54.二人の嘘
「まさか、わたあめを作るのがあそこまで難しいとはな……」
「誰でも得手不得手はあるからなぁ。あんま気にせんくてええって」
割り箸にまとわりついたべたべたの飴らしき何かを舐めて、あきらは不甲斐なさそうに目を伏せていた。
その隣には彼女の肩に手を置き苦笑いを浮かべている寺内。割り箸を爪楊枝のように咥えて上下に揺らして歩いている。
「お姉ちゃん料理はすっごく上手なのに、わたあめ作るのはへたっぴだったね」
「それ姉さんには絶対に言うなよ。またこの世の終わりみたいな顔しちまうから」
後方でそう口止めする玲治だったが内心では同感だった。
あきらは料理だけでなく手先が器用な方で、裁縫なんかも得意としている。そういう所が姉としての威厳というか、尊敬できるなと玲治も思っていたので意外だったのだ。
普段がしっかりしているために、しょんぼりしたあきらは普段と違う可愛げがあって揶揄いたくもなったがそれは自重した。
「……すんすん。ああ、フルーティな香りが僕の右手から取れないよ」
「後でイカ焼きでも食べたらどうだ。打ち消されて丁度よくなるんじゃねぇか?」
「玲治、それで僕の右手がイカ臭くなったらどうしてくれるんだい」
「香良洲先生に揶揄われて、それを信じた菰野あたりにドン引かれるんじゃねぇの?」
玲治にはそうなる様子がはっきりと目に浮かぶようだった。
香良洲は大人にしては子供っぽいと言うか、悪戯好きなところがある。天然なのか狙っているかは定かではないが、人が恥ずかしがるような揶揄い方をよくしてくるのだ。玲治もたびたびその犠牲者になっているからよくわかる。
「イカよりイチゴの方がマシだね……ここの音声はカットしておこう」
眉尻を撫でながら多気はカメラを動かす。
浴衣姿の人々が行き交う風景を何気なしに映し、ふとすっかり暗くなった夜空にレンズを向ける。すると満点の星空の中に吸い込まれていく、赤色の風船が映り込んだ。
「おや。誰かが飛ばしてしまったのかな」
「なに? ……あー、風船か」
玲治も空を見上げて、不規則な動きで飛んでいく風船を見つける。
これも祭りの風物詩というか、ありがちな光景だ。必ずと言っていいほど誰かが風船を飛ばしてしまう。その行方を最後まで見届けたことはないが、きっとどこかで割れて地面に落ちてくるのだろう。
「子供は風船好きだけど、あれって持ち帰ることあんのかね」
「みんな失くしてるイメージがあるね。風船とは儚い物だよ」
「風船は風船でも、水風船とかにしとけば飛んでっちまうことはないのになぁ……っと、飛ばしたのはあの子か」
人混みの中から見えてきたのは泣きじゃくる小さな男の子と、それを慰める母親らしい人の姿。
玲治たちの前を進むあきらと寺内もそれを見つけたらしく、互いに目くばせをする。
「一身、どうやらあの風船のようだ」
「おっしゃ。まかしとき!」
そう言うと寺内は夜空へ吸い込まれていく風船目掛けて跳ねるように跳んだ。
彼女の持つ血統、空繰。それを使って空気を足掛かりにして、どんどん空へ向かって跳んでいく。
その光景はまるで見えない足場が風船まで続いているようで、眺めていた玲治も思わず感嘆の息を吐いた。が、すぐに首を動かして視線を地面に向ける。
寺内の着ていた浴衣は丈が短い。それを下から見る形になれば当然、その中も見える。
淡い黄色が見えた瞬間に玲治は目を背けたのだ。
そして彼の様子に気付いた多気が、カメラを寺内に向けたまま話しかける。
「見ていなくていいのかい玲治」
「いや、お前も撮るなよ。寺内先輩パンツ丸見えだぞ」
「多分気にしていないのだろうね寺内さんは。ああ、それとカメラにはちゃんと映らないように撮っているから安心していいよ」
