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46.あきらのたこ焼き、なぎさのソーセージ

「えへへっ。ちゃんと映ってる?」

「ちょっとナギ……そんなにくっ付かれたら恥ずかしいってばっ」


 画面の右上でバッテリー表示が緑色を示し、フォーカスは肩を寄せ合う二人に合わされる。

 ビデオカメラを構えた玲治は画面内の二人と目の前の二人を見比べながら、珍しく柔らかい表情で微笑んだ。


「ああ。ちゃんと撮れてるぞ」

「いえーいっ! なんかビデオに撮ってもらうのって楽しいねっ」

「そう……? 撮られていい気なんてしないけど」


 なぎさは撮られることを楽しんで笑っている。両手で嬉しそうにピースを作って頭の横に添えているその姿は、よくあるホームビデオの映像そのものだ。

 一方、笠良城はなぎさに寄り添われて少し照れながらも、カメラレンズに向かってじっとりした視線を送っている。


「水着姿なんか撮って、後で変なコトに使うんじゃないでしょうね」

「そんなことするか。ただの活動記録だって」


 彼女の言う通り、いま映って記録されているのは程よく濡れた二人の姿だ。水着は肌に貼り付き、毛先から海水が滴っている。見る人が見ればお宝的な映像になるかもしれない。

 しかしこれはあくまでも同好会の活動記録だ。ビデオカメラを構えた玲治も、おかしな気を起こそうとは思っていない。


 数分ほど楽しそうに笠良城とはしゃぐなぎさの映像を収め、一旦玲治は録画をストップさせた。


「こんなもんでいいだろ」

「あれ、もう撮るのやめちゃうの?」

「ドキュメンタリーじゃないからな。そんなに長い時間撮ってたらバッテリーも無くなっちまうだろうし」

「それじゃあお兄ちゃんっ、今から海の家に行こうよっ!」


 なぎさは玲治の腕を取り、ぐいぐいと引っ張る。


「ボク、ちょっとお腹減ってきちゃったんだ。コモちゃんも一緒に行こうよっ」

「ん……そうね。海の家で何が食べられるか気になるし」

「じゃあ行くか。っとと。なぎさっ、そんなに引っ張るなって!」


 砂に足を取られそうになりながらも、玲治はなぎさに腕を引かれて海の家へと向かった。

 先を行く二人の様子を後ろから見ていた笠良城は、嬉しそうにはにかむなぎさを観察して、やっぱりそうかと確信を得ていた。

 なぎさは実の兄である玲治のことが好きなのだろう、と。きょうだいとしてではなくもっと深い好意を寄せているのだ、と。そう確信を得たところで、今度は玲治を観察してみる。


 顔は悪くない。整っている方だし、体つきもだらしなくない。性格に関してはまだ付き合った日が浅いので何とも言えないが、少なくとも多気のようにムカつく雰囲気をまとっているわけでもない。

 ただ引っかかるのは、あの目つきの悪さだ。

 黒目が小さくて目尻もつり上がっている。その目つきのせいで表情はいつも不機嫌そうに見えるし、なんだか狐みたいにも見えてくる。

 なぎさはコイツのどこを好きになったのだろう。いくら考えてもそれはきっと本人にしかわからない、恋というのはそういうものなのだろう。

 体感したことのない恋心の分析をしかめ面でしながら歩き、しかし海の家に着くまでにやはりそれらしい答えが出ることはなかった。


 海の家には大きな看板が掲げられており「なんくるないさ」とみみずがのたくったような文字で書かれている。それが店名なのかどうかはわからないが。

 とにかく三人が中に入ると、そこは砂浜の上にただテーブルとベンチが並べられただけの質素な空間だった。しかしそんな作りがむしろ「らしい」気がする。


「……あれ? お姉ちゃん」

「む? なぎさ。お前も何か食べに来たのか?」


 あきらの銀髪は特に目立つので、店内でその姿をすぐに見つけられた。

 奥の方のテーブルに座る彼女の正面には、自前の缶ビールを片手に持った香良洲も同席している。


「あら嬉野くん、なぎさくんに菰野ちゃんも。どう? 楽しんでるかしら?」

「ええ、それなりにね。……っていうかアンタ! 運転するのになんでお酒飲んでるのよ!?」

「……そういやそうだな。クーラーボックスに酒が入っててもあんまり気にしてなかったけど」

「心配しなくても大丈夫よ。これ、ノンアルコールだから」


 缶を揺らしてアピールする香良洲。たしかにラベルにはでかでかとゼロの表記があった。


「ああ、なんだ……びっくりさせんじゃないわよ、もう」

「私だって教師なんだから、それくらい節度は守るわよ。ほら、あなたたちも座ったら?」


 くすくすと笑う香良洲に促され、玲治たちもベンチへと腰かける。

 笠良城は腰かける際に濡れた水着の感覚が気になり、何度か座りなおしていた。


「にしても姉さん……いつからここに居たんだ?」

「ん? 三十分ほど前からだが」

「……それでこの有様か」


 玲治ももう見慣れたものとはいえ、やはりあきらの食欲とその速度には驚かされる。

 テーブルの上に重ねられたプラスチックトレーの数は数えるのも億劫なくらいだ。

 しかも食べ終わっているわけではなく、まだ焼きそばやらたこ焼きやらが二つも三つも置いてある。


「折角だ。よかったら食べてくれ」

「わーいっ! じゃあボクはソーセージ!」

「あきらの奢り? それなら遠慮なく頂くわよ」


 ぱきり、と割り箸を折って二人は名物料理に手を付けていく。


「んーっ♪ このソーセージおいしい!」

「イカ焼きも大きいし美味しいわね……ちょっと値段が高い気がするけど、味は上等だわ」


 赤く、まるでイカが日焼けしたような綺麗な焼き色のそれを頬張りながら、笠良城は壁に掛けられたメニューを見て文句を言おうとしたが、サイズも味も上等だ。ワンコインでお釣りが帰ってくるなら良心的だと納得した。

