎさ、あきら。お前たちも同じか」

「うん。もう離れ離れになるなんて嫌だよっ」

「共に生活し、共に時間を過ごしたいです」


 これが子供たちの答え。

 こうして家族会議という形をとってまで言いたかったことはつまりこの一言に尽きる。

 血統異常だの、道しるべだの、そんなものは片端からどうでもいいと捨てきって。ただ子供たちは、きょうだいとして一緒に居たいだけなのだ。


「……あなた」


 すずかが北勢の肩に手を置き、静かに、諭すように話しかける。


「もうみんな、右も左もわからない子供じゃないのよ」

「だが……問題は山積みだろう。このままにするわけにも」

「私たちは今まで、子供たちの幸せの為に頑張って来たでしょう? いまあの子たちにとっての一番の幸せは、一緒に暮らす事なのよ」

「……」

「それに、問題の一つはようやく何とかなりそうでしょ? ねっ、あなた」


 すずかの優し気で幼気な笑顔を一目見て、北勢の纏っていた雰囲気が変化した。

 体中から放たれていた威圧感がふっ、と消え去り、部屋の張りつめていた空気も弛緩する。

 そして北勢は席を立ち、少し待っていろ、と言って部屋を出ていく。帰ってくるのにそう時間はかからず、北勢は懐から三本の小さな瓶を取り出してテーブルの上へ、玲治たちの前にそれぞれ並べていった。

 それが何なのか、不思議そうに見つめる三人を余所に、北勢は再び座って瓶のことについて話し始める。


「その瓶は、お前たちの苦しみを消す薬が入ったものだ」

「何だよこれ……薬とは思えないくらいキッツイ赤色してるけど……」


 手のひらに握って隠せるほどの小さな小瓶の中身は、蛍光色の赤い液体で満たされていた。薬というからには恐らく飲み薬。


「玲治。お前が知っての通り、私は過去に血統異常に苦しまされた。環境の変化ももちろんそうだが、特に苦しかったのは、自分の気持ちを知ることが出来なかったことだ」

「……それは」

「私はお前と同じで、人の心を見る系統の血統を持っている。そして同じく、自分の心についてはわからずじまいだ。だが、私とお前ならお互いに心の内を知ることができる」


 そう言って玲治の目を見る北勢。

 その目からは、先ほどまでのような刺し殺すプレッシャーは感じられない。


「私が嘘を言っていないことを、その目で確かめろ」

「……?」

「私は、お前たちのことを認める。これからは好きにするといい」


 北勢のその言葉に、嘘は無い。

 玲治の目が、それを受け止めた。

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