そうこうしている間に寺内は空中で風船をキャッチして、今度は階段を下りるような動きで地上へと帰ってきた。
泣いていた男の子も寺内が飛ぶ姿に見とれてすっかり泣き止んでおり、彼女から差し出された風船を受け取るとにっこり笑う。
「はいっ、もう離したらあかんで?」
「わぁ……ありがとうおねえちゃんっ!」
「ありがとうございます……まさか飛んで行ってしまった風船を取ってもらえるだなんて」
「えははっ! お祭りは楽しまなあかんからな、こんくらいお安い御用や」
しっかりと風船の紐を握りしめた男の子は母親と共に、手を振ってまた祭りの中を歩き去っていった。
寺内も破顔して大きく手を振り、やりきったふうに鼻から息を吐く。
人が空を飛ぶ、なんてことは珍しいとはいえ有り得ないことではない。周りの人たちもおおっ、と声は上げていたが足を止めることもなかった。
「一身の血統はこういう時に便利だな」
「当たり血統言われとるからなァ。持っとるモンは使わな損やし」
歯を見せて笑いながら、寺内は自身の太ももをぱしんと叩く。
彼女の血統行使を玲治たちは見慣れていたが、初めて見た笠良城は目を丸くしていた。
「すご……何よ、あんたの血統って空を飛べちゃうわけ?」
「空繰言うてな。飛ぶ言うても、ずっと浮いてられるわけちゃうで。空気を固めるイメージもむつかしいし、ぴょんぴょん跳ねるのが一番楽やな」
「ふーん……やっぱり、血統持ちはちょっとだけ羨ましいわね」
そう言った笠良城は以前言っていたように、血統を持っていない。
どうも彼女はその事に気を落としているわけではな無さそうだが、便利なものはあった方がいいに決まっている、と物欲しそうな視線を寺内に送っていた。
「大丈夫だよ小物くん。僕も血統持ちじゃあないから、仲間外れなんて気にする必要はないよ」
「別に気になんかしてないわよ。っていうか、あんたとお仲間な方がよっぽど嫌だわ」
「これは手厳しい」
つん、とした態度を取る笠良城。
するとその後ろから香良洲が口を開く。
「そう言えば、嬉野くんの血統って訊いたことがなかったわね」
「ああそう言えば。僕も今までさほど興味がなくて訊いていないね」
「俺の血統?」
そう言われてみれば玲治は引っ越してきてから今日にいたるまで、誰にも自分の血統について話したことがないことに気付いた。
香良洲たちが言うように、誰にも訊かれることがなかったため、自分から言い出すことも無かったのだ。
しかし玲治の持つ血統は嘘を見抜くというもの。あまり人に言いふらすと関係性に罅が入るような気もして、言うべきか悩んで彼は目を伏せ考え込む。
「嬉野が血統持ちってことは、あきらやナギも持ってるわけ?」
「む……ああ、そうだな」
「うんっ」
「どんな血統なのよ。あたしは気になるわ」
と、笠良城が言うと玲治は瞼を開ける。
引っ越してきたばかりの頃、あきらに同じような質問を投げかけたことを思い出した。
確かその時あきらは、『人の周りに感情の色が見える』と話していたが、玲治の目はそれが嘘であることを見抜いた。
あれから結局、どうしてあきらが嘘を吐いたのか深く考えたことは無かったが、あらためて疑問が玲治の胸に芽生える。
「嬉野家の血統は『骸見』と言ってな。私の場合は人の周りに感情の色がぼんやり見える程度だ」
「ボクは人の声に色が見えるんだよっ。コモちゃんの声は赤色だね」
「へぇ……空繰ってのと比べて、あんまり実用的じゃ無さそうね――」
玲治の疑問が更に膨らむ。
自身の血統について話すあきらとなぎさの目を見つめていたが、やはりそうだった。
二人とも、嘘をついている。
(……二人ともなんで、嘘をついてるんだ)
二人は一体、何を隠そうとしているのか。
玲治の眼に、その真実までは映らない。




