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57.父の目論見

 短い石段に座り込む玲治とあきら。

 どこからでもなく気まずい雰囲気が流れ、お互いに顔も合わせなければ話し掛けもしない。遠くから聞こえる祭囃子の音色と、近くの草むらで鳴いている虫の声だけがせめてもの気紛れ。これが無音の夜であればとっくに玲治の息は詰まっていただろう。


 口を閉じたまま喉を鳴らし鼻から息を吐いた玲治。

 ちらりと横目であきらに視線を送る。と、雲間から差し込む月光があきらを照らす。

 彼女の銀色の髪が、濡れているみたいに淡く光っているように見えた。しかしその瞳は長い睫毛に覆われて、暗く淀んでいる。

 玲治はまた視線を真っ直ぐに戻し、どこということもなく地面を視界に入れた。


「――姉さん」

「――玲治」


 あっ。と、同時に喋ってしまった二人は反射的に顔を見合わせる。

 玲治はそのまま口を噤んであきらの言葉を待ったが、薄く微笑んだあきらは、お先にどうぞ、というふうに首をかしげた。

 また視線をあきらから外して、玲治が再び口を開く。


「その。話ってのは、血統のこと……だよな」

「……ああ、そうだ」


 あきらは微笑みを浮かべたまま自分の膝に視線を落とした。

 その表情はどこか、寂し気に見える。


「驚いたぞ。玲治の血統が、人の嘘を見抜く力だなんて」

「今まで姉さんたちにも黙ってて、悪かったよ」

「いいや、謝る必要なんてない。むしろ嘘をついた私の方が謝るべきだ」


 膝に手を置いたまま、あきらは浴衣に寄った皺を潰すように指で撫でていく。

 彼女は嘘をついたことを謝るべきだと言ったが、別にそっちが謝る必要もないんじゃないかと、玲治は言おうとした。


 人を傷つける嘘や、何かしらの被害を生む嘘はいけないことだ。

 それは言い換えるなら無責任な嘘と、自分の為の嘘。

 信じた人が損をする嘘や、取り返しのつかない失敗を隠すような嘘は、いけないことである。というのは玲治の考え方だ。


 逆に言えばそれ以外の嘘は許容できる。

 気遣いや保身の意味を持つ嘘は、人が生きていく上で必要なものだから。

 今まで数えきれないほどの嘘を見てきた玲治には、その人の心の脆さが痛いほど理解できている。

 そんな彼は、あきらの嘘の本質も八割がた勘付いていた。

 きっと、謝らなければならないような嘘ではないと。


「姉さんこそ謝らなくていいよ。俺は嘘をついたんじゃなくて、言わなかった。つまり俺が俺自身の為に黙っていたんだ。謝るようなことをしたのは俺だけだよ」

「……玲治は、ちゃんと自分の物差しを持っているのだな」

「小さい物差しだよ。無いよりマシだけど」


 くすりとあきらが笑い、腕を伸ばして玲治の頭を撫でた。

 急に視界の外から頭を触られたものだから、玲治の肩がびくりと跳ねる。


「うわっ……!」

「あ……すまない。嫌、だったか?」

「べ、別に嫌じゃないけど……」

「そうか。なら……」


 改めてあきらは玲治の頭を撫でた。

 少し癖のある彼の髪の表面だけを滑らせるように。少しくすぐったく感じる玲治だったが、大人しくされるがままにしている。


 人に頭を撫でてもらうというのは落ち着くものだ。

 特に母親や父親、姉や兄といった血の繋がりがある年上にされるのは安心する。

 だから小さい子供はよく親に頭を撫でてもらいたがる。だけど今は、玲治が頭を撫でてほしいなんて言ったわけじゃない。


「どうして姉さんは、俺の頭をよく撫でてくれるんだ?」

「ん? そうだな……そう言われると口で説明するのは難しい。ただ、玲治が立派だと思った時に、つい手が出てしまうのだ」


 年上のきょうだいや両親は、みんなそういうものなのだろうか。

 と、そういえば自分もなぎさに対して、無意識に気遣いや配慮をすることがあると玲治は思い出す。

 頭で思わずとも心が思ってしまう。それはあえて言葉にするならば、慈愛や情愛が近い。

 だが細かなニュアンスは人や状況によって変わる。あきらの言う通り、言葉で説明するのは難しい感情である。


「ただ、そうだな……もちろん玲治を褒めてあげたり、大切にしたい思いもある。だけどお前の頭を撫でていると、私もどうしてか、温かい気持ちになるのだ」

「……あったかくなるのは、俺も一緒だよ」

「ふふ……そうか」


 ひとしきり頭を撫でて、あきらはようやく手を離した。

 そして柔らかい表情のままどこか真剣な色を瞳に宿し、話の本題を切りだす。


「玲治……私は今から本当のことを話す。だから、ちゃんと私の方を見てくれ」

「……わかった」


