45.なぎさの心、渚にて
「ねぇコモちゃん。コモちゃんは好きな人っている?」
「へぁ? な、何よ急に……」
膝下まで水に浸かる程度の浅瀬。満ち引きする波を楽しんだり、手で水を掬って掛け合ったりして遊んでいたなぎさが、ふとそう言った。
唐突な質問に素っ頓狂な声を出したのは笠良城。なぎさに掛けようとしていた水が両手ごとそのまま波に呑まれたが、腰を折ったままで彼女は固まっている。
「んと、ちょっと訊いてみたいことがあってね」
なぎさは笑っているが、その表情はいつもより曇って見えた。人が悩みを抱えている時に見せる、陰りのある表情だ。
そんな話の切り出し方をされて、笠良城は心の中で戸惑う。
(なっ、なになに……!? これってもしかして、友達同士でよくあるコイバナってやつなわけ!?)
と、今まで友達が出来たことのない彼女はちょっと嬉しくなっていた。
ひっそりと自宅の学習机の鍵付き引き出しの中にしまってある「友達が出来たらやりたいことノート」の三ページ目に赤字で書いてあるコイバナの四文字を思い出し、こんなにも早く達成できたことが嬉しくてたまらなかったのだ。
(あっ、でもナギって一応男なのよね……コイバナって女同士でやるものらしいけど、この場合どうなのかしら……)
じっ、と彼女はなぎさの顔ではなく身体を見つめる。
男なのだから当たり前だが、着ている水着は男性用のサーフパンツだけで、上半身は素肌を晒している。女の笠良城が見ても、目を疑う格好だ。
なぎさは顔だけでなく身体つきまでもが少女っぽい。なぎさの性別を知らない人からすればどこからどう見ても、上半身裸の痴女だ。
(なんであたしより肌が白くて、きめ細かいのかしら……腕とかぷにぷにしてて柔らかそうなのに太ってるわけじゃないし……)
笠良城はなぎさのことを異性として意識していない。というか出来ないのだ。
話し方や振舞い方は少女のそれであるし、声だって変声期を未だに迎えていないのか高く可愛らしい。
コイバナは女子同士のエンタテインメントであるが、なぎさなら女子として扱ってもいいだろう。と、笠良城は帰ったらノートに「完了」の文字を付け足そうと決めた。
「ねぇコモちゃんっ、聞いてる?」
「き、聞いてるわ! 大丈夫よ」
「それじゃあどうなの? コモちゃん好きな人いる?」
「うーん……そうねぇ……」
その場にしゃがみ込み水の中で手を遊ばせながら考え込む笠良城。
しかし頭の隅から隅まで思いを巡らせてみても、そんな人物など思い当たらなかった。
「ごめん。好きってハッキリ言える人はいないわね……」
「むぅ……そっかぁ」
「なんでそんなこと訊いてきたわけ?」
「うんとね。好きな人を振り向かせるには、どうしたらいいのかなって……ボクいまいちわかんなかったから。コモちゃんなら知ってるかと思ったんだ」
同じようにしゃがみ込んだなぎさは、また陰りのある笑顔を浮かべた。
そんな表情を見せられて黙っているなんて友達じゃあない。と笠良城の心に火が付く。
「なめんじゃないわよナギ! 恋は知らないあたしでも、人の心の動かし方なら一家言持ちなんだから!」
ゲーム好きな彼女は自信満々な様子で言い切った。たしかに以前同好会とゲーム勝負をしたときもそうだったが、彼女は人間の心理に造詣が深い。どうすれば心をくじけるか、心はどういう動きをするのか、経験を積んで理解している。
心理学と一口に言っても笠良城の知識は偏りがちだが、それでも自信に満ち溢れたそのどや顔を見て、なぎさは明るい気持ちになれた。
「ホント!? どうすればいいのかわかるのっ?」
「あったりまえじゃない! 要は自分を好きになってもらいたいってことでしょ? 恋の成就なんて楽勝よ! あたしはしたことないけど」
水しぶきを巻き上げて勢いよく立ち上がると、笠良城はビッとなぎさを指差しながら顔を近づける。
それに怯むことなくなぎさは真剣な表情で彼女のアドバイスに耳を傾けた。
「いーい? ナギは男の癖に可愛い顔してんだから、徹底的にその可愛さを推していくべきよ! 相手の女の性格にもよるけど、まずは弟系の雰囲気でいくべきだわ!」
「……あれ? こ、コモちゃん」
身振り手振りしながら話を続ける彼女には、なぎさの困惑した表情も言いたげな言葉も届いていない。
「相手の母性をくすぐるのよ! もしそれで駄目そうなら、ギャップで勝負するべきね! 可愛くてちょっと頼りなさそうだと思っていたそこに、意外とカッコいいトコロ! あえて男という部分を見せつけることで女はくらりとクるものなのよ!」
「あ、あの~。コモちゃぁん……」
「恋愛感情なんて結局は見た目に一番左右されるんだから、その点ナギは満点よ! 自信もってどんどん話しかけてまとわりついちゃいなさい! 女が求めてるのは――」
「コモちゃんっ! ちょっとストップっ!」
「……ぷわっ!?」
