58.不器用な抱擁
まるで空が割れたような音と共に、夜空に綺麗な赤色の花火が咲いた。
満開に咲き誇ったその花は、残像と煙を残して闇に溶けていく。
「っと、もうそんな時間か」
「少し長く話し過ぎてしまったな」
花火は消える際、聞き心地の良い音をさせる。
その音はフライパンで豆を炒るような、もしくは小粒の宝石が入った袋を揉んで弄ぶような、そんな音。
玲治とあきらは立ち上がって、浴衣を手で払った。
「はやく皆のところに戻んないと……香良洲先生もだいぶ酔ってたみたいだし、また揶揄われそうだ」
二人が抜け出してからもう随分と時間が経ってしまっている。
どこに行って何をしていたのかと怪しまれない内に戻ろうとした玲治だったが、少し名残惜しくも思っていた。
今はあきらと二人きり。出来ればこのまま、ここで花火を眺めていたい。
そんなふうに玲治が足を止めたまま打ち上がる花火を見上げていると、隣に来たあきらも同じようにしていた。
穏やかな彼女の顔が、青や赤の花火に照らされていく。
「……綺麗だな、玲治」
「……うん」
早く戻らないといけないのに。玲治はわかっていても、動けなかった。
屋台が建ち並ぶ並木道に比べて、二人が今いる場所は人工的な明かりが一切届かない。周囲が暗いために、夜空に咲く花火の光が、より一層美しく映える。
「……玲治」
するり、と玲治の腕にあきらの腕が絡む。
肘の裏に通された彼女の左腕に引き寄せられて、二人の距離が失われた。
突然腕を組まれたものだから、玲治の心臓が早鐘を打ち始める。
「ねっ、姉さん……!?」
「ふふ……こうしていると、まるで恋人のようだな」
「恋人って、かかっ、からかわないでくれよ!」
ぎゅっと抱き寄せられて、図らずもあきらの柔らかな胸が玲治の腕に当たる。
帯の上で強調されたその胸の感触は玲治の心臓を跳ね殺しそうなまでに高鳴らせたが、どうもあきらは気付いていないのか、気にしていないのか、離れようとしなかった。
「揶揄ってなんてないぞ。……それとも玲治は、私のような女は嫌いか?」
表情を陰らせながらあきらが言う。
全くもってそんなことは無いのだが、緊張しすぎてすぐに返事を返せなかった。
急にそんなことを言いだすなんてどうしたんだと、呼吸を必死で整えながら、冷静に考える玲治。
最近のあきらはどこか献身的というか、前にもまして世話を焼いてくれることが多くなっていたし、ともかく再会した頃に比べると変わってきていた。
なぎさとはベクトルが違うにしても、ある種依存的というか。姉としての気遣いや思いやりの度を越してきているようにも思える。
「……玲治?」
「……あ、あきら姉さんみたいな女の人、滅多にいないくらい綺麗だよ。嫌いなわけ、ないって」
玲治はこういう所で不器用というか、不愛想になりがちだ。
本当はあきらのことを姉としてだけでなく、一人の女性として好きだというのに、主観で全てを語れない。嘘をついているわけではないが、ストレートに言い切るのは気恥ずかしく少しぼやかしてしまうのだ。
ぶっきらぼうな言い方だったが、それを聞いたあきらは、またふわりと微笑んだ。
「そうかっ。私も玲治のこと、大好きだぞ」
「や、やめてくれって……! そんな、勘違いさせるようなこと言うの……!」
あきらの好きは、多分、自分の好きと違う。
直感的に玲治はそう思い、顔を背けた。
あきらの言う好きは、きっと姉として弟のことを好きという意味。
二人は正真正銘、血の繋がったきょうだいである。
いくら心をときめかせても、いくら想いを積み重ねても、掴めないし届かない気持ち。
あきらの心が自分の心と同じなら、どれほど良かっただろうか。
それとももしかすると、本当に同じ心なのか。
左手を握りしめる玲治に、それを訊ねる勇気は振り絞れなかった。
「どうして勘違いするのだ? 私は玲治のことが好きだし……一緒にいると楽しくて、安心して、嬉しくて、心地よくて、温かくて、胸がいっぱいになる」
