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44.弟の気持ち

「……ふぅ。ちょっと飲み物飲みすぎたな」


 ビーチに建ち並ぶ仮設トイレの一つから出てきて、玲治は自分の腹をぽんぽんと叩く。

 水分補給は大事とは言え流石に飲みすぎたのか、これでトイレに立つのは三回目だ。まだ海に来てから二時間と経っていないと言うのに。


「多気は十一時になるまで自由行動って言ってたよな。今何時なんだ?」


 徐々に増えてきた海水浴客らと何人もすれ違いながら、玲治は戻っていく。

 時間を確認したくとも彼は腕時計を付けていない。海に持っていけるような防水加工の施された物は持っていなかった。周りを見ても時計なんてどこにもない。海の家に行けば壁時計くらいあるだろうが、そっちへ行くよりも戻る方が早い。


 ビーチサンダルの底に入ってくる砂粒なんかが気になって歩き方がぎこちなかった玲治は、一分もかからずに戻ってきて、椅子に座ってくつろいでいる多気に話しかけた。


「多気、いま何時だ?」

「んー……十時を過ぎたところだね。みんなまだそれぞれに楽しんでるよ」

「そう言うお前はずっとここにいるな。泳ぎに行ったりしないのか?」


 多気は水着に着替えてはいるのだが上着にラッシュパーカーを着こみ、パラソルの陰に居るにも関わらずサングラスを掛け、優雅にペットボトルの紅茶を飲んで何をするでもなく座り込んだままだ。

 他のメンバーはそれぞれ泳ぎに行ったりしているというのに、体調でも悪いのかと思った玲治だが、見たところ多気はいつも通りだ。


「僕はこうしているだけで、潮風とその香りを楽しむからいいのさ。海に来て泳がなくちゃいけないルールなんて無いからね」

「……もしかしてお前、カナヅチなのか」


 玲治の問いには何の返事も返ってこず、無言の時間が続く。

 何も口にせず、そしてサングラスを(・・・・・・)掛けているため(・・・・・・・)多気が泳げるのかそうでないかの真偽ははっきりとわからない。

 それでも玲治にははっきりわかっていた。彼だけじゃなく誰だって察しはつくだろう。答えたくないということはそういうことなのだろうから。


「そうだ玲治、一つ頼まれてくれないかい」


 そして多気はまるで何も質問されなかったように振舞って切り出し、玲治は何も訊かなかったことにした。


「なんだよ」

「ビデオにみんなの様子を撮ってきてほしいんだよ。海に来た思い出を残すためにね」

「お前が自分で撮ればいいじゃねぇか。撮影技術なんて俺にないぞ」

「僕の代わりにここで荷物を見ているっていうのかい? 君だってなぎさくんや、あきらさんと一緒に海を楽しみたいだろう?」

「あー……そうか、荷物を見てくれてるわけか。んじゃま、文句を言う筋合いもないな」


 ごそごそと多気の鞄の中を漁り、すっかり同好会の物になったビデオカメラを取り出す。

 元々はなぎさが持ってきたのもで持ち主はその母親だ。と言っても家を空けているから好きに持ち出しても平気らしい、なぎさはそう言ってこれを寄付してくれた。


「撮った映像は僕が確認して編集するんだから、あんまり変なモノを撮らないでくれよ? あきらさんの胸元ばかりとか映っていたら、いたたまれない」

「誰がそんなモン撮るか!!」

「そんなものって……あきらさんが聞いたら悲しむよ玲治」

「そういう意味じゃねぇ! っつーかなんで俺が姉さんばっか撮るみたいな前提で話してんだ!」

「おや? 今さら隠さなくても……僕にはお見通しだよ」

「ぐっ……! な、何のことだよもうっ!」


 サングラス越しに嫌な視線を感じて玲治は背を向けた。

 実の姉であるあきらに寄せる好意を見抜かれているのは薄々気づいていたが、直接言われると恥ずかしさと負い目を感じるので、そのままさっさと多気の元を離れていく。


 最近の玲治は客観的に見て、以前と比べるとかなり変わってきていた。

 主にはあきらに対しての印象だ。転校初日に初めて会ったときから一目惚れだったのだが、その頃は気持ちを何とか理性で抑えつけようとしていた。自分とあきらはきょうだいだと、何かの気の迷いだと。

 しかしその気持ちは膨れ上がる一方であり、今となっては完全なる恋心だという自覚も生まれていた。


 その気持ちをいつかあきらに伝えたい。だがそう簡単に伝えられるほど、玲治は器用でも素直な性格でもない。

 ここ最近は悶々とした日々を過ごしているのだ。あきらが以前よりも優しく接してくれるようになったのが、余計に彼の心を惑わせて。


「……ま、まさかなぁ」


 いやいやそんなわけはないだろう。あきら姉さんも同じ気持ちだって、そんなフィクションの中のご都合主義みたいな展開があるわけない。

 玲治は人の嘘は見抜けるくせに、人の心を読むことは苦手だ。あきらの心がどうなのか読めないし、そしてましてや、自分の弟が抱いている気持ちにも気づけるわけがなかった。


 玲治があきらに思いを寄せている一方。

 なぎさは玲治に思いを寄せている。

 きょうだいという壁に加えて、同性という壁を越えようとしているのだ。


 そんなこととは露知らず、玲治は浅瀬で遊んでいた件の弟の元へ向かったのだった。

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