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48.膝の上へ

「なぎさっ! おいしっかりしろ! なぎさ!!」


 ぐったりとしてしまったなぎさを抱えて、玲治は陸の方へと引っ張りながら必死で呼びかけ続けていた。

 幸いにもなぎさが溺れた場所は沖ではなかったため、一分も泳げばすぐに足が着くくらいの浅瀬まで来れたが、問題は意識を失っているなぎさだ。玲治は異変を察知してすぐさま救助に向かったがそのとき二人の距離は離れており、水中から引き上げるまでかなりの時間を要してしまった。


 なぎさは溺れた際に水を飲み込んでしまい、意識不明の状態。

 一刻もはやく対処しなければ不味い状況だった。


「思い出せ……中学の時に習ったろ……」


 海や川で人が溺れたときどうするべきか。

 セミナーで説明していた壮年の男性のことを思い出す玲治。何を話していたのか、人形に対して実践した対処法はどんなものだったか、必死に思い出していく。

 腕の中で眠るように大人しくなってしまったなぎさが、ひどく恐ろしいものに見えてきて玲治の記憶整理に拍車をかける。


「人を呼んでる暇なんてねぇ……よし!」


 まずは飲んだ水を吐き出させ、気道を確保しなければいけない。

 記憶を頼りになぎさの頭に手を添えて、人工呼吸の体勢を確保する玲治。角度を調整してもう片方の手で鼻をつまむ。

 そして躊躇することなくなぎさの唇に口を当てて息を送り込んだ。


 人工呼吸を続ける玲治の頭はほとんど空っぽに近い。

 やるべきことと不安、そして懸命さだけを残して他のことは何も考えず、何も考えられずに、愚直とも思えるほど繰り返し続けた。


「……っげほ!」


 その甲斐あって、なぎさは口から少量の海水を吐き出し、意識を取り戻したようで苦し気に咳き込んだ。

 胸をなで下ろした玲治は安堵のため息を吐く。真面目にセミナーを受けていた過去の自分を褒めたい気分だった。


「えほっ……けほっ……!」

「なぎさ! 大丈夫か?」

「んぅ……おにいちゃん……?」


 先ほどまで意識を失っていたなぎさは、玲治の顔を不思議そうに見上げながら何が起こったかを思い出している様子だ。


「そっか……ボク、足が攣っちゃって……」

「海に入る前はちゃんと準備体操しないとな。ホント、大事にならなくてよかった」


 玲治はなぎさの身体を水中で抱え、砂浜へと上がる。

 その体勢はいわゆるお姫様抱っこというもので、自力で歩くことが出来ないであろうなぎさを気遣っての判断だった。


「わっ……ご、ごめんお兄ちゃん。心配かけちゃって……」

「気にするなって。無事だったらそれでいいんだから……っていうか、思ったより軽いななぎさ。姉さんまでとは言わないが、ちゃんと食べた方がいいぞ」

「う、うん……」


 抱えられたなぎさはまるで猫のように脚や腕を丸めながら、されるがまま玲治に連れていかれる。

 まだ少し意識がぼんやりとしていたが、自分が抱きかかえられているということを嬉しく思い、玲治の首に腕を回したその表情は穏やかであった。


 そのまま玲治は、相変わらずくつろいでいた多気の元へと戻って、軽く何があったかを説明する。なぎさが溺れたと言っても、すぐに意識を取り戻したし外傷も無い。

 はじめは多気も表情を硬くして心配そうにしていたが、話を聞き終わってなぎさの様子も確認すると、すぐにいつもの調子に戻った。


「――ってわけなんだ」

「なるほど。とにかく大事にならなくて良かったよ。思い出づくりと言っても、悪い思い出なんて残すべきじゃあないからね」

「ま、教訓ってやつだな」

「しかしこの後はみんなでビーチバレーをしようと思っていたのだけれど……なぎさくんは休んでいた方がいいだろうね」

「ああ。俺もここでなぎさの様子を見とくからよ」


 当初の予定では、多気は自分が荷物係兼審判役を買って出ようと思っていたのだが、どうもそれは玲治となぎさに任せることになりそうだ。自分が砂浜でバレーに興じるのが不満だったのか、彼は両肩をすくめる。


「そろそろ集合時間だし、僕は他のみんなを呼んでくるよ。ゆっくり休んでいてくれ」


 と、多気は立ち上がってその場から離れていった。

 きっとあきらが戻って来たら、準備体操を怠って海に入ったことについて少しばかり説教されるのだろうなと思い、玲治は苦笑いを浮かべる。


「なぎさ、椅子に座るか? それとも横になった方が楽か……って、枕になるものが無いな……」

「ん……椅子で、いいよ」


 普段と違い弱々しそうに呟くなぎさ。

 いつも明るく元気で、うるさいくらいなのにまるで別人だ。こういうなぎさも新鮮で可愛らしく見えるが、それよりも玲治が気になったのはなぎさの言葉だった。


「嘘言うなって。横になった方が楽なんだろ?」


 椅子でいいと言ったのはこれ以上、無駄な迷惑をかけまいとしたなぎさの嘘。

 そうとはわかっていたが、やはり枕の代わりになるようなものは近くに見当たらない。

 仕方なしに玲治はなぎさをシートの上に寝かせて、頭は自分の膝の上へと置かせた。


「ちょっと硬めの枕だけど、これでいいか?」

「ぁ……うんっ」


小さく頷いたなぎさの言葉に嘘は紛れていないとわかり、玲治はそっと微笑む。

なぎさは筋肉質な膝枕にとても満足気で、にっこりと笑い返すのだった。

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