「だ、だからっ、そういう言い方が勘違いさせるんだって……」
「おかしなことを言うのだな玲治。私の言葉に嘘があるかどうか、お前にならわかるのだろう?」
と、くつくつ笑うあきら。
彼女は組んでいた腕を離し、顔を背けていた玲治の前へ回り込む。
真っ直ぐに目を見つめながら、あきらはもう一度、ゆっくりと唇を動かして言った。
「私は玲治のことが……好きだぞ」
「っ……!」
その言葉に嘘がないことくらい、玲治には目を見なくてもわかった。
わからないのは、その好きが、どんな意味を持っているかということだけ。
でも、意味を深く考えようとは思わなかった。
ただ、ただ言葉にならないくらいに。あきらは綺麗だった。
その目も、鼻も、口も。水色の瞳も、銀色の髪も、白い肌も。
そして何よりも、意味なんて深く考えなくても、真っ直ぐにあきらから好きと言われたことが嬉しくて、どうしようもないくらいに想いが玲治の胸に溢れていった。
「……!」
気づいたら身体が勝手に動いていた。
玲治の腕はあきらの背中を包み、抱きしめてしまっていたのだ。
「わっ、玲治……!?」
あきらの柔らかい腕を強く抱く。骨の硬さが伝わってくるくらいに強く。
玲治の耳とあきらの耳が擦れる。あきらの耳は、ひどく冷たく感じた。
少しふらついたあきらの身体を、玲治がしっかりと抱きとめる。
――いったい、俺は何をしているんだ。
目を見開いたまま玲治の呼吸が止まる。しかしこうなってしまった以上、今さらぱっと離れたりもできない。ある種の自暴自棄に近い気持ちで、あきらの身体を強く抱きしめるほかなかった。
恥ずかしくて、後悔も感じていて、どうしよう、どうしよう、と。
思えば思うほど、腕に力が入ってしまう。
「……お、俺も」
「……?」
息も切れ切れに、小さな声で呟く。
「俺も……姉さんのこと、好きだから」
「……」
あきらは目を伏せて、玲治の想いに応えるように、彼の背中に手を回した。
細い腕ではとても包み切れない、大きな玲治の背中。
添えるだけのような優しい仕種だったが、玲治にその感覚はしっかり伝わっていた。
そのとき玲治の鼓動は限界まで速まっており、首元でどくどくと脈打つ感覚は、まるで喉にもう一つ心臓が出来てしまったようだった。
そして、そのうるさい自分の鼓動に紛れてしまいわからなかったが、彼の胸元ではもう一つ、同じくらいの速さでとこん、とこん、とこんとせわしない音が聴こえていた。
あきらは目を伏せながらも、その内の瞳を潤ませて、頬を朱色に染めていたのだ。
「……」
「……」
抱きしめ合った二人は何も喋らない。
二人の速くなった鼓動を掻き消すように、夜空に花火が打ち上がっていく。
時間が止まったわけじゃない。秒針が音を刻むように、花火が時間を告げていく。
ただ玲治の胸の奥の方には、まるで穴が開いてしまったような不思議な感覚があった。
色々な感情が、その穴の中に呑み込まれていくような、そんな感覚。
「……玲治っ、すこし……痛い……」
「っ、ごめっ……!」
胸が押しつぶされるくらい強く抱きしめられていたせいで、あきらが苦しそうに訴えると、玲治はようやく我に返って彼女から離れた。
すっかりよれてしまった浴衣を撫でて戻しながら、あきらは眉尻を下げて笑う。
「抱きしめてくれるのは嬉しいが、女の身体はもう少し優しく扱うものだぞ」
「ご、ごめん……つい」
「あははっ。甘えたくなったら、またいつでも甘えさせてやる」
そう言うとあきらは玲治の手を取る。まるで迷子の子供の手を引くように優しく。
「そろそろ戻ろう。みんなが心配するといけないからな」
「……うん、わかった」
二人はそうして手をつないだまま、その場を去っていった。
まだあきらを抱きしめた時の感覚が残っていた玲治の鼓動は速いままで、頬も熱っぽく赤い。
しばらくは何も考えられそうにない。
ぼんやりしたままあきらに手を引かれ、玲治は祭りの喧騒の中へと戻っていった。