 なぎさが齧るソーセージもこれまた絶品で、皮はぱりぱりに焼かれ、わざとらしいくらいに太く歯ごたえがたまらなかった。

 頬を膨らませながら咀嚼する微笑ましい二人に香良洲が眼差しを送る。


「海の家で食べるご飯って、どうしてか普段より美味しく感じるのよねぇ」

「うんうんっ。外で食べるご飯はおいしいよね~」

「それには同意するけど……水着で食事するっていうのはなんか違和感あるわね」

「あらそう? いつもと違ってまた楽しいじゃない」

「だって、周りの視線も気になるから食べにくいじゃない」

「大丈夫よ。菰野ちゃんに目をつけるほど趣味の良い人なんて滅多にいないから」

「……それ、皮肉で言ってんの? 宣戦布告? なら受けて立つけど」

「やだぁ、冗談よ」

「ノンアルで酔ってるんじゃないでしょうね……」


 と、食べながら談笑する三人。こういう光景もビデオに収めた方がいいのかと逡巡する玲治に、隣で座っていたあきらが声をかけた。

 俯き気味だった玲治を下から覗くようにしたため、あきらの胸と、はだけた白い肌が彼の目に飛び込む。


「玲治は、お腹空いてないのか?」

「えっ……ああ、まぁちょっと」


 深い鎖骨の溝に溜まる水滴が、いやに扇情的だ。

 目のやり場に困った玲治は目を逸らして視線をテーブルの上に落としなおした。


「何が食べたい?」

「んじゃあ、たこ焼き。食べるよ」

「ああ、箸は取らなくてもいいぞ」

「え?」


 玲治はテーブルに置いてあった竹筒から割り箸を一膳取り出そうとしたが、あきらにそう言われて伸ばした手を引っ込めた。

 どういう意味だろうと思っていると、あきらは自分の箸をたこ焼きの頭に刺し入れた。全体の形を崩さないように優しく、繊細な手つきで中身を少し露出させて、正しい箸使いで一つ持ち上げる。


「……ふーっ、ふーっ」


 玲治は勘付いた。左手を受け皿のようにして、右手で掴んだたこ焼きに息を吹きかけているあきらが、この次に何をしようというのかを。

 唇をとがらせて熱々の中身を冷まそうとするその姿に、玲治の胸がとくんと高鳴る。

 そして、目つきを悪くした彼の思っていた通り、あきらはたこ焼きをこちらへと差し出してきたのだ。


「ほら玲治。あーん」

「そっ、それは恥ずかしいってッ……!」


 玲治とは正反対にあきらの目つきは柔らかく、その瞳は優しさが溢れて零れそうなくらいだった。

 あーん、だなんて高校生になってまでやるものじゃない。初めは玲治もそうやって拒否していたのだが、あきらはじっと彼の顔を見ながら彫刻のように動かない。かろうじて動くのは何かを期待するような回数の多いまばたきだけ。瞼が下りるたびに濡れた睫毛が揺れる。


「……?」

「……うぅ」


 根負けだ。ついに玲治は姉の厚意に屈してしまった。

 できるだけあきらの顔を見ないようにたこ焼きだけを睨みつけながら、そろりと口を近づけていく。

 そして、ぱくん。

 大きめのたこ焼きを口に含むと、閉じた唇から割り箸を引き抜いてすぐに玲治は背筋を伸ばした。


「熱くはないか? 大丈夫か?」

「はふ、んっ、あいようふ……」


 芯の方はまだ熱かったが、あきらが息で冷ましてくれたおかげで火傷することはなかった。

 店内は日陰のため見えにくいが、玲治の膨らんだ頬はほんのりと紅潮している。


「ふふ。美味しいか? 玲治」

「ん。うまいよ、たしかに」

「そうかっ」


 嬉しそうにあきらが笑う。いつも浮かべている微笑みよりも、ほんの少し楽し気な可愛い顔で。

 反則級の笑顔を見て、玲治は思わずたこをよく噛まず飲み込んでしまい、あやうく喉に詰まらせてしまう所だった。


「あらあら。仲良しなところ見せつけられちゃったわねぇ」


 気が付くと、今の場面をしっかりと見られてしまっていたようで、三者三様の視線が注がれていた。


「高校生になってお姉ちゃんから、あーん? ちょっと引くわ……」

「お姉ちゃんずるーい! ボクもお兄ちゃんにあーんってしてあげる! はいお兄ちゃんっ、口開けてー! あーんっ!」

「お、おいちょっと待てなぎさ! そんな太いの口に入らんって!」

「ボクのソーセージっ! ぶっとくて、皮もおいしいから……はい、あーんっ!」

「わ、わかった! わかったから、口に押し付けるなって……!!」

「はやくーっ!」


 何だか卑猥に聞こえるが、単なる食事風景である。

 なぎさと玲治がソーセージの押し付け合いをしている隣で、あきらはしれっと追加のメニューを注文していた。


「あぁすみません。焼きそばとカレーライスと牡蠣丼を。二つずつでお願いします」

「ボクのソーセージぃー! 食べてよーっ!」

「むぐぁーっ!」


 それにしてもなぎさのこれは果たして、あーん、と言えるのだろうか。

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