 あきらが話す言葉が嘘か本当か、玲治には目を見るだけでわかる。これから話すことに嘘偽りがないことを証明するため、あきらは真っ直ぐに玲治の目を見た。

 その切れ長の目に嵌った薄水色の瞳が、ガラス細工のような綺麗な瞳が、吸い込まれるような感覚を玲治に覚えさせた。


「私となぎさは、父上から血統を受け継いでいない」

「受け継いでないって……それってつまり、血統が無いってこと、なのか?」

「ああ。産まれる子供が全て血統を受け継ぐわけではないのは、知っているだろう?」


 玲治は静かに頷く。

 あきらの言う通り、血統を持つ親から産まれた子供は、全員が全員血統を受け継ぐわけではない。だからこそ、血統を確実に残したい者や、国に血統を残さなければならないと命じられている連翹れんぎょう血統を持つ者は、とにかくたくさんの子供を産む。

 そういうわけで、昨今では少子化なんて言葉も聞かなくなった。代わりに別の問題が発生しているのだが、今はその問題は関係ないだろう。


「私となぎさは血統を受け継いでおらず、しかしその事を隠すよう、父上から言われていたのだ」

「でもどうして、そんなこと。別に隠すようなことじゃないだろ?」

「ああ、そうだな。嬉野家は連翹に指定されているわけでもないから、血統の有無でどうこう差別されることも無い」


 血統を持つ者持たざる者の違いは、現在差別問題に発展していない。連翹血統に限った話では、国から多少扱いの差が出るところもあるが。

 むしろ血統を持たない家の者は、血統を持つ家の者にありがたがられる存在だ。

 その理由は「血統を残すために都合がいいから」である。


 例えばの話だが、空繰からくりの血統を持つ寺内と、骸見むくろみの血統を持つ玲治が結婚して子供を作ったとする。すると産まれてくる子供は、空繰と骸見どちらかの血統を継ぐことになる。

 現代医学で解明されている興味深い事実として、受け継がれる血統は一つだけ、というものがあって、どちらか一方は淘汰されるのである。


 その血統淘汰は、産まれてくる子供の体内で起こることではない。

 父親と母親が性行為を行った時点で、どちらかの血統が淘汰されてしまうのだ。

 すなわち、血統を持つ者同士が結婚して子供を作った場合、どちらかの血統は確実に失われることになる。

 その事実があるため、血統を持つ者同士での結婚は避けられがちである。さらに言えば連翹血統を持つ者などは国から、血統を持つ者との結婚を禁じられている。


 しかし、血統を持つ者と持たざる者の場合は、血統淘汰が起こりえない。

 先ほども言ったように産まれてくる子供が血統を受け継がないということもあるが、必ず片方の血統は残る。

 ここでも例を挙げるなら、玲治と笠良城かさらぎで例えるのがわかりやすいだろう。

 骸見むくろみの血統を持つ玲治と、血統を持たない笠良城が子供を作った場合、血統淘汰は起こらず、必ず子供が受け継ぐ血統は骸見むくろみだけということだ。


 つまり、血統を後世に残していきたい者にとって、血統を持たぬ者は貴重なのだ。

 そして血統を持たぬ者は、いずれ連翹血統の家系と繋がりが持てるかもしれない希望すらある。両者の格差は、それほど無いのだ。


「父上が何故、私たちが血統を受け継いでいないことを隠させたのか……その理由はわからない」

「わからない……って」

「訊いても話してはくれなかった。ただ嘘をつけ、と。それだけだ」

「……なんだよ、それ」


 顔も見たこともなければ声を聞いたこともない玲治の本当の父親。

 あきらとなぎさに意味の分からない嘘をつかせ、そして産まれて間もない自分を捨てようとした、父親。

 玲治はますます、不信感と嫌悪感を父親に覚え始めていた。


 一体、何がしたいんだ。

 どうして俺を捨てた? どうして姉さんたちに嘘をつかせた?


 今まで知ろうともしなかった父親のこと。知らなくても平気だと思っていたこと。

 疑問だらけの玲治は、今まで会いたいとも思わなかった父親のことが頭の奥にこびりついた気分だった。

 今さら怒りをぶつけようとも思わない。だけど、知る権利くらい息子だからあるはずだ。


(……今度、親父に電話して訊いてみるか)


 今まで玲治の父親として過ごしてきてくれた嬉野玄正(げんじょう)は、玲治の本当の父親の兄である。

 今まで訊ねてこなかったが、きっと何か知っているはずだ。

 そう考えながら玲治は空を見上げる。

 空に浮かぶ満月が厚い雲に呑み込まれていく様子を見ながら、深いため息を吐いたその時。

 腹の底に響く音と共に、祭りの花火打ち上げが始まったのだった。

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