笠良城の顔面に冷たい海水がかけられる。
濡れた子犬みたいに頭をふるふると振った彼女は、困惑しつつも眉尻をつり上げて、水をかけてきたなぎさのことを睨んだ。
「ちょ、ちょっと何よ……?」
「ごめんね……コモちゃんが勘違いしてたみたいだったから」
「勘違い? 何のことよ」
「ボクが好きなのはね、男の人なんだ」
「……ふえぁっ!?」
衝撃の一言である。
なぎさの「男の人が好き」発言がもたらしたインパクトは尋常ではなく、一瞬にして笠良城の頭の中がごちゃごちゃに混じって真っ黒になっていった。
なぎさは男で、でも女の子っぽくて、男の人が好きで、同性愛で、でも女の子っぽいから正しそうで、いやいや間違っていて。
色々と言いたいことは山ほど浮かんできた。しかし、ここで笠良城が選んだ言葉はたった一つ。その一つを選び出した彼女は、恐る恐るとした様子だった。
「ナギ……あんた、男よね……?」
「うん。でも、好きなんだ」
と、呟いたなぎさの頬はほんのりと紅く染まり、まさしく恋の表情であった。
カミングアウトに驚きを隠せなかった笠良城も、なぎさのその表情を見て胸の中で何かがすとんと落ちた気がして、短いため息を吐いた。薄く微笑んで、しょうがないな、といったふうに腰に手を当てて。
事実としてなぎさは男であり、そのなぎさが同じ男を好きだと言うのは同性愛にあたる。
ここでは同性愛の是非については触れず、笠良城が感じたことだけを記そう。
誰かを心から好きになったのなら、邪魔な価値観や比較は必要ない。
どれだけその人のことを好きなのかは、なぎさの表情を見れば一目瞭然だ。
自分は友達として、それを応援するべきなのだろう。笠良城が導き出した、というよりも自然に辿り着いた答えはそれだった。
「なるほどねぇ。女の子みたいな顔してると思ってたけど、心もそうだったってわけ」
「えへへ……」
「先に言っとくけど、変に気遣う必要はないわよ。あたしとナギは友達、何だって相談に乗るし、どんな時でも裏切ったりしないわ」
「コモちゃん……うんっ、ありがとう」
今も空の上で燦燦と輝く太陽のような明るく天真爛漫な笑顔を浮かべたなぎさ。
二人はどちらからということもなく、立ち上がって浜辺の方へと歩き始めた。
「にしても、どういうふうにその人のこと好きになったの?」
「うーん……どうって言われても」
「イケてる男をカッコいいとか思うことはあたしにもあるけど、そういうのと恋はまた違うものでしょ? 明確に好きって言える理由っていうかなんていうか」
「んー……抱きしめてキスして欲しいって思うんだけど、それが理由じゃダメかなぁ?」
「だっ……!? あ、あんた可愛い顔して結構生々しいこと言うのね……」
それだけじゃなくて、本当はキスの先も――。
なぎさはそう言おうとしたが、思いとどまった。なぎさにとって恋の証明はそういう望みであるのだが、笠良城が言うように少し生々しすぎると自重したのだ。
「けど、男が好きっていうなら相談には乗りやすいわね。今日だけじゃなく、何かあったら遠慮なくあたしを頼りなさい」
「うんっ! でもコモちゃんって何か不思議だよね、ボク誰にも話したことなかったんだけど……」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。それだけあたしに頼りがいがあるってことでしょ? ふふん、カリスマと言ってもいいかしら」
無い胸を反らせる笠良城は口では自信ありげなことを言っているが、その内心、喜びに打ち震えているのだった。
(くぅーっ! 友達に頼りにされる&友達の相談に乗ってあげる! 今日だけで目標を三つも達成出来ちゃったじゃない! 今日は最高の日だわ……!)
それもこれも、思い出づくり同好会に入ってなぎさと出会えたのがきっかけ。最初は乗っ取ろうとしたし、入部も香良洲に強制されたものだったが、結果的にこうなってよかったと素直に思えた。
活動内容も今日みたいに思い出づくりと称して遊びに行ったり、部室でゲームしたり。彼女にとっていいこと尽くめの環境だ。
(部長の多気はどっかいけすかないけど、まぁ楽しいトコロよね……後で香良洲にお礼くらい言っておこうかしら)
笠良城が足元を見ながら考え込んでいると、隣でなぎさが嬉しそうに声を上げて走り出した。
「あっ! お兄ちゃーん!」
走っていく先に居たのは、ビデオカメラを片手に構えた玲治。
彼に満面の笑みを浮かべてまとわりつきじゃれつくなぎさの姿を見て、笠良城の心にふと、ある予想が浮かぶ。
(……もしかして、なぎさが好きな人ってアイツなんじゃないでしょうね)
もしそうだとしたら、同性愛に加えて近親恋愛?
唯一の友人が抱える恋の悩みは想像以上に手強そうだと笠良城は苦笑いを浮かべる。
彼女の頬に伝う雫は、冷や汗かそれとも海